母はいつ死ぬのだろう。

多賀 夢(元・みきてぃ)

母はいつ死ぬのだろう。

 時折思う。

 私の母は、いつ死ぬのだろう。


 親から逃げて6年が過ぎた。

 実家の弟とは今も仲がいいが、両親とは一切連絡を取っていない。

 一度、弟から来た荷物に紛れて、説教臭い手紙と共に10万円を送り付けてきた。いつまでも『恥ずかしいオコチャマ』扱いされているのが、非常にムカついた。それよりも、宅配便で現金を送るのはれっきとした法律違反である。弟に両親を叱っておけと、LINEで厳命しておいた。


 そんな親でも、もう70代になった。

 父には特に興味はない。自分の意見がない、暴力だけが取り柄な人だから。

 気になるのは母である。


 母にとって、一番大事なのは外聞である。

 私が荷物を取りに戻った時も、大きな荷物はご近所に目立つから隠しなさいだの、無茶な注文を真顔で説教してきた。だからその近所に聞こえるように、大声で「お前のせいで出ていくんだろうが!恥とか知るか!」と、全力で怒鳴りつけてやった。母のあの気まずそうな顔には、正直すっとした。

 にこやかな顔をして、裏では恨みつらみばかり吐く人だった。娘の私にまで嫉妬して、対抗意識を隠さない人だった。理系出身なのに論理的な思考ができず、命に関わるような八つ当たりをする――まあ、とにかく非常に危険で残念な人だった。


 その母は、いつ死ぬのだろうとふと思う。

 別に、死に際に文句が言いたいとか、ちょっとでも孝行して改心させたいとか、そんな無駄なことは考えていない。あと、幽霊になって祟られたらどうしようみたいなのも、全然ない。私が先に死んだら全力で呪いに行くが、向こうが先なら多分ない。

 死なれたら、きっと私の心は母に囚われるな、と思うのである。

 何かあって離れた人間というのは、あとあと心に焼き付いて、変な苦みを残すのだ。あの時あの人はどんな心境でああ言ったのだろうかとか、あの時のあの人に支えはいたのだろうかとか。間違ったのは実はこちらじゃないかとか、それでも私は曲げられないだろうなとか。

 特に相手に死なれてしまうと、心の一部がずっとその人で占有されてしまう。特になにもなくても、ふとした拍子に思い出す。事故死した叔父、アル中の祖父、老衰の曾祖母、病死した同級生、自殺かもしれない友人。意味もなく思い出しては手が止まる。


 母に死なれたら、私はきっと強烈にあの人のことを思うだろう。恨むでもなく憎むでもなく、ただただ囚われてしまうだろう。

 悪い事ばかりするから心に残るのではない。一緒にケーキやパンを作ったり、テストの順位が良くて手を取り合って喜んだり、私の買った小説に母がハマったり、そんな良い思い出もたくさんある。

 それでも私は母から逃げた。だから母が死んでしまったら、私の中で母は悪のまま敵のまま、延々と君臨し続ける。それは、正直嫌だなと思う。



 そういえば、最近面白い話を知った。

 私の病気の平均寿命は、健康な人より20年短いんだそうだ。

 20年はちょうど親子の年齢差。私が先に行ってもおかしくない。

 その方がいいなあ。私が死んだら、父は「遺産を狙う不届き者が消えた」と喜び、弟たちに叱られて必死に言い訳するのだろう。同じ墓に入れたくないと言って叱られ、仕方なく一族の墓に入れて、ご先祖にしつこく詫びるんだろう。

 母は、ご近所さんの前で盛大に泣いて見せるだろう。不幸な母親を演じて、ちやほやされて満足して、だけどそんな母を冷たく突き放す人に陰で怨嗟を唱えるのだろう。

 今までの親族が亡くなった時も、こんな感じだった。


 想像しておいてなんだが、気が滅入る。

 どうしてこうも狂った家に生まれちまったのか。

 たとえ一人芝居のようであろうとも、私が主人公として生きられる人生を歩みたかった。


 母は、いつ死ぬのだろう。

 私は、いつ死ぬのだろう。

 次があるなら、もう二度と会えない距離で生まれたい。

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母はいつ死ぬのだろう。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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