第3話

 人間、誰しも忘れ物はある。


 入念にチェックしても頭からするりと抜けて後で重要なものを忘れていただなんてことは沢山あることだ。

 しかし、初対面かつ何を考えているかわからないこの少女のフォローをどうすべきか…考えていた。


「…はは、僕も前まではよくやっちゃってました。気にすることないですよ」

 誰もが気を緩めてしまいそうな、柔らかな笑顔を緩く向けた。もしかしたら恥を感じてしまっているかもしれない、そんな居心地の悪さは与えたくないと優しい声音で話しかける。


 此方をフォローしようと必死な成人男性、そんな少し可愛らしい様子にくす、と少女は笑う。

「…そう」

「水瀬さんも私も忘れっぽいのね。でも前まではなんて、対策を思いついたの?ふふ、教えて欲しい」


 少しだけ、心を解いてくれたようだ。

「対策、対策かあ……」


「おれ………いや、僕の場合は対策を思いついたというか、忘れたら家の鍵を閉められないから強制的に忘れ物も克服できたというか……」

 そう、鍵を忘れて仕事から帰ってきても、扉を叩けばあの人が暖かく迎えてくれた。今はもう、何でも1人でやらなければいけない。昔を思い出して、少しだけぼんやりしてしまった。

 顔を上げると、少女は眉尻を下げ、心配するような表情を向けていた。

「あ、いや!家に1人だと鍵なんかは特に忘れようがないって話でー……「「「「フリゼ!!!」」」」


<<<<<バンッッ!!>>>>>


 重い扉が勢いよく開き、司の顔にクリティカルヒットをキメた。

「…ドロワ…!!」

 なんちゅー腕力をしている!と叫びたくなってしまう。

 いててて……とヒリヒリする鼻頭を擦りながら扉の影から顔をひょい、と覗かせる。そこには先程まで穏やかな会話をしていた少女を優しく強く抱き締める腕—。


 ドロワと呼ばれる少女。色違いの同じ型の服装、膝丈のワンピースに甘いフリル。同じくくるくるふわふわとしたツインテール。顔つきはフリゼと同じく眩いばかりの美しさ。

 しかし、フリゼとは反対に全てが真っ白で、唯一同じ色なのは深い青の瞳だった。…まさに2Pカラーと言うべきか。


「心配したのよ…また家に鍵は置きっぱなしだし、あなたが迷子になりでもしたらって…」


 ドロワのか細い喉から発せられる声はフリゼとは正反対に甘い声音。本当に愛情を持ってフリゼを抱き締めて、心配しているのが口調と仕草からわかった。

 フリゼは照れ臭そうに頬を赤らめている、恐らくいつものやり取りも、あまり接点のない他人が傍にいるから恥ずかしいのだろう。

「……ご、ごめんなさい、あの、こちらがドロワです。私の双子の姉の……ねえ、ドロワ、水瀬さんっていうお掃除の…!」

 苦しいやら恥ずかしいやら、ぎゅうぎゅうとくっつき離れないドロワに抱きしめられたままやっとのことで要件を伝える。


 真っ白な少女はそこでようやく司の存在に気づいたのか、大きくきらきらとした瞳を司に向けた。

「—あら、ごめんなさい!」

 そういえば!と思い出し、華のような笑顔で誤魔化された。


 どうやら友人と話していてすっかり今日の依頼のことを忘れていたらしい。とりあえず二人とも悪い子ではなさそうというのはわかった。


(電話で依頼してくれた人はこの子みたいだ…やっぱり館の中では携帯が繋がるみたいだな。…無駄に怖がって悪いことした)

 まだ少し痛みがある鼻を指で撫でる、鼻血だけは出ていなくてよかった。美少女二人を目の前にして鼻血を出していたら他のご家族に追い出されるか、最悪通報でもされてただろう。


「水瀬さん、こちらよ。…埃が溜まっちゃって」

「あっ、はい!すみません、遅くなっちゃいましたけど取り掛かりますね—……」

 本来の仕事を思い出す。やっと館の中に入れると少しわくわくした気持ちで辺りを見渡す、貧乏人の性というやつだ。

 しかし、そのわくわくもすぐに頭の中から消えることになった。




埃埃蜘蛛の巣埃埃

埃埃蜘蛛の巣埃埃……


 ゴミ屋敷ではない。それは断言しよう、だが埃がかなり溜まっているのだ。これは数日数週間の埃ではない。

 試しに階段の手すりの埃を指で掬いとる。3-4cmはあるだろうか…下からは真っ白な手すりが顔を覗かせた。

 埃のせいで真っ白な館は暗くどんよりと灰色に見えるぐらいだった。


「この家を少し空けて他の場所で過ごしていたの。帰ってきてこの有様だったから…水瀬さん、ごめんなさいね。私もフリゼもお掃除が苦手なの」

「少し空けて……ああ、そういうことだったんですね!お任せください!」


 少女達の愛らしい笑みに負けじと、にこーっと爽やかな笑顔を貼り付ける。

 どうやら少しの間家を空けていた結果がこの埃と蜘蛛の巣塗れの館らしい。心のどこかで「何年家を空けたらこうなるんだ」と突っ込みたくなったが、もしかしたら時の流れが普通の人間とは違う人たちなのかもしれない……と突っ込みたくなる気持ちを抑えた。


 笑みを貼り付けたまま持ってきた掃除用具を入れた鞄の中を探る。いっそこの鞄いっぱいに雑巾を詰めてもよかったかもしれないとぼんやり頭に浮かべつつ、この広大な館の面積から現実逃避をした。



「水瀬さん、よろしくお願いしますね……あと」

 ドロワが司を見て、少し言い淀む。じ、と瞳を合わせられると、ガラスのような、くらくらするぐらい美しい瞳だ。

「上の階の角のお部屋はもう綺麗だからお掃除はいいわ、それ以外をよろしくお願いしますね」


「は、はい……他にも何かあればいつでも言ってくださいね!」

 眩い笑顔に隠されて瞳の奥の表情は見ることは叶わない。

 どこか圧がある少女の言葉にそれ以上は何も言えず、貼り付けていた笑顔でか弱く応戦するのみであった。


 ドロワの笑顔の圧はすぐに解け、可愛らしい少女の笑みに戻る。司に向かって白魚のような手を上品に振ると、フリゼと奥のダイニングへと消えていった。



(……とんでもない家に来てしまったかもしれない)

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人畜無害で男やもめな俺は、なぜか精霊達に好かれる体質だったみたいです!? 佐藤ゆた @yuta_s_chi

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