とどめを刺して

八影 霞

とどめを刺して

 人けのない山道を歩いていた。

 今はまだ昼間で、ナイフで突き刺すような暑さがじりじり、と頬を刺激していた。

 僕は口笛を吹きながら歩いた。SUPERCARの『Am I confusing you ?』だ。こんな猛暑の日に奏でるには、ちょうどいい選曲だった。二番のサビに差しかかったところで、僕は擁壁の隅に座り込む一人の少女を見つけた。

 少女は僕に気づくと、曲の続きを口ずさみだした。僕の奏でるメロディーに、少女の歌声が重なり、さきほどより曲に重厚感が生まれる。僕は気味が悪くなって、早足で少女の前を通り過ぎようとした。

 「家族に置いていかれてしまいました」

 僕がちょうど少女の前まで来たところで、少女がそう言った。

 「何だって?」

 「家族が私を置いて行ってしまったのです」

 「ああ聞いたさ。だからどうしたんだ、って聞いたのさ」

 僕がそう言うと、少女は立ち上がって服についた土をはらいはじめた。

 「お兄さん、ふもとの街まで送ってくれませんか?」

 「悪いが急いでるんだ。一人で行きな」

 「お兄さん、私が言ってることが分かってますか? 少女が、こんな物騒な山道で、一人で困っているんです。そこは好意的に手を差し伸べるのが、常識でしょう?」

 「常識だって?」

 僕は振り返って少女の方を見た。

 「そうです。常識です」

 「じゃあ、今の君には僕がとんでもなく薄情なやつとして写っているわけだな?」

 「ええ、そうです」

 少女はこくり、と頷くと再び地面に腰を落として、僕の前に右手を差し出してきた。

 僕はため息を吐くと、それに手を伸ばした。

 引っ張り上げると、少女が僕の近くまで接近してきて、そこで初めて、少女が近くの高校に通う女子高生であることが分かった。彼女の着ている制服は、このあたりでは割と優秀な進学校のものだった。

 その事実が僕の心に安心を与えたのか、僕は初めよりはましに、少女のことを手助けしよう、という気になった。

 「分かった。君を街まで連れて行くとしよう」

 僕が言うと、少女は嬉しそうに僕に笑いかけた。

 僕はその笑顔を見て、自分でもいいことをしたな、という心持ちになった。時には人助けも悪くはない。

 だがしかし、僕のその気持ちもすぐに打ち砕かれることとなった。

 少女が僕に尋ねた。

 「お兄さん、お金持ってますか?」

 「金だって? まあ、それなりには持ってるさ。もしかして、喉でも渇いたのか?」

 僕が聞くと、少女は「お金、持ってるんですね・・・」と言って、僕の背中に手の平を強く押し当ててきた。

 いや、正しくはそれは少女の手ではなかった。

 彼女の手には、小型の拳銃が握られていた。

 「いったい、どういうつもりだ?」

 「私、実は強盗なんです」

 「何だって?」

 「家族に指示されて、ここで人が来るのを待っていました。気の弱そうな人を見つけて、その人から現金を奪う。それが私の仕事なんです」

 「どうして、他の家族がやらない?」

 「女の子の方が相手の警戒が解けるからですよ。お兄さんみたいに」

 要するに、僕は少女の策略にまんまと掛かってしまった、というわけか。

 僕は自分が情けなくて、少し笑ってしまった。

 少女はそれを見ると、怪訝そうに首を傾げた。

 「何を笑っているのですか? 気味が悪いですよ。さあ、つべこべ言わないで、早くお金を出してください」

 さきほどより強く、銃口が背中に押し当てられた。

 「なあ、ひとつ提案があるんだ」

 「何ですか? 命乞いですか?」

 いいや、と僕は言った。

 「君たちの家族にとって、とても都合の良い話だ。聞いてくれるか?」

 少女は深くため息を吐くと、納得のいかない様子で頷いた。

 「とっとと話してください」と。

 「僕はこう見えてちょっとした金持ちなんだよ。今の手持ちはこれっぽちしかないが、銀行に行けば大量の貯金がある。もし、君が僕と一緒にふもとの街まで来てくれるのなら、その貯金をすべてくれてやるさ」

 「本当ですか? なんだか嘘くさいです。それじゃあ、お兄さんのメリットがないんじゃないですか?」

 少女は眉を細めて言った。

 「ところがそうでもないんだ。僕はこの場でさらっと殺されてしまうより、自分の最期をゆっくりと迎えたいのさ。誰だってそうだろう? 心の準備ってのが必要なんだ」

 「そうやって、逃げ出すつもりなんじゃないですか?」

 どうやら、少女は僕のことを信じきれないようだった。考えてみれば、当然の話だ。信じろという方が無理がある。

 「まさか。そんな薄情なことはしないさ。君がどうしても僕を信用できないって言うんなら、今、この場で僕を撃ち殺してしまえばいい」

 少女はしばらくの間考え込むと、僕の背中から銃口をゆっくりと離した。

 「分かりました。お兄さんを信じてみることにします」

 「そう言ってもらえて、嬉しいよ」

 「ただし、少しでも妙な行動をしたら、構わず撃ちますので」

 「ああ、分かってるさ」

 僕らは街へ歩き出した。

 街までは一本道だった。景色はずっと変わらない、時折現れる道路標識がなければ、自分がちゃんと進んでいるのかさえ、分からなくなってしまうくらいだ。

 歩いている間、僕は少女に『どうしてこんなことをするようになったのか』尋ねた。

 はじめは口を聞こうとしなかった少女だが、三十分ほど歩いていると、沈黙に耐えられなくなったのか、渋々話してくれた。

 「私たち家族が最初にこの山に訪れたのは、去年の冬でした。私の父親は…お兄さんの言い方を借りるなら、ちょっとしたお金持ちでした。ですが、ある日を境にそんな父の貯金は瞬く間に、一円玉一枚さえ残らずに消え去ってしまいました」

 嘘だろう? と僕は少女の方を見た。

 「いえ、嘘ではありません。本当の話ですよ。父は誰から勧められたのか、違法薬物に手を出してしまったのです。お兄さん。それらがどれほど危険なものかくらい、知ってますよね?」

 「ああ。ある程度は。徐々に量を増やしていかないと、効果が感じられなくなっていくって言う、あれだろう?」

 「そうです。私の父もまさにそうでした。はじめは使っても一万とか五万ほどだったのが、段々と回数を増やしていくに連れて、その金額は膨大なものとなっていきました」

 少女は続けた。

 「そして、仕事をクビになり、貯金が底をついてしまった父は、借金とりから逃れるために、私たちを連れてこの山に篭りました」

 「それが、去年の冬の話、か」

 少女は頷いた。

 「住居はどうしてるんだ? 家を借りるってわけにもいかないだろう?」

 「今は家族全員、父の車に車中泊しています。食事や睡眠など、大抵のことは何とかなります。着られる服がこれしかないのは、少し残念ですが」

 少女は制服のしわを伸ばしながら、言った。

 僕は妙だな、と思った。

 何かが引っかかる。

 「なあ、君は今までどれくらいの人から金を巻き取って来たんだ?」

 「それを聞いて何になるんですか?」

 少女が怪訝そうに僕を睨んだ。

 「何にもならないさ。ただ、少し気になっただけだ」

 「ざっと、三十人くらいですかね」

 少女は吐き捨てるように答えた。

 「一人一人、巻き上げた値段ってのは違ってくるのか?」

 「当然です。それぞれ持っている金額が違いますから。ある人は一円も持っていませんでしたし、ある人は驚くほどの大金を持っていたりしました」

 「その大金、ってのはいくらくらいなんだ?」 

 僕が訊くと、少女は不機嫌そうな表情になった。

 「教えませんよ。そんなこと。どうしてお兄さんに教えなきゃいけないんですか」

 「そいつの金額によっては、僕が金持ちなのかどうか、変わってくるだろう?」

 僕はなんとか誤魔化そうと、そう言った。

 「安心してください。大した金額じゃありませんから。確かに、私からすると夢のような金額でしたが、父はそうは思わなかったみたいです。その日のうちに、すべて使い果たしてしまっていました」

 少女はまるで当然のように話した。

 それでいよいよ、僕は理解した。

 僕の中で可能性として存在していた萌芽が、はっきりと形を持った花木として目の前に現れた。

 僕は少女に尋ねた。

 「最近、まともに食事を取ったのはいつだ?」

 「だから、さっきから何なんですか? そんなの、お兄さんには関係な…」

 僕は思わず、少女の腕を掴んだ。

 「はい?」

 少女が軽蔑した目つきで、こちらを窺ってくる。いきなり何ですか? 気味が悪いですよ、とでも言いたげに。

 「頼むから、答えてくれ。君の答え次第では、僕らのやるべきことは変わってくる」

 少女はしばらく僕を睨んだ後で、「ここ一週間はまともに何も口にしていませんが…」と呟いた。

 「やはりか」

 「何がやはりなんですか?」

 僕は少女の言葉を無視し、代わりに言った。

 「君は家族のもとに戻るべきではない」

 「何を言ってるんですか?」

 「君はこんなことを続けていくべきではない。今すぐ、逃げ出すべきだ」

 少女の目の色が変わった。

 「黙ってください」

 「いや、黙らないさ。話を聞いてる限り、君は家族にいいように利用されてるだけなんじゃやないか?」

 すると、少女は上着のポケットから銃を取り出して、僕の首に押し当てた。

 「もう一度言います。黙ってください」

 少しでも妙な動きをしたら撃つと言ったはずですよ、と少女は引き金に指をかけた。

 「いや、それはできないな」

 次の瞬間、少女は引き金を引いた。

 そして、僕の首には銃弾が飛び込んできて、僕は抜け殻となり、地面に倒れ込む。血はだらだら、と流れ出て、僕はその場で僕を終える。

 だった。

 僕の体にはそれらしき衝撃はなかった、それどころか、銃声さえ聞こえなかった。聞こえたのは、頼りない、リピーターが空発した音だけだった。

 少女の銃には弾が入っていなかった。

 その事実に対して、困惑しているのは僕ではなく少女の方だった。

 「今のはたまたま空発だっただけで…」

 そう言って少女は、もう一度引き金を引いた。

 もう一度、もう一度、もう一度。

 だがしかし、何度引いても少女は僕を殺すことはできなかった。

 「きっと、弾をセットし忘れたに違いありません」

 「それは違うと思うな」

 僕は首を横に振った。

 「いや、きっとそうです。そうじゃなければ、おかしいです」

 「なあ」

 「黙っていてください。私が、どこかで弾を落としたのかもしれません」

 「なあ。そろそろ受け入れたらどうだ?」

 「何をですか?」

 少女は困惑した様子で言った。

 これまでの少女からは想像できないほど、弱々しい表情だった。

 「その銃にはもともと弾なんて入っていなかった。いや、入れる気もなかったんだろうな。君の父親は」

 僕は言った。

 「君の家族は君を駒にして、金を集めていた。君はさっき自分で話していたじゃないか。明らかに君の話からは家族の君への愛情がうかがえないんだ。一番苦労しているのは君のはずだ。それなのに、君はまともに食料さえ与えてもらえない。おまけにその銃だって、君がどんな極悪人を相手にするか分からないのに、弾の一つさえ入っていなかった。家族は君を死んだってどうでもいい、と思っているんじゃないか?」

 「そんなこと…」

 「そんなことない、そう言い切れるか?」

 僕が訊くと、少女は黙り込んでしまった。

 「もう一度言う。君は家族のもとに戻るべきじゃない」

 「それなら、どうすればいいんですか?」

 「安心してくれ。僕にいいアイディアがある」

 

 街に着くと、僕らは道路傍に停めてあった高級車を盗んで、それに乗り込んだ。

 「どこへ行くんですか?」

 「どこか遠くさ」

 「どのくらい遠くですか?」

 「さあ、だが君が歩んできた悲劇に比べれば、このくらい短いもんさ」

 途中でCDショップに寄り、中古のCDを買った。SUPERCARのベストアルバムだ。埃が被っていて、ジャケットと歌詞カードはびりびりに破られていた。

 僕はそれを運転席のプレイヤーに入れ、流した。

 「最初に会った時にも思っていましたが、この曲好きなんですか?」

 助手席に座る少女が言った。

 「ああ。お気に入りなんだ」

 「そうなんですね。私も好きなんです、この曲」

 私たち気が合いますね、と少女は微笑んだ。

 喉が渇くと、トランクに積んであった飲み水を飲み、小腹が空くと、そこにあったパンを口にした。鳩にあげるのを想定したような、ぱさついた味のしないフランスパンだった。

 一旦停止と書かれた標識の真下を高速で走り抜ける。

 「自由になろう」

 僕は言った。

 「どう言う意味ですか?」

 少女は不思議そうに首を傾げた。

 「そのままの意味さ。君は今から自由になる。君はどこへでも行ける。もう誰かの言うことを聞く必要はない。もう誰かのために自らを危険に晒すような真似はしなくていい。ただ、単純に自分自身を生きればいい」

 「でも、私何をしたらいいか分かりません。どこへ行けばいいか分かりません」

 「困ったな」

 僕は言った。

 「はい。困りました。非常に困りました」

 少女が言った。

 「なので、お兄さん。困っている私を助けてください」

 「もし断ったら?」

 「許しません。少女が困っているんですよ。手を差し伸べるのが常識ですよ?」

 「ということは今、君には僕がとんでもなく薄情なやつに見えているわけか」

 僕はそう言って笑った。

 「そうですよ」

 少女も笑った。

 

 夜になると、車を道路の端に寄せ、僕らは星空を眺めた。

 少女は車の屋根に上り、僕はフロントガラスに寄りかかり、大三角形を見つめた。

 これから、僕らはどうなるのだろう。

 僕は少女に正しく生きていってほしい。

 僕は少女に幸せになってほしい。

 その幸福に僕は不必要かもしれないが、僕はその手助けがしたい。

 目の前を、流れ星が通り過ぎた。

 僕は願い事を考えた。

 だが、見つからなかった。

 僕は今、幸せだった。

 幸福だった。

 だから、そんなもの見つからなった。

 これ以上の幸せなんて。

 後になって、僕はそのことをひどく悔やんだ。

 願っておくべきだった。

 僕の、そして少女の幸せを…

 次の瞬間、背後でバンッという鈍い音がした。

 振り返ると、屋根にいたはずの少女の体が、フロントガラスを滑って、僕のそばの地面に落ちてきた。

 「おい、いったい何があったんだ」

 少女の体を見ると、首元に銃弾が打ち込まれていた。

 僕は少女を抱えたまま、あたりを見渡した。

 だがしかし、周りには誰もいなかった。

 「冗談だろう…」

 喉がからから、になりうまく唾を飲み込むことができなかった。

 僕は少女の体を揺さぶった。

 「なあ、起きてくれ」

 返事はなかった。

 「なあ、おい」

 返事はなかった。

 「頼むからさ、こんな酷いことしないでくれよ」

 少女は動かなかった。

 「どうして、君が死んで、僕が生き残る? 君はもっと生きるべきだ。君はもっと笑って、歩いて、夢中になって、楽しむべきだ。こんなところで死ぬべきじゃない」

 僕は涙を流しながら、少女の上着から銃を取り出した。

 「僕もそっちへ行く」

 ゆっくりと引き金を引いた。

 銃弾が体を貫き、もう助からない量の血液が溢れ出て、咳き込んで、吐血して、

苦しみながらも僕は少女の後を追う。もう一度君に会いに行く。

 だった。

 弾は出なかった。

 もう一度

 もう一度

 もう一度

 何度も、何度も、何度も、何度も、僕は引き金を引いた。

 だが、弾が出ることはなかった。

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