侵入容疑

卯月 幾哉

本文

 残暑がけだるいある日のこと、私は暑さに顔をしかめながら、仕事のために外に出ていた。

 通勤の電車に乗って息を整えた後、ふと脳裏に考えが過る。


 ――そういえば、さっき部屋を出た後、きちんと鍵を掛けただろうか、と。


 習慣に従って、きっと掛けたと信じたいが、残念ながら記憶からは揮発してしまった。

 とはいえ、確認のために今から帰宅すると会社に遅刻してしまう。


 近所に住む叔母に連絡を取るという手段もある。

 学生時代に寄宿させてもらっていたことがある叔母とは比較的仲が良く、今でも付き合いがある。

 少々お節介焼きなところもある叔母は、一人暮らしの私の部屋に、たびたびありがた迷惑なお裾分けを持ち込むこともあるくらいだ。


 しかし、こんなちょっとしたことで叔母を煩わせるのも申し訳なく、結局のところ、私は今朝の自分の行動を信じて何もしなかった。



 その夜、不安を押してやや足早に帰宅すると、しっかりと鍵が掛かっていたので、思わずホッと息がこぼれた。


 ――がちゃり


 鍵を開けて部屋に入り、明かりを点ける。


 そこには大きな違和感があった。


 まるでハウスクリーニングを頼んだかのように、清潔な部屋に生まれ変わっていたのだ。

 もちろんそんなサービスは頼んでいないし、私の部屋はどちらかといえば汚い、乱雑に散らかった部屋のはずだった。

 棚の天板や床の隅には埃が溜まっていたはずなのに、今では塵ひとつない。


 まるで背中に氷を入れられたかのように感じた。


 いったい誰が私の部屋をこんな様にしてしまったのか。


 私は早鐘を打つ心臓を抑えて、部屋の奥へと向かった。

 隅々まで清掃が行き届いた部屋の中で、デスクの中央に貼られた付箋はやけに目立った。

 くるんとめくれ上がったそれをはがして見れば、こう書かれていた。


『鍵はちゃんと掛けないと駄目だぞ。――叔母より』


 その一文が目に入り、脳によって理解されたとき、私は危うくその場に崩れ落ちそうになった。

 

 ――なんだ、叔母さんが掃除してくれたのか。


 そう理解した途端、瞬く間に緊張がほどけ、大きく息を吐くことができた。



 そんなことがあった一週間後の今日、私は相変わらず会社に出勤していた。


「副島さん、ランチ行きますか?」


 同僚に声を掛けられたが、プライベートの携帯を見て着信があったことに気づく。

 見ると、姉から午前中に何回もコールがあったようだ。


 折り返すと、すぐに彼女につながった。


「――明後日、葬式があるから、あんたも出るのよ。

 世話になっていたでしょう。叔母さんよ、叔母さん。すぐ近くに住んでたんでしょう?」


 姉の言葉を聞いて、私は声を失った。


「遺体の状態が良くなくてね。もうお骨になってるんだって。警察の人が言うには、死後八日以上は経ってただろうって。

 ……ちょっと、聞いてる、人の話?」

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侵入容疑 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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