第4話 初恋は実らない


 あれ以降もセンテが色々と作戦を練っていたが、そのどれもが裏目に出るものばかり。苛々が溜まっていたアルフォンスに気安く話しかける人間がいた。

「よっアル。そんな眉間に皺寄せてどうした?」

「……ワルト」

 腐れ縁の相手、伯爵令息のワルトだった。この男の軽薄な感じは苦手だが、何も上手くいかない時はこんな相手でも愚痴を言いたくなる。


「……好きな女性と上手くいかないんだ。優しくしても労わりの言葉をかけても何も返ってこない」

「へー、お前でも恋に悩むんだな。いや、お前って容姿は一流だし。まあ性格のほうは問題あるかもだけど」

「慰めてるのか? それとも貶してるのか? もういい。お前に相談した俺が馬鹿だった」

「待てよ。言葉にしても駄目なら文通でもしたらどうだ? 俺はそうしてる」

「それは……古典的というかなんというか」

「手紙はいいぞー。彼女の字の綺麗さや選ぶ紙のセンスに想像力が鍛えられる」

「……お前が特殊性癖なだけでは? まあ、俺はいいよ」

「ふーん。好きな人からの手紙がいつも手元にあるって勇気づけられて良いものだと思うけどね」


 ワルトはそう言って教科書に挟んである封筒を愛し気に見つめていた。それがワルトの彼女からの手紙なんだろうか。

 アルフォンスは封筒に目を向けてぎょっとした。その時鐘が鳴ったので慌てて教室に向かう。

 席についてから思い出す。あの封筒……一瞬ミリーの字に見えたけど、気のせい、だよな?



 ミリーは廊下を歩きながら困惑していた。

 入学したころから変だ変だとは思っていたけど、こっ酷く振られたはずのアルフォンスが妙に優しい。

 座る時に椅子を引いてくれたり、生徒会室に入る時に扉を開けてくれたり、あの時飲んだお茶が美味しかったとか思い出話を持ち掛けられたりするけれど……。


 皮肉なことにこうなってから当時の彼の気持ちを理解した。

 その気も無い相手に恋人みたいに優しくされても面倒だな、と。

 また領地関連で何かあって父の力を借りたいんだろうか。それなら父に直接言えばいいのに。


 ミリーは教室に入り、席につく。席はアルファベット順に決まっているので、ミリーが座る席は決まっているのだ。机の中を探ると、手紙が置いてあった。

 放課後の委員会などでは空き教室を使う時がある。その際に忘れ物をした生徒がいたのだろう、ミリーの机に高価な私物が入ったままになっていた。中に写真が入っているタイプの首飾り。無くしても大変なので、ミリーは先生に言って職員室で預かってもらい、その際に簡単なメモを一緒にしてもらった。

『机に入れっぱなしにすることが不安だったもので、先生に預かってもらいました。お節介だったらごめんなさい』

 その翌日、机の中にメモが入っていた。

『昨日はどうもありがとう。俺としたことがうっかり忘れてしまって。君も机に知らない物が入っていて困惑しただろう? 悪かった。それにしても君は字がとても綺麗なんだね。俺が見た中で一番綺麗だ』

 褒められたことに悪い気はせず、ミリーはそれに返事を書いた。


『母が教育熱心でしたの。小さい頃はもっと遊びたいなんて考えていたけれど、この特技が色々役に立ってるのだから、母の言う通りにして良かったと思っています』


『良い母上なんだね。俺の母上は幼児の頃に亡くなってさ。首飾りに入ってるのは母が俺を抱いてる絵なんだ。無くなったりしたら悔やんでも悔やみきれないところだった』


『私は当然のことをしたまでです。お気になさらないで』


『いやそんなことない。何かお礼させてよ。出来ることはない? 何か悩みがあったら相談に乗るよ。誰か知らない人だからこそ気楽に言えることってあるだろう?』


『悩みですか。そうですね。最近以前婚約者だった人がやけに優しくて。何を考えているのか分からないのです。婚約者だった時、全く好かれていませんでしたから』


『寄りを戻したいってことじゃないの? 彼のこと、まだ好き?』


『いいえ! もうとっくに私の中で整理はついています。仕事の関係でどうしても接する必要があるのですけれど、その時だって何も感じません』

 そんな返信を書きながらミリーはふと思った。

「あれ、私……この人に自分が女だって言ったかしら?」

 性別を曖昧にさせたつもりなのに、文通の相手は普通に元婚約者を「彼」 と言っている。気が付かないうちに書いていたのだろうか?



 ミリーがトイフェルを愛称呼びすることで、一部の生徒間では二人は付き合ってるのではと噂になった。

 それを許せないのはセンテだ。ミリーはアルフォンスのものなのにと躍起になり、次々トイフェルに難題を押し付ける。センテとしては身の程知らずを懲らしめているつもりだった。

 だが流石に教師が待ったをかけた。


「センテ嬢。君はトイフェルくんが嫌いなのかね?」

「そうではないんです。ただその……邪魔なので」

「……この学園は維持費も馬鹿にならない。裕福な商人の子息も少なくないんだ。彼らの間でトイフェルくんの扱いに疑問を持つ声が大きくなっている。理由については聞かないし今までのことを責めるつもりはないが、これ以上は控えなさい。教師陣としても庇いきれない」


 それからトイフェルがセンテにいびられることは無くなった。ミリーは自分のことのように喜び、トイフェルもそんなミリーへの好意を隠そうともしない。ミリーは勇気があって素晴らしい人間だと言って憚らない。


 誰もが二人は付き合っているのだと思っていた。


 アルフォンスは認められない。センテが注意されたことで露骨に二番を苛めることは出来なくなったが、何も二番を苛めるだけが恋愛の駆け引きじゃない。

 初手で愛称呼びされた二番が憎くてつらく当たったが、本当はひたすらミリーを溺愛したかったのだ。


「今度の休み、二人でどこかに行かないか?」

「誰かと間違えてますよ」


 意を決してミリーをデートに誘うが、ミリーは即そう言った。


「ミリー・バルリングに言っているんだよ、間違いない」

「……誤解されますよ」

「されてもいいんだ」

「あの、融資の話なら私ではなく父に……」

「金の話じゃない、俺が君と会いたくて誘ってるんだ」

「……面白い冗談ですね。貴方は『貴族もどき』 なんて受け付けない方でしょう」

「! あの時は」


 すまなかった。そう言おうとして生徒会室の扉が開いた。


「ミリー」

「アル! 助かったわ」

 ミリーの横に座ったトイフェルはぎろりとアルフォンスを睨んだ。ミリーに何かしたら承知しないという目だ。

 ナイトみたいな役目を、どうして二番がしているのだろう。どうして一番が悪役みたいなのだろう……。




 センテの妨害が無くなったことで、トイフェルはアルフォンスの誘惑からミリーを守るように立ち振る舞った。それはアルフォンスが卒業するまで続き、結局アルフォンスは在学中にミリーと復縁することはなかった。教師陣に絞られたセンテすらも「もう諦めたら? というか詳しく聞いてなかったけど、あそこまで脈がないってどんな経緯で婚約解消したのよ……」 という始末。ここに至って初めて詳しい経緯を教えると「何でそれで復縁できると思ったのよ!」 と怒られてしまった。

 いとこにすら怒られて、アルフォンスはもうどうにも出来なくなってしまった。ミリーはこのまま二番と婚姻するのだろうか。いや、卒業して当主になれば権限が増えるから使える手段も増える。絶対にあの二人の仲を邪魔してやる。



 卒業式の日、公爵家の次期当主であり生徒会長であったアルフォンスには大勢の生徒が涙を流して別れを惜しんだ。誇らしい光景なはずなのに、たった一つの望みが叶わなかった今は何もかも空しい。予定ではミリーに祝われてるはずだったのに。

 そんなアルフォンスを心配して悪友が声をかける。

「よおアル、暗い顔だな」

「……ワルトか。大きなお世話だ。からかうだけなら向こうに行ってくれ」

「ごめんごめん。これからは家を継いでお互い忙しくなるだろうから、最後に紹介しておきたくて」

「紹介? 誰を?」

「俺の婚約者を」


 こんな軽薄な男にも婚約者ができたのかと意外に思う。地方の田舎が領地で人気もないから嫡子であっても婚約が中々進まなかったと聞く。そんなやつでも学園でついに相手を見つけたんだなと思うと感慨深かった。


「紹介するよ。お前も知ってる相手だ」

「え?」

「ミリー・バルリング。ずっと文通してたんだ」

 その時、ワルトの後ろからミリーがひょっこり現れた。

「ベルクヴァイン様。卒業おめでとうございます。ワルト様の婚約者のミリーです」



 ワルトは最初にミリーを見た時、可愛らしい子だなと思った。それが友人の婚約者であると知ってどれほど残念に思ったかしれない。

 だが会ったその日に婚約が解消されていたと後から知って非常に驚いた。裕福な令嬢だろうに、そこまで嫌か? と思ったが、この友人が上流階級らしく平民を人間と思ってないタイプだったのを思い出して納得した。

 失恋に傷つくミリーを傍で慰めてやりたかったが、元婚約者の一回会っただけの友人に見舞いにこられても困惑するだけだと思うとどうにも出来なかった。

 学園に入学した時にどうにかして接点を作ろうとしたが、その頃には何故かアルフォンスはミリーと復縁したがっていた。

 どの面下げて、と思ったのは仕方ないことだと思う。

 しかし厄介なことになった、とも思った。捨てて見向きもしない相手を自分が口説くなら問題ないだろうが、身分が上で元婚約者のアルフォンスが本気で落としにかかったら……。僅かな希望が消えていくような気がした。

 だが天はワルトに味方した。

 アルフォンスは目下の恋のライバルをアルフォンス・トイフェルだと誤認した。少し調べれば彼には故郷に婚約者がいることが分かっただろうに。彼のミリーに対する好意はあくまで親しい友人程度のものに過ぎない。ああ、自分が婚約者を大切にしない人間だったから脅威になると思ったのか。愚かだ。

 トイフェルが隠れ蓑になっている間に偶然を装って首飾りを彼女の机にいれ、後日お礼として顔を合わせるつもりだったが、メモをつけたことで思わぬ文通が始まった。

 容姿も好みだったが、文字の美しさも好みだった。これから領地を発展していくつもりなので、書類作成に強い人間がいたらどれほど頼もしいだろう。

 やがて「一度会いたい」 と綴られ、顔を合わせた時にワルトは「あの時の可愛い子だよね」 と言った。ミリーの頬が赤く染まったことで、脈が有ると悟った。

 ミリーからしてもワルトは印象の良い相手だった。

 初対面で可愛いと褒めてくれたし、アルフォンスの婚約者であることを肯定したうえでエスコートしてやれと忠告してくれた。相手にされなくて惨めだったあの時、その言葉がどれほど嬉しかったか。そもそも最初から最後まで冷たかったアルフォンスと、最初から優しかったワルト。比べるのもおこがましいくらいにワルトの圧勝だった。


 ワルトは卒業後すぐに結婚して領地に向かうつもりだ。

 何故ならミリーの実家の環境が良くないと常々思っていたから。

 ミリーは姉のジルケは先見の明があり跡を継ぐに相応しいと言っていたが、顔合わせに挨拶した時にこう言われた。

「あのミリーに相手が出来るなんて! 知ってますか? ミリーったら恋愛が下手で一度婚約解消してるんです。当時あんまり困って今の旦那と『貴族令嬢として失格ものだね』 と愚痴を言い合ったものですよ」

「なるほど、ジルケさんはそうお考えなのですね。……俺とは合いそうにない」

「え? 何か仰いました?」

「ミリーさんに似て美人ですねと言ったのですよ」

「あらやだ私は既婚者なのに。でも私が姉だから、ミリーが私に似ているんですよ」


 ジルケは商才はあるのかもしれないが、人の心がいまいち分からない人間に見えた。いきなり妹の失敗談を笑い話のように語るところもアレだし、夫と妹の悪口で盛り上がるとはその妹が好きな人間としてドン引きする話だ。失敗したことでマウントを取られ続けてきたようだが、ミリーを解放してやりたい。

 この商会、両親が健在なうちは持つだろうが、ジルケが継いだらどうなるんだろな……。



 ワルトがミリーとともに領地に向かう前日の夜、アルフォンスがひっそりと闇にまぎれてミリーに会いに来た。


 ミリーは窓越しに彼を見つめながら困っていた。仮にも次期公爵相手に恥を書かせる訳にはいかない。けれどワルトを裏切るなんてもっと出来ない。


「俺の方がワルトより爵位が上だ。ワルトより君を愛している。だから……」


 相変わらずの差別主義者、階級至上主義ぶりにいらっときたミリーは笑顔を見せてこう言った。


「なら、欲しいものがあるのですけれど、それをくださる?」

「欲しいもの? 何でも持ってくる」

「貴方のいない人生です」




 その後、ミリーはワルトと領地で式を挙げて幸せに暮らした。

 アルフォンスは婚姻せず、遠縁から養子を貰って家を継がせた。

 養子の男の子は時々、アルフォンスが庭で薔薇を見つめているのを見た。

 どこぞの商会から貰った花で、父が一番好きな花らしい。

「彼女との繋がり……もうこれだけだからな」

 その横顔は酷く寂しそうに見えた。

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振られたあとに優しくされても困ります 菜花 @rikuto

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