番外編:テラスピカの民

 シェプストは、ノグレー院に隣接するラインツヨルフ教会にある病室の一室にいた。

 白い布団とカバーをかけている寝台は清潔で、檻の中の生活とは全く違う。


 悪人から救われたシェプストは、ここで療養を続けている。今はまだ歩くことしか出来ないが、もう少し体力がつけば走れると主治医は言っていた。早く体力を回復しなければ。


「やぁ、シェプスト。気分はどうだい?」


 彼女の主治医であるエイベルは、テラスピカ語を話す事が出来る。アルゼンタム皇国に連れて来られてから、言葉の通じる人が居なかったので彼と話せるのは安心だ。


「気分は快調。体調も問題ない」

「順調だね」

「エイベル氏、聞きたい事がある」


 シェプストは、自身の体を診るエイベルに話しかける。彼は、シェプストとは顔を合わせずに「何?」とだけ聞いた。


「我はいつ国に戻れる?」


 彼女の言葉にエイベルが顔を上げた。


「国に帰りたいの? 体調が完全に回復すればだけど……そんなに早く帰りたいんだね」

「もちろんだ、敵討ちがある」


 爬虫類のような目を細め、シェプストは歯をむき出しにして怒りをあらわにする。

 エイベルが労るように彼女に問いかけた。


「ねぇ、聞いて良いことか分からないけど何があったの?」

「氏族同士の争いに巻き込まれた拍子に皇国へ売り飛ばされた」


 シェプストは自身の過去を語る。


 テラスピカの民はいくつかの氏族に分かれて暮らしている。君主一人を立てて国を統治するのではなく、氏族ごとに族長をたて、それぞれの氏族のルールに従って暮らしていた。テラスピカ全体を取りまとめる統治者がいないので、氏族同士の争いはよく起きる。


 そのため、テラスピカの民は幼い頃から男女問わず、武術を身につけている。

 シェプストもそうだった。シェプストの氏族ハトアで使うテラスピカ古武術を習っていた。

 彼女ハトア氏族の長の娘、テテの侍女だった。彼女の護衛も兼ねていたのだが、ある日目を離した隙に敵対するセレト氏族にテテが殺される。氏族同士の争いの理由になるには、十分すぎるものだった。


 ハトアとセレトは激しい戦いを繰り広げていた。シェプストもハトアの兵として、セレトと戦っていたが、夜休んでいる時に夜襲に遭い、セレト氏族の男数人に誘拐された。

 そのまま闇市場のルートを辿って、皇国に売られたのだった。


 シェプストの生きる希望は、自分をめちゃくちゃにしたセレト氏族に復讐をすること。

 それが叶うまではどうしても死ねないのだ。


 全てを語り終えると、エイベルは黙ったままだった。

 突然、こんな重い話をされてもどう返せば良いのか分からないのだろうとシェプストが思っていると、ゆっくりとエイベルは言葉を紡ぎ出す。


「僕にはテラスピカの現状は分からないけど、綺麗な君が傷付くのは嫌だなぁ」


 シェプストは目を丸くする。綺麗と言ったか、この男。


「わ、我が?」

「そうだよ」

「我が綺麗……」

「言われたことない? かなり美人だと思うけど」


 シェプストは感じたことのない喜びの波が押し寄せているのに気付く。心臓が高鳴り、体温が上がる。手には汗をかき、呼吸が浅くなっていく。


「そ、そなたが我を娶りたいというなら復讐は止めるしかないな。我には守るべきテテ様はもうおらぬし、国に帰ってもセレト氏族を滅ぼせばやることないし。もうハトア氏族が滅ぼしているやも」

「君、本当は復讐する気ないんじゃない。無理に思い込もうとしているっていうか」

「…………本当は嫌だ。でも、復讐を成し遂げなければテラスピカの民として恥だ」


 エイベルがシェプストの手を握り、真っ直ぐに見つめて言う。


「一族の掟とかもう関係ないよ。だって君はもう外の世界に羽ばたいた一人前の人間でしょ?」


 握りしめられる手に視線をやる。復讐はしなくてもいい? 自分の人生を生きてもいい?

 それが許されるなら世界は明るく見える気がした。


「……そなたはそんなに我と契りを結びたいのか。仕方のない男だな」

「何でそうなるの?」

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アルゼンタムの錬金術師 十井 風 @hahaha-

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