エルシィ・クニクルスの政略結婚

 いつか、自分の店を持つのが夢だった。

 大きな店じゃなくていい。狭い店内に自分の好きな物を並べて、常連客と話しながら、細々とやっている。そんな、小さな店を開きたい。

 扱うものはどうしようか。

 指輪やネックレスなんかは、どうだろう。恋人への贈り物にぴったり。茶葉もいい。王国には、いろいろな種類の花のお茶があるそうだ。

 なら、どうやって取り寄せようか。国に行って、直接買いつけるか。お店の大きさは。雇う人数は。経費は。出資は。

 こうやって、もし店を開くときのための、計画書を作るのが好きだった。

 叶わないと分かっていたから、だからこそ綿密に、詳細に、いくつもの計画書を作り上げた。

 叶うことのない夢。臨むことも許されない夢。ただ、想像しているだけで楽しかった。


ある日。2番目の姉に、計画書の束を窓から投げ捨てられた。

 一応、彼女の名誉の為に言っておくが、彼女は嫌がらせで、このような行為に及んだわけではない。

「いまだに婚約者が見つからないのに、こんなものを書いていては、殿方が離れていく一方だわ!」

 と、彼女としては私の為を想ってのことらしい。だから、嫌がらせではない。少なくとも、彼女はそう思っていないし、私も思わない。これまでも、彼女のは何度もあった。今更、何も思うことはない。

国賓の男性に、計画書を見られてしまうまでは。

「……これは、貴女が書いたのか」

 計画書を窓から投げ捨てられたとき、私はすぐに外へ走った。全て拾ったと思っていたが、どうやら1枚風に飛ばされてしまっていたらしい。

 それをあろうことか、我が屋敷に招かれていた、ユグルス王国の公爵閣下が拾ってしまった。

 若き公爵ーー若いと言っても、私よりは年上だけどーーは、私の計画書を手に取り、見つめ、一言、素晴らしいと言った。

 その次に、頼みたい仕事がある、とも。

「ある土地の管理を頼みたい。貴女なら、任せられる」

 我が国は、貴族よりも、財力のある商人達の方が力が強い。その国で最も力を持つ商会を取りまとめているのが、私の父だった。貴族ではないこそ、代々商家として築き上げた財と地位と、誇りがある。

 娘を使用人として、他国の公爵家に送り出すことはないだろう。いやそれ以前に、女に土地の管理を任すなどありえない。それは、王国でも、ニルナ公国でも同じこと。

 そう。だから、公爵は私を雇えなかった。雇いは、しなかった。

「貴女の才能が欲しい。私の妻になってくれないか」

 プロポーズとしては、最低だと思う。ロマンス小説を読まない私でも思う。

 私を、女性として求めるのではなく、優秀な部下として求めているのだから。雇用出来ないなら、結婚しようという、淡白で短絡な発想。公爵家との婚約なら断らないだろうという、合理的な判断。

 実際、結婚の申し出ならば、父も断りはしない。ユグルス王国の二大公爵家のひとつ、トーズラント家。王国の叡智。初代国王陛下の忠臣トーズラントの血を受け継ぐ者。そんな公爵家との繋がりが出来るのだもの。願ったり叶ったり、と言ったところか。

 公爵には既に、正妻がいらっしゃる。私とは違い、辺境伯のご令嬢だ。そんな人と並び立つなんて、どんなに苦労することか。

 それでも。

 兄弟からは、「女のくせに」と蔑まれて、疎まれた私にとって。

 姉妹からは、「可愛げない」と憐れまれ、笑われた私にとって。

 父から、「女に学はいらない」と否定され続けた、私にとって。

 初めて、私の才能が認められた。

 それは、私が求めていたものだった。ロマンス小説から抜き出した甘い愛の囁きよりも、この最低なプロポーズの方が、胸に届いてしまった。

 結局、私も商人の娘だ。

 愛よりも利益を、感情より勘定を優先する。私は、私の能力を存分に振るえることを条件に、私は公爵家第二夫人となったのだ。


 その領地は、公爵ーー旦那様の領地の中でもとりわけ小さく、辺境であった。

「ベトロステラ。独特の香りと、鮮やかな瑠璃色が特徴で、お茶として親しまれる。咲く場所がかぎられていて、国内で咲くのは、ミギ山の頂上付近か、グリーンリバーの森だけ。瑠璃色は、この国で最も尊ばれる色だ」

 花瓶に生けた、瑠璃色の花を指して言う。

「この花の栽培には、成功した。しかし、安定供給するには、まだ足りない。本当は、私が管理出来ればいいんだが……」

 それはそうだろう。旦那様は、王都にも仕事がある。それこそ山のように。こんな小さな、辺境の領地にばかり、構ってはいられまい。

「常々、信用できる、才能のある者に預けたいと思っていた。……この土地は、母が愛した土地だ」

 出来るか、と旦那様は言う。

 もちろん、と私は応える。


 領地での生活は、思ったより楽しく、充実したものだった。

 領地を店、領民を店員と考えれば、経営も領地管理もよく似ている。

 結局、私は店を持ちたいのではなく、経営をしたかっただけなのかもしれない。

 たまに視察に来られる旦那様と、報告書を見せながら議論する。

 私達の関係は、夫婦というよりも仕事仲間が近い。

 事情を知らない者は、旦那様が私に恋をして、娶ったのだと囀る。見当違いも甚だしい。旦那様ほど、冷徹な商売人はいない。

 私も、彼に恋はしていない。

 旦那様は、私を女だからと卑下しない。無碍にしない。私が初めて得た、理解者共同経営者だ。私がずっと、恋人より欲しかった人だ。

 領民も、女の私を受け入れ、屋敷の皆も管理者として信用してくれている。

 旦那様の計らいで、私のことは王都から離れた領地で療養中、となっているらしい。

 それでも、周りからは、この領地に閉じ込められているように見えるだろう。

 それで良い。

 第一夫人に疎まれて追いやられたでも、療養のためでも、どちらでも好きに思えばいい。

 私を理解してくれる人がいる。

 周りがどれほど私を不幸に思っても、私は私が幸せだと知っている。

 それで良い。

 嗚呼、けれど。

 生まれきてくれたこの娘には、知っていてほしい。

 あなたの母は、とても幸せよ。叶わないはずの夢を、叶えたの。

 だから、あなたも幸せになってね。

 きっとあなたを理解してくれる人と、出会えるはずだから。それまで、お母様が傍にいるからね。

大丈夫よ、レイ。

 私がいるわ。

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『悪役令嬢と過ごす10年あるいは7日間』小噺 ツユクサ @tuyukusa

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