堕天使の思惑。
「俺はかつては天界にいて神の使いだった。だが俺は神の怒りを買い、天界を追放された。言うなれば「堕天使」の類に属するのだが、傲慢や嫉妬のために神に反逆したのでも、自らの意志で神から離反した訳でもない。そいつらは「悪魔」と称され、ある意味もてはやされるが、俺が天界にいられなくなった理由は誰もが顔をしかめるだろう。それはズバリ「女癖」だ。
俺は美しい者には見境がなかった。誰のモノでも手を出し淫行を重ね、相手はことごとく望まない子を身籠った。悪魔になる覚悟なんて微塵もない俺を神は天界から追い出し、黒猫の姿に変えた。黒猫は不吉の象徴とする迷信が人間界では数多い。黒猫というだけで殺される国もある。神は俺を試した。運が悪ければその姿をしているというだけで、俺は人間どもに理不尽かつ容易に命を奪われただろう。そして運よく最悪の事態を免れたとしても一生過酷な暮らしが続く。俺は黒猫でいる限りいつまでも死を迎えられない。何れにしても俺に穏やかな生涯などあるはずがなかった。唯一の望みもあるが、叶う可能性はゼロに等しかった。案の定、地上に降り立った俺は死に物狂いで逃げ回った。人間どもは俺を見つけると躍起になって殺そうとした。時には港に停泊していた船に逃げ込み、陸地を離れ当てもなく見知らぬ地へ向かった。何度目かの船の積み荷に紛れてたどり着いたのがこの地だった。日本では俺の姿は「福猫」として魔除けや幸運、商売繁盛の象徴とされ、飼うと病気が治るという迷信もあった」
~俺はかつて黒猫の姿をしていた。~
「そう聞かされてお前には思い当たる記憶があるだろう。昔道端で倒れていた黒猫がその俺だ。傷心のお前は俺の姿に心を癒されたのかもしれない。いや、或いは自分と同じ境遇を重ね、不憫に思ったのかもしれない。何れにしてもあの時のお前は俺を優しく抱き上げ、暖かな寝場所と食べ物を与えてくれた。そして元気になるまでずっとそばにいてくれた。俺は生き永らえお前は傷ついた心を癒した。偶然だが二人の思惑が一致し、お互い平穏な日々が訪れた。俺は人間に善行をしたと神に認められ、人間の姿で生きること、そして人間と同じ天寿を全うすることを許された。それからすぐにお前の居場所を探し当てた。そして今お前は俺の隣にいる」
私は言葉を失った。
「お前がある男に想いを寄せていたのは知っている。そしてその男に届かなかったこともな」
したり顔で話すこの人を見て直感した。この人は私の全てを知っている。
「俺が今からお前に話すことは決してお前を絶望の淵に立たせることじゃない」
心を見透かせる堕天使はそう前置きし、話を続けた。
「まだ若いお前には可能性がある。未来がある。これからあの男を振り向かせる努力をすれば夢は叶うかもしれない。だが可能性は極めて薄い。俺は恋のキューピッドじゃないから二人の間を取り持つことはできない。だが本当に男が好きなら、究極の願いを叶えてやる」
「究極の願い?」
「その男の子供が欲しくないか?」
その言葉に私は戸惑った。
『貴方の子供が産みたいの』と逆プロポーズをした女性の話を聞いたことがある。男性にしてみればこれ以上の感動と幸福を誘う決めゼリフはないと思う。でも異性と真剣に付き合った経験のない、やっと十代を終えたばかりの青臭い私が、好きな男性の子供を宿すなんて想像したこともないし、そんな覚悟もなかった。
私は少し迷った。迷ったけれど提案の続きを聞きたかった。
「欲しい!って言ったらどうなるの?」
「人間は生身が交わらなければ子ができないと思っているが、我々には子孫を残す究極の裏技がある。お前が男と結ばれなくてもせめて子を育てたいと願うなら、裏技を伝授してやる」
「究極の裏技?」
「ああ、そうだ。聞きたいか?」
心が決まった訳じゃない。でも私は小さく頷いた。
「だが簡単には教えられない。そうなったらもう後戻りはできないぞ」
「後戻りって?」
「お前に教える代わりに、条件がある。今から話す俺の言葉を聞いたら二度と引き返せないぞ」
私は目で続きを訴えた。そして彼は静かに話し始めた。
「悪魔の登場によくある『魂を売れ』とは言わない。お前の肉体を俺に売れ、と言っても身体を切り刻む訳じゃない。つまり『俺の嫁になれ』ということだ。だからといってお前に過酷な仕打ちを課して苦しませることはしない。普通に人間の生活をして普通にセックスもしてくれ。俺は人間ではないから性欲が衰えることはない。例えお前が老いてもな。お前の膣内に数え切れない程射精するだろう。だが安心しろ。お前が俺の子を身籠ることはない。俺は天界を追放された時、繁殖能力をはく奪された。俺は最初から子を作る積りはない。ただお前と交わり、吐き出すだけで満足だ。俺のテクニックは世界一いや太陽系一、宇宙一だ。男のことなんかすぐに忘れちまうさ。そしてお前は男の子供を育て一生幸せに暮らせるんだぞ」
イケメンな堕天使の口車に乗ってしまった。今考えれば、そんな回りくどいことをしないで一度や二度振られても、ハヤトさんにもっと積極的にアタックすればよかったと思う。でもベッドの中の彼は凄かった。彼の言葉に嘘はなかった。彼のテクニックに溺れ、何度も堕天使に魂を売りそうになったのも偽らざる事実。でもその度にハヤトさんの顔が頭に浮かんだ。そして子供たちの顔も……。彼との約束は一つだけ。でもそれは究極の約束。それを破ると『お前に破滅が訪れる。今まで築き上げたモノが全て消えてなくなる』と冷ややかな目をして脅された。
私は堕天使の思惑に乗った……。
凛子 ~不倫の定義~ 齋木カズアキ @kazaki_s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。凛子 ~不倫の定義~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます