片羽の蝶

ハナビシトモエ

たからもの

「あれは何かな?」

「とんぼたん」

「あれは?」

「ちょちょたん」

「ちょうちょさんでしょ?」

「ちょちょたん、ちょちょたん」


 三歳の息子とのお出かけが最近楽しい、夜に虫の音色ねいろを聞いたらすずむししゃん、夏だったらせみしゃん。


 息子の一挙一動いっきょいちどう新鮮しんせん可愛かわいらしく嬉しかった。将来は生物学者かしら、大学院まで行かせないと、贅沢ぜいたく皮算用かわざんようは他の家でもそうだろう。



 そうあの時までは。



 お散歩に出ても虫に興味を持たなくなった。子どもだし、関心がいかないこともあるわよね。絵本を読み聞かせるのもいいかもしれない。大作家になるかもしれない。


 ある大雨の日、雷鳴らいめいが響き、今日はお散歩に出ることが出来ないなと思っていた。そうだ。音楽を一緒に聞こう。令和のベートーヴェンだ!



 気になっていたことがある。

 夫が教えたのだろう。可愛い字でと書いた紙を貼り付けたアルミ製の箱がある。


 男の子は何をたからものにするのかと興味があった私は部屋の隅にある。アルミ製の箱のふたを開けた。


 思わず小さく悲鳴が漏れた。

 たくさんの虫の死骸しがいが箱にぎっしり入っていた。


 しかも全部真ん中でかれている。半分だけのちょうやトンボにせみと小さい破片はなんだろうか。しっかり見てしまったので気持ち悪く、トイレに駆け込んだ。


「ママ、だいじょぶ?」

 心配した息子が後ろから抱きついてきた。

 本来であれば愛らしくとうとい行為なのだが、恐ろしく気味が悪かった。


「男の子って、そんなもんだよ。俺だって蝉の抜けがら集めたもん。小学校の頃だけどね。うちの息子は成長が早いな。将来は生物学者だろうな」


「でも、気味が悪いわ。明日、小児科しょうにかに連れて行こうかしら」


「気にしすぎだって、明日早いから風呂入って寝るわ」


 夫は大欠伸おおあくびをし、携帯を持って、一日着たにしてはきれいなシャツをてきとうに脱ぎ散らかして、風呂に入って行った。 


 次の日は晴れてとても暑かった。こんな日に外に出ても熱中症ねっちゅうしょうになるだけだ。


 今日は家の中でアニメを見させようと思った。機関車のアニメを見せている間に洗濯物を干す。昨日は大雨だったが、今日ならすぐに乾くだろう。


 バルコニーから居間に入った。最近、みがいて無かったシンクを磨く事にしたが、何か何度も落とす金属音と泣き声がした。いつの間にかテレビが置いてある居間に息子がいない。


 何かあったのか、何かケガをしたのか。あわてて声のする方に急いだ。息子があの箱を持っては投げ持っては投げをり返している。


「たかりゃもの、あかない。たかりゃもの」

 あの死骸が入ったアルミ製の箱だった。

 

 この機会に死骸収集しがいしゅうしゅうをやめさせるようにしつけないといけない。


 私は覚悟と我慢をして、箱を開けた。道に落ちていたものを拾ったのか。中の死骸はからびているようだった。


 お散歩の帰り道?

 保育園で?

 もしかしてバルコニーで? 

 

 様々な憶測おくそくをしたが、今ここで命を教えるべきだ。


「虫さんちぎると痛い痛いするよ」


「いたいいたい?」


「そらちゃんも頭ぶつけると痛い痛いでしょ?」


「うん」


「虫さんも一緒だよ。お墓作りに行こ、虫さんも死んだらお墓作るのよ」


「いないいない?」


「そう、いないいない」


「や! いない、や!」


「どうして、やなの?」


「ぜんぶママ。パパいないいない」


「パパいるよ。もう少ししたらお家帰ってくるよ」


「パパいないいない、や! パパいない、や!」


 私は非常に困ってしまった。


 保育園の先生か。

 小児科の先生か。

 

 保育園は通い始めたばかりでゆっくり慣れてもらおうと先生が慎重しんちょうなこともあり、毎日は通っていない。

 小児科は今日は休みだ。


「ぜんぶママなの? そらちゃんは?」


「そらちゃん、これたからもの。これ」

 アルミ製の箱を指差した。


 子どもはおそろしい。


 夫の帰りは遅いらしい。息子は夫の帰りを待てずに寝てしまった。


 玄関が静かに開いた。


「ただいま、そら寝た?」


「うん、ぐっすり」


「そうか。起きている姿を見たかったよ、小児科は?」


「今日は休みだったから、そういえばいつもとにおいが違うね。どこでお風呂入ってきたの?」


「あ、あぁ。仕事帰りに同僚どうりょうとサウナに」


「へぇ、サウナって何個もあるのね」


 私は夫の会社の近くにサウナが一つしか無いのを知っている。


「ご飯は?」


「起こしたら悪いと思って」


「今、正直に話してくれたら離婚りこんもしないし、許してあげる」


「何の話?」

 とぼけているのだろう。夫の表情は余裕よゆうがあった。


「シャツは誰がちゃんとたたんで、インナーシャツはどこの家の洗剤かしら?」


 うちでは取り込んだシャツはハンガーにかけっぱなしだ。


「コインランドリーで」

 どんどん余裕が無くなり、夫は早口で話し出した。ごまかす時のクセだ。


「お金を使わずに家で洗濯出来るのに? 水道代は一緒だから変わらないわ」


 天気予報では夜も晴れると言っていた。


「今、正直に言ってくれたら許してあげる」




 夫と別居べっきょしてから、息子の収集癖しゅうしゅうへきのジャンルが変わった。秋だからか、松ぼっくりやどんぐりなどのを持って帰ってくる。ポケットを松ぼっくりでパンパンにした時はかなり驚いた。


 子どもは本当に恐ろしい。

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片羽の蝶 ハナビシトモエ @sikasann

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