夢の特製ジュース
秋色
mixed fruit juice recipe
三文字の駅名がひらがなで書かれてある白い看板。
九州の郊外にあるこの小さな駅に降り立つのは、久し振りだった。初秋の風景が広がるこの街に、父方の祖父母が住んでいる。
近辺の中堅都市に偶然就職する事になり、社員寮に入って半年。この土地に移った半年前に一度挨拶には来たものの、それ以来、ここを訪れる事はなかった。慣れない社会人生活に毎日を追われるように過ごしてきた。電車とバスで一時間かかる場所を訪れる余裕すらないと言うより、気力がなかった。
「久し振りやねえ」と言いながらも、祖父母は今の私の生活について、あれこれ詮索はしない。
「三連休をこの家でゆっくり過ごしぃ」という言葉に甘え、今夜はここに泊まる事にした。今ではレトロな日本家屋の二階には、昔の父の部屋があり、木製のベッドがまだそこにある。
昔ながらの幅の広い木の階段を上る時、ふと昔、父からよく言われた「階段を上るようにゆっくり上に上がって行けばいい」という言葉を思い出した。
テストの成績が悪かった時、部活の卓球の試合で散々だった時、よく言われたもの。
でも階段を上るようにと言われても、全ての事に定められた期限は短く、その中で結果を出せない自分にツケは回ってくる。そんな事を子どもながらに分かっていて、父の助言はいつも心の中で空回りし、それでいてツッコミを入れる暇もなく、日々は過ぎていった。
荷物を整理して階下に降りてみると、和室で祖父母が飼ったばかりの子猫にご飯をあげている。私はふと尋ねてみた。
「パパってよく『階段を上るようにゆっくり上に』って言うよね。あれ、子どもの頃からの口癖なんかな」
すると祖母は少し考えてから言った。
「そう、よく言うかねぇ。お父さんの部屋の本棚の中の箱を開けてみたら、ヒントがあるかもしれんよ」
父の部屋の奥には、大きな本棚がある。上の方にはガラス戸がついていて、下はキャビネット式の二段棚になっている。そのキャビネットの扉を開けると、大きな箱があって、中に父の様々な思い出の品が仕舞われてあった。それは小さな頃から知っていた。
サインボール、映画の半券、友達と自転車旅行した時の灯台での記念スタンプ、マックのオマケで付いてきた玩具……。
いかにも昔の少年の宝物だなぁと、妹とよく笑ったっけ。今、見てもその感覚は変わらない。でも学生時代を過ぎ、社会人になったばかりの今の私には、誰かの少年時代の思い出が詰まった箱というだけで何だかしんみりと胸に迫るものがある。希望に胸膨らませてこの箱の中の宝物一つ一つを手にしていた時代は、もう戻って来ないのだから。
その中に、以前は気付かなかった一冊のノートを発見した。昔多かったB4サイズのノート。それはスクラップ帳だった。
好きな映画や漫画について書かれた記事を切り抜いてランダムに貼ってあり、時にはその下に自分の感想を書いたりしている。
その中に、特によく開いていたと思われる箇所がいくつか。それは紙の変色や皺で、よく分かった。父の好きなアジア系のアクション俳優に関する記事を貼ってあるいくつかのページ。ファンだったのは父だけでなく、同年代の全ての少年の憧れの的だったと聞いている。
ふと、「特製ジュースの作り方」という見出しが目に入った。文章からすると、子供向け雑誌の記事みたいだ。
――これを飲むと君もヒーローになれるよ――
そんな風に書いてある。リンゴ、イチゴ、バナナ、レモン……
その時、私が中三の頃、我が家にあったミキサーの事を思い出した。近所の人が、もう要らないからとくれた物。さっそく野菜ジュースを何度か作ったものの、刃のある調理器具を洗うのが面倒だと母が棚の奥深くに仕舞ったっけ。
あの頃、父が「ミキサーで作りたいものがある」と言った事、あったっけ。フルーツジュースとか……。もしかしてこの特製ジュースを作りたかったのかも。その時は材料が、手に入らないのと、棚の奥深くに、仕舞ったばかりのミキサーを出す事に母があまりいい顔をしなかったのとで、実現しなかった。「また、今度」って。
というか、材料、手に入らなさ過ぎだよね。イチゴなんて、そのまま食べた方がいいし。
特製ジュースの作り方の下には、父の手書きの幼い文字が跳びはねている。小学校高学年か中学生になったばかり位の頃かな。
――いつか作りたい。そして一歩、近づきたい――
その時、私にはこれが階段を上るようにって事かなと分かった気がした。ヒーローに近付く事が。
そう言えば、母が言ってた事がある。
「パパっていつも要領が悪くて出世も遠そうだけど、何か余裕があるのよね。他の人とゴールが違うんだろうね」って。
ゴールが違う。それは私も。
実は最近、かつての趣味を復活させていて、これをいつか将来の職業に結び付けられたらなどと考える事がある。子どもの頃から好きだったDIY。
仕事から帰って寮の一人部屋で過ごす時間を、小さな木片でミニチュアの家具を作るのにあてている。もっと大きな物を作れるようになったらハンドメイドのアプリに登録してみようか。DIYを自由に出来る場所も、お店の人の紹介で見つけているし。
今の仕事は気乗りしないまま流されるように決めただけ。こんな風に新卒の今、将来の夢が変わるなんて恥ずかしいと思っていたけど、ゴールってもっと先にあってもいいんだと思う。
――今度、実家に帰ったら、この特性ジュースをパパと作ろうか。そして庭には自分の作った椅子とテーブルを置いて、家族で飲もうか。リンゴ、イチゴ、バナナ、レモンを用意して――
そんな落書きみたいな計画が頭の中を駆け巡る。
〈Fin〉
夢の特製ジュース 秋色 @autumn-hue
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