格物致知(かくぶつちち) (4)

 各校が緊張感を高めていたアリーナにて、景水けいすい高校のレギュラーメンバーは一人の人物を中心に小さく円を描いていた。

 試合が控えているコートのすぐ側、結果が表示されるホワイトボードのすぐ横で、彼らは表情を険しくしている。


 そんな彼らに活を入れているのが、その中心にいる人物だった。


「おいおい、お前ら。こんなとこでそんな顔してんなよ」

「「「「「「はい!!!!」」」」」」


 彼以外のレギュラーメンバー四人、それに補欠を合わせて二人。計六人が、彼の言葉に大きな声で返事を返した。

 それを受け、彼は少し眉をひそめる。


「だぁから、そういうのじゃないんだって。お前ら、肩の力抜けっつってんの。こんなとこで緊張してんじゃねえよ」


 そう言いながら円陣の中にいた二人と肩を組むと、彼はその二人を交互に目で追った。


「元々戦えてたウチに、こんなにも頼りがいのある奴が入ってきた。わかるだろ? お前ら。この意味が」


 全員が口をつぐむ。しかし、それは分からないからではなく、改めてその意味を噛みしめているからこそだった。


「俺たちの目指す場所が、変わったんだよ。それは当然、じゃない。もっと、もっともっと、"上"だ」


 "上"という言葉がより一層、その場の空気を引き締める。全員の心臓が震え、身体中に血液が巡る。

 そしてその場の熱が最高潮になったことを肌で感じ取ると、彼は円陣の中心に手の平を差しだした。


 一人、また一人と、その手の平に自分の手を重ねていく。

 全員分が揃ったタイミングで、彼はニタリと笑った。


「敵は全部、俺らの力でねじ伏せ、飲み込む。それが、景水だ―――」


 濁流のような彼の勢いが、景水全体を底上げする。

 景水高校三年、主将しゅしょう"才羽さいば 琴波ことは"。

 それが彼の力だった。


「今の俺たちならやれる―――勝ちに行くぞォ!!!」

「「「「「「オォォォ!!!!」」」」」」


 その共鳴が、彼らの周囲に響き渡る。既に彼らの中にあった嫌な緊張は、綺麗さっぱり消え失せていた。




「「あんなの、反則だ」」


 そう呟いた二人は、天敵を警戒している動物のように才羽のことを睨んでいた。 

 才羽という名前、それが刻まれた垂れネーム※。二人にとってそれは、疑いようもない強者を回想させるものだった。


※垂れネーム:剣道において選手の名前を示すゼッケンの役割をはたすもの。袋状になっており、そのまま垂れの正面に被せて使う。垂れネームには所属している道場や学校が上に書いてあり、その下に名前が大きく刻まれている。


「あれ、見た感じキャプテンだよな―――? 三年か?」

「俺らの代の二個上だったはずなので―――そうですね、三年です」

「なら俺らの一個上か―――」


 野上は遠目からでも、そのリーダーシップを感じ取っていた。


 囲んでる奴らの表情を見れば分かる。あの人は、キャプテンに必要なものを全部持ってる―――俺なんかとは雲泥の差だ。

 どうすれば、ああなれる? なんとなくだけど、強さ以外のなにかを感じる―――


 考えれば考えるほど、目つきが鋭くなる。それに野上は気が付いていなかった。

 

「で? なにがどうすげぇんだよ、アイツ。年上だから強ぇってのはナシな」

「なにがすごい、か。そうだね―――」


 露峰が熱田への説明を悩んでいる間にも、景水高校のメンバーはコート内に入り、試合に臨まんとしていた。

 七人が一列に並び、対する高校のメンバーを正面に見据えている。


「まぁまぁ、細かいことは後でさ。今は皆で試合見よーよ。それに、そんだけ強いとこなんでしょ? なら尚更見なきゃ。今後のためにもさ」

「そう―――すね。すいませんした」


 加藤は優しい口調で熱田を諭し、全員の視線を一点に集めた―――ように見えたが、本心の中には少し異なった野心が密かに渦巻いていた。

 彼は一人、先鋒の試合を今か今かと待っている。今はとにかく、集中したかった。


 下では礼が済まされ、先鋒が二人、コートの対局に立っている。

 そして彼らがコート内に侵入し、互いに目を見合わせた瞬間。露峰は一言、全員に聞こえる声で呟いた。


「俺が言ってた二人―――その内の一人が、彼です。浄心道場のトップ2―――」


 その青年は特段巨躯という訳でもなく、どちらかといえば露峰のような物静かさが漂う立ち振る舞いをしていた。


 小さく頭を下げ、腰の竹刀を上に上げる。その竹刀に手をかけて抜刀する動作、そこから蹲踞までの一連の流れ―――

 その全てに、水のように滑らかさが宿っていた。


 そして垂れネームには大きく、"たに"という文字が刻まれていた。

 

「"たに 照葉しょうよう"―――俺はあんなにも安定した剣道をする奴を、他に知りません」


 露峰が言い終わったのを見計らったかのように、審判は大きく声をあげた。


「はじめッッッ!!」


 その声を皮切りに、二人の剣士はすっと立ち上がった。竹刀を突き合い、大きく咆哮を交わす。


 これが、景水高校 対 蓮ノ葉はすのは高校 の火蓋が切られた瞬間だった。


 蓮ノ葉の先鋒は"遠藤えんどう"という名らしく、先鋒には珍しい身長の高い剣士だった。熱田より数センチ高い、位だろうか。

 谷はそんな遠藤に比べたら一回り小さく、常に相手のタッパと手足の長さから繰り出される一発を警戒しているようだった。


 そしてその一発は、開始からほんの十数秒で谷を襲った。


「―――メェェン!!!」


 一足一刀の間合いから、予備動作の無い飛び込み面。これが遠藤の武器だった。

 谷はその打突を竹刀でギリギリ受け、無理矢理にでも相手の面に竹刀を伸ばす。


「メンッ―――」


 しかしその面返し面は、既に距離が詰まりに詰まっている所で苦し紛れに打たれたものであり、決して一本になるほどのものではなかった。

 加えて、これは流石というべきか、遠藤もその残心は意地でも取らせまいと即座に鍔迫り合いへと持ち込んでいる。


 その結果、彼らの一本目のやり合いは互いに中途半端な状態で幕を閉じた。

 二人は合図のように鍔迫り合いから距離をとると、再び勝負の間合いを取る。


 そこからの二、三本は全て、遠藤からの打突だった。

 そして開始から約三十秒が経った頃。猫丸は既に二人の分析を始めていた。


 あの遠藤って人、確かにすごい。ちゃんと強いし、自分の武器がちゃんと分かってる。

 それなのに、なんだかパッとしない―――なぜだろう?


 スタイルは野上先輩に似てる。けど、彼の方がどこか腰が引けてるような打ち方が目立つ。試合開始直後だから様子を伺ってるのかな―――にしては、さっきから打突が芯を喰ってなさすぎる。


 とにかく、やりづらそう。それが遠藤の第一印象だった。

 それに対して、谷の剣道はどこまでいってもブレることは無かった。

 露峰とはまた違う、目の前の相手に左右されない強さがそこにはあった。


 でも―――なんだろう、この掴み所の無い感じ。

 猫丸が首をかしげようとしたその時、その試合は大きく動いた。


 遠藤は猫丸の予想通り、目の前の相手に悩まされていた。


 打ちに行こうとしても、どうも竹刀が中心を取れない。クソ鬱陶しい、これじゃ、小手どころか面すらもまともに打てやしない―――!

 どうにかして、こいつの構えをずらさなきゃいけないってのに―――


 谷はそうして次第に焦っていく遠藤を前にして、ごく普通を繰り返していた。

 普段通り構え、適切なタイミングで打ちに行き、自然と引いていく。

 そこに動揺なんてものは一切、見られなかった。


 ったく、なんだコイツ、気味悪い―――!

 ―――だが、一つ。俺には不幸中の幸いがある。

 遠藤はバレないように口角を上げた。


 コイツと俺とでは、身長差がある。

 さっきまでは、俺が下から面を打ってた。だから、毎度コイツにずらされてたんだ。

 上から置きに行くように打てば、コイツの竹刀の影響は受けない。


「小手、メェエエン!!」


 考えながらも、遠藤は試合を止めないように打突を続ける。その小手面も、谷に軽くいなされてしまった。


 問題は、いつそれを使うか、だ。コイツは強い。となればきっと、これは初見殺しにしかならない。

 使うなら―――


 遠藤は小手面の残心を途中で辞め、鍔迫り合いの形を取る。

 そして少し頷き、慎重に谷と距離を離していく。

 二人はほとんどコートの中心に立っていた。


 使うなら、鍔迫り合いから距離をとった、その一瞬。

 互いが離れて試合を仕切り直そうとしているときに生まれる、その意識の外―――その瞬間を、狙う―――!


 そしてそのタイミングは、遠藤の計画通りに訪れた。

 今だッ―――!


「メェエエ―――」

「コテェェェ!!!」


 は―――? 


 遠藤の渾身の面は、空を切っていた。

 その代わり、自身の右手に強烈な衝撃が走る。そしてその音は、審判の耳にもきちんと届いていた。


「小手あり!!」


 遠藤が現実を受け入れられず、その場で立ち尽くしていた間にも、谷は淡々と自身の初期位置に足を運んでいた。


「なんて綺麗な小手―――」

 

 猫丸はつい、声を漏らしていた。初見の剣士が繰り出した一本は、まさしく出ばな小手のお手本とされるような内容だった。

 相手が出てくるところを予想して、予め小手を狙っておく。その結果、相手の面よりも先に小手を打つことができ、自身は相手の面を避けることができる。


 そのタイミング、打ち方、残心。全てが素晴らしいものだった。


「アイツ―――誘導しやがったか?」

「誘導?」野上が声をあげる。

「なぁんか、打たされた感じだったんすよねぇ―――あの遠藤っての」


 熱田は未だに、その一本が理解できずにいた。

 

 あの谷ってやつ―――さっきまではビシッと構えて中心を取られないような剣道をしてやがったのに、あの瞬間だけ、それを緩めやがった。

 どうしてだ―――なぜ、あのタイミングで上からの面が来ることが分かった―――?


 その答えは、露峰のみが知っていた。かつて戦ったからこそ分かる、天才の所業。


「さっき言ったでしょ? 安定してるって。その安定ってのが、彼の武器なんだよ」

「あぁ? 意味わかんねぇよ、なんでそれが武器になるんだよ」

「―――想像してみなよ」


 既にコートには二人が対峙し、審判は「二本目!!」と試合を再開させていた。

 谷は再びしっかり構え、未だに困惑している遠藤を正面から迎え撃っている。


「もし基礎をとことんやり抜いて、その結果、一切意識せずとも自分の剣道を展開できたとしたら? 打ち方やら足さばきやら、そんなことは一切気にせず、試合に臨めるとしたら?」


 露峰の言葉に、全員は舌を巻いていた。


 一対一で試合をしながらも、相手のみに集中することができる。

 狭いコートを越えた、俯瞰した視点で展開される試合―――それが有利に働かない訳がない。

 それが全会一致の意見だった。


「それが、彼の武器です。彼は自分が試合をしている最中、相手のことしか見ていません。だからあのコートは常に、彼の手の平の上なんです」

「ハッ―――気味悪いな」


 その一蹴の中には先ほどまでとは異なり、確かなリスペクトが含まれていた。


 そんな境地に至るまで、どれほどの基礎練があったか。どれほど地稽古を積み、試合稽古を重ねたか。

 想像することさえ憚られるほどの努力が、そこにはあるはず。


 これが、浄心―――

 熱田だけでなく猫丸すらも、その強さの源に驚きを隠せずにいた。


 その圧倒的な一本を経てからというもの、試合は膠着状態を抜け出せずにいた。

 それもこれも、谷が遠藤を操っていたからに他ならないという事実は、誰が見ても明らかだった。


 残り時間が十数秒になっても、その流れは変わらない―――かに思えた。

 一人の男が、去り際に執念を見せるまでは。 


 遠藤はあの一本から、序盤に増してやりづらさを強要されていた。


 これじゃあ、このまま終わっちまう―――先鋒の俺が、こんな惨めな試合―――そんなの、そんなのって―――!

 焦りや申し訳なさが、手汗として竹刀に伝わる。


 時を同じくして、黙って試合を凝視していた加藤が呟くように言葉を吐いた。

 それは試合が始まってから今の今まで、加藤の中で渦巻いていたことだった。


「なぁ、なんかさ―――静かじゃねえ? この試合―――」


 この加藤の疑問は、加藤だからこそ生まれたものだった。

 現に、他四人は加藤の質問にきょとんとしている。

 

「まぁ―――そういわれてみれば?」沈黙を破ったのは熱田だった。

「え、皆なにその反応―――!? だってよ、先鋒って勢いづけみたいな役割なんしょ? この試合じゃあ、お世辞にも勢いはつかないでしょ」


 "勢いづけ"という言葉を聞いて、ようやく熱田は加藤の思いを汲み取った。

 

「あぁ、あの話すか。俺が前にした」

「そうそう! だから俺、てっきり先鋒は元気マンマンみたいな奴ばっかなのかなーって思ってたんよ。それがこんなって―――びっくりよ」

「んー、そうすね」


 熱田は少し頭を捻ると、試合の方を指差した。


「それはメンバーによる、としか言えないっす。見てください、あのメンツ」


 熱田が示す先―――そこには、既に面を付けて準備をしている次鋒と、厳格な面持ちで試合を睨んでいる中堅以降の選手がいた。

 そこにはノリのような軽いものは一切見られず、味方陣営すらも鳥肌が立つような圧で満たされているようだった。


「あのチームはきっと、締める時はとことん締める、みたいなチームなんだと思います。それこそ、自分の勝負は自分の勝負、他の誰にも流されるな、みたいな」

「確かに―――」


 加藤が少し納得している横で、露峰はその指導方針に少し表情を曇らせていた。


「だからこそ、彼らの先鋒はあれでいいんです。彼らにとって勢いなんて、あってないようなものですから。でもその代わり彼らは、チームを引き締めるような役が先鋒に欲しい。だから、あんな感じの先鋒なんすよ、多分」

「そっかぁ―――それが、いいのかぁ―――」


 強者が集うチームの先鋒が、自分とは違うタイプだった。その事実は、加藤にとって聞き心地のよいものではなかった。

 それを察したのか、熱田が自然にフォローを入れた。


「そりゃ、勢いの必要の無いチームは強いっすよ。誰が負けようが、後続がブレること無く戦えるんですから。でも加藤先輩、そういうチームにも、弱点はあるっす」

「弱点―――?」


 熱田はコートを見下すと、鼻を鳴らすように笑った。


「勝負において勢いってのは、実力さえひっくり返しちまうような―――そんな不思議な力を持ってるんすよ。団体戦なら尚更、ね」


 熱田の言葉に呼応するように、遠藤は力一杯吠えた。

 試合が始まったときよりも更に大きく、それでいて強く。最後の足掻きとは思えないような鬼気迫る声が、二校のベンチすらをも襲う。


 あぁ、負ける。負けるさ。どうせあと数秒だろ、この試合―――

 遠藤は割り切っていた。だからこそ、俺は後続に繋ぐ。

 先鋒の仕事は、勝つことだけじゃない―――!


「ヤァァァ!!! メェエエン、小手メェエエン、ドウゥゥ!!!!」


 体力が続く限り、打ち続ける。隙であろうとなかろうと、とにかく自分の打ちたい所に竹刀を持っていく。

 まるでかかり稽古のような勢いで打ち続けていると、流石の谷も少し足を後退させた。


「ヤメッ!!!」


 息も絶え絶えの中、試合終了が告げられる。結局、無我夢中の乱打の中に一本は含まれていなかった。


「勝負あり!」


 無慈悲にも、旗は勝者の方に上がっている。

 でもいいんだ、俺は、やり遂げた―――


 コートを後にするとき、遠藤は背中に強い衝撃を受けた。

 その衝撃はただの殴打にしては暖かく、背中に優しく広がった。


「よくやった、ナイスファイト」


 その言葉が、遠藤の散り様を華々しく飾った。

 それと同時に、目頭が熱を持ち始める。遠藤はぐっと堪え、自陣に走った。


 その正面で、谷はどこまでも淡々と、それどころかつまらなそうに、コートを後にしている。

 しかし遠藤には、その様は一切映っていなかった。


 そしてその背中は、二階席の加藤の心をも、強く掴んでいたのだった。

 あれが―――先鋒。流れを作る役割の、真骨頂。


「んで、この流れのまま、次鋒戦が始まるって訳ですよ」


 そう呟く熱田の表情は、おもちゃを前にした子どものように爛々と照っていた。


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一本専心! さら坊 @ikatyan

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