取り合い ~ 建築王は死して何を残す?

小石原淳

取り合いは獲り愛?

 建築王と呼ばれた男・梶原三太かじわらさんたが齢八十を迎え、病にむしばまれた。

 三男坊とあって若くして家を出た梶原は、大工の見習いからそのキャリアをスタートさせ、途中何度かの幸運に巡り会い、それより若干少ない不運に見舞われながらも財を築いていった。

 そうして蓄えた資産により、現在考え得る最高の医療を受けるも最早、彼の命は持ってあと半年という段階まで来てしまった。

 日に日に衰え、ついには記憶や頭の血の巡りまで悪くなってきた節が見受けられた。

 問題は――残される家族にとっての問題は、梶原三太が遺言を書いていないことであった。

 梶原には妻がいたがすでに先立たれており、彼女との間にもうけた三人の子供が、遺産分与の対象となる。

 長男の宜也たかや、次男の宜和のりかず、長女の美宜みのりは特別に不仲という訳ではなく、さりとてベタベタとした仲良し関係でもなかった。

「私が一番多くもらう権利があると思うんだけど」

 三人だけで屋敷の一室に集まり、話し合いがもたれた。資産の取り合いになって、醜く争うことは誰もが避けたかった。口火を切ったのは美宜だった。

「どういう理屈だ、それは」

 長男の宜也が顔をやや紅潮させて聞き返した。

「兄さん達は二人とも、父さんのあとを継ぐ道を蹴って、幾ばくかのお金を出してもらってそれぞれ好きなことを始めたでしょ。その点、私は家に残ったわ。家を継いだことプラス兄さん達には生前分与が行ってると見なして、ここは私が多めにもらって当然よ」

「何を言ってる。ようく考えるんだぞ」

 宜和が諭すような調子で言った。

「継いだと言ってもおまえじゃない。おまえの旦那が継いだんだ。それも若死にしてここ十年ほどは、親父がフル稼働してた。あれが身体によくなかったんじゃないか」

「何よ。父さんの病気は私のせいだって言うの?」

「ああ。世界的な不景気という不運があったことは認めるが、一時、会社の業績が滅茶苦茶落ち込んだのも、おまえの旦那の力不足が原因の一端だろう。その頃から心労が蓄積していたんじゃないか、親父は」

「馬鹿なこと言わないで。あれはどうしようもなかったと、父さんも理解してくれていたわ。揚げ足取りをするのなら、宜和兄さんの芸術活動とやらも浮き沈みが激しくて、まるで壊れかけのジェットコースターじゃないの。最近また資金繰りが苦しいから、お父さんの面倒を看て取り入ろうとしていたんでしょ」

「面倒を看てきたことを評価しろよ」

「二人ともやめないか」

 宜也が取りなす。顔が紅潮したまんまなので、宜也もまた興奮しているよう見え、あまり説得力がない。

「親父が亡くなったあとのことを冷静に考えてみろ。会社をまとめるのは誰がやる? 梶原家の誰かが社長の座に就くべきだとは思わないか」

「そんなこと言っても、私も兄さん達も建築のことなんて全然分からないでしょ。血筋優先で継がせるのなら、由貴よしきの成長を待ってちょうだい」

 自分の子供の名前を挙げた美宜。すぐさま兄二人は苦笑した。

「まだ中学何年生かだろ? 待てんよ。というか会社の連中も黙って見ちゃいないぞ」

「建築に興味はあるようだが、今の時点なら私の方がはるかに上だ」

 宜也が言い切ったのには、一応理由がある。大学卒業後にしばらく父の会社に勤めた実績があるのだ。だが食に携わる仕事に就きたい気持ちが強く、二年で退社していた。

「今の私なら、食と建築を融合させた空間を生み出せる。会社に新風を吹き込む自信がある」

「二年かじった程度で偉そうに」

「それこそ会社の重役連中に鼻で笑われるぜ、兄さん」

 かような具合に、意見をまとめるつもりの話し合いがこじれ、状況は逆にひどくなった感があった。

「このままじゃあ、らちがあかない。こういうのはどうだろう」

 長男が赤い顔を若干、肌色に戻して提案を始めた。

「親父の体調がいいときに、親父の意見を聞くんだ」

「うーん、確かに調子がいいときがあるにはあるんだよな」

「あら。乗り気ってことは、父さんが意識しっかりいしているタイミングなら、自分の味方をしてくれるという自信があるのかしら?」

「混ぜっ返すなよ。おまえだってあとを継いだことを強みだと思ってるんなら、親父にアピールすればいいじゃないか」

「……それもそうね。受け継いだ当初、業績をぐっと伸ばしたのは紛れもない事実なんだから」

 意外とあっさり、提案は通った。


 だが、実行に移されるにはしばらく掛かった。

 梶原三太の調子がよいと医師が認めた日で、かつ三人の子供達及び証人としての顧問弁護士が時間を取れる日時となると、なかなか揃わなかったためだ。

 結局、子供らと弁護士が集まれる日を何日か候補として先に決め、その前日の梶原三太の体調を医師が判断してゴーサインを出すか否かという段取りが取られた。

 こうしてようやく始められた梶原三太からの意見拝聴であるが。

 宜也、宜和、美宜の順番にそれぞれの主張を述べ終え、梶原の意見をいよいよ聞こうという段になって、若干の変調を来したのだ。

 つい先ほどまでぴんしゃんしており、子供達の話にもしっかりうなずき返し、ときに思い出話にふけるほど目に光を宿していた。なのに、一転して険しい目つきになって理由も分からず怒りっぽくなったり、聞いたばかりの話を忘れてしまったりと、雲行きが極めて怪しくなったのだ。

「これは……どうします?」

 弁護士がへし口を作って、三人に問う。

「個人的には、金城きんじょう先生を呼んで診断してもらうのが先決じゃないかと思いますが」

 あいにくとかかりつけの医師は、都合がよくないため、この場に同席していない。呼ぶにしても相当時間を要すると考えられた。

「まだ完全におかしくなった訳じゃないんだ」

 宜也が言った。

「一応、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか」

「そうだな。こうしてまた集まれるのがいつになるか、それまで親父が保ってくれるかどうか見通しが立たないんだし」

「あくまで参考程度にとどめるのであれば、私も異存はないわ」

 これまた簡単に意見の一致を見た。とにかくどんな形であれ、父親の考えを一度は聞いておきたいという三人の気持ちの表れと言えるかもしれない。

「お父さん。あとのことは僕らに任せてくれ。ただ、僕らが勝手に決められないこともいっぱいある。梶原家の財産をどうするかとか、会社は誰に舵取りさせるかとか」

 代表する格好で宜也が聞いた。言葉遣いは穏やかだが、気が急いているのか早口になっていた。

「んあ」

 口を開けた拍子に勝手に出たような音だか声だかで、梶原はまず反応した。

「ま~いいんじゃないの」

「いいってどういう意味ですか。何がいいのかはっきり仰ってください」

 子供らが台詞が重なるのもかまわずに言い募り、父の病床に詰め寄る。梶原はにかっと笑った。

「いい、いい」

「ですから! 誰の話が一番よかったんですか?」

「いや、つまらん」

 ころっと態度が変わる。いや、態度は相変わらずにこにこしているのだが、話す内容が変わったようだ。

「どいつもこいつも聞くに堪えん、退屈な話を聞かせよってからに」

「く~っ、だめだこりゃ」

 宜也がさじを投げるようなことを言ったが、宜和はまだ粘った。

「理解しているときもあるみたいだ。――なあ、父さん。資産は僕ら子供達で三等分にすべきか、それとも差を付けるべきかどっち?」

「そうさな。最終的には平等なのがよかろ」

「最終的にっていうのは、生前分与をきちんと計算に入れろということですね、お父さん?」

 イエスの返答を強要する勢いで、美宜が声を張る。

 しかし梶原は首を横に振った。

「いやー、どうかな。貨幣価値っちゅうもんを考えに入れると難しいのう。時代によって変わってくる」

「そんなことを言っていたらいつまで経ってもまとまらないのよ」

「まとまる?」

 また別の変調を来したか、きょとんとする梶原。黙って見ていられなくなった弁護士が口を挟んだ。

「そうですよ、梶原三太さん。あなたのお子さん達が争わずに済むよう、資産の分配をきれいにとりまとめたいのです。ご意見があれば仰ってください」

「必要あるか?」

 ぞくりとする低い声に、子供らは一瞬、気圧された。弁護士が続けて応対する。

「必要ありますよ。このままだと、お子さん達は財産の取り合いを演じることになりそうです。取り合いをしていいとお思いですか? 思ってませんよね、梶原さん」

「取り合い……ああ、取り合いね。大いに結構。取り合いしろ」

「ええ?」

 思いも寄らぬ言葉に弁護士を含めた四名は声を上げた。彼らの驚く表情がおかしかったのか、梶原は手を叩くようなそぶりをし、声を立てて笑った。その笑いがぴたっと止むと、真顔になり、元気な頃の声で言い切った。

「取り合いはしろ。これで決まりじゃ」

 まったく予想外の意見を出され、子供達三人も弁護士も顔を見合わせてしばらく無言だった。


             *           *


 病床の梶原は、初めて自分の家を建てたときのことを思い出していた。当然、自らが設計したのだが、妻の意見もなるべく入れようとした。揉めた一つが、ベランダから庭に出るスロープのデザインだった。ベランダとスロープとを継ぐ“取り合い”の部分を、妻はグラデーションを利かせて徐々に色が変化するようにと主張したのに対し、梶原は白一色でメリハリを付けることにこだわった。結局、梶原が折れたのだが、心の奥底で引っ掛かるものがあったのだろう。

 死を逃れられない病床にあっても、「取り合いは白。これで決まりだ」と声に出したのはそのせいに違いない。


 三人の子供達は建築用語としての“取り合い”を知らなかったがために、このあと骨肉の争いに突入する……かもしれない。


 終

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