Kashmir <後編>

 今も鮮明に覚えている。初仕事があんなに悲惨なものになるだなんてソエジマさんすらわからなかった。どう考えても簡単な仕事の補助という名目だった。ただ、一週間前に戻り荷物を置いてくる青年の手助けだけだったはずだった。


 六年前の初夏。その年は初夏だというのにすでに暑く、やたらとクーラーを回していた。そしてその日はソエジマさんがスクラッチのくじで二万円弱を手に入れてすこぶる機嫌も良かった。

 そんななかで、虫も殺さなそうな青年がやってきた。

 「いいお金が入る簡単な仕事らしいんです。」

 そんなことを言っていた気がする。たった一週間前に戻り、ある建物に荷物を置いていくという内容だった。その建物というのは反社会勢力の事務所の入っているビルだった。そういった類の人たちに届ける荷物と言えば金銭や銃火器であることが多く、ヤミタイでもそういう仕事をする人々のサポートは業務として少なくはなかった。

 だからこそ、ソエジマさんはもちろん、当時入社二年目の俺も「ああ、配達系だな」くらいの感覚にしか思っていなかった。

 ソエジマさんとしても、俺の随行デビューはここいらだろうと思ったのだろう。

 「コーちゃん、初仕事だ。この人の送迎、しなさいな。」

 単純にうれしかった。事務所の掃除、事務所の引っ越しの手続きなど雑務ばかりの二年がやっと報われたのだから。元気よく返事したのもはっきり覚えている。


 そして、その青年もまた行くまでも目的地に着いてからもとても明るい人だった。時間もかなり余裕があったのもあって、好きな食べ物の話から、恋バナまでやたらと話した。きっとこの青年は可能な限り、うちのお得意様にもなってくれるんだと思っていた。しかし、それは俺があまりにこの世界を甘く見ていたと今なら思える。

 青年がその建物に入るとき、俺は外で待つことになっていた。というのも、俺が行く必要は全くないからだ。青年が入っていくのも見たとき、俺は違和感を抱いた。そしてその違和感の正体にはすぐ気づいた。青年が入った建物は目的の事務所のあるビルの隣。食品流通にかかわる会社の建物だった。さすがに気付くかもしれないが、教えに行こうとビルに近づいたときだった。


 閃光。


 まもなくして、轟音とともにガラスの破片と爆風が歩道から道路へと溢れた。


 何が起こったのか理解するのに時間がかかった。瞬間、痛みと耳鳴りに襲われ、自分の顔や腕に傷があるのに気付いた。そして、瞬時に青年の持ち込んだ荷物が爆弾だったことも理解できた。俺は半ばパニックになりながらもなんとか元の時代に戻った。

 

 ソエジマさんにとにかく連絡しなくては、と焦って店のある方向へ駆けたが当然店舗は移転していた。近くの公衆電話で血だらけのまま電話をして、ソエジマさんに迎えに来てもらえた。車内で心配と叱責があったこと、車のラジオからは“一週間前の爆破事件”のニュースが流れていたこと、ここまでははっきりと覚えているが、その後はもうおぼろげだ。


 そして今、俺はその事件現場の向かいのビルの屋上にいる。ポータブルの時空転移装置はこういった座標のずれが往々にして起こるからそれは問題ではない。今最大の問題は目の前の男だ。傷、殺したい相手、この現場、さすがに俺でも察しが付く。きっとこの男はこの事件の被害者のひとりだ。そして殺したい相手、それは三択。あの青年か、あそこに見える“俺”か、今ここにいる俺。


 「こ、ここに来た目的を聞いても…よろしいですか。」

 「大体わかってるだろ。俺はアンタを殺しに連れてきたんだ、サクラバ・コーイチ。」


 そういわれても腑に落ちないことだらけだ。何故今の俺をここで殺す必要がある。あの青年を殺すなり、爆弾を奪い取ってどうにかするなり、あの青年に依頼した人間を依頼より先回りして殺すなりできたんじゃないのか。


 「どうして俺なんだ。ほかにも……」

 「考えたし、試したさ、色々な。あの青年を殺すことだって考えたが、彼を殺して何になる。どこかで爆弾が爆発して誰かが犠牲になる確率は否めない。ましてや俺に爆弾を解除する知識やすべはない。彼の雇い主を殺すことも考えたが、どう辿ればいいものかもこんな一般人にはわからんのだ。どう過去を変えるべきかもわからないなら、きっかけのひとりを殺すことで俺の中で負の落ちる結末にしてしまいたいんだ。」


 なんて身勝手なんだ、とは思ったが、そう思うだけの動機があったんじゃないか?自分の生命の危機が明らかに近づいているにもかかわらずなぜか俺は冷静にそんな分析を脳内で進めていた。


 「ご、五体満足で、たかだか目を失っただけだろ…!俺が死ぬ理由なんかないはずだ。」


 震えた声で問い詰める。さすがに理不尽の極みだ、と思ったが、返答に俺は納得をせざるを得なかった。


 「お前は…目の前で家族の半身がはじけ飛ぶ瞬間を見たことがあるか。」

 「?!」

 「……あの時、あのクソガキの相手をした受付は俺の嫁だった。荷物を開けた瞬間にアイツの前側がはじけ飛ぶのが見えたんだ。それしかもうあの事件は覚えていない。」


 何も言い返せない、俺やソエジマさんがあの青年の依頼を受ける前に荷物の確認をしていれば確かにこの事件はなかった。目の前の男が俺に向ける怒りはまっとうだと気付かされた時には、確実になった死の予感に俺は腰が抜けていた。屋上、その縁まで追い込まれてしまった。


 「安心しろ、いたぶって殺す気はない。ここから落ちれば確実に死ぬだろうよ、もしくは今…これで殴れば意識も飛ぶ……」


 男は近くに落ちていた鉄パイプを拾い上げる。


 ああ、終わったな……。


 ごめん、ソエジマさん。


 ソエジマさん、やっぱり俺は未熟だ。そして未熟なまま………


 俺が死を覚悟したその時、ごッ、と鈍い音が響いた。俺は思わず目を瞑っていたが、自分に痛みがないのに気付くとうっすら眼を開ける。男が鉄パイプを振りかざした体勢のままピクリとも動かない。

 すると、男の手からするりと鉄パイプが滑り落ちる。そしてまるでスローモーションのように横倒れになっていくと、屋上の縁に彼の足は引っかかり、その瞬間にハッとした表情で我に返ったようだった。しかし、時すでに遅し、男はそのまま屋上から真っ逆さまに落ちていった。

断末魔の叫び声はすぐに砂袋を落としたような、あまり聞きたくない音と、下を歩いていた女性の叫び声に消えた。俺はまたしてもこの時間、この場所で理解の追い付かない現象に立ち会っている。

 レンガを片手に立っている男を視界にとらえた。


 俺だ。


 ………俺だ?!


「えっ、な、なんで俺が…おかし、えっ?」

「まあ、そううろたえるなよ、俺。」

「だって……おかしいだろ…!」

「何もおかしくなんてないさ。…ソエジマさんに感謝するんだな。」


 俺を救ってくれた“俺”の話によればこうだ。

 俺はどうやらこの時に死ぬ予定だったらしい。しかし、俺が死んだあとの未来にいるソエジマさんが、死ぬ前の俺にアドバイスをしたんだという。


『コーちゃんよ、オレは例の現場についてあまり知らない。きっとあの現場に行ったコーちゃんは義眼野郎に殺される。必死に探して、止めてきてくれ。』


 ここにたどり着くのが間に合ってよかったと胸をなでおろしてから、「じゃあ、長居もしてられねえし、俺は帰るよ。お前も帰れよ。」とだけ言って“俺”は行ってしまった。そうだ、あの男が死んだ今、この屋上にいればいろいろ危ない。俺も帰ることにした。




「…マジでひどい目に遭った……」

 ソエジマさんの運転する軽トラの中はタバコとエナジードリンクの甘い匂いで満たされている。俺の言葉にソエジマさんはカカカ、と小さく笑った。

「コーちゃんは無事でよかったじゃない。」

「でも……人が死んだんすよ…。」

「……いいかい、コーちゃん。この仕事をやっていれば人の生き死にに関わることなんてザラだ。…別に倫理観を捨てろとまでは言わないけど、彼らの命に寄り添いすぎるんじゃない。オレ達はその人が望む場所、望む時代に連れていき、望むことを淡々とこなすのさ。仮にその人がこの世界に絶望しても、旅の結果で死んだとしても、ね。それを続けていくためなら、自分の命だけはつないでいかなきゃならんのよ。」

「……」

「まだ、わからんでもよろしい。いずれわかるさ。」

 車内では歌詞も知らない洋楽がかかっていた。ただ、『君をそこへ連れて行かせてくれ』と聞こえる気がした。

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HEART STATION 鰐梨マサムネ @avocado_msmn

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