西影

視線を感じる

「なんだこれ……」


 水道水を飲み、未だにズキリと痛む頭を押さえながら壁を見る。そこに一つの穴ができていた。ギリギリ親指が入るような穴。純白な壁だったこともあり、嫌に目立つ。


 日頃から何も面白みがないと思っていたアパートの白い壁。何か絵画などを飾ることもなく、本棚のように置くものがなくて露出していた一面。だというのに、たった一つの穴ができただけで視線が吸い寄せられた。社会人になって贅肉が付き始めたお腹を掻きながら、試しに覗いてみる。


 ……何も見えない。ただ暗闇が広がっているだけだ。向こうの人はまだ寝ているのだろうか。


 穴から離れて遅めの朝食の準備を始める。あと二時間後にはお昼になっているが、この時間に起きたのだから仕方ない。冷蔵庫から野菜ジュース、ヨーグルト、マーガリンを取り出し、食パンにマーガリンを塗るとトースターへ。いつもと同じ朝の動き。だというのに、なんだか落ち着かない。まるで誰かに見られているような……。


 自然と壁に目がいく。もちろんそこには穴以外に何もない。その穴に至っても暗闇が広がっているだけだった。だけど、気にする。気になってしまう。


 リビングに敷いた布団の上には昨日、一昨日……いや、何日分かわからない服たちが散乱していた。最近の夜はいつも暑いから、ついつい寝る前に脱いでしまうのだ。昨日の夜は酔っていて記憶にないが、今の自分の姿を見ると一目瞭然。パンツ一丁という事実で、昨日の出来事がありありと思い浮かぶ。


 ……着替えるか。


 洗面所で髪を整えると外用の私服に着替え、脱ぎ散らかした服たちも洗濯機に放り込む。ついでに布団もキレイに畳んでおいた。


 そこでチーンと甲高い音が鳴ったのでトーストを迎えに行く。朝食を机に持っていくと、そこから見える景色が変わっていることに気が付いた。


 少し変えただけなのに、全然違う。それに寝起きから感じていた視線もいなくなっていた。


「ごちそうさま」


 黙々と食べ終えてシンクに向かう。慎重に食器を置いたつもりだったが、溜まっていた数が多かったのか、音を立てて崩れた。幸いなことに割れたような甲高い音はない。


 ……後で片付けるから。


 自分に言い聞かせて後にしようとする。しかし、それは叶わなかった。またしても視線を感じたのだ。


 壁を睨みつけるが、先程から何一つ変わっていない。テープでも貼ってやろうかと思っても、それは何だか負けたような気がして諦めた。そもそもこの家にテープないし。


 仕方なく食器を全て洗ってから玄関へ。姿見に映る自分の格好に変なところがないことを確認してから外に出た。


 平日の昼前ということもあり、人の姿は見当たらない。まるでこの道を貸し切ったように思えて気分がいい。


 しかしそんなものは勘違いで、商店街が近くなると人の数は増えてきた。人の話し声や笑い声が聞こえるたびに自分の格好を確認する。


 どこもおかしなところはないよな? 俺が笑われてるわけじゃないよな?


 つい辺りを確認してしまう。ご飯を食べにきたであろうスーツの男性、買い物に来た主婦、子供連れの母親、誰も自分なんて見ていない。


 けど、それは俺が見ているからだ。俺が視線を外したら、見られてるかどうか分からない。俺にバレないように笑い話のネタにしているのかもしれない。


 また視線を感じた。すぐにそちらへ目をやるが、スーツ姿の男性二人が雑談をしているように見える。しかし、その内容までは聞き取れない。


 一度考え出したら終わらなかった。


 誰もが俺を見ている。俺のどこかを馬鹿にしている。そんな気がして仕方なかった。


 コンビニで弁当を買う時もそうだ。コイツ、自炊しないんだ……なんて思われないだろうか。ビクビクしながらお金を払って家路を辿る。


 今日も疲れた。


 玄関に鍵をかけ、布団に倒れようとしたところで片付けたことを思い出した。ため息を吐き、穴を見る。未だにそこからの視線は消えていない。


 隣人は暇人なのか? そんなに俺を見て楽しいか?


 流石に我慢の限界だった。俺はスマホのライトで穴を照らす。これで少しでも怯んでくれたら万々歳だった。


 しかし暗闇から現れたのはただの板のみ。一応フラッシュで写真を撮ってみたが、どこも隣に繋がっていなかった。


 だったら今まで感じていた視線って……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

西影 @Nishikage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説