『ブルー・イン・グリーン―藍は緑に混じりて―』

小田舵木

『ブルー・イン・グリーン―藍は緑に混じりて―』

 私の初恋は悲惨なものだった。相手は2つ上の先輩で。その上ときた。

コイツは最初から負けが決まっていたが、いざちのめされると私の心は海の底に沈むような思いだった。

 彼女は。陸上部の先輩で。私と同じ高跳びを専門にしていて。

 私は彼女の指導を受けて。自然と恋に落ちてしまったのだが。

 彼女には―彼氏がいたのだ。


 私は帰り道に彼女達のデートを目撃してしまい。

 惨憺さんたんたる思いで家路につく羽目になってしまった。


 ああ。同性を好く事のなんと虚しい事よ。

 恋は乞う事から始まる。私は彼女を乞うたのだが。その想いは伝わる事なく、消えていく。


 私は帰り道を急ぐ。どうせもう、この道端に居てもすることなどないのだ。

 川原の道にはエノコロ草。そこに秋の虫の音が加わる。

 私は川を眺める。水は止まることなく流れていて。そこには無常のメタファーがある。


                 ◆


 私は家に帰ると、早々と晩ごはんを食べ、部屋に閉じこもる。

 そしてベットにダイブして。枕に顔を埋めて。

 思うさま泣き叫んでみるが。一向に気分は晴れない。

 私は叶うはずのない恋にわずらわされる悲しき乙女。何故同性を好いてしまったのか。


 私は。昔からあまり女っぽくはなかった。生まれる性別を間違えたな、という想いがある。

 髪は男同然のショートヘア。そこに鼻筋の通った少年のような顔立ち。身体にはメリハリがない。胸もなければ尻も大きくはない。第二次性徴をやり逃した感がある。


 私は枕から顔を上げると。無音の部屋に耐えられなくなって。スマホで適当に音楽を流す。

 流れた曲はビル・エヴァンスの『ブルー・イン・グリーン』。

 優しいピアノが私を包み込むが。私の気分は晴れやしない。


「スッポコペンペンポン…ポンポポ」スマホは着信を知らせて。

「…はい」私はかけてきた相手を確認することなく電話を取る。今は誰でもいいから喋っていたい気分なのだ。

「よ。恋する乙女。元気してるかい?」この間抜けな声は。

みどりか」彼は私の幼馴染であり。悪友でもある。

「…やけに沈んだ声してる。宿題の事でちょいと聞こうと思ってたんだけど」

「私は今、宿題なんかやる心境じゃない」私は吐き捨てるように言う。

あいさんや。学生の本文は勉強にあるんだぜ?」彼は言い聞かせるように言う。

「かも知れないけど。恋に破れた私はやぶれかぶれなのよ」

「…くだんの先輩か」同性を好くというセンシティブな話だが。私は緑にこの話を共有していた。彼なら分かってくれるはずなのだ。

「そ。帰り道に彼氏とデートしてるトコ見かけちゃった」

「残念。彼女はヘテロセクシャル異性愛者だった訳だ」

「我々とは違ってね」そう。私と彼はホモセクシャル仲間だ。同性愛者同士。幼馴染でコレはなかなか珍しい組み合わせだろう。

「ま。往々にしてありがちな話さ。諦めろ。僕らの方が少数派なんだ」

「とは言えねえ。初恋だったわけ」

「初恋なんて破れてナンボ。僕らホモセクシャルなら尚更」

「アンタの方はどうなのよ?」私と同じで。彼も同性の先輩を好いているのだ。

「アレ?もう破れちゃったよ。彼には彼女が一杯だ。着けてたら複数の女とデートしてやがった」彼はすんなり言うが。

「それって…ストーキングしてたって訳?」私は問うて。

「恋の為なら犯罪者にでもなれる」

「でもその恋は破れた」

「次を探すさ。まだ僕は16。人生は長い。出会いはいくらでもある」

「その切り替えの早さ。まるでアンタの方が女みたい」

「…ある意味ではそうだろ?」彼は。ルックスも女のようだ。柔らかな女性的な顔立ちに長い髪。ショートヘアの女と言っても通用する男なのだ。

「まったく。お互い生まれる性を間違えたね」

「まったくだ。お陰で要らん苦労をする」

「そうね…」

 

                   ◆


 私は恋に破れた女であり。その日常は彩りを無くした。

 教室の机に座りながら考える。

 私はこのホモセクシャルな恋愛観を抱いて始めての恋をしたっていうのに。その恋は実る事はなかった。

 私は恋に縁遠い女だった。小中と男には見向きもせず。高校生になって初めて気付いたのだ、女の子に惹かれる事に。

 

 だが。それはいばらの道である。

 いくらLGBT全盛の時代とは言え。ホモセクシャルに対する風当たりは強い。

 それは生物学的な恋愛観に反するからだ。

 人は違和感を嫌う生き物である。本能に逆らうような者は排斥される。

 

 私はこの茨の道を進むと決めたのは、恋をしていた彼女が大きい。

 先輩はスポーツに励んでいるのに、妙にフェミニンな女性であった。

 私はその様を見て―興奮したのだ。それに逆らう事が出来なかった…


「何ぼうっとしてるんだ?」隣のクラスに居るはずの緑が声をかけてくる。

「思春期の女の子は複雑なのよ」なんて適当な応えをするが。

「どうせ。昨日のアレだろ?」

「そう。昨日のアレ」

「…僕から言える事は昨日も言ったけど、早々に切り替えろってこと」

「私はねちっこい女なのよ」

「…感心しない」彼は髪をかき分けながら言う。

「アンタの感心なんて欲しくもない」

「せっかく宿題見せてやりに来たのに。随分な言い様だな?」

「…サンキュ。助かる」

「どうせ。宿題に手がつかないのは目に見えていたしね」

「…アンタのてのひらの上って訳か」

「何年の付き合いになると思ってるのさ」

「…小学3年からだから。7年?」

「ずいぶん長い付き合いになってきたよね?」

「アンタ。私を付け回しているんじゃないの?」

「そんな訳あるか。僕の進学先に君が毎度のごとく現れるだけさ」

「腐れ縁」

「まさしく。ま、僕らは同志だ。仲良くやろうや」

 

                   ◆



 私と緑の出会いは7年前にさかのぼる。

 緑はこの田舎町に都会から転校してきた子で。その当時は今よりも更に女の子の見た目をしていた。

 彼は自然と虐められるようになり。私はその様を見守っていたが。

 流石に目に余るその様を見て。クラスのガキ大将だった私は介入した。


「いいじゃん。男なのに女っぽくたって」私は彼を虐めるアホ共にそう一喝し。

「今度。コイツを虐めてみなさいよ?私がアンタらを虐め抜くからね?」

 彼を虐めていた子ども達は蜘蛛の子を散らすように消えていった。


「…ありがとう」上目遣いでそういう彼は。本当に男の子か疑わしかった。

「アンタもただ虐められるのに耐えてんじゃないわよ」

「そう言ったってねえ」彼は当時から私に臆することなく言葉を投げつけてくる。

「そういう態度が虐めたくさせるのよ?」

「生まれつきこうだもん」

「だあっ!面倒くせえ。私に着いてこい。男ってのを教えてやる!」

「…深瀬ふかせさん。女だよね?」

「女だけど。この見た目だ。男みたいなもん」

「まあいいや」


 こうして。私と緑の腐れ縁は始まり。それは高校1年まで続いていく事になる。

 私と緑は何故か気があった。正反対の性格をしているというのに。

 だから周りから付き合ってるんじゃないかと邪推される程につるんでいたが。

 私達はお互いに無いものを補いあう関係だった。

 私は女の割にガサツで。緑は男の癖に繊細。

 こういう組み合わせは案外うまく機能する。だから私達は思春期を迎えても親友であり続け。

 

 今もこうして連み続けている。

 その間に緑は自分のセクシャリティに気づいた。彼は男に惹かれるのだった。

 私はそれを聞かされて。どう思ったか?

 自然な事だと思った。男の癖に誰よりも女らしい彼が男らしい男に惚れるのは自然の摂理だ。だから私は否定はしなかった。


                   ◆


 部活に行くのが憂鬱だ。別に告白をした訳ではないのに。

 ああ。今日はサボってしまおうか?私は昇降口で悩む。

 そこに帰りがけの緑が現れる。

「おうおう。部活行きたく無いわけね?」

「そりゃそうでしょ」

「…同情はするけど。仕方の無いことだよ?」

「私は初めての失恋な訳。常敗じょうはいのアンタには分からないだろうけど」

「僕の方が先輩だ…うん。一つアドバイス。こういう時は別の事をした方が良い」彼は得意げに言う。

「…んじゃあ。付き合いなさいよ」

「そう来ると思った。良いよ。パアッと行こうや」


 こうして私達は一緒に帰る。

 駅に向かって行き。定期の外の街への切符を買い。

 

 私達はパンケーキの店に来ていた。フェミニンな店内は居ると身体がムズムズ

してくる。

 対面といめんに座る緑はメニューを見てワクワクしている。

「いやあ。この店。一度来たかったんだよねえ。僕一人だと入りづらいのなんの」

「…私はダシに使われた訳ね」

「ゴメンよ。曲がりなりにも君は女の子だから」

「ただ。女性器がついてるってだけだけどね」私は店内のポップな飾りつけに鳥肌を立たせながらこたえる。

「そして僕には不要な男性器がついてる…交換してくれない?」

「無茶苦茶言うな」

「でもそうしたら。色々スッキリすると思わない?」

「そりゃね。私は男として思う存分、女性を好きになれる」

「そして僕は思う存分、男を追っかけられる」

「世の中はうまくいかないように出来ている…」


 私達はフルーツとホイップクリームがてんこ盛りになったパンケーキを突きながら喋る。


「んで?次はどうすんの?」

「次?何の話?」緑は男にしては小さい口でちょぼちょぼとパンケーキを食べている。一方の私は女にしては大きな口でワシワシとパンケーキをむさぼる。

「恋的なあれ」

「…しばらくは大人しくしようかな」

「らしくないわね」緑は恋多き男である。多情とも形容出来る。

「僕だって。万年発情期な訳じゃない」

「男なら性欲に塗れている時期だけど」私は皮肉る。

「僕は男であって…女のような精神の持ち主だよ。藍が知ってる通り」

「神様は緑の性別を分け損ねたんだな。きっと」

「それは藍もでしょ?」

「…なんで私はこうなんだ?」

「…神様がうたた寝しながら創ったんだね、藍の事」

「ぶん殴りに行きたい」

「付き合うよ」

「…現実にはそうもいかないのが物悲しい」パンケーキとセットにしたブラックコーヒーで一息つきながら言う。


 

                  ◆



 私達は重たいパンケーキを食べると、街をそぞろ歩く。

 商業施設に入って。服屋なんかを冷やかす。

「ねえ。緑?」私は服をい物色しながら緑に問う。

「何?」彼は女性モノの服を見ながら応える。私のコーディネイトを見繕っているのだ。

「女装とか考えた事ない訳?」

「一時期は考えたけどねえ…どうにも恥ずかしい」

「なんなら。私の服貸す?」

「いいよ。藍の服は女性ものだけど、フェミニンさが足りてない」

「…そうかも知れんけどさあ」私の私服はパンツスタイルが多い。確かにフェミニンさは足りていない。

「僕はさ。女みたいなメンタルを抱えていて。男を好きになっちゃうけど。別に男である事が嫌なわけじゃない」

「意外な事言う」彼は先程性器を交換したいと言っていたのに。

「…いくら恋の邪魔になろうと。金玉をとる勇気がない」

「下品」

「どうせ。君は女じみてない。下世話なトークをしても問題ない」

「失礼な」

「なんなら。ガッツリそういう話をしても良い。僕らは悪友だろ?」

「男同士の悪友はそんな話をする訳?」

「そうだよ。男のコミュニティではそういう話が人気さ」

「…理解不能」私はこぼす。

「…藍も女性であることを捨てきれないんだね?」

「そりゃね。こんな私にも生理はあるしね」

「神様の気まぐれ」

「まさしく。しかも選りに選って重い方だしね」

「…そうなの?僕は藍の生理を意識したことは無いけど」

「たまに機嫌が悪い時あるでしょ?アレは大概生理の時ね」

「…要らん事を知ってしまった」


 私達は服屋を冷やかし終わると、商業施設を出て。

 カラオケに行くことにした。緑いわく。

「失恋した時は思いっきり歌うに限る」

 私と緑は恋愛系のナンバーを歌いまくり。ストレスを発散して。

 スッキリした気分でカラオケを出て。

 最後はラーメンで締め。コレは私の提案だ。


「選りに選って久留米ラーメンかよ」緑は突っ込む。

「今は獣臭いラーメンをかっこみたい気分なのよ」

「明日、口を開くのを躊躇ちゅうちょしそうだ」

 私達は揚げラード玉がのったラーメンをすする。緑は相変わらず女性のようにゆっくり食べる。私はズルズル食べ、その上替え玉を頼む。


「あーあ。口がニンニク臭いよ」緑は店を出ながら言う。

「それが良いんでしょうが。こういう食べ物は元気のない時に効く」

「…少しは元気でた?」緑は私の目を見ながら言う。

「…お陰様で」

「恋は辛いけども。楽しいこともある。次、結果が出れば良い」

「…報われるのかなあ」私は不安になる。同性恋愛初心者だからだ。

「報われる時はいつかきっと」

「…お互い。ぼちぼちやるしかないわね」

 

                 ◆


 季節は流れるように進んでいく。

 私はすっかりと初恋を忘れて。部活と勉強に邁進まいしんし。あっと言う間に受験生で。

「…今度こそ。お別れの時なのかしら?」教室に遊びに来ていた緑に言う。

「ところがどっこい。僕も君の志望校を目指している」

「…アンタ。私に永遠にぶら下がる気?」

「そういうつもりじゃないんだけど。気が付いたら君と同じところだった」

「ま、私は楽させてもらうけどね」スポーツ推薦。私は高飛びで結果を出している。

「あーあ。面倒くさいなあ」

 

                 ◆


 私達は結局。同じ大学に進むことになった。

 私は経済学部で。緑は文学部。

 文系の総合大学である我が校は一つのキャンパスに全ての学部が収まっているのが売りであり。


「新記録更新」私はなれないスーツ姿で隣の緑に言う。

「これで就職するまでは一緒だねえ」なんて男モノのスーツに着られる緑は言う。

「…腐れ縁もここまで続くと運命か何かのように思える」

「その上僕らは同志。ううん。ワンダフル」

「…いっその事。付き合ってみたほうが良いのかも?」

「ぞっとしない事を言うね。僕らは悪友でしょうが」

「それはそうだけど。私らは恋の常敗者よ?そろそろ落ち着きたくもある」

「新しい出会いがあるのに?」

「…それはそうだけど。どうせ負けるし」

「そういう負け根性は感心しないよ」

「諦めの悪い男」

「はっはっは」

 

                 ◆


 私は大学に入ってからも恋をしたが。高校生の時以上に負けがこんできている。

 一方の緑は同性の彼氏を捕まえており。

 私は彼に置いてけぼりにされた気分だった。彼氏が出来てから構ってくれないし。


 私は大学のキャンパスをそぞろ歩きながら。人生の夏休みを満喫する彼らを眺める。

 その中にはカップルも居て。羨ましいなあ、と思いながら見守る。


 私はレズビアンなのか?

 コレを数年考えてきたけど。あまりしっくり来る答えを得ていない。

 私は女性に惹かれる。だが。それは女としてではなく。男の精神として惹かれるのだ。

 性の不一致。これが私に課された業であり。

 その伴走者は緑だった訳だが。彼は私の先を行った。彼は男と付き合い。その生活を満喫している。


 あーあ。なんで私はこんな面倒くさい精神に産まれたのか。

 神が居るのなら責任を問いたい。五時間くらいかけて説教してやりたい。

 

                 ◆


 私の時間はゆっくりと。でも確実に過ぎていく。

 気がつけば。大学4回生であり。卒業を間近に控えている。

 恋の方は相変わらずの不調。男から告白されることが数度あったが、私はそれを全て払い除けた。

 就職先は陸上チームを持つ食品メーカーであり。私の陸上生活はまだまだ続きそうだ。


 さて。緑は。相変わらず彼氏とうまくやっているらしい。

 久々に居酒屋であった彼はキラキラと輝いていた。

「相変わらずだね。藍?」

「そらね」私はビール片手に応える。

「僕は―彼と色々やってるよ」

「自慢かよお。こちとら高飛びして単位取ってる間に大学生活が終わろうとしてるんだぞ?」

「…そして就職先は実業団ありの食品メーカー。まあ、恋以外はうまくいってんだね」緑はよく分からない小洒落たツマミを食べながら言う。

「私は恋以外はうまくやれるクチらしい」

「藍は昔から不器用だから」

「…それは否定できない」私は。手先も精神も不器用だ。それと比べると緑は器用にやっている。

「もっと。小器用に立ち回らなきゃ。藍は猪突猛進だから」

「それが私の売りな訳」

「そんなもん、通用するのは高校生まで」

「ところがどっこい。就活では案外役にたった」

「良いねえ、いいトコに就職できて」

「緑は―ああ。地銀ちぎんに決まったんだっけ」

「そ。ブラック率激高業界。今から身が震えているよ」

「そこまで言うのなら。就職浪人すれば?入ってすぐ辞めるのはもったいない」

「とは言えね。僕も彼氏との生活を維持しなきゃならんから」

「大学卒業したら。同居するんだっけ?」前、緑が嬉しそうに言っていた事を覚えている。

「そうそう。今から物件探しするんだ」

「就職先が離れてなくて良かったね」

「…彼と近くに勤める為に。いい話を蹴ったんだよ」

「地銀以外にも受かってた?」

「うん。素材系のメーカーの話を蹴った。全国転勤があるから」

「うわ。もったいね」

「僕は。社会人としてのキャリアより。彼との生活を取った訳さ」

「う〜ん。愛が深いねえ」なんて私は言う。なかば羨ましがりながら。

「はっは。ま、死なない程度に頑張るよ」緑は眩しい笑顔でそう言った。

 

                 ◆



 私達は大学を卒業し、それぞれの人生を歩み始めた。

 私は実業団での活動をこなしながら慣れない営業をこなした。

 スポーツ枠で取られた私に期待されるのは体育会系のノリであり。私は女っ気のない社会人生活を送っている。


 ああ。今頃。緑はどうしているのかな?ふと思う。彼氏の為に安定した素材メーカーの話を蹴って、地銀という魔境に迷い込んだ男。我が悪友。


 私は営業先のスーパーで陳列のセットアップをしながら考える。

 もう就職して3年経つが。緑との連絡は絶えていた。よっぽど激務らしい。

 我が社の商品、香辛料のポップを組み立てていると―見慣れた後ろ姿を見つけて。

 私は思わず声をかける。


「緑!私私!」

「…ああ。藍じゃないか」振り返った彼は痩せこけており。

「…何かあった訳?」

「まあ、色々とあったよ」

「…立ち話じゃ済ませそうに無いわね?」

「うん。小一時間以上はかかるヘビィな事態におちいっている」

「…今夜。時間ある?」私は仕事を終えれば空いている。今日は練習がない。

「いけるよ」

「じゃ。8時に大学の頃行ってた店で」

「りょーかい」

 

                 ◆


 懐かしい飲み屋に私は居て。ビール片手に悪友を待っている。

「おっす…」彼はよたよたとやってきた。

「…失恋でもした?」最初見た時から予感はあった。

「ああね。一年前に破綻したよ。僕たちは」

「…大学の頃は仲良かったじゃん?」

「だけどさ。就職してから。彼が宗旨しゅうし替えしちゃってね」

「女に流れた?」

「そ。ホモセクシャルで居ても、どこにもいけないと感じたらしくて」

「…ご愁傷さま」

「はっはっは。ホント愁傷だよ。メンタルがぶっ壊れた」

「…調子悪いわけ?」

「今、僕、休職中なんだよね。だから平日なのに捕まってる訳さ」

「うつ?」

「ま。そんなところ。無理して地銀に入ったのが悪かった」

「…ウチ以上に体育会系のノリでしょうしね」

「ああ。売上悪いと詰められる。如何いかに人を騙くらかして法外な金利をむしり取るかの世界さ。僕みたいな繊細なメンタルでは生きていけない」

「彼氏頼みで就職するから」

「まさか。こんな事態になるとは思ってもなかった」彼はハイボールを流し込みながら言う。

「…人生はままならない」

「それ。僕の台詞だったはずなんだけどね。いざ、当事者になるとみるなあ」


 私は眼の前でヘタリこむ緑を見て。同情の念が湧くが。同時に戻ってきてくれたという思いもあり。複雑な気分になっていた。


「藍さんはどうなのよ?」緑は話を振ってくる。

「相変わらず高飛んでるわよ。そろそろ選手としてのキャリアは終わりそうだけど」

「…じゃなくてさ。恋はしてるかい?」

「んな暇ある訳ないでしょうが。めちゃくちゃ忙しいわよ」

「相変わらずの不器用さ」

「まあね。ここまで来ると諦めたくなる」

「…諦めたら孤独だぜ?」

「それでも良いような気がしてきてるのよね」

「藍は強いなあ。僕なんか別れてから失意の中さ。お先真っ暗」

「人生は長いわよ?」

「…長過ぎるくらいだ」

「…意味深な台詞は止めてよね。もう。しょうがないなあ。ここ出てカラオケ行こうよ。久しぶりに」


 私達は飲み屋を出るとカラオケに行って。元気のない緑を他所よそに私は歌いまくって。

 彼を無理やり元気づけようとした。

 彼は最初は乗り気ではなかったが。最後の方に吹っ切れて。失恋ソングを歌い倒し。


                   ◆


 私達はカラオケを出た。そしてまたバーに入り。

 カウンターで2人酒をんで管を巻いている。


「なーにが女の穴に挿入したいじゃ!」緑はすっかり酔い倒しており。

「まあまあ」なんて。私は彼を慰める。

 そのBGMはしっとり目のジャズ。ビル・エヴァンスの『ブルー・イン・グリーン』。


「僕たちさあ。はぐれ者同志だよなあ」なんて緑は私の肩に腕を巻き付けながら言う。

「そうねえ。うまくいかない。高校生の時から」


」ふと。緑は言う。


「…諦めてヘテロセクシャルになると?」

「いいやあ。僕らはホモセクシャル同志じゃん」

「でも異性ではある」

「とは言え。僕らは腐れ縁だぜ。小学生の頃から」

「それは悪友としてでしょうが」

「一度も考えた事はない?」

「…数回あったかも知れん」私は恋が破れる度に考えたものだ。いっその事、と。

「なんで一度も試さなかったんだろうね」

「それは大学入ってからはアンタに彼氏が居たからでしょうが」

「そりゃそうか」

「…一回。2人でホテルにでも行ってみる?」私は勇気を出して言う。

「…」緑は考え込む。

 

                  ◆


 私と緑はしこたま酒を呑んだ。それはホテルに行くことを決めたからだ。


「お互い酔い倒して。一夜の間違いを犯してみよう」彼は決意したような顔で言う。マティーニを呑みながら。

「…そうね」私もスクリュードライバーをち込む。シラフだと色々考えこんでしまうからだ。


 そして。私達は千鳥足で、街の外れにあるラブホテルに行き。

 今はお互いシャワーを浴びてる。今は緑の番。私は先に済ませてバスローブを着ている。下は下着姿。


 緑はシャワーを済ませると。出てくるが。その様がマジで女の子じみていた。

 彼は前をもじもじと隠しているのだ。


「お前は女か!!」私は突っ込む。

「いくら幼馴染とは言え。裸を見られるのは恥ずかしい」

「…んで?ちそう?私で」私はバスローブを開け、下着姿を彼に見せるが。

「…酒呑みすぎたかな」彼は下を見ながら言う。

「根っからのホモな訳ね…でもさ。私の身体。男っぽくない?」私は彼に肩とか見せてみる。

「…胸板があるね。でもそこにはブラがある。不思議だ」

「そりゃ女だからね」

「小学生の時から君を知ってるけど。まさか本当にブラしてるとは」

「からかってんの?」

「からかってる。やっぱ僕は藍に性的に興奮できそうにない」

「こうやって笑い話に終始しそうになっているしね」一応、のだが。彼が勃たないんじゃどうしようもない。


 だけど。このムラムラした気分はどうしようもなくて。

 とりあえず無理やり彼をベットに押し倒し。


「ゴメン。我慢出来ない」私は緑に告げる。今から襲うと。

「…好きにしてくれ。勃つかわかんないけど」

 

                  ◆


 結局。私と緑はセックスした。

 無理やり彼を勃たせて。私が上に跨がり。

 行為はあっという間に終わった。


「やってしまったなあ」と彼は私の下で言う。

「やっちゃいましたな」と私は応える。

「…一線を超えてしまった感がある」なんて呑気に言う緑。

「ゴメン。私は…意外と緑とイケてしまった」

「いや。僕も最初は乗り気じゃなかったんだけど。やっちゃえばやれるもんだね」

「…早くに気付いていれば。私達はもっと幸せだったかも」

「それは…どうだろうね?僕は元カレとの同居を経なきゃ。藍とホテルに来る事はなかった」

「…遠回りしなければ。私達は分かり合う事もなかった」

「いやあ。灯台下暗しとはよく言ったものだよ」

「…小3から25まで。16年越しの新事実」

 

                  ◆


 そうして。私達がホテルで過ごしてから2年が経つ。

 私達はあのホテルでの『一夜の間違い』以降、パートナーになり。


 緑は地銀を辞めて。私の家に転がりこんでる。

 彼は家事全般をこなしながら、別の仕事をこなしている。うつはなんとか寛解かんかいの方に向かって行った。


「あのさあ」リビングで緑の作った料理を食べながら喋る。

「んあ?どうかした?味付けが気に喰わない?」

「いいや。カレイの煮付けは超うまい」

「ありがと。んで?」

「そろそろさ。結婚考えない?」

「おっと。そう来たか」

「実は―」私は隠していた指輪を取り出し。

「おお。指輪。まさか君の方からプロポーズされるとは」

「…この家じゃ。私が夫みたいなモノだから」

「済まんねえ」

「いいよ。妻みたいな事してもらってるし」

「ホント。僕らは性役割が逆転してる」

「今に始まった事じゃない…んで?返事は?」

「…よろしく頼むよ」


 こうして。私と彼は結ばれた。

 恋は18年に渡ったが。実った。

 私は―多分。


 

                  ◆




 

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『ブルー・イン・グリーン―藍は緑に混じりて―』 小田舵木 @odakajiki

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