§013 初めての・・・
リズはエラルドに連れられて海辺のオシャレなカフェへと足を向けていた。
開放感溢れるテラス席は海岸線を一望でき、海を見たことがほとんどなかったリズはキラキラと輝く水面に思わず胸を高鳴らせる。
「お前はどこに連れて行っても、新鮮な表情を見せてくれるな」
「え、あ、すみません。子供みたいにはしゃいでしまって」
「謝る必要はない。見ていて飽きないと言っているだけだ」
褒められているのか、けなされているのかわからず、リズはメニューに視線を落とした。
エラルドは珈琲を頼み、リズは紅茶を頼んだ。
本当はこれだけのつもりだったのだが、貧乏性の食い意地から、隣の客が頼んでいたデザートについ視線が行ってしまい、苦笑したエラルドは同じパンケーキを頼んでくれた。
パンケーキからは幸せの味がした。
ただ、幸せであればあるほど、その反動が来てしまうのではないかと思ってしまうのは、人間の性かもしれない。
(……エラルド様はなぜこんなにも優しくしてくれるのだろう)
そんな疑問がリズの心を満たすのに、そう時間はかからなかった。
そういえば、エラルドから縁談の話が来た時もそうだった。
美味しい話には何か裏があるもの。
リズは最近の生活が充実しすぎていて、そのことを忘れてしまっていた。
でも、今更になって気付く。
自身とエラルドでは、根本的に釣り合ってはいないのだ。
どんなに着飾ろうとも感じられる圧倒的な気品の差。
エラルドは何をしていても存在感があるし、思わず目で追ってしまう魅力がある。
有り体に言えば、カッコよすぎるのだ。
今だってそうだ。
彼は只珈琲を飲んでいるつもりなのかもしれない。
でも、その所作が、一挙手一投足がこの上無く優雅で、周りに座る貴婦人から熱い視線を向けられている。
(……本当にエラルド様はなぜこんな私と一緒にいてくださるのだろう)
思考は滞留し、リズの表情を暗くさせる。
そんな変化にいち早く気付いたのは、他ならぬエラルドだった。
「リズ、どうした。パンケーキ、美味しくなかったか?」
「い、いえ」
そんなエラルドの問いにリズはお茶を濁す。
本当はこのまま口を噤んでいればよかったかもしれない。
エラルドも大変機嫌がよさそうだったし、このまま楽しい振りをしていれば、彼も満足してくれるかもしれない。
でも、そんな後ろ向きな思考に、わずかな引っかかりを覚えた。
リズはこの領地に来てからのことを思い出す。
これまでに関わってきた人達。
ジェフリー、エイサ、兵士の皆さん。
皆、親切で、本当にいい人達だった。
彼らは伯爵令嬢として不相応な『錬金術』や料理を腕を、素直に褒めてくれた。
これはもちろん彼らが優しいことは前提としてあるのかもしれないけど、一度目の結婚の時と大きく異なったのは、『素の自分で頑張ってみよう』というリズ自身の心持ちだったのではないかと思う。
でも、今日の自分はどうだ。
本当は心が躍るほど楽しみで、実際に、心が震えるくらい楽しかったのに。
(……私は、今でも尚、エラルド様の顔色ばかりを窺っている)
本当はもっと彼のことを知りたい。
本当はもっと自分のことを知ってもらいたい。
それなのに……本当に大切な人であればあるほど……素の自分を見せられていないような気がした。
そう、失うのが怖いからだ。
……でも、これでは一度目の結婚の時と……同じじゃないか。
(エラルド様は、グレイン伯爵とは違うのに……)
そこまで考えたリズは、意を決して、聞いてみることにした。
「エラルド様は、なぜ私にそんなに優しくしてくださるのですか?」
その言葉にエラルドは一度リズの目を見た。
しかし、すぐに申し訳なさそうに瞳を伏せる。
「そうだよな。今まで散々冷たくあしらってきたのに、何を今更という感じか」
そこまで言うと、エラルドは紳士服の内ポケットから小さな小箱を取り出した。
「……これは?」
「これは私からの謝罪の気持ちだ。私はお前が屋敷に来た日、心無い言葉を言ってしまった。そのことをずっと後悔していた」
エラルドから紡がれた謝罪の言葉。
――私がお前を愛することは決してあり得ない。
心無い言葉とは、おそらくこのことを言っているのだろう。
この言葉がリズの心に深い傷を与えたのは確かだった。
だからこそ、『心無い言葉』と言われて、すぐに言葉が思い付いたのだ。
でも、今ではそれも仕方なかったのではないかと思っている。
エイサに聞いた話を想像すれば、エラルドの心中は察するに余りある。
女性不信になるだけの理由が確かにあると思ったのだ。
そのため、リズは首を横に振る。
「私はあの日のことを気にしていません。エラルド様が私のことを愛していないのはわかっています。なので、このような高価なものは受け取れません」
リズは小箱をまだ開けていない。
でも、包装からかなり高価なものだということは否応無しにわかっていた。
そんな理由もあって、リズはエラルドの謝罪を受け入れなかった。
「……愛していないのはわかっている……か……」
リズの言葉に僅かに表情を曇らせるエラルド。
しかし、エラルドは言葉を続けた。
「確かに、私は今、お前のことを愛している、とは言えない。でも、それは……私が『愛』というものを知らないがゆえだ」
エラルドはそう言うと、席を立ち、同時に小箱を開けた。
中に入っていたのは――白く可愛らしい花を象った髪留めだった。
「謝罪の押し売りになっていることはわかっている。でも、私にはこれくらいしかお前に謝意を述べる方法が思い付かなかったのだ」
そう言うとエラルドは髪留めを手に取り、そして、リズの頭にそっと添えた。
「庭の花壇を手入れしてくれているのがお前だと聞いた。土いじりをするには、その髪だと具合が悪いだろうと思って髪留めを選んだ。もし不要ということなら捨ててくれて構わない」
この時エラルドの手が微かに震えていることにリズは気付いた。
(……ああ、この人は私と同じなのかもしれない)
そう思い至るのに、時間はかからなかった。
エラルドは両親の離婚を機に、女性不信になったと聞いている。
つまり、『愛』というものに接する前にそれを拒絶してしまい、一歩前に進むことを恐れているのではないかと。
リズはこの屋敷に来てからの自分の行動を思い出していた。
思えば、錬金術、料理などいろいろなことをやった。
これらは全てエラルドに認められたいがゆえの、前向きに頑張った行動だった。
傲慢な考えなのかもしれないが、今のエラルドの行動は自身のこれらと似ているように感じてしまったのだ。
女性経験が無いゆえに、どう行動したらいいか自信が持てない。
それでも手探りながら、不器用ながらもどうにか前に踏み出そうとしている。
そう思うと、リズにはそんなエラルドがとても愛しく感じられた。
リズは一度瞑目して、エラルドが添えてくれた髪留めを撫ぜる。
「エラルド様、ありがとうございます。エラルド様の謝罪のお気持ち、確かに頂戴しました。マーガレットは私が一番大好きな花です。大切に使わせていただきます」
そして、リズも一つの決意を決める。
リズはハンドバッグから小箱を取り出すと、それをエラルドへ差し出した。
今度はエラルドが尋ねる番だった。
「これは?」
「開けてみてください」
言われるがままに包装を解くエラルド。
そこに入っていたものは――縁を琥珀で加工した眼鏡だった。
「エラルド様に初めてお会いした夜、机上の紙面を読むのに、かなり目を細めていらっしゃったのが印象に残っていました。それでおそらく視力が悪いんだろうなと。なので『錬金術』で作ってみたのです。私のセンスなので気に入っていただけるかわかりませんが」
その言葉にエラルドは目を見開く。
「この前の料理のことと言い、お前は本当に私のことをよく見ているのだな」
ああ、エイサは料理のことを言ってしまったんだなという感想もあったが、それよりも何よりも。
(私がエラルド様をよく見ている?)
そう言われて、自身がとても恥ずかしいことをしていたことに、顔から火が噴き出しそうになった。
「付けてみてもいいか?」
でも、エラルドのこの笑顔を見られるのならそれも悪くないと思えた。
エラルドが浮かべていた笑みは、今までのはにかんだような、照れ隠しのような笑みとは違い、まるで氷が溶けたかのような清々しい笑みに見えたからだ。
「似合っているか?」
こんな端整な顔立ちの美少年に眼鏡が似合わないわけがない。
むしろ見蕩れてしまうほどに綺麗で、決して手放したくないほどに美しかった。
「とてもよくお似合いです」
二人の視線が交差し、同時に微笑み合う。
なんだろう。
別に「愛している」と言われたわけでもないのに、リズの心は幸せに満ち、同時に、もっとこの人のことを知りたいと思っていた。
「あの……」
リズは勇気を振り絞る。
「……今日は私を街に連れてきてくださり、本当にありがとうございました。更にはプレゼントまでいただいてしまって。オペラやカフェなど、私にとっては初めてのことばかりで、正直、戸惑いも大きかったですが、私は、今、幸せでいっぱいです」
リズはエラルドの瞳を真っ直ぐに見つめる。
それは女性として、甘えるように、おねだりをするような視線で。
「図々しいことに私は今……もう少しだけこの幸せを噛みしめたいと思ってしまっています。ですので、あの……もし差し支えなければ、お隣に座ってもよろしいでしょうか」
エラルドの瞳が揺れた。
同時に「ふっ」という声を漏らして、エラルドは笑った。
「当たり前だ、リズ。――お前は私の婚約者なのだから」
これは、結婚に一度は失敗した少女が歩む愛の軌跡の物語。
そう、彼女の幸せな結婚生活は、まだ始まったばかりだ。
『離婚』から始まるセカンドライフ ~離婚の傷は深いですが、得意の『錬金術』で領地改革をしていたら、なぜか辺境伯様に溺愛されました~ 葵すもも @sumomomomomomomo
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