第六十一回 ガチンコ・セメント・ピストル

 はじめての方はよろしくお願いします。

 お馴染みの方はようこそ懲りずにお越しいただきました、虚仮橋陣屋(こけばしじんや)でございます。


 さて第六十一回ですが。


 このタイミングまですべて開店休業状態になっておりましたのは、察しの良い方だとお分かりかもしれませんけれど、こけばし、ナマイキに個人事業主でございまして、青色申告などというおっとろしいシロモノと一戦交えておりました。すでに虫の息でございます。


 ついでに業務連絡でございますがー。


 このたびの「カクヨムコン9」に関しては、エントリー作品すべて中間選考を通過せず、という残念な結果と相成りました。


 うーむ……。


 もはやこうなると、相性が悪いのか。

 ちと考えてしまう今日この頃でございますね。



 閑話休題。


 さて今回ですが、陰鬱な空気をガラリと変えまして、「モノカキは、自ら経験したことでないと書けない?」というテーマで綴ってみようと思います。


 はじまりはじまり。




■まずは結論から


 終わってまうやん! とツッコまれた方もいるでしょうそうでしょう。

 でも、このテーマは結論ありきなのです。


 こたえはノー。


 そりゃそうです。この世の異世界モノカキさんたちが全員「転生者」もしくは「召喚からの帰還者」であったとしたら、それはもうタイヘンなことになります。ごく稀に、いらっしゃるかもしれませんけれど、まあまあ、往々にしてそんなご経験はありませんよね。


 ですが。


 なぜこのような疑問や議論がたびたび浮上するかと言いますと、端的にまとめてしまえば、そこに「リアリティがあるかないか」、という問いのためでしょう。



■リアルとリアリティ


「リアル」という言葉と「リアリティ」という言葉には、本来意味の違いはありません。


「リアル」が形容詞なのに対し、「リアリティ」は名詞となりますけれど、どちらも「現実」、「実在」、「真実」を表しています。


 ただし、日本語圏においては、両者に微妙なニュアンスの違いがあるようです。


(脚注:国外での受け止め方は不勉強なので、ご存知の方はぜひコメントで!)


「リアル」は「現実」そのものを意味する言葉として用い、「リアリティ」は「現実っぽさ」、「現実に近いもの」を表す、そのように使い分けている方が多いのではないでしょうか。前述の「リアリティがあるかないか」というフレーズは、まさにこの用法に準じたものですね。


 では、この「リアリティ」は、どこから生まれてくるのでしょう?



■リアリティを生み出すもの


 当然、その「リアリティ」の根源が作者自身の体験に因るものであれば、それに勝るものはありません。


 しかし、創作や妄想を武器に戦うモノカキですので、すべてを体験するワケにはいきませんし、当たり前のように未体験のものも取り扱うことになります。


 そりゃそうです。


 すべては作品のため、と怪しげな風体の輩が刃物片手にあちこち出歩いてびゅんびゅん振り回してられたら、一般市民の皆さまはたまったものではありません。たぶん、こちらは刑事モノやら犯罪モノを書かれていらっしゃる作者様でしょう。


 はたまた、山奥の古びたロッヂをご購入され、真冬の雪深い最中にほうぼうからスキー客を招き入れ、殺人と謎を放り込まれても困ってしまいます。おっと、こちらはミステリー作家様でしょうか。


 こんなブッソーな世の中は嫌だよ……。


 じゃあ、どうやって「リアリティ」を生み出すのかと言えば、それに近しい体験、つまり「疑似体験」をしてみるか、残るはとにかく知識と理論で武装して、隙のない世界観と設定にする、こうなるワケです。


 ワケです……か?

 まあ、それができたらいいんでしょうけれど。


 実は「リアリティ」を生み出すのは、そのどちらも正解であり、正解ではないのです。



■我が作者の知識量は世界一ィイイイ!


 つい「リアリティ」を追求すると、作者自身の強化・武装を考えがちですけれど、実はそれは正解であって、正解ではありません。


 それはなぜかというと、実際に「リアリティ」を感じるか感じないかは、読み手の受け取り方に委ねられるからです。言い換えれば、作品と出会った読者に「いかに疑似体験をさせるか」が重要なポイントとなるのです。


 これは何度か繰り返し綴っておりますけれど、



「――実に可憐な少女だ。ガラス細工のように透き通った銀の髪と雪よりも白い肌。こちらを見て、なにごとかを口にしようと震わせる細く尖った顎の輪郭。逃げることすら諦めて、無駄なものを削ぎ落した細い両の腕で、ひし、と自身を抱きしめるその姿は、脆く、あまりにも儚げで、まるで一体の白磁の人形のようだった――」



 こういった、こけばし命名「まとめ表現」のすべてが悪いとは言いませんけれど、ひとたびこう書いたが最後、二度とこの「少女」の容姿について触れない、そういう作品をしばしば見かけます。


 これは勿体ない。


 特にWEB小説ともなりますと、この次、この読み手様がいらっしゃるのがいつになるかはまったく分かりません。その時に、「あー、あの子ねー」となるかどうか。これはかなり重要なポイントです。そのたび、「えーっと……こいつ、誰だっけ?」と前話を遡るワケにはいきませんよね。というか、そうしていただければラッキーですが、大抵はお帰りになられます。


 うーん……なにがいけなかったんでしょう。



■疑似体験をするべきは読者である


 というか、ですね。

 皆さまのリアルライフにおいて、初対面でそこまで相手の容姿を事細かに観察します?


 します! という方はきっと、人間観察のプロか警察カンケーの方でしょう。

 フツーは、そこまでしないと思うのです。


 大抵は「おっ、可愛い!」か「ま、まあまあまあ……」か。

 そこまで興味がなければ「こいつ、デケエな!」か「ちっちぇえ……」か(身長ですよ?)。


 それは本当にあくまで「第一印象」。パッと見た印象は鮮烈ですが、そこから得られる情報は、その人物のほんの一側面にしか過ぎません。



 では、どうすればいいのか、と申しますと、セリフや動作の端々に、その人物を感じさせる要素を盛り込むワケです。繰り返し、繰り返し、です。現実世界でも、皆さまはそうやって相手のことを、少しずつ、少しずつ理解していくはずなのです。


 ああ、この子の髪、風になびいて陽の光を受けると、明るい栗色に見えるんだな、とか。


 そうか、この人の爪って、ロッククライミングが好きだからほとんどないんだ、とか。


 いつも世間話をする時に、無意識にバットのスイングをしてしまう野球好きな係長。周りの目が気になってしまって落ち着かないから、表情を隠すように下ろしている前髪。すぐにカラダに触れてくる距離感のバグった後輩ちゃんは、実は早くに父親を亡くして愛情に飢えていたんだな、そうか――そういうふとした時に、相手の隠された背景に気づくものだと思うのです。


 だから、というワケではないのですけれど、こけばしは、キャラクターの登場シーンにあまり多くの文字数を費やしません。そこでいくら語ったところで、読み手が覚えていられる情報なんて「第一印象」と同じで、ほんの一側面だけしかない、と思っているからです。


「物語」を書く上で、この方法が正解かどうかは分かりませんが。

 割と、キャラクターを好きになって下さる読者様が多いのは、本当に有難いことです。


 あらためて感謝!




 おっと、そろそろお終いの時間ですね。

 ではでは、次回は別のテーマにて。


 どうぞ、よろしくお願いいたします。



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結局、ライトノベルってなんなの? ~ワタシのラノベの歩き方~ 虚仮橋陣屋(こけばしじんや) @deadoc

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