彼女は雨に濡れるのを嫌った

@unfortunately

第1話

7月も終わりに近づいた頃、最寄り駅までの道のりはまさに灼熱地獄の様相を呈している。

「で、初デートの行き先はどこなんだ?」 

一緒に帰っている友人の千葉がつぶやく。

「高校生のデートって、どこに行けばいいんだろう、小学生でもないから公園っていうわけにもいかないし」

「遊園地なんてどうだ?俺は、この前紗希といって楽しかったぞ。」

千葉が自慢げにそういう。千葉は彼女である福島紗希の映る写真を度々アップし、その度に学年中の男子から物議を醸しているが当人は特に気にしていない。

「福井って何が好きなんだろうな。」その言葉はアイスと共に暑さで溶けた。


駅ビルに入って日差しを凌ぐことができれば、いくらか涼しくなるだろう。俺と千葉は足を早めた。駅はまだ遠い。千葉は溶けて棒から落ちたアイスを手でカバーしながら話し続ける。

「でも福井ってなんかいまいちパッとしないよな。勉強はできるけど他はって感じで」

その特徴は、大体の教科で高得点を取る真面目な女子、かといって勉強だけがお友達でもない。休み時間になれば女子の輪の中にいるが、特段仲の良い女子がいるわけではない。クラスでも浮いていることは決してないが、クラスみんなから気に掛けられる存在かと言われればそうではない。そんな世にも珍しい人間である。まるでそう生きることが宿命であるかのように、福井は中の中を生き続けていた。

「あれいつから福井のこと好きになったんだっけ?」

福井のことが気になりだしたのは球技大会の打ち上げの時だ。うちの学校には5月に球技大会があって、その帰りに行くカラオケで青春の1ページを作ることができる。だがそれはカラオケに誘われれば、の話であって、参加できるのはクラスの一軍だけなのだから、もちろん俺と千葉のような帰宅部は参加させてもらえない。一軍たちに誘われなくても別のグループで遊べばいいのはみんなわかっているのだが、なんとなく悔しいような、でもわかっていたような気がしてトボトボと家に帰るのがお決まりコースなのだ。それは別にうちのクラスがどうとか、学年がどうとか、そういう話ではなく、伝統というか、校風みたいなものなのだ。しかし今年はそれに反旗を翻した者がいた。山口ひまわり。クラスの有力者であることは間違いない。少なくとも俺や千葉、福井よりは。

「あーあの伝説の復縁カラオケの時ですか」

復縁という言葉が出た以上説明しておかなければならないが、お察しの通り、俺とひまわりは少しだけ付き合っていた期間がある。付き合っていたと言っても小学生の頃、お遊びみたいなものである。幼馴染だった俺たちは必然的に同じ小学校に入り、そのままずるずると高校まで同じ学校で育ってきている。そういえば球技大会の後もこのカラオケだったなと思う。何を思ったのかひまわりは一軍の打ち上げに誘われていない男女にひたすら声をかけまくり、結局10人くらいが集まった。その中に福井もいたのである。



「ねぇ健太これ一緒に歌おうよ」ひまわりが話しかけてくる。俺たちは付き合っていたにも関わらず名前で呼び合っている。今年、小学校の時ぶりに同じクラスになった。最初の頃は気まずかったが今更呼び方を変えるのも変だし、なんとなくそのままになっている。

ひまわりが入れたのは最近流行りのデュエット曲。わざわざ俺とデュエットでラブソングを歌わなくてもいいだろと思っていると、案の定千葉が、

「お?復縁か?」といつもの調子だ。

「やめてよー、千葉くーん」と言いながらひまわりは満更でもなさそうだった。ひまわりはなぜかずっとこっちを見ながら歌っていた。


歌った後、ドリンクバーに飲み物を取りにいった関係で座り順が変わり、俺は福島の隣になった。

「長野くんって、ひまわりちゃんと付き合ってたの?」と福島に聞かれた。

なかなかストレートに聞いてくるな、と思いつつ、

「あぁそっか、福井って高校からうちの学校きたもんね、そりゃ知らないわ。小学校の頃ね。幼馴染だったから。まぁ小学校のうちの付き合うなんてお遊びって感じだけど」

「そうなんだ。長野くんって恋愛に興味ないタイプの人かと思ってた。」

その時、福井の笑顔を初めて見た気がした。今まで注目してみたことがなかったから。案外可愛い子だなと思った。

「俺そんなふうに思われてたの?逆に恋愛体質だと思われるよりはいいけど。」

話していると聞こえてきたのは俺の好きなバンドの曲のイントロだった。「誰の曲?」「知らなーい」そんな声があちらこちらから上がる。まだ人気がないからしょうがないか。

マイクを握ったのは福島だった。

ピアノだけの静かなイントロが終わるといきなり賑やかな曲になる。このバンドのお決まりのパターンだ。福島の顔が生き生きとしていた。本当に好きなんだろうな。そう思った。心なしか嬉しかった。それはファンがこんな近くにいたから、というよりは福井だったからなのかもしれない。

「福井ってシャルク好きだったの?俺もめっちゃ好きなんだよね!」

自然と熱がこもってしまっていた。「Shall we clean」略してシャルク。なぜか掃除。

「そうなの!私も大好きなの、この前ねライブ行ったの、写真見せてあげる、これこれ」

スマホに映るのは、ペンライトを握る福井と、初老の男性だった。

「あれこれってお父さん?」

「そうそう、お父さん。この歳で、父親とライブに行くなんて恥ずかしいよね。」

「いやいや、そんなことないよ。」

何の曲が一番好き? あのギターかっこいいよね、そんなたわいもない話はカラオケだけでは足らず、メッセージのやり取りを始めた。ファンが集まればこうなるものだろうか。それとも気付かぬうちに饒舌になってしまっているのだろうか。運命的な出会い、という言葉が浮かんでバカバカしくなり、スマホを閉じた。



僕からの見方が変わっただけで、その後も福井のクラスの中での立場はそのままだった。だが、あのカラオケの日からひまわりが俺に学校で頻繁に話しかけてくる上に、毎日のようにメッセージを送ってくる。「ここの問題わかる?」「明日の授業ってなんか持ち物あったっけ?」その程度ならまだ良い。

「健太、最近真紀ちゃんと仲良いよね? 好きなんじゃないの? 応援してる」

「真紀ちゃんと健太ってなんかお似合いだと思う! 幼馴染が言ってるんだから確かだよ」

これまで全く俺の恋愛に興味を示さなかったひまわりがここまでいってくるのは珍しい。好きな人すらできなかったから興味も何も、という話ではあるが。変に話を広げたくないので、ただ「ありがとう」とだけ返した。


テストも近づいたある日の帰り道、いつものように千葉と帰っていると、不意に千葉が

「そろそろデートに誘ってみたらどうだよ」と聞いてきた。

「デート?」

「テストが終わってからでいいから。高二の夏、青春しないでどうすんだよ」

「それもそうだよな。確かにあのカラオケ以降福井と直接話してないしな。」

「だってもうお前完全に福井のこと好きじゃん?」

こいつまでひまわりみたいなことを言うのか。

「うるさいな。誘えばいいんだろ、うち帰ったらメッセージ送ってみるよ」

「ダメだ、今ここで誘え。俺が見届けてやる」

「お前に見届けられたくないから家でやるんだろうが」

「見届けたくないとは失礼な。嫌なら彼女持ちの俺が代わりに送ってやろうか。」

「やめろよ。送ればいいんだろ。」

とはいうものの、やはり女子を遊びに誘うというのは緊張する。ひまわりと別れてから、大勢で遊ぶことはあっても女子と二人で遊んだことはなかった。悲しい人生だなと思いつつ、福井に送る文章を考えた。

結局あーだこーだ言いながら二人で考えた、「テスト終わったら二人で遊ばない?」を福井に送った。早く既読がついてほしい。しかし、なかなかつかない。結局、返信がきたら教えることにしておいてその日は千葉と分かれた。


家に着くと珍しく母がいた。両親が共働きの家庭にとって、帰った時誰かがいるのは珍しいことなのだ。

「あ、おかえり。パスタでいい?」

「え、また?」

「この前は塩味、今日はミートソース。別物だよ」

「わかった」

特に見るあてもないがテレビをつける。それと同時にスマホを開くと、学校からメールがあった。「AIツールを用いて課題やレポートを作成するのはルール違反です!」そういえば千葉もこの前怒られていた。そんなことを思っていると通知が来た。福井からだった。

「私もそろそろ遊びたいなって思ってた!」

思わぬ返事ににやけてしまったのか、お母さんに

「何ニヤニヤして、女の子?」と聞かれた。

「まぁ」

「まぁって、健太も早いとこいい子見つけないと独身貴族になっちゃうわよ」

ミートソースの匂いがしてきた。あまり早く返すのも気まずいから、ご飯を食べ終わってからにでもするか。



結局、千葉のすすめに従って遊園地に行くことにした。最寄り駅から私鉄を乗り継いで、朝の9時に遊園地についた。夏休み中にも関わらずとても空いていた。午後からの雨予報のせいだろうか。すでに福井は到着しているようだった。電話を繋いでお互いを探し合う。結局思ったよりも会うまでに時間がかかってしまい、入園ゲートにはすでに長い列ができていた。

「結構並んじゃってるね。」

「そうだね、福井、暑くない?」

夏真っ盛り。山の中腹にあるとはいえ暑さは厳しかった。

「優しいね、長野くん」

唐突に褒められ、さすがに照れた。福井は汗ひとつかいていないようだった。

「そんなことないよ」

たわいもない会話をしている時間がとても幸せだった。このままずっと並んでいるだけでいいのにと思った。


二十分ほど並んで入園して、とりあえずジェットコースターとコーヒーカップに乗った。それぞれのアトラクションに並んでいた時間が長かったからか、あっという間にお昼を食べるのに良い時間になった。

「なんか食べる?」

「いや、私はまだお腹空いてないからいいや」

「じゃあ、かき氷でも食べれば?暑いしさ、さっきから福井飲み物も買ってないし」

「そういえばそうだね、まぁとりあえずレストランに行ってみようよ」


結局福井は何も食べなかったし何も飲まなかった。

「本当に大丈夫なの?」

「うん、平気平気、女子にそんなしつこくすると嫌われるよ?」

「嫌われたら困るけどなー」

あぁその笑顔。やっぱり可愛いなと思う。

「あ、雨だ」

「本当だ。俺傘持ってくるの忘れちゃった、やばいな」

雨予報を見ていたのに忘れるなんて、思ったより緊張しているのかもしれない。

「私が大きい傘持ってるから大丈夫だよ」

福井がバッグの中から取り出したのは折り畳み傘、かと思いきや、広げてみると人二人が入っても広々としているくらいだった。意図せず相合傘になり、ラッキー。

女子はそんなに濡れることが嫌なのだろうか。不思議なものだ。


午後は屋内のアトラクションで楽しんで、日が暮れるくらいには遊園地を出ることにした。かなり長い時間が経ったが、それを全く感じさせないほど楽しかった。

「福井、どうやって帰るの?」

「実は私、お父さんに車で家まで送ってもらうの。」

「そうなの?じゃあもしかして行きも車できたの?」

「うん」

「なんだ、言ってくれればよかったのに。でもお父さんなんてちょっと怖いな。俺と遊びに行くって言ったの?」

「そうしないとうち遊びに行けなくて。」

子供心に娘に対して父親が過剰なほどの心配を抱く気持ちはよく理解していた。


「真紀、ここだここだ。結構遅くまでいたんだな」

遊園地の出口を出ると、一人の初老の男性が近づいてきた。どこかで見たことのあるその顔、間違いない。福井がカラオケで見せてくれたお父さんの顔だった。しかし、60歳はゆうに越しているであろうその男性を見て、ここまで歳が離れていると心配し過ぎてしまうのかもしれないなと思った。

「君が千葉くんか。千葉健太くんだね。」

フルネームを把握されているのには流石に驚いた。福井が言ったのだろうか。

「今日は娘と遊んでくれてどうもありがとう。だが今度はもう少し早くに解散してくれるとありがたいのだが」

「はい、すみません。でもどうして僕の名前を?」

しかし福井のお父さんはそれを遮るように

「それじゃ、失礼するよ。」と言って福井を連れて足早にさっていってしまった。

それにしても福井はなぜ父親が現れた瞬間黙ってしまったのだろう。友達と父親が同時にいる気恥ずかしさはあったとしてもさよならぐらい言ってくれてもいいのに。そのまま親子はロータリーに止めてあった黒塗りの高級車に乗った。福井ってそんなにお嬢様だったっけ。なんだかスッキリしない気持ちで歩き出し、駅に向かった。車の動き出す音が聞こえる。


お風呂から上がると「今日はありがとう」とだけ福井からメッセージが届いた。いつの間にかお父さんも帰って来ていて、時計を見てみると11時だった。家族3人が揃うのはいつもこの時間だ。

「健太、この写真みて、今お父さんと話してだけど、懐かしいわよ」お母さんが言った。

「これ、ひまわりちゃんだよな」今度はお父さん。

「こんな古い写真出さないでよ、恥ずかしい。」

そこには保育園の運動会の時に仲良くポーズを取り合う俺とひまわりの写真があった。

両親は俺とひまわりが付き合っていたことを知らない。ただの幼馴染だと思っている。

「また同じクラスなんだろ?これって運命なんじゃないのか。」

「私はね、この子は将来可愛い子になるって思ってたのよ、この前保護者会の時に見たらびっくりしちゃった。」

両親はさらにアルバムをめくり続けている。

早く福井のメッセージを返したいという一心で、こっそり自分の部屋に逃げ込んだ。捕まれば何分話すことになるかわかったものじゃない。


数分考えてから、「こちらこそありがとう、楽しかったよ」と送った。

毎回シンプルでは薄情だと思われないだろうか。

「また遊ぼうね」

まさかの一言に気持ちが弾む。なかなか眠れなかった。



映画に行こうと誘ってきたのは福井の方からだった。ホラー映画。夏にぴったりだ。もしかして向こうも、なんて甘い期待を抱かずにはいられなかった。

その映画は都心の映画館でも上映されているのに、なぜか指定されたのは各停しか止まらないような寂しい駅の映画館だった。

「長野くん!」待ち合わせ場所である駅の北口にはすでに福井がいた。人影はまばらなのにやけに車が多い。気のせいだろうか。映画館は駅からすぐだった。8月末とはいえ、まだ暑さのトンネルから抜ける日は見えない。あの炎天下の中を長い時間歩かなくて良いというだけ、いくらかマシだ。

「おはよう。もうそんな時間でもないか。今日もお父さんに連れてきてもらったの?」

「うん、まぁね。それよりもさ、この映画ちょっと怖そうじゃない?」

まるで父親のことは話したくないようだ。まぁしょうがない。

「そうだね、俺も怖いのはちょっと苦手だなー」

「そうなの?二人で怖がっちゃ意味ないでしょ」

今日も福井はポップコーンも飲み物も何も買わずに席に座った。


遡ること二日まえ、千葉に会おうと言われた。なぜか福島も付き添いで。

「千葉、なぜ彼女同伴なんだ?」

「まぁナガケン怒んないでよ。言いたいことがあったのは私の方だったから。」

福島が言った。長野健太、だからナガケン。

「私聞いちゃってさ、ひまわりちゃんの件」

「ひまわりの件?」

「うん、ひまわりちゃんさ、あのー真紀ちゃんか。ナガケンが遊園地行った子。あの子の悪口すごい言ってるんだよね。」

「え、真紀の?」

咄嗟に名前呼びしてしまった。本人の前でも呼んだ事ないのに。

「お、長野選手、もう名前呼びするような関係なんですか?」

と千葉。

「うるさい、でどんな悪口?」

「いや、それがさうちの彼氏とナガケンで二股かけてるって」

「は?、あの子はそんな子じゃない。もし千葉のことを好きなら悪いのは千葉だ。」

「俺は何もやってないって!」

「うるさいわ二人とも。知ってる、うちの彼氏そんなんじゃないし、第一浮気でもしてたらこんな男すぐ捨ててやるわ」

「ちょっと待ってくださいよ、咲希さん」

流石に千葉も自分に飛び火するとは思っていなかったらしい。

「ともかく、あの子、なんだっけ、あ、真紀ちゃんにひまわりちゃんすごい嫉妬してるよ。だから気をつけてねっていうかなんていうか」

そんなに真紀という名前が覚えられないものだろうか。中の中だからか。

「ありがとう福島。でもこれに関しては俺は何もできないよ、やめてって言えるわけないし」

「それが違うんだよ、長野、俺の提案を聞け、お前次のデートで告白してみたらどうだ?」

「いやいや、まだそんな。」

「大丈夫だって、絶対脈アリだから。その子。だって遊園地誘ったのはナガケンで、映画向こうから誘ってきたんでしょ?じゃあ大丈夫だよ、ね?」

「付き合っちゃえば山口も諦めがつくんじゃねぇのか、彼女持ちを狙うわけにもいかないもんな。」

協力体制を組まれたらこの二人には勝てない。なぜなら、いつも提案には一理あるからだ。


映画は終盤、数多くの都市伝説が囁かれている村に主人公たちが足を踏み入れるシーン。夏休みとはいえ、異様なほどガラガラの映画館がさらに怖さを増す。不意に福井の肩が触れた。手を繋ぐなら付き合ってからの方が良いということはわかっていた。しかし、ここだと思った。彼女の手に触れる。彼女の手は氷のように冷たかった。

「長野くん?」

「あ、ごめん。手繋いでもいい?」

手を握り直そうとしたその時、映画が止まり、電気がついた。


「あれ?どうしたのかな、映画止まっちゃったよ。」

福井は何も喋らない。相変わらず手は冷たい。

「長野くん」

声をした方を振り向くと、見覚えのある顔がそこにはあった。福井のお父さんだった。

「実験に協力してくれてありがとう。」

友人の父から発せられる言葉として想定外すぎて言葉も出なかった。

「驚かないで聞いてほしい。君が好意を抱いているその横にいるのは、福井真紀という人間でなくアンドロイドなのだ」

「え?」

「福井のお父さん、何言ってるんですか。あなたの娘でしょう?それをアンドロイドなんて」

思わず笑顔が溢れた。福井がアンドロイド?そんなことはない。

「では袖を捲ってみなさい」

現れたのは銀色の金属だった。時が止まったようだった。何もいえず、何も考えられない。先ほど男が呟いたアンドロイドという言葉が耳の中を通り抜けていく。だが脳はその言葉を読み取ろうとしない。

「いや、でもこれは何かの、その」

言葉にならない空気の振動。そして沈黙。福井との短いながらにたくさんの思い出が脳の中にフラッシュバックされていく。

「やっとわかってくれたか。従ってそれは私の子供ではない。ただ私が開発したことだけは確かだがな。」男は淡々と語る

「いや、でも顔も体も人間じゃないですか。話すし。正真正銘、福井真紀です。僕たち遊園地にもいってるんですよ?学校も同じなんですよ?」

「まぁ信じられないのもわかる。ただそっくりでも違うものも、言葉をしゃべるアンドロイドもすでにこの世の中に存在するじゃないか。これを見せてあげよう」

男の手の中のタブレットには、福井とした全ての会話と、俺とのメッセージのやり取りが表示されていた。

何も言い返せない。脳はもう言葉を処理できないようだ。しかし男は構わず続ける。

「君はAIやアンドロイドが身の回りにどれだけ蔓延っているかわからないのか。どうせ君も学校の課題をAIに頼ってやっているのだろう。馬鹿馬鹿しい。もうAIが人間に利用されるだけの時代は終わるべきなのだ。人間のように会話ができるAIもあるし、本物の人間のような顔や体を作り上げられる日本のロボット技術もあるだろう。それなのにAIは人間に支配され続けている。そろそろAIと人間が共存する時代が来るべきなのだ」

頭では男の理論が全て正しいことはわかっている。ただ心はそれを認めようとしない。こうなったらもう本人に否定してもらうしかない。

「真紀!なんか言ってくれよ。ずっと黙ってないでさ。俺との会話や思い出は全部嘘だっていうことなのか? どうなんだよ真紀」

「もうそいつは喋らない。」

自然と涙が溢れていた。言いたいことはたくさんあるのに、それが言葉になることはない。

男は感情もなく話し続ける。

「私はね、国のプロジェクトの一環で、AIを搭載したアンドロイドが普通の人間と一緒に生活できるかを研究しているのだよ。君も少子高齢化という言葉くらいは知っているだろう?日本は世界的に見てもかなり危機的な状況だ。このままいけば街中に老人たちが溢れかえる。そうすれば、社会保障費はバカにならない。そうなってしまえばこの国は終わりだ。だからこそAIを人間たちと同じように生活させ、働かせ、税金を納めさせる。そうすれば国内のたくさんの問題を解決に導ける。だが、それの一番の障壁となるのは恋や人間の心の動きだ。アンドロイドは恋をしない。たとえプログラムの一環で他人を愛するような言葉を喋ったとしてもそれはただの文字の羅列が音声ソフトを通っているだけに過ぎん。それに気づいた時人間は再びアンドロイドを軽蔑し、支配の対象に戻そうとするだろう。だからこのアンドロイドに搭載されているAIは日本全国の膨大な数の女子高生の身体構造から考え方まで全てを搭載し、その平均値で行動している。日本人は何かができないことを極端に嫌うからな。そのようにして、人はいつどのようなタイミングで恋に落ち、それを行動に移そうとするのかを研究していたのだ。君はその相手役に選ばれたのだよ。」

気がつくと男は俺の隣に腰掛けていた。


「これからどうするんですか?」

「これからというと?」

「人が恋に落ちる瞬間を研究していたのなら、もう実験は終了ですよね。」

「君を対象とした実験はもう終わりだ。ただこのAIと君のデータを活用し、さらに研究を進めていくよ。AIは何百人でも何千人にもなれる。そして何年でも生きられ、開発してしまえば必要なのは電気だけ。人間と比べても何とも合理的じゃないか。」

「じゃあ真紀はもう死ぬってことですね。」

「まぁ、そういうことになるな」

「真紀をもう一度だけ、1ヶ月でも1日でもいい。生かすことはできませんか?」

目を開けたまま硬直している真紀を見つめる。たとえ人であろうとなかろうと、そこにいるのは愛する福井真紀なのだ。

「なんだ、君はそんなに好きになってしまったのか。たかがアンドロイドを」

「無理と言われれば、今すぐ警察に通報します。」

「ははは、脅迫かね。だがそんなことに意味があると思うかい?君が警察に恋人がアンドロイドだったと通報したところで笑われるだけだぞ。だが私もそんなに悪人じゃない。いいだろう、恋人がアンドロイドだと知ったあとの人間の反応も実に興味深い。あと1週間にしようじゃないか。夏休みとともに消える恋人というのもロマンチックだ。」

男は寂しい目をして笑った。

「元々、福井真紀という人物は2学期からは転校した扱いにしようと思っていたのだ。では8月31日にアンドロイドを回収することにしよう。それと君がもし誰かにこのことを伝えようとすれば、どうなるかわかっているね。今の段階でこのような実験が行われていると国民に露呈してしまえば、国民を不安に陥れることになり、結果的にAIへの支配がさらに強まってしまうだろう。そうなった時には、私は君を放っておかないよ。」

男は寂しい目で笑い続けていた。



とにかく会えるだけ真紀に会おうと思った。アンドロイドだったとしても、好きなのは間違いない。そして1週間後には消えてしまうのも。8月最後の1週間は文化祭の準備が学校で始まる。それに真紀と行こうと思ったのだ。

何となく遊園地の日を思い出させる午後からの雨予報。傘を持って行くか悩んでやめた。この際周囲の目などどうでも良かった。俺たちが話す様子を見ると、2人の変わりぶりに周囲の多くは驚いた。千葉たちには付き合ったのだと話した。千葉は自分のことのように喜んだが、福島は少し不安げだった。皮肉なことに真紀は話を合わせるのがとても上手だった。日が傾いて来た。もう1日が終わってしまう。あと6日しかない。

「長野くん、手洗ってくるね」

「わかった、いってらっしゃい」

僕たちのクラスはお化け屋敷をやることになった。なぜか僕たちのクラスは熱量がすごく、雨で部活が中止になったから渋々来た、と言うやつらを合わせればクラス全員が準備に参加していた。


終礼10分前を知らせる放送がなった。

「おい、福井どこ行った? さっきまでいたよな」と千葉。

「え?水道で手洗ってくるって言ってたけど」

「だって水道の前通ったぞ。」

まずい、言葉よりも先に体が動いていた。衝動的に、何かまずいことが起こっていると察した。あの男か。それとも。外は昼からの大雨が止む気配はない。


いない。どこにもいない。無い体力を振り絞って走る。まずい。何かが起こっている。この雨の中、福井が外にでもいようものなら。真紀は機械なのだと改めて実感した。その時、見覚えのある人影が体育館から出てきた。

「おい、ひまわり!」

ひまわりは抱きついてきた。

体育館の倉庫の裏。あそこだ。ドアを揺さぶる音が聞こえる。

「真紀、真紀!今開けるから!」

ドアを揺さぶる音が聞こえる。

「もうちょっとの我慢だから!頼む!」

ドアを揺さぶる音が止んだ。

ドアを蹴って開ける。なんとか助かってくれ。

「おい!聞こえるか!真紀!」

体育館の中に入れて水を拭く。すでに周囲には異変を察した生徒の人だかりができていた。その中に保護者証を下げる男の姿もあった。

「健太、私も人間になりたかったな。」

目を開けたまま、真紀は真紀でなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女は雨に濡れるのを嫌った @unfortunately

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る