§012 オペラ

 煉瓦造りの建物が建ち並ぶモダンな街並み。


 そんな中を、エラルドとリズは寄り添って歩く。

 エラルドはリズの手を取り、リズはエラルドの袖を掴む。

 傍から見たら、どう見てもラブラブなカップルだ。


 しかし、正直なところ、リズには、エラルドが急にこのような行動を取った理由がわからなかった。

 雰囲気に流されてしまってエラルドの袖を取ってしまっているあたり、リズも相当浮き足立っているといえるが、それでもあまり調子に乗るのは控えようと自戒をする。


 そんな折り、エラルドが問いかけてきた。


「それで、お前は何か欲しいものはあるのか?」


 エラルドのこの言葉に、今日は一応錬金術の素材を買うという名目があることを思い出す。


 このことは事前に言われていたので、リズも少し考えてはいた。

 けれど、やはり必要な素材は屋敷にある分だけで十分だったので、これと言って欲しいものはなかった。


 そのため、連れてきてもらった手前、申し訳ないという気持ちはあったが、それよりも無駄にお金を使わせてしまうわけにはいかないという貧乏性が上回って、リゼは首を横に振った。


「いえ、特に欲しいものはございません。元より、今日はエラルド様のことをもっと知ることができればと思って、同行させていただいた次第ですので」


 自分でも随分と積極的なことを言ってしまったと思った。

 やはり美男子と並んで歩いて、少しばかり気が緩んでしまっているみたいだ。


 エラルドもまさかこのような言葉を言われるとは思っていなかったようで、驚きのあまり目を見開いていた。


 エラルドは取り繕うようにコホンと咳払いをする。


「そうか。では、私が行きたいと思っていたところがある。そこに付き合ってもらおうか」


「はい」


 エラルドの向かった先。

 リズはその建物を目の前にして、思わず息を飲んだ。


「……すごい」


 そんな単調な感想しか出てこないほどに、エラルドに案内された建物は他の建物とは比較にならないほどの存在感を放っていたのだ。


 荘厳さを醸し出す格調高い石造りに、神殿を模した石柱。

 屋根はドーム状に広がり、金の装飾が燦然さんぜんと煌めく。


 中はまさに絢爛けんらんそのもの。

 煌々こうこうと輝くシャンデリアに、赤い天鵞絨ビロードの絨毯。

 吹き抜けの天井にはステンドグラスが虹を作り、階段にふんだんに鏤められた大理石が小気味いい音を鳴らす。


「リズはオペラは初めてか?」


 その言葉で初めてここが『オペラハウス』であることを理解した。


 昔から興味はあったのだが家が貧乏だったことに加えて、一度目の結婚後は外出も制限されていたので、自身がオペラに興味があったことすら、今の今まで忘れてしまっていた。


 当然、リズは一度もオペラを見たことはない。

 これは伯爵家の令嬢としてどうかと思うが、見栄を張ってもすぐにバレる自信があったので、正直に話す。


「お恥ずかしながら、初めてです」


「別に恥ずかしがることはない。オペラが嫌いというわけではないのだろう?」


「……はい。興味はあります」


「それであればいい。私はオペラが好きでいつも一人でここに来るのだが、誰かと一緒に来るのは初めてだから新鮮な気分だ」


「ほえ?」


 いつになく饒舌なエラルドに小首を傾げると、彼は少し慌てた表情を見せた。


「あ、いや。演目が私の趣味になってしまって申し訳ないという意味だ。行くぞ」


「は、はい」


 いまいちどういう意味かわからなかったが、導かれるままに着いて行く。

 どうやら席は確保されているようで、係官が席に案内してくれた。


 そこは絨毯と同系色の椅子が立ち並ぶ二階。

 おそらくは特等席なんだろうなという感想を抱かせる、ゆったりとくつろげるソファ席だった。


「このような上等な席に私が座っても大丈夫なのですか?」


「チケットはちゃんと買ってある。お前は細かいことは気にせずオペラを楽しめ」


「……はい」


 言葉自体は強くもあるのだが、その中には確かな優しさが感じられ、リズは安心して腰を下ろした。


「ちなみに演目はどのようなものを?」


「『オペラ座の怪人』だ」


「ひっ!」


 演目名を聞いたリズは反射的にエラルドの袖を掴んでしまった。

 何を隠そう、リズは怖いものが苦手だったのだ。


 それを見たエラルドが、珍しくもいたずらっぽく口角を上げた。


「もしかして、お前は怖いものが苦手なのか?」


 この反応ではさすがにバレバレであろう。

 リズは素直に首を縦に振る。

 すると、エラルドはリズのその手に、更に自身の手を重ねた。


「安心しろ。『オペラ座の怪人』は幽霊などのホラーとは違う。それにもし本当に怖くなったら、このように袖を掴んでおけ。そうすれば、幾分かは心が落ち着く」


「……はい、ありがとうございます」


 またもや予期せぬ形で手を握られ、心臓が煩い。

 リズはそんな胸の高鳴りを沈めるように「ふぅ」と息を吐いた。


(ブー)


 ほどなくして場内にブザーが鳴り響き、段々と視界が暗転する。


 ――開演だ。


 時折、ビクッとしてしまうシーンもあり、そのたびにリズはエラルドの袖を掴んだ。

 エラルドはそんな時は優しくリズの手を包んでくれた。


 そんな幸せな時間も、思いのほか、あっという間だった。


(……よかった。……オペラってこんなにもすごいものなんだ)


 リズは初めて見たオペラの素晴らしさに思わず脱力してしまっていた。

 ふと目を閉じると様々なシーンが瞼の裏に蘇る。


(ああ、また来たいな。次もエラルド様と一緒に……)


 そんなことを一人考えていると、横からエラルドの声がした。


「喜んでもらえて何よりだ」


「え」


 まさか今の口に出ちゃってた?


 そんな焦りで目を開けるが、どうやらエラルドは表情からリズの感情を判断したみたいだ。


 ひとまずホッと胸を撫で下ろすリズだったが、今日はエラルドの付き添いで来たはずなのに、自分がこんなに堪能してしまっていいのだろうかという一種の罪悪感が頭を過った。


「エラルド様は楽しかったですか?」


 リズはエラルドの表情を窺いながら、恐る恐る尋ねてみる。


「ああ、何度も見ている演目だったが、今日はまた違った意味で楽しめた」


 違った意味とはどんな意味だろう? とリズが首を傾げていると、エラルドがスッと立ち上がった。


「少し喉が渇いたな。確か海が見えるカフェが近くにあったはずだ。そこに行ってみようか」


 そうして、リズはまたエラルドに手を取れると、導かれるままにオペラハウスを後にした。


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