第2話 コンビニと視線
街灯の光に虫が寄っている。
月に照らし出された道に二人、少女と男が並んで歩いていた。それ以外に人はおらず、立っているのは無数の電柱のみだ。
二人の手は繋がれ、足はコンビニへと向かっている。
「ねえ」
「ん?」
少女は男を見上げ声をかけた。二つの足音と声のみが真っ黒な夜空に吸い込まれていく。
「公園の前にあった車っておじさんの?」
「ああ、そうだよ。ここには仕事で来たんだ。もう終わったから、今日移動するつもり。」
「……ふーん」
他愛もない会話が途切れると、少女は顔を前に戻した。すると口から、無意識であろう呟きが漏れ出た。
「暑い」
熱帯夜とまでは言えずとも、今夜は長袖を着た少女にとって汗が滲むのに十分な気温だった。しかし、袖をまくろうとはしない。
少女は空いている左腕で汗を拭う。すると、袖口がめくれ、紫の跡がいくつもついた肌が露出した。
それに気づくと、少女は慌てたように腕を背に隠した。伺うように目線が男の方に向く。
二人の目が合う。
男は、一連の流れに気づいているのかいないのか、平然と口を開いた。
「コンビニで冷たいもの買おうか」
「ソフトクリームがいい!」
元気の良い即答に、男は堪え切れず少し吹き出した。
その様子を見ると、少女は眉をひそめ、また声をかけた。
「おじさん」
「なんだい?お嬢ちゃん」
「私、お嬢ちゃんじゃないわ。アオイっていう名前がちゃんとあるの」
男は少々目を丸くしたが、すぐ嬉しそうに応えた。
「俺の名前は……ショウだよ。お嬢ちゃん」
「ちょっと!」
お嬢ちゃんはじとりとおじさん、もといショウをにらみつけた。
「もういい。私もこれからずーっとおじさんのこと、おじさんってしか言わないから」
「お嬢ちゃんに呼ばれるんだったらなんだって嬉しいよ」
そんな応酬を続けていると、白い光を煌々と放つ看板が目に入った。近づいていくとコンビニも見え、月と街灯のみの明かりに慣れていた目には眩しく映る。
目的地はもはや目の前であったが、アオイは歩みを止め、躊躇し始めた。その様子を察し、ショウはしゃがみこみ、理由を尋ねた。
「だって、私たち、二人きりじゃない」
「そうだね。それで?」
あっけらかんとした応えに、アオイは顔を引きつらせる。
もはや真夜中といえる時間帯に、年のいった男が少女を連れて歩いているなど、何らかの事件だと疑われる要素しかない。というのが彼女の主張であった。
「あやしまれちゃったら、逮捕されて裁判されて、誘拐といっしょにあらぬ罪を着せられて、一生ムショから出られなくなっちゃうのよ!」
「やけに具体的な想像だねえ。お嬢ちゃん」
「テレビで見たの」
ショウは繋いでいない方の手で頭を掻き、まあ大丈夫だよとからりと言った。
「そこまで俺達のこと、気にしないさ」
「本当に?」
「ああ、もし怪しまれたとしても、俺がなんとかするよ」
その言葉にアオイは俯き、黙り込んだ。ショウはそんなアオイの顔を覗き込むと、目を合わせ、手をぎゅっと握った。
「人は他人のこと、あんま見てないもんだよ」
アオイは、静かに、小さく頷き、手を握り返す。
そしてショウと共に歩き始め、自動ドアの前に立った。
機械音とともに扉が開くと、冷気が体を通り抜けていく。店員の気だるげな声が聞こえるのと同時に、アオイはショウの手をぐいと引いた。
少し早い足取りは、アイスケースの前で止まった。ケースに入った色とりどりのパッケージにアオイの目がぱっと輝く。身を乗り出して、一つ一つまじまじと観察し、一向に中から目を離そうとしない。
「ソフトクリーム以外も買うかい?」
脇から話しかけられ夢中から醒めると、アオイはケースの中から一つ取り、ショウの前に突き出した。
「これだけでいい!」
「そうかい」
ショウは白いパッケージのソフトクリームを受け取ると、すかさずアオイの空いた手と自身の手を元のように繋いだ。商品をレジに置き、ついでとばかりに愛用の銘柄番号を言う。
商品を読み込む機械音が鳴り、店員がレジ袋やらレシートやらの要不要を尋ねる間、アオイは落ち着かない様子で店内を見回していた。
ショウに説得はされたものの、万一警察が来店なんてしてきたらたまったものではない。誘拐してくれたおじさんは捕まり、自身は家に返され、全てが水泡に帰してしまう。
ショウとアオイ、そして金髪の店員1人以外誰もいないことがわかると、アオイは一つ息をつき、レジ袋の音が聞こえる方へ目を向けた。
ショウが差し出されたレジ袋を受け取ろうとしていた。ふと、アオイは店員の顔を見た。その時だった。
カラーコンタクトを入れているであろう、店員の赤みがかった目。
それがアオイに向けられ、アオイと店員、両者の視線が交差した。瞬間、アオイは自身の心臓が跳びはねる音を聴いた。外を歩いていたときとは違う汗が背をつたう。鼓動が警鐘を鳴らすように速く大きくなっていくのと裏腹に、アオイはそれを表情に出さなかった。違和感を見せず、自然に目線を逸らす。動揺を隠すのは得意だ。それに今はおじさんがいる。アオイはショウに握られている手を、ただただ強く握り返した。
店員はそんなアオイの思いなど知る由もなく、あっさりと目線を外し、ショウにマニュアル通りの礼を言った。時間にして数秒だ。もっとも、アオイにとってそれは永遠と言えるほど長かったのだが。
ショウは店の外へとアオイの手を引く。
自働ドアが開くと、湿った暑さが冷えた体に纏わりつく。じわりと汗が身体ににじんでいくが、アオイは全く気にならなかった。先ほどショウに言われた言葉を反芻している最中だったのだ。
2枚の透明な扉が閉まると、アオイはショウを見上げて言った。
「ほんとね。人ってあまり人のこと見てないみたい」
一夜での誘拐 シィノ @shilino
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