ココロ銀行

ひみつ

本文

 日が暮れる頃の更衣室。快晴だった空は、橙を一つ飛ばして紺色に染め上がって。星々が嫉妬して隠れてしまうくらいに、明るい街。そんな街で、私はストレスを発散していた。


『素敵な姫よりぃ! 高級シャンパンいただきましたァ!』


暗がりの店内。点々と、きらきらと。星みたいに輝くライト。金色のしゅわしゅわを求めて、わいわいと男たちが集まっている。


『それでは姫、王子に一言、よろしいでしょーかっ!』


 さんいちきゅーっ!

 シャンパンコール。掛け声で合わせているのは、まだ力の小さいキャストたち。何度か話したことある子から、マイクを渡される。こういうの、やらなくていいんだけど、まあ。


『えっと、その……これからも、がんばってくださいっ』


『いーよいしょー!』


 いーよいしょー!

 少ししたら、担当の子がマイクを握ってお礼を言ってくれる。大変なのに、いつも入れてくれてありがと、だって。あぁもう、好き。


 シャンコもあっという間に終わりに近づき、ホストたちが散り散りに去っていく。ありがとー、と何人かに声を掛けられながら。


「ありがと、ありがとうね、あぁそれそのままでいいよ、ありがと」


 隣に座る王子が、シャンコに集まってくれた子一人一人に、お礼を言っている。しかも、気遣ってくれた子には、最小限の仕事で済むように。


 やさしすぎん?


「ありがとう、愛。売上結構いきそう! このペースなら俺、幹部いけっかも!」

「ほ、本当っ?」


 やめてくれ、さりげなくありがとうからの私の名前呼ばないで。きゅんとしちゃうから。ちょっと余裕かも、みたいな言い方がとても好きです。


「さ、最近元気ないって聞いたから、その、頑張ってほしくて」

「いんや今日のでめっちゃ元気出た! 愛からもらうシャンパンなんて、ヴーヴでも元気出る」


 ちょいちょいちょい、それはさすがにね? 嬉し過ぎるわ。


「マジでありがとう。無理して飲まなくて大丈夫だからね?」


 と言って、するっと手が伸びてきて、私の手元に着地。

 なんだろうこの寛容さ! 余裕のある笑み!


「だ、大丈夫! 前に飲んだ時、大丈夫だったから! えっとその、か、かんぱーいっ!」


 おいおいおいおいおい。

 そのボディタッチは反則だろ。

 イエローカードか? もはやレッドカード、私が興奮しすぎてドクターストップ一発退場だ。あぁ指綺麗。


 なんとか平常を保ちながら、数十万するシャンパンをゆっくりと。薄い泡が、舌の上で消えていく。


「明日仕事?」

「え? あぁうん、七時から」


 マジ? と苦い顔をされる。

私は首を横に振って。


「今日会いたいって思って、会えたから、大丈夫だよ。私も、頑張るよっ」


 なぁんて、かわい子ぶってみる。

 この後で抱きしめられて、気を失いそうになるのだが。


 日々の仕事によるストレスを発散すべく、イケメンと呑み、いや貢いでいるのだ。幹部に昇任しろだなんだかんだと、先輩からプレッシャーを与えられていて、ナイーブになっている彼を元気つけるために。でも会ってみたら余裕のある男って感じで。見栄張ってるのかな、それとも構ってほしかっただけなのかな、と色々妄想していたらシャンパンのメニューに目が行っていた。

あわよくば、横顔見て、はぁかっこいいと思いながらお酒を呑んでいたい。見つめられるのは恥ずかしいのでちょっとやめてほしいけど、やめてほしくない。


「水飲んで水。二日酔いになったらヤバいでしょ」

「大丈夫、大丈夫! そんなことよりストレス発散!」


 そう胸を張って、いや見栄を張って、ヘルプの子が注いでくれたシャンパンを一気に呑み干す。

 おぉ、と声をあげてから。


「ストレスそんなに溜まってるなら、アレ使えばいいんじゃない? 今流行ってるやつ、あるよね?」

「ん? アレ?」


 ヘルプの子が切り出してきたアレがどれなのかわからず、思わず訊き返してしまう。文字だけで見るとなんだかいやらしい。


「あぁ、アレね。俺も使ってるけど、超良かった。まあ、人選ぶけどさ」

「アレって何? どれ?」


 王子が使っているのであれば是非とも紹介していただきたい。なんか眉がぴくってしてたけど何かありましたかそんな顔も可愛い。


「えっとねー。ちょっと胡散臭いやつ」

「え、なにそれ気になる!」

「ちっ……あ、ハイボールもらってもいい? ありがとー……」


 ばしっ、とヘルプの子の肩を強めに叩きながら、お礼を言ってくれた。


「胡散臭いの? それってヤバくない?」

「んー、まあでも全然大丈夫。けど、愛はやめておいた方がいいんじゃないかなあ」

「大丈夫なら知りたい! 教えてー」


 単に興味があった。担当の子が使っていて、ストレス発散になるものがあるのであれば、是非利用したいと思っていた。


「えっとぉ……絶対やめておいたほうが――」

「なんで隠すの!」

「えっと……はぁ、マジでやめた方がいいと思うけど」


 そう前置いてから、後ろには何も置かず、包み隠さず彼は教えてくれた。


「心をね、しまう銀行があるんだよ」

「え、なにそれ」

「いや、マジそうなるよね。何言ってんのって笑っちゃうと思うけどさ。マジなんだよ」


 小説に出てきそうなワードに、私は思わず笑ってしまう。でも、彼は真面目に受け答えをしていた。


「嫌な思い出とかあるじゃん? 愛だったら、仕事のこととかさ。そういうのを、自分の心から抜いて、銀行に預けるの」

「え。待ってマジで言ってるの?」

「信じるか信じないかはー?」

「アナタ次第!」


 なんて、冗談を交わしながら。

 そんなものが存在するわけがない。きっと、金をばら撒くように吞んでいる私を楽しませようとしてくれた、優しい嘘なのだろう。


 その時は、そう思っていた。


 突然担当の王子とヘルプの子が飛び、行き場のなくなった私が、歌舞伎町で彷徨うまでは。


 ◇


 七夕。

 天の川の対岸にいる織姫と彦星は、一年に一度、再会できるとかなんとか。私はそれになれなかったらしい。明るすぎる街で、星だと思って追いかけていたものは、ただのLEDだったようだ。


 仕事のストレス。

 それを発散するために来ていた新宿にも、嫌気がさして。


 はけ口を見失った私は、我慢しつづける日々を送った。新しい推しを見つけようにも、彼の面影がちらついてしまう。あの綺麗な顔面を忘れようと仕事に没頭してみるものの、ミスの連続。怒号を浴びる日々、聞こえてくる陰口を拾い上げる耳。今なら良いラップが書けそう。


 心の疲弊が、私をヒップホップの道に進めようとしていた。


 そんなある日に。

 私は気づいたら、たどり着いてしまった。

 マイクとディスのイメージがあった道から逸れて。


「いらっしゃいませ」


 黒スーツを着た男が、目の前にいた。

 相反した青白い肌は、死に際のその人を思い浮かべてしまうような。

 ニヤリと嗤いながら一礼する彼は、怪しいの一言に尽きた。

 胡散臭い。非常に胡散臭い。

 しかし、その声には説得力のような不思議な力が宿っているようにも思えた。そう、彼はホンモノであると。本物の銀行員であると。明白に、明確に、明瞭に、そう思わせる、なんとも不思議で、聞き心地の良い声だった。


「ようこそ、ココロ銀行へ」


 ◇


「お客様、こちらへどうぞ」


 銀行員だろうか。

 導かれるまま、私は椅子へ腰かけた。

 周りは――解らない。見えているのに見えていないような、不思議な感覚。視認、認知、認識……そう、認識できていない、という表現が一番、ピンとくる。


 暗い部屋に、ポツンと、銀行の窓口が一つ。来客用の椅子と共に、照明が当たっている。劇のスポットライトに近いようなそれに、私は眩しいとさえ、感じなかった。


「さて、こちらの資料を用いて、説明させていただきますね」


 パンフレットのようなものから、見覚えのあるいらすとが観測できた。これはなんと著作権というものが存在しない、見やすくシンプルでわかりやすい素材、営業の味方ではないか。


「ココロ銀行――読んで字のごとく、心を預けることができます。仕組みなどはこちらを後でご覧ください。次のページに進みますと、預けることのメリット、そしてデメリットが記載されております」

「心を預けるって、何言って――」


 そう言いかけて、ふと。

 消えた流れ星の一言を思い出す。


『自分の心から抜いて、銀行に預けるの』


 あの時話をしていた、銀行だ。


「えっと、あの」

「はい。どういたしましたか?」

「その、ここって、えっと、心を預けることができる銀行、であってますか……?」

「おっしゃる通りでございます」


 やっぱりだ。

 胡散臭いと思ってすぐに忘れていたけれど、まさか本当にあったとは。


「あの、本当に心を預けることができるんですか?」

「はい。パンフレット二ページから三ページの間に仕組みが記載されております。なにぶん、難しいお話になってしまいますので、お家に帰ってからゆっくりとご覧くださいませ」


 ほう。仕組みが載っているとな。

 なんだか、聞いてるだけで難しそうだ。

 

ゆっくりとご覧くださいませ。

 銀行員がそう言うと、パンフレット二ページ先へと進んでいく。


「例えばですが――お客様がお仕事などで落ち込んでいる時、好きなことをしても、心から楽しめない。そんなことって、ありますね」


 軽やかに話す銀行員の口調は、彦星よりも、優しい印象を覚えた。


「……たしかに」

「ありますよね。そんな時、こちらの銀行で楽しかった思い出を預けていただければ、いつでも引き出すことが可能です」


 真っ黒の背景に、白い歯が浮かび上がる。

 不気味でいて、わくわくするような。


「楽しかった思い出を引き出すことにより、お客様の心はリフレッシュできます。多くのお客様がこれを利用し、ご満足いただいております」

「リフレッシュ、ですか」

「はい。お客様の中には、余裕のある良い大人になった、と褒められることもあるみたいですよ」


 余裕のある大人。

 そういえば、と飛んだ王子を思い出す。

 彼の、心の余裕がある雰囲気が、とても好きだった。この銀行を利用して、精神的な余裕を手に入れた、ということなのだろうか。


「注意点は二つございます。先程、軽く触れたデメリットの部分でございますが――」

「え、注意点?」

「まず一点。心を預けすぎてしまいますと、すり減ってしまいます。精神疾患になり得る可能性がございますので、ご注意ください」


 訊き返すものの、何事もなかったかのように説明されてしまった。


「そしてもう一点。引き出す際に、手数料がかかります。通常の銀行と同様、心を引き出す際に、その一部を手数料として差し引いております」

「て、手数料……? 一部って、どういう……?」

「はい。その気持ち自体が減っていくので、引き出し続けると、最終的には消えてしまいます」


 例えば。

 銀行員は一言置いてから、説明を続けた。


「楽しい思い出を引き出し続けると、その思い出がだんだんと減っていきます。物は有限、つまりは心の残高がゼロへと向かっていくのです。ゼロになってしまった際は、どんな思い出だったか、おもいだせなくなってしまいます」


 人差し指と中指を立てて、銀行員がニヤリと嗤う。


「この二点さえ了承いただけましたら、今すぐに口座を作ることが可能でございます」


 はー。

心の中で間抜けな返事をしてしまう。

 きっとこの銀行員は、きちんとした説明をしてくれているのだろう。しかし、王子に訊いていた通り、なんだか胡散臭い。


「えっと、その、せっかくなんですけど……」


 断ろう。

 不気味にも、優しくも見える銀行員に対し、私は自分を見失わないようにと、無難な言葉を必死に選ぶ。


 王子が良いものだと言っていたものに対し、悪くは言いたくない。これを使ってクオリティオブライフが上がるのであれば、尚更だ。正直、きちんと説明を聞いていなかったが、揺れてしまう。


 彼と同じ、余裕のある大人になれる。


 そのたった一言だけが、私の決断を鈍らせる。

 なんだか、お酒に酔った時にセールスの話を聞いているような感覚だ。


「……本当によろしいのでしょうか? 断って」

「……それは、どういう……」

「当店は、『本当に望んでいる』方にのみ、来店することができます。つまり、お客さまは今、ココロ銀行の利用を、心の底から望んでいらっしゃるのです」


 笑顔をそのまま、表情を変えずに。


「本日、このお話を断ってしまえば、二度と、お客様は当店を利用できなくなってしまいます。一度断ってしまったから、という思い出が、心に刻まれてしまい、『本当に望んでいる』という条件から外れてしまいます」


 銀行員は、右手を差し出す。その先には、パンフレットに記載されてる、『ココロ銀行』の文字。


「本当に、よろしいのでしょうか」


 自分が、本当に望んでいるか。

 そんなの、あまり考えたことがなかった。

 無意識に、心がどこかで、望んでいたのかもしれない。


 しかし、そんなこと誰にもわからない。


 私はもちろん、この銀行員だってわかるはずがない。

 正解を判断したのは、ココロ銀行とでもいうのだろうか。そんなの、誰が信じるものか。こんなの、占い師とやっていることは同じではないか。


 だが、占い師が廃業にならないのは、納得してしまうからだ。当てはまっている、納得ができるからこそ、それを信じようとしてしまうのだ。

そして、私も納得をしてしまう。なぜか、不思議と、摩訶不思議な銀行員の口車に乗せられて。


「じゃあ、その、お願いします……」

「はい。かしこまりました。では、こちらの紙に――」


 ◇


数日が経った。

私は王子との楽しかった思い出を、ココロ銀行に預けた。そして、仕事でストレスが溜まった頃に、その思い出を引き出す。


すると、不思議と心が和らいだ。どういう仕組みなのか、どういう理屈なのか、そんなのどうでもよかった。ただ、楽しかったあの頃を思い出して、嫌なことを忘れて、えへへと思い出し笑いをして。


「あの時の王子、本当に面白かったなあ」


 あの時は、と思い出すより、ココロ銀行で引き出した方が、より鮮明に、より心が豊かになるのを感じた。その魔法にかかってしまったのか、私は何度も何度も、彼との思い出を引き出した。


 しかし、日に日にソレが薄れていくような感覚があった。最初に引き出した頃より、喜べていない気がする。


「うーん、それなら」


 と、私は別の思い出も預けた。もちろん、王子との思い出だ。

 だが。

 それでもまた、薄れていく。

 次第には。


「……王子と一緒にいて、楽しいことなんて、あったっけ」


 そう感じてからは、ストレスが増えていく一方だった。引き出すものがなくなれば、ココロ銀行に行く回数も減っていった。


 これではまた、別の推しを見つけに行こうとフラフラしてしまう日々に戻ってしまう。どうしたものかと、考えたある日。


「そうだ」


 ココロ銀行のATMを前に、私は一つ、良い案を閃いた。


「ストレスが増えていくなら、嫌な思い出を預けちゃえばいいんだ」


 嫌なことがあれば、ココロ銀行にそれを預けてしまう。

 預けた思い出は、絶対に引き出さない。預けたままにしておくのだ。こうすれば、嫌なことを忘れることができる。


 さらにいえば、推しを見つけるまでの間で、微妙だなと思ったものまで、預けてしまえばいい。一石二鳥とはこのことだ。なんなら一石三鳥まである。


「私頭いいじゃん。じゃあこれとこれ、それからこれを預けて……」


 嫌なことを忘れるために預ける。

 ずる賢い作戦は、ココロ銀行へと足を向ける回数を増やしていった。



「お客様、いかがなさいましたか?」


 相変わらず青白くて不気味な笑顔。

 銀行員は、丁寧に尋ねてくる。


「あの、えっと……何やっても、楽しくないんです」


 最近、ストレスしか感じない。

 何度も嫌な思い出を預けた。

 何度もホストクラブに足を運んだ。

 しかし、全く楽しくないのだ。


「なるほど、そんなことがあったんですね」


 いつの間にか、私は暗がりの店内にぽつりとある窓口に座っており、日々のストレス、仕事のこと、心を預け続けたことをべらべらと話していた。


「それはお客様が、心を預けすぎたのが原因かと。楽しい思い出ではなく、ストレスを預け続けたということですから、その分、心がすり減っている状態ですね」


 銀行員はスマートフォンを取り出してから、説明を続けた。


「心の容量が、小さくなっているのをイメージしていただければと思います。自分が必要なアプリをスマホに入れていくと、残りの容量は少なくなってしまいますよね?」

「……」

「心も同じです。楽しみにしていたアプリゲームを入れようとしても、容量オーバーで入れられなくなってしまいます。きっとお客様は今、楽しい気持ちも嫌な気持ちも感じにくくなっている状態かと思われます」


 心の容量と、スマホの容量。

 言われてみれば、そんな感じがしてきた。

 どうしてとか、仕組みとか。

 そんなの、どうでもよくなってきた。


「あの、私はどうすれば……」

「解決策は、二つございます」


 銀行員は人差し指を立てて。


「まず一つ。預けられたストレスを全て引き出す、という方法です。ココロ銀行ATMはもう一つの心と言っても過言ではありません。嫌な思い出ばかりのATMから全て引き出して、心の容量を獲得しましょう」

「え、でもそれって……」

「はい。非常におすすめできません。一度に嫌な気持ちを全て引き出しても、少しずつ引き出しても、お客様の精神が持つかどうかは、わたくしには判断致し兼ねます」


 なので、と。

 銀行員は中指を立てて。


「ココローンを組んでみてはいかがでしょうか」

「ココ、ローン……?」

「はい。心のローンで、ココローン。ココローンを組めば、心が癒され、気持ちに余裕を持つことができます」


 不気味な笑顔が続く。

 謎めいた説明も続く。


「しかし、ローンはローンですので、利子付きで、心を返済していただきます」


 さぁ、と差し伸ばされたその手は、私にとって――。


「いかがいたしますか?」

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ココロ銀行 ひみつ @himitu0303

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