骨肉相食(こつにくそうしょく)(1)
「んで、この流れのまま、
ニヤニヤする熱田は、待ちきれないといった表情でコートを睨み付けていた。
その期待に応えるように、去りゆく二人の選手と入れ替わりに新たな選手がコート内に足を踏み入れる。
流れるように礼節を終えた二人は蹲踞の姿勢でその時を、今か今かと待っていた。
「はじめ!!」
審判の声に合わせて二人は立ち上がり、改めて剣を向け合う。
「「ヤァアアアァアアアア!!!」」
この瞬間、景水高校と蓮ノ葉高校の二試合目が始まった。
慎重に竹刀同士の距離を測りながらこまめに竹刀を揺らすのは、景水高校の
身長は露峰よりも少し高いくらいだったが、肩幅や腕の太さは比べることすら憚られるほど、各所が丁寧に鍛え上げられていた。
対する蓮ノ葉高校。
杓音の間合いを理解し、器用に立ち回っていたのは
杓音に比べると一回り小柄だが、その臨機応変な足さばきは加藤を彷彿とさせるものがあった。
「次鋒戦、か―――」
野上は両膝に体重をかけ、前のめりになってその試合に目を凝らした。
「なぁ、熱田」
「―――? どうしました?」熱田は野上に対して横目で答える。
「さっきの加藤じゃねえけどさ―――次鋒ってのは、どういう存在なんだ?」
「どういう、というと?」
「ほら、先鋒だったら勢いづけ~とか、全体を締める~とかさ、色々あったろ。でもさ、次鋒って色々と―――なんつうか、中途半端な位置じゃんか」
その辿々しい言葉尻には、野上の中で複雑に絡まった剣道論が見え隠れしていた。
「ん~、そうっすねぇ―――」
「あの―――」
「どうした、伏見」
腕を組む熱田の隣から、猫丸がひょいと顔を覗かせる。
「熱田君じゃないですけど、いいですか」
「もちろんだよ。なんだ、遠慮してんのか?」
「はは、すいません」
野上はそんな不器用な後輩に、少し頬を緩ませた。
「それで、次鋒についてですけど」
「おう」
「結論から言うと―――そんなに、難しく考えなくてもいいと思います」
思いがけない言葉を受け、野上が鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべていると、猫丸はすっと今行われている次鋒戦を指さした。
「ほら、見てください。あの二人」
「あぁ―――見てるよ、ちゃんと」
「もっと、もっとです」
猫丸に促されるままに、野上は目に力を入れて焦点を合わせる。
その先では、熾烈な打ち合いが行われていた。
杓音がぐっと踏み込むと、それに合わせて名須川がぴょんと後ろに跳ねる。
かと思うと、名須川はその下がった勢いのままに竹刀を叩き、竹刀、小手辺り、面の三段打ちを繰り出した。
敵を惑わすには十分過ぎる速度を持って放たれた一撃を、杓音は頭を引いて面金で受け、鍔迫り合いの形を取った。
そのまま離れるかと思いきや、杓音はぐるりと竹刀を回して名須川に容赦の無い面打ちを食らわせる。
ボコンという音は、確かに面ありを思わせた。しかし名須川の執念の追いかけが、それを一本にすることを許さない。
またもや二人は鍔迫り合いの間合いを作り、次は二人同時に引き面を打ち込んだ。
そんな一本にならないぶつかり合いを、彼らは全身全霊で行っていた。
「どうですか?」
「どうったって―――すげえとは思うよ、マジで」
軽い台詞だったが、これはきちんと本音だった。
名須川に関しては―――なんだよ、タッパが負けてるとは思えない、あの気迫。
怖じ気づくなんてあり得ないって、全身で語ってるみたいだ。
それに対して杓音―――アイツは多分、ちゃんと強い。さっきの谷までとはいかなくても、基本が身体に染みついてるのがわかる。
立ち回りの全てで相手の出方を窺う感じ、あれも実力では自分が勝ってるっていう自負があるからこそできること―――なんだと思う。多分。
しかしそんな野上の発言を受けても、猫丸の表情はピクリとも変わらなかった。
「確かに、すごいですね。二人とも、目の前の試合に集中しきってます。名須川さんに関しては少し肩が上がっていたり、左足の歩幅が大きくずれることがあったりと、緊張も見え隠れしていますが―――あの動きができている時点で、彼の意識は勝つことのみに向かっているんでしょう」
「お、おう―――」
この位置から、そんなところまで見えるのか―――
その場にいた者が軒並み驚いていた中、猫丸は淡々と言葉を続けた。
「杓音さんだってそうです。あの竹刀の振り方―――多分慣れてません。所々、足と連動してませんから。それでも、一本を狙いたいがあまりに、竹刀の先がゆれゆらと揺れてしまっている。これも、勝ちたいという気持ちが先行している結果だと思います」
「そりゃ、そうなんだろうけどさ。そろそろ教えてくれよ。次鋒は一体なにが―――」
野上が言い終わるよりも早く、猫丸はニヤリと口角を上げた。
「難しく考えなくてもいいって、言ったじゃないですか。要するに、次鋒はただただ―――勝つことだけを考えてればいいんです」
「勝つこと―――だけ」
オウム返ししながらも、それを念頭に改めて試合に目を向ける。
そこには先ほど同様、全力で勝負に出ている剣士が二人、目の前の一本を我が物にしようと鎬を削っていた。
「次鋒は、五人の中で唯一―――後のこととか流れのこととか、余計なことを考えずに戦えるポジションだと、僕は思ってます。次鋒が最悪負けたとしても、そこで勝敗が決するわけではないですしね」
「そんな―――なんというか、適当でいいのか? いっても二人目だぞ?」
「勿論、流れの問題はあります。先鋒が負けたとき、勝ったり引き分けたりして流れを取り戻すのは次鋒の役目です。一方で、先鋒が勝ったとき。これも、流れを切らないようにするのが、次鋒の役目だと思います」
「ほ、ほら、そういうのだよそういうの。俺が聞きたかったやつ!」
ようやく答えを貰った気分になっていた野上に反して、猫丸の表情はすんと落ち着いていた。
「でも野上先輩、考えてもみてください。僕がさっき言ったことを」
「だから、勝ったり引き分けたりして流れを続けることだろ?」
「そうです。そして同時に、他のポジションのことも考えてみてください」
他のポジション―――? 野上は過去の熱田の話を思い浮かべる。
「先鋒は、さっきも話に出た通りです。そして中堅以降。これらにはいつ何時も、大きすぎる敗北のリスクが付きまといます。
とはいっても一応、場合によってはそこで負けが決まらないこともあります。自分より前が全員引き分けてる~とか。
けど、どちらに転んでも―――その試合がチームに及ぼす影響はとんでもなく大きい」
「そりゃあ―――そうだな」
「この心理状況がコンディションに及ぼす影響、それが良いものでないことは、なんとなくわかりますよね?」
「もちろんだ。あんな奴らでさえ、緊張するんだから―――」
その瞬間、野上は道が開けたように目を大きく開いた。
「―――あぁ、そっか。その緊張が少ないポジションが、次鋒なのか。だから次鋒は、とにかく本気で戦うことに集中しなくっちゃいけないんだ」
「そう、そうです。そしてその姿勢が、勝ちや引き分けを引き寄せる。その結果が自然と、試合の状況を繋ぎ止める―――それが、立派な次鋒の仕事です」
カッコよく語った後で、猫丸は「ま、まぁ、これも全部、教わったことと持論の掛け合わせみたいなものなんですけどね、ははは」と背中を丸めていた。
しかしその話を裏付けるように、強者らが言葉添える。
「いいんじゃない? 俺は全然間違ってないと思うけど」
「なんか所々カッコつけてる感じが癪に障るっすけど、それ以外はまともっすね」
「嘘、そんなかな? 痛いかな、僕?」
「いちいち気にすんな、冗談だ」
そう言ってあしらう熱田の目にも、確かに信頼の光が宿っていた。
それを見逃さなかった加藤が、そっと野上の背を叩く。
「そういうことらしいぜ、野上部長」
「んだよ」
「後輩がこんだけ言ってくれてんだ―――わかるだろ」
わちゃわちゃと小言を言い合う後輩らを横目にして、野上はぐっと拳を握った。
そしてそれをまっすぐ見つめて、歯を噛み締める。
「あぁ、わかってる。自由に、それでいて全力で―――勝たなきゃな」
「そーゆーこと。さ、解決したなら、試合試合~」
加藤のかけ声に合わせて、全員が改めて試合に目を向ける。
猫丸がこそっとケータイの画面を開くと、試合開始からは既に三分が経っていた。
二人は未だに対等に竹刀を突き合い、攻撃と防御を激しく繰り返している。
「膠着状態って感じよなあ―――にしてもあの運動量、ひえ~末恐ろしいぜえ」
三分経っているにも関わらず、二人の勢いは試合開始時と大きく変わらない。
その姿に、加藤は舌を巻いていた。
「それだけ動き回ってるからですかね―――その疲れ具合で、彼らもわかってるみたいですよ。残り時間が刻一刻と迫ってるってこと」
猫丸はその機微の変化を目に捉えていた。
初期は緊張が故に起きていたような嫌な特徴が、今度は疲労が故に起き始めている。
この兆候―――展開。なんというか、嫌な感じだ。
集中が切れて、身体も脳みそについてこれなくなってきた頃―――
こういうときは大概、なにか、変なことが起こる。
その間にも、二人は互いの打撃をリセットするためか一旦離れ、再び竹刀を合わせていた。
足の疲れが祟って、二人は序盤では考えられなかっただろう距離感まで、じりじりとにじり寄っていく。
その間合いを、杓音が竹刀を払ってごまかす。
そうだ、こういう瞬間。こういうときに限って、イレギュラーは不意に訪れる。
そうだな―――例えば―――
「あぶねえ―――!」
試合を見ていた熱田がつい中腰になって口走った、その時だった。
「メェェェエエエエンァァァ!!!!」
鋭い打撃と鬼気迫る声が、停滞していた時間を切り裂いた。
「面あり!!」
その一本は、名須川によって繰り出された。誰もが目を見張る程の、見事な飛び込み面だった。
熱田は引き攣った笑いを浮かべながら、ストンと席に腰を下ろす。
蓮ノ葉高校サイドは少しの時差をもって、溢れんばかりの拍手に覆われた。
その中には漏れ出るような歓声も混じっている。
対する杓音は依然としてその場に立ち尽くしており、名須川が自分の位置に戻っている最中も、とぼとぼと歩きながら機械のように肩で息をし続けていた。
そして二人が中心に戻った時。審判は変わることのない声色で告げた。
「二本目!!」
それに呼応したのは、名須川だけだった。
「ヤァアアアァ!!」
先ほどまでの疲れが嘘だったかのように、名須川の動きが軽くなる。
それと反比例していたのが、杓音だった。
「おいおい―――嘘だろ」
「すんげぇや―――なんだよあれ」
野上と加藤はその飛び込み面を前に、声を失っていた。
「今の、よくいけたよなぁ―――度胸がすげえや―――」
「加藤先輩、これっすよ」
「えぇ?」
感嘆に溺れていた加藤に対して、熱田がため息をつくように言った。
「流れっすよ、流れ。先鋒が作った流れが、ここまで来たんだ」
「―――マジ?」
加藤が衝撃に顔を歪ませている間にも、熱田の口角の上昇は留まることを知らなかった。
これだよ―――これこれ―――!
団体戦の悪魔が仕向ける、再現性のあるジャイアントキリング―――!
そしてその状況に心を躍らせていたのは、熱田だけではなかった。
「あの人、決めてたね」
「うん、絶対決めてた。だって足、足が杓音さんが前に来る前から飛び出てたもん」
「―――そこまでは見えてなかったけどね、俺は」
興奮する猫丸を前にして、露峰は半ば呆れを浮かべていた。
「そっかあ―――あの人、先鋒の思いを無下にしないようにって、覚悟決めたんかぁ―――」
「それもそうかもだけどよ。第一、格上相手にあんだけ攻め続けられたのも、流れってもんがあったからなんじゃねえか?」
「!? そういうことか―――」
加藤と野上も、次第にその状況を理解し始めていた。
そして翔蛉高校の部員全員が未だに余韻から抜け出せずにいる最中、審判は勢いよく両手を挙げた。
「やめ!!」
審判の声が、二人の動きを止めた。
二人は真反対の雰囲気をもって、初期位置へと戻っていく。
「勝負あり!」
その瞬間、次鋒戦が幕を閉じた。
二人の剣士が、改めて拍手と歓声に包まれる。
名須川は一歩、また一歩と下がりながらも、あふれ出る衝動を抑えるので精一杯だった。
クソ―――! なんで剣道はガッツポーズしちゃいけねえんだよ―――!
あーもう、サッカーとかみたいに思いっきり飛び回りてぇ―――!
「お疲れさん、ナイスだよマジで」
笑みがこぼれている最中、背中を叩いた声が自分を賞賛した。
自身の勝利を再認識した気がして、名須川は改めて笑みを浮かべる。
「おうよ、任せとけって」
「俺も―――ふぅ。頑張ってくるわ」
「気張れよ―――! 応援してっからな」
「おう―――!」
二人は軽くグータッチを交わし、名須川は素早くその場から離れた。
その正面でも、選手の入れ替わりが起きている。
ただ、その温度には天と地ほどの差があった。
「わ、悪い―――」
杓音は試合中の声出しが嘘だったかのように、細々とした声を漏らす。それでも確かに、その声は次の選手の耳にも入っているはずだった。
しかし彼は一切、杓音の方を向こうともしない。ただまっすぐ、次の相手のみを見据えている。
そしてたった一言、敗者に告げてコートに足を踏み入れた。
「別に、期待してませんから」
「――――!」
「はじめっから、数に入れてないんで。気にしないでください」
その声は酷く冷たく重く、杓音を崖の下に深く突き落としたのだった。
「おーやべやべ、もう中堅始まっちまうよ―――全く、入れ替わり早ぇなおい」
「ん? アイツ―――さっきの―――」
焦る加藤の横で、熱田は景水高校の選手の垂れネームを訝しげな表情で睨み付けていた。
それに答えるように、露峰が全員の意識を締める。
「中堅、か。考えてみれば、それもそうか」
「あ、そうじゃん! 中堅って強い奴だろ、絶対!」
「しかもその感じ―――」
加藤と野上は、多少のデジャブを感じていた。
そしてそれは、露峰の一言で確信に変わることになる。
「そうです。谷が二位なら、アイツは一位―――」
時を同じくして、二人の選手が礼節を終えて戦いの舞台に上がった。
「浄心道場、
一本専心! さら坊 @ikatyan
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