第8話 大団円
「そういえば、竹中さん、最近見ましたか?」
とマスターとの話の中で、ふと思い出したように、佐久間は聞いてみた。
「それなんだけど、ここ数日見かけないんですよ。どうやら、この間、話をしていた、スマホのセミナーに参加した後から見かけなくなったような気がするんですが」
というのだった。
「ああ、そういえば、スマホの講座に行くような話をしていましたね?」
といって、マスターに答えたが、その時、何か違和感のようなものがあったが、それを、佐久間はすぐには、ピンとこないようだった。
「ええ、そうなんですよ。私も今気が付いて、気持ち悪いと思ったことがあったんですけどね」
と、マスターがいうではないか。
「どういうことなんですか?」
と聞いてみると、
「実は、今佐久間さんから、言われたことで、竹中さんのことを心配していた自分がいたことを思い出したんです」
というではないか?
「う、うん?」
と、言葉の脈絡にどういう意味があるのか、よく分からないと言った感覚で、考えてみたが、どうも、マスターは、
「今の今まで、竹中さんのことを忘れていたんですよ」
とでも、言いたいのかと思ったが、そういうことではなさそうだ。
どちらかというと、
「竹中さんのことを忘れて行こうとしている自分に気づいて、愕然としてしまった」
とでも言いたいのだろうか?
確かに、人のことを忘れていく場合、その仮定において、忘れてしまいそうになる感覚は薄いもののような気がする。
どちらかというと、忘れてしまってから、
「あ、忘れているんだ」
という言葉で表すとおかしな発想にいなってくるのだが、そこにあるのが、
「飽きてくる」
ということなのかも知れない。
きっと、佐久間が、
「飽きっぽい」
と言われるのは、
「忘れる過程というものを思い出すよりも、忘れてしまってから、『ああ、忘れた』と感じる時なのかも知れない」
と感じたのだった。
その二つが結びつくという感覚は、なかなか持てないが、頭の中で考えて、信憑性を追求しようとすると、そういう発想に行き着くしかないような気がするのだった。
それにしても、竹中老人が、スマホのセミナーに行ったということであるが、どういう内容の講習だったのだろうか?
竹中老人は年齢のわりには聡明で、どちらかというと、発想も柔軟なので、同い年の年齢の人たちに比べて、理解度が高いのかも知れない。
そんな風に感じていると、
「スマホというものを、理論立てて考えることのできる珍しい人ではないか?」
と思えるような気がして仕方がない。
思い出されたのは、
「この店は時間を食う」
といっていた言葉、
あの言葉を聞いたあの時、初めて、竹中老人が、
「何かを考えていて、自分に言いたいのかも知れない」
とも考えたが、それが何なのかもわからない。
ただ、この間見た時、老人はすでにスマホを手にしていて、
「他の老人と同じように、やはり年には勝てないのか、スマホを持っている竹中老人を見ていると、違和感とどうしても、感じえないということではないだろうか?」
と感じたのだった。
実は、
「老人が受けたかも知れない」
というセミナーに、佐久間も参加していたのかも知れない。ちょうど同じ頃、佐久間も。会社からの推薦で、スマホに関しての講習会に参加した。
佐久間自身も、最近まで、ガラケーを使っていたということで、スマホに関しては、
「ずぶの素人」
といってもよかったのだ、
これは、佐久間に限ったことではない、
「ガラケーユーザーあるある」
というもので、
「いまさらスマホに変えたって、どうせ、何も変わりは市内さ」
と、
「ケイタイというものは、緊急の連絡さえ取れればいいんだ」
という考えと、
「パソコンを普段使っているから、スマホに変えたって、別に何も変わりはしないので、このままガラケーでいいだろう」
と思っていたのだ。
そして、実際に、
「充電器のところが壊れてしまい、携帯ショップに持っていくと、『これはメーカーに出して修理するしかない』と言われたことがあった」
というのを思い出していた。
どうやら何かが詰まっているだけなので、棒のようなもので掻き出せばいいということなのだが、それをショップがすると、
「一歩間違えば、賠償問題になる」
ということを言われたので、
「修理に出すくらいなら、このまま、スマホに変える」
ということにしたのだ。
もうすでに、1世代前のケイタイは、サポート終了になってしまい、今のケイタイもいつ、サポート終了になるか分からないということで、
「それなら、今のタイミングで変えておいた方が」
ということになったのだ。
正直、この年齢で、まだガラケーを使っていたというと、まわりの人は普通に驚いていた。
「なぜ、シマホに今まで変えなかったのか?」
という理由がもう一つあることに最近まで気づかなかったのだが、それに気づいたのは、実際に変えてから、スマホの捜査を覚えるようになってからのことだった。
しかも、その理由は今までの佐久間から考えれば、容易に想像がつくものだったはずだ。その理由というのは、
「飽きっぽいという性格が災いしていた」
ということであったが、実際に変えなかった理由として、これを災いだとは思っていなかったということなのだろう。
「飽きっぽいから、スマホ操作に苛立ちを感じる」
と思ったのだ。
一言でいえば、
「パソコンがあるのだから、パソコンでやればいいんだ。できないことというのは、歩きながらできないというだけで、どうしても必要な時のために、持ち歩いていて、電車やバスなどの公共交通機関のような移動中にでも、できないことではない」
と思っていたのだ。
だから、今でもパソコンは持ち歩いているのだが、パソコンを持ち歩くのは、スマホとは直接関係ないところで、
「それとこれとは話が別だ」
と考えているからであろう。
パソコンというものを考えた時。
「最近でこそ、wifiという、無線LAN形式のものがあるので、どこでも繋がるが、昔は、ほとんど、ネットに繋がるということは意識していなかった。ネットを使わないといけない時は、ネットカフェに飛び込んだりして、苦労したものだったよな」
と、今さらのように思い出すのであった。
そんなことを考えていると、
「やはり、スマホというものは、必需品なのだろうな?」
と考えるようになった。
しかし、覚えることがいっぱいありそうで、実際に、そのあたりが難しかったのであった。
そういえば、最初にこの店に来た時、帰りが竹中さんと一緒になったのを思いだした。
その時。
「この店では本当に時間を食うんだよ。だから、記憶がなくなっていくんだけど、たまに、それを意識しないことがある。それは、自分の記憶が曖昧になるからであって、記憶が食われた後で、何者かによって、新しい記憶を植え付けられる。だから、あなたと違って他の人は、あまり、飽きるということを知らないんだよ」
と言われた。
「この人は、この俺が飽きっぽいことを知っているんだ。いや、知っているからこそ、こうやって仲良くなったのかも知れないな。そうじゃないと、こんなに俺にくっついてくるということもない。俺の何かを知りたいのかも知れない」
と感じた。
「最近、スマホを持つようになって気づいたんだけど、人間って、知らず知らずのうちに、自分の中で都合の悪い記憶は消し去るという技を身につけているようなんだよな。君の場合は、飽きっぽいという性格が、その植え付けられるものなのではないかと思ってね。まるでスマホのアプリのようじゃないか?」
といっていた。
「私が、スマホの講習に出たいと思ったのは、どんなアプリの種類について勉強して、自分で取り入れられることがあれば、それが嬉しい。だから、いろいろ吸収していきたいなって思っているんだよ」
と、老人は続けた。
「そんなものですかね?」
と曖昧に答えると、
「ああ、だから、飽きっぽいとか、記憶が曖昧で、肝心なことを覚えていないとか、その覚えていない部分が肝心なところで、次第に忘れて行っているのではないかと思うと、夢や幻というのを感じてくるのさ」
というではないか。
前述のような、夢や幻という話は、自分で意識したというよりも、この時の老人の言葉が忘れられないということなのかも知れない。
ただ、
「夢や幻」
というだけではなく、
「飽きっぽい」
ということまで分かっているのだとすると、それが洞察力なのか、予知能力のようなものなのか、超能力であることに違いないような気がした。洞察力は超能力ではないが、超能力を凌駕するほどの、強いものではないのだろうか?
「飽きっぽいというのと、面倒臭がりというのは、関係があるんでしょうかね?」
と聞いてみた。
「面倒くさがりという意識はあるのかい?」
と聞かれて、
「ええ、結構あります。面倒臭いから、他の人が夢中になることができなくて、それが幸いしている部分もあります」
というと、
「例えば?」
と聞かれたので、
「例えば、ゲームですね。よく引きこもりの人が自分の部屋で、テレビだけつけて、ゲームをしているとかいう絵をよく見かけるでしょう? あれを見ていると、いつも、自分にはできないと感じるんですよ」
と、答えた。
「それは、焦りが次第に生まれてくるからなのではないですか?」
と聞かれ、先ほど自分が、
「夢や幻のような関係を模して、焦りと飽きっぽさで自分の考え方の正当性を考えたのに、この人はそこまで分かっているということなんだろうか?」
と感じたのを思い出したのだった。
竹中さんは、確かに勘が鋭いところがあったが、ふと、忘れっぽさも感じさせた。まるで、ぼけ老人であるかのように見えたが、実際にはそうではないようだ。
何か妄想のようなものを絶えずしているので、時々、他人事のように見えて、知らない人だと、
「なんて失礼な人なんだ?」
と感じさせるかも知れないと感じた。
そんなことを感じていると、この間の影が薄いと思っていた人の姿を思い出せる気がした。
だが、それと同時に、今度は竹中さんの顔がどんな顔だったのか、分からなくなってきて、一緒にいた人の影がどんどんハッキリしてくるかと思うと、逆に竹中さんの影が、だんだんと薄くなってくるようだった。
「竹中さん。スマホの中で、何か時間を食うものでも見つけたのだろうか?」
と考えたが、実はもっとすごいものを見つけてしまったのではないかと考えるようになったのだ。
それは、影の薄さに関係があるのかも知れない。
「そう、影が薄いなどという言葉を想像していると、それは、死が近い、あるいは、限られている命が限りを迎えているのではないか?」
と考えるようになったのだった。
佐久間はそんなことを考えながら、
「竹中老人がスマホに変えたことが、あの人の運命を変えたということなのだろうか?」
と考えたが、逆に、
「あの人の運命が最初から決まっていて、その運命に導かれるように、スマホが使われただけではないか?」
と思うと、そのスマホの効力を知っている人がまだいないから、誰もまだ何も言わないのだろう。
そのうちに、人知れずに行方不明になってしまったり、気がつけば、理由が分からない死体が発見されると言った。普通では信じられないことが起こってくるのではないだろうか?
「マスター、竹中さん。本当に大丈夫なんでしょうかね?」
と聞いてみると、マスターは、最初、佐久間の声が聞こえていないようで、動きもほとんど静止しているようだったが、よく見ると微妙に動いている。いや、まわりが凍り付いていて、自分だけが、この世で計り知れないほどのスピードになっていた。
「竹中さんはこれのことを、『時間が食う』と表現したのだろうか?」
と感じ、自分の寿命も一気に過ぎてしまったかのようだった。
「竹中さんは、スマホの中に自分の寿命が図れるソフトでもみつけたんだろうな?」
と感じた。
そして、自分がその同じ道をたどっていることを悟った佐久間は、次の瞬間、凍り付いた時間が元に戻ると、
「えっ? 竹中さん。それって誰ですか?」
と真顔でマスターが言った。
そう、ここは、
「時を食う」
のではなく、
「残された時間を食う」
ところだったのだ……。
( 完 )
時間を食う空間 森本 晃次 @kakku
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