終点
中学二年生の秋、キョウコはレイナと些細なことをきっかけに喧嘩して、たしか三日間ほど一言も話さなかった。
仲直りはあっけないもので私が仲を取り持つ必要はなく、自然とまた三人に戻っていた。もし喧嘩していたのが私と二人のどちらか、あるいは両方とだったらすんなり仲を修復できただろうか。自信がない。
思えば、中学二年生より前に遡っても喧嘩らしい喧嘩をしたことがない私だ。それに女子グループ間にありがちな、妬みや僻みが入り混じった陰湿ないざこざの中心部に巻き込まれた経験もまるでなく、関わったとしても端っこにいて目立たない子だったのだ。
駅構内で突き飛ばされてから、キョウコと次にまともに会話をするまで二ヶ月がかかった。小説や漫画、ドラマによく出てくる年単位の確執に比べればなんてことのない期間。たった二ヶ月。いや、たとえ何十年かかっていようが、死別という永遠の前では大した時間ではないだろう。
兎にも角にもキョウコは生きてくれていた。私を本当の意味で独りにすることはなかった。
ただ、二学期が始まって以来は休みがち、サボりがちとなり、よくない噂も広まりつつあった。飲酒、喫煙、他校の不良男子生徒との夜遊び、中には見知らぬおじさんと夜の繁華街を歩いていたというものまで。
彼女と一言も話したことのない生徒たちが言いたい放題していた。
私たちが三人でいた頃はもちろん、レイナが死んで間もない頃だとあり得ない状況だった。幸か不幸か、私のもとへと事実確認しに来る生徒は少なかった。私とキョウコが仲違いをしたのは誰の目にも明らかだったから。
そんなこんなで文化祭まで一週間を切ったその秋の日、月曜の放課後に私はキョウコの部屋へと久しぶりに入った。
あの夏の日から二ヶ月のうちで、キョウコの家自体は何度も訪れていて、大抵は睨まれて門前払いされていた。彼女の両親は共働きな上に、仕事柄のせいか家を空けることも多くて、三人でいた頃は月に一度か二度は泊まったものだった。
「あがって」
玄関扉を開けた彼女が無愛想にそう言って、私は「いいの?」という言葉を飲み込み、閉ざされてしまう前に「お邪魔します」と敷居を跨いだ。
「なんかいろいろ噂されているみたいね」
私室に入ってすぐ、キョウコはベッドを背もたれに膝を抱えて座り込むと、ドア近くで突っ立ている私を見てそう口にした。
「どこまでが本当なのか教えてくれる?」
「その前に、噂をどこまで信じているか教えてくれるなら」
キョウコが手招く。隣に座って、のジェスチャー。部屋にあったはずの三つのクッション、私たち三人分のそれは一つも見当たらなくなっていた。キョウコ自身の分もだ。私は彼女の隣に、同じように膝を抱えて座る。
「少なくとも、この部屋の香りは変わっていない……と思う」
「なにそれ。ハルミって匂いフェチとかそういうのだっけ。じゃあ、私自身は?」
そう言ってキョウコがごく自然に肩を寄せてくることに当惑した。この二ヶ月間、こんなに接近したことはない。三人でいた頃も、そう積極的なスキンシップをする子ではなかった。私はごく控えめに彼女の香りを嗅ぐ。
「たぶん変わっていない」
「そっか。ねぇ、ハルミ。考えてみて」
吐息が当たる。キョウコのそれをこれまで感じたことって何度あっただろう?
「私がね、全然親しくない、会ったばかりの男の人たちや女の人たちに身体を許したら……つまり、このどうしようもない寂しさや世界に対する怒りや憎しみ、ついでに言うなら人並みの性欲をね、そんな形で発散するのを選んだら、レイナは悲しむかな」
「……きっとね」
「ハルミはまだ、レイナを悲しませないように生きている?」
「何が言いたいの」
キョウコの指が私の顎の下あたりに伸びてきて、思わず払いのけようとすると彼女は指を私の指と絡めてきた。
「誰でもいいって気持ちはあるの。レイナがいなくなってから、ずーっと溜まり続けている、このもやもやとしたのをどうにかしてくれるなら」
ある種の破滅願望を仄めかすキョウコだったけれど、物言いからするとまだ、誰か見知らぬ人とそういうことに及んだ経験はなさそうだった。
「でもね、怖くもある。どうにもならなかったらって。たとえば肌を重ねたところで何一つ忘れられないどころか、かえって思い出すだけだったら、そこには後悔しかないだろうなって。それにほら、現実的に考えると、もしも妊娠なんてしちゃったら困るでしょ?」
自嘲気味に笑ってみせるキョウコが、何を言わんとしているのかが掴めなかった。
胸中を打ち明けること自体に意味があり、価値があるのだろうか。この二カ月間、彼女はそうしたくてもそばに誰もいなかっただろうから。独りの時間を欲して、それを得たのだから。
「キョウコ、教えて。今でも私が憎くてしょうがない?」
「どうだろう。ねぇ、それを確かめさせてくれる?」
「……どうやって」
さっきから、絡められた指をさりげなく解こうとしているのにいっこうに解けないでいる。彼女が離してくれない。
「ハルミに、私を抱いてほしいの」
キョウコがはにかむ。こんな時でなければ、そしてそんな内容でなければ、可愛いと感じられただろう照れた表情だ。
「あ、ハグって意味じゃなくて。……わかるよね?」
「私はレイナの代わりになれない。あの子の温度の代わりだって無理だよ」
「知っている」
即答するキョウコの瞳を覗き込む。
狂気めいたものを見つけ出そうとする。でも、ない。むしろ理性的でさえある。
キョウコが私を今日部屋にあげたのは気まぐれではないのかもしれない。
「ハルミがしてくれないなら、どこかそこらへんのおじさんに頼んじゃうかも」
「脅迫のつもり? それとも交渉? どっちにしても、おかしいよ。私はキョウコにそんなふうに触れたくない。私が好きなのは……レイナだけ」
「私のことをレイナだと思って。ああ、そんな顔しないでよ。わかっている、できないって。でもね、きっと大丈夫。電気を消して、カーテンを閉じて、それで暗闇の中でね、お互いの名前を決して呼ばずに、ただレイナのことを思って、想像して、それでね……」
「ストップ。よく聞いて」
指を解くのを諦めた私は逆に絡める力を強めて言う。
「私とキョウコとでそういうことをしても虚しいだけだよ。でも、そばにいることはできる。抱きしめることなら、気がすむまで、うん、涙が枯れるまで胸を貸す程度ならいつでも、何度でもするよ。親友だから。同じ女の子に恋をして、失恋もいっしょにした、大切な友達だから」
伝わると信じていた。
真剣に言えば伝わると。そして実際、伝わりはしたのだろう。そのうえでキョウコはせせら笑った。
「やっぱりハルミは何にもわかっていないね。ねぇ、これが最後。私と、して。満たされない部分をハルミが埋めて。もし断ったら本当に、他の誰かとしに行く。傷心中の女子高生をめちゃくちゃにしてやりたい奴なんてごまんといるでしょ?」
「そんな言い方……」
「本気だからね」
私たちの指はもはや力比べするかのように強く硬く絡まって離れそうにない。
親友を裏切るのは罪だ。
親友という立場を利用するのも罪だ。
どちらもレイナからしたら間違っていることで、望んでいないことだ。
――――レイナ、こんな時にどうしていてくれないの?
あなたがいなくなって私たちはおかしくなってしまったんだ。
あなたを今でも愛しく、今では憎くもある。勝手に置いていかないで。
あなたのいない世界をどう生きたらいいか、わからないよ。
「キョウコが悪いんだから」
私は力いっぱい、彼女を引き寄せてその唇を噛んだ。それはキスと呼び難い行為だった。突然の痛みにキョウコが動揺している間に、私は彼女の体ごと引き上げてすぐそばのベッドに押し倒した。
「ちょっ、ちょっと待って……!」
「待たない。このままする。明るい部屋で、私たちはお互いを見て。私は私としてキョウコを犯す。レイナはここにはいない。もうどこにもいないんだ」
涙が出そうになった。でも今ではない。そう思って目元を拭った。
「キョウコ……痛くしたらごめんね」
私の声を聞いたキョウコの顔に驚きと怯えが浮かぶ。それを目にした私はぞくりとする。それは不快感ではない。もしかしたら、と脳裏によぎったのは、この三カ月ずっとこうしたかったのではないかという思いだった。レイナが死んだ、その理不尽で正しくない現実に対する苛立ちや不満、そういったものを全部、私だってぶちまけたかった。何かにぶつけて、解消したかった。
ブレーキを踏んでも踏んでも、その気持ちが進んでいった。
じゃあブレーキが壊れたら?
燃料が尽きるまで、行き着くところまで行くんだ。
「ありがとね」
服を脱がして露わになったキョウコの柔肌に、いくつも小さな痣を残してから、私は感謝する。部屋の窓から差し込む眩い夕日は彼女の肌を隠しはしない。
何度も何度も、数えきれない回数、私は彼女を痛めつけては愛撫し、苦楽と快楽の両方をきちんと同じ分だけ与える。バランスが大事なのだ。壊れて、狂ってしまったものをなおすために、正しく戻すためにはどちらか一方ではいけない。
「キョウコ、声を我慢しなくていいんだよ。聞かせて。もっと、もっと」
二人だからできること。二人だから埋められる、心の隙間。溝、穴。
日が沈み、夜を二人で迎えた。
ぐったりとしたキョウコ、その左の乳房の近くに耳をあてる。そうして心音に耳を澄ましながら私は考えた。私とキョウコとが愛し合うこと。はじめは仮初めでもいい。私たち二人が結ばれて幸福な日々を迎える、そんな未来。それだったら、レイナも喜んでくれる。
そしていつかは……。
二人が合わされば、自由になれると信じている。
色めくトライアングルは響かない よなが @yonaga221001
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