カクヨムコンが始まってから多数の作品を読みましたが、何だか良くわからないけどある日突然ダンジョンが出来た。
みたいなストーリーが非常に多かったです。
遠野例さんの作品は世界観にしっかりとしたバックボーンがあって深みがありますね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
創作神話の類が好きなのデース! という自分の趣味をぶち込んだ感じのやつですが、好意的に受け止めていただけて嬉しい限りです。
余談ながらこの神話、現存するダンジョンが、「基本的に、誰かに挑戦され、踏破されうることを前提とした」、「踏破する冒険者、チャレンジャーの存在を前提にした」、言ってしまえば「(もしかしたら当時の時点から既に命懸けの)娯楽、遊興」という側面を併せ持つ場所である、という前提をぶち上げるためのものでもありました。
「何で魔物や罠があるの?」「何で遺跡の中に宝があるの?」その他諸々の疑問が解消されうるやつではないかな――と、個人的に満足度の高いやつです
おお、機甲少女でもありましたね。まさに
「全ての遠野作品の根底を支えているお伽話」と言えるのではないでしょうか。
ここまでしっかりした設定があるからこそ、物語に深みが出るのでしょうね。
すごいの一言に尽きます。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
創作神話系のアレコレが好きなので完全に趣味で作ってるやつですが、好意的に受け止めていただけて嬉しい限りです。
なお、「機甲少女」のときとは(その際は、ユイリィが語り聞かせる型式だったというのを別として)ちょっと内容が変わっていて、「機甲少女」のときは、《真人》達が多島海で「世界の果てのその向こう」へ渡る前の最後の一時を過ごした、という内容がありましたが、今回はそこに相当する部分が省略され「どうして今の世界に《真人》の遺跡が残っているの?」という点への回答のみが記されている、というのが個人的なこだわりです。
《多島海》の御伽噺か、《大陸》の御伽噺かで、同じ内容でもちょっと差異があるのですね。たぶん地方ごとでも微妙に変わるかもしれないなー、などと思いつつ書いていました!
真人は、全員が呪いを解いてもらえたのでしょうか?「理性」をとられた龍種は、すぐに獣に堕ちたイメージがありましたが。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
実際に「呪いを解いてもらえたか」に関しては、《真人》達が「世界の果ての向こう側」へ渡った後を観測した主体が誰もいない、あるいは、観測したうえで戻ってきた主体が誰もいない――という理由から「不明」ということにさせてください。
おとぎ話の中では、「解いてもらえた」という扱いでしょうが…。
《龍種》に関しては――今のところ、確定とは言えませんが――本編でその「呪い」の仔細に触れるかもしれない、というくらいのところなので、『「理性」を失う』というのがいかなる形での呪いであるか、その時点で明らかにできればいいなと思っています。
設定に関して、いろいろと気にしていただけるの、書いてる側としてはとても嬉しいことです。他方、「こりゃ迂闊なこと書けないなー!」と気が引き締まることでもありますが。
正味、この気にしていただいた件への回答――なのか、何なのか――を書くの、ちょっと楽しいです。設定厨なもので…!