会合

葉羽

二人は順調に歳をとり、病院で入院し、安らかな最後を迎える。かもしれない。


 静かな部屋に響き渡るキーボードの音。六畳ほどの小さな部屋に閉じこもったその人物は、画面から目を逸らすことなくニヤリと笑みを浮かべた。


「いいねぇ、順調順調。美琴チャンはあと少し、カナチャンはまだ警戒してるか。二人はまだ様子見だな」


 男は、ネット犯罪防止のビデオで登場する典型のようななりすまし犯だった。


 男の目的はネット上で女の子になりすまして仲良くなり、下着や裸の写真を送らせること。そしてその写真を利用して金を要求したり、まぁ色々とできることはある。


 家で年頃の女の子と会話をするだけなんて、こんないい仕事他にはない。男は自分の仕事に大変満足していた。


 普通の会社はダメだ。ミスをすれば自分のものでなくても上司に全責任を押し付けられ、サービス残業という名の強制労働を強いられるのは当たり前。男がこの職業に就く以前に勤めていた会社は、現代社会ではそう珍しくないブラック企業というやつだった。


 肉体、精神ともに限界を迎え、命からがら退社届を上司に押し付けて、無事にニートとなった男は思い出した。これでは金が稼げないと。

 ブラック企業とは言え、特に文句を言いたくなるほどの安月給ではなかった。逆に休日や余裕がなかったおかげで金を使う機会はなく、必然的に金は給料のほとんどを貯金していた。


 だがそれでも、ここから先の人生を無事に送れるとは言い難い額だ。節約すれば数年は持つだろうが、それから先はどうなる? 職につかなければ生きていけない。男はそんな当たり前のことを今更になって重く受け止めた。


 そこで、男は考えた。すでに男の脳内に会社に就職する選択肢はない。またブラック企業だったら自殺する自信しかなかったからだ。ようやく逃げた場所に戻りたいと願う愚か者はいない。


 自分で企業を立ち上げる? それだけの器量と勇気と度胸があればブラック企業になんて就職しなかった。

 なら、このままニート生活を続けて孤独死する? 人生100年と言われるこの時代に、50年も生きず死んでいくのは流石に悲しい。しかもほぼ99.9%孤独死。金もなく病院へもいけず、ダンボールハウスの中で生き地獄を味わって死ぬのか。あまりにも悲しい。

 ならば親を頼る? いや、無理だ。両親は優秀な姉ばかりを贔屓してきたから、無能な弟が金を貸してくれと頼んでも姉と比べて非難してくるだけに決まっている。そんな屈辱を味わうくらいならば孤独死を選ぶ。

 

 どうにかして、他の手立てを探すしかない。


 家でできて、人の下につかなくて、でも上に立つこともない仕事。たった三つの条件だが、全てを完璧に満たし、それでいて若くもないおじさんができる仕事なんてものは当たり前だがない。

 探し始めて二日で、男は漫画喫茶の硬いクッションを抱きしめながら涙を流した。こんなの無理じゃないか、もう死ぬしかないのか。ボソボソじめじめとネガティブな言葉が漫画喫茶に垂れ流される。時折混じる隣からの壁を叩く音と振動に怯えながら、男は一日中情けなくメソメソ泣いた。


 仕事なんてもう探したくない。パソコンも冷たい隣の住民のことも考えたくない。男は久しぶりに外日を浴びに漫画喫茶の外へ出た。時刻は午後四時、まだ太陽は空高い。


 四時なら多少涼しくなっただろうとたかを括っていたが、アスファルトは熱気を放ち太陽は容赦なくボロボロの肌を焼いた。日本の夏はこんなにも厳しいのかと静かな衝撃を受けながら、こめかみを流れる汗を手の甲で拭う。


 暑さに耐えながらもう帰ろうと考えていれば、ふと子供の声が聞こえた。視線を向ければ緑に覆われた新しいであろう小さめな公園で遊ぶ子供たちの姿。だが男が見たのはそこではない。木のおしゃれなベンチに座り、片手にスマホを持つ中学生であろう女子と保護者らしき大人だ。そうか、今の中高生、なんなら小学生も自分のスマホを持っているのか。男はそれを見て感心した。そして、タイミングを測ったように聞こえてきた声に運命さえ感じた。


「やぁね、最近の若い子は外に出てもゲームばっかりして」

「違うっておばあちゃん。別にみんなゲームしてるわけじゃないよ。通話したり、メッセージ送ったり、色々できるんだから」

「それは知ってるけどねぇ」

「それにね、これはお母さんには内緒にしてね? 同じ趣味とか同じ年齢の人と、ネットで話したりできるの。顔も名前も知らないけど仲良くなれたら楽しいし、一回だけあったこともあるんだ。写真とはちょっと顔違ったけど、今どきはみんな加工してるもん、仕方ないよね。私だって写真は加工するし」


 へぇ。ほぉん。今の世の中、若い子でもネットのアカウントを使って人と会ったりするのか、と1人で相槌を打った。そして加工、加工か。なんやよくわからない加工専用のアプリがあるのはどこかで聞いたことがある。使ったことなんてあるはずもないが。


「明日もね、ネットの人と会う予定なんだ。見せてもらった写真がすっごく可愛かったから、現実でも可愛いといいなぁ……」


 ネットの人と会う。その感覚が男にはいまいちわからない。ネットの友人ならできたことはある。だがそいつらと会おうと、会いたいと感じたことなぞ一度もなかった。

 どうして今の若い子はネットの友人に会おうと思うのか……男は道のど真ん中で少し悩んだ。後続の営業だろうサラリーマンに舌打ちをされたのでゆっくりと端に寄りつつ歩きながら。うーん、どうしてだろうか。


 トボトボノロノロ、そんな効果音がつくくらいのスピードで歩く男の横を、ヒールを履き髪を巻き、今時っぽいタイトなワンピースでバッチリきめた、今が人生絶頂ですと言わんばかりの女性が追い越した。甘い匂いが鼻を掠め、ついつい視線で追う。

 白く細い手に握られたのは、最近よく聞く『タピオカ』というやつだろうか。異様に値段が高く若者に人気らしい。そしてタピオカを飲んでいる様子をスマホを掲げて、何やら写真を撮っている。これに関しては分かるぞ、きっとあれだ。『おしゃれな格好をして流行のおしゃれな飲み物を飲む自分』を撮って、SNSにでも投稿するに違いない。最近の若者は昔に比べて承認欲求が高いとどこかで見かけたのだ。


 認めてほしいから着飾り自慢する。褒めてほしいから自撮りをあげる。注目されたいから過激なこともする。


「……なるほど」


 自分という存在をいくらでも偽れるネット社会。生い立ち、声、容姿、性格、人間関係、カースト、その他諸々の全てを隠蔽、または加工し、都合のいいように相手に解釈させられる。だからこそだろう。


 ネットの友人に会いたい。そう思うのは、自分が相手のことを深く理解しているという自信の表れではないだろうか。例えば自撮りを交換したり、電話をしたり、本名、住所等の個人情報を教えたり。そんな交流を重ねることで、相手を信頼していく。そうすればもう本当の友達と同じ扱いだ。


 長い間会っていない親しい友人の顔を見たくなる時期が、誰しも一度は訪れるだろう。きっとそれと同じ感覚なのだ。

 仲が良いのに会っていない。会いたいね。じゃあ、会おうか。なぁんてそんな風に、簡単に決まってしまうものなのだろう。


 一人で勝手に納得し解決した男は、満足げに頷きながら歩みを進めた。もちろん漫画喫茶へ戻るための道をだ。

 Uターンしていけば、先ほどのきっかけとなった孫とおばあちゃんがまだ会話を続けているようだった。


「でもねぇ、やっぱり危ないんじゃないのかい? キララちゃんがいなくなったら、おばあちゃんぽっくりいっちまうよ」

「危なくなんかないってば。何回も説明したでしょ?」

「だってねぇ」

「まぁたしかに学校では、ネットで拾った写真を使って騙そうとしてくる詐欺? があるって先生に言われたけどね。アサミちゃんは絶対そんなことしないから大丈夫なの」


 その会話に、男は雷がビギャーンと脳天に落ちるのと同等の衝撃を受け、危うく地面に倒れそうになった。顔を覆い、ヨタヨタと前へ進む。後ろを歩いていた女子高生に舌打ちをされたが、今この瞬間は男にとって天変地異の一大事。それどころではないのだ。お前が避けろ。


 ……『ネットで拾った写真を使って騙そうとしてくる詐欺』と。『先生に言われた』と。そこから導き出される思考、それは『すでに多くの被害が出ている』そして『自分にもできる』という圧倒的な確信だった。

 男も耳にしたことはある。ごく稀にテレビで垂れ流されるニュース番組で、子供達が騙されていると警告を発信していたじゃないか。


 そうだ、そうだ。どうして忘れていたのだろうか! こんなに今の自分にあったピッタリな仕事を!



 とまぁ男はそんな風にして、プロのなりすまし犯として社会復帰(仮)を果たしたのである。前職の関係でネットの扱いには慣れていた。肝心のネット上での会話だが、なんとこの男、開始一週間ほどでとんでもない才能を発揮し、いとも簡単に女の子たちの懐へ潜り込んで「私の一番の大親友だよ!♡」だなんてメッセージを五人ほどから送らせた。


 そして現在、男は東京郊外のとある公園へやってきている。目的はもちろん一つ。


『美琴ちゃん、ついた?』

『もうちょっと!』

『たのしみ♪ 待ってるね!』


 中学三年生、部活のテニスを引退し受験に悩む、ボブの愛らしい女の子である美琴ちゃんに会うためだ。


『ついたよ!』


 そのメッセージにあたりを見渡す。そこまで広くない公園にいるのは自分と、今さっき入ってきてベンチに座る50代ほどのおっさんである。……いやいや、そんなわけ。

 

『どこにいるの?』

『公園のベンチに座ってるよ!』


二人は見つめあった。そして酒やけで嗄れた声で問う。


「……美琴チャン?」

「もしかして……さやかちゃん!?」


 おっさん同士は、初対面で硬い握手を交わした。


 やがて二人は親友になり、生涯を共にする相手となったのだった。



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会合 葉羽 @mume_21

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