君は鮮やかな黒が好き?

「……そろそろカケルが登校する時間なのに」

「仕方ないわよ。ほら、ちゃんと休んで」

 そう母親に咎められる。彼女の手には解熱剤や身体を拭くタオルなどが用意されており、手慣れた様子が見て取れる。

 この熱では何もできやしないので、仕方なく布団を被った。せめて汗をかきたい。それでいて、身体は冷やさずに……。

 実は体の弱いカナタがこんなふうに熱を出すのは、珍しくなかった。大抵は一日で下がる熱で、咳が出るわけでもなく、大事を取って大人しくするのが常だった。けれど今回の熱は、まとわりつくような怠さがある。二日は休む羽目になるだろう。

 カケルは大丈夫かな……と、熱く重い瞼が落ちてくるのに抗いながら、それだけを気がかりに、カナタは寝返りをうった。


 カナタが心配する通り、登校中のカケルは現在進行形で危険に晒されていた。

 なんでも、目の前の中年男性は体調が悪く、どこかで休まないと気絶してしまうほどだという。うう、という唸り声を聞けば、カケルが声をかけてしまうのは必然だった。

 カナタがいたならば、「でもあの人、汗すらかいていないよ」と冷静に指摘して、カケルが心配するならば、と救急車を呼ぶことを検討しただろう。

「きみ、肩を貸してくれないかな……?」

「おじさん!うん、わかった。どこに行きたい?あ、救急車が先かなぁ」

 迷いながらも、目の前の困っている人のためにカケルはあっさりと男性に近づき、手を伸ばす。男性とはそれなりに身長差があるので、肩をうまく貸せるかわからない。でも、背伸びをしたらきっと大丈夫だ。

 にっこりと安心させようと笑いかけるカケル、そしてその細い手首を、男性が病人とは思えない強い力でつかんだ。

「君は優しい子だねぇ」

 痛いのか、苦しいのか、暑苦しいのか、よくわからなかった。急接近されて思わず後退るけれど、男性の力は強くて、そちら側へ引っ張られてしまう。

 辺りは車くらいしか走っていなくて、その中の誰かが停まることもない。

(どうしよう、どうしよう! カケルにいつも気を付けてねって言われているのに、またやっちゃった……でも、もしかしたら本当に困っているのかも)

 困りながらも思考を巡らせて、脳内のカナタなら何と言って切り抜けるかをシミュレーションする。想像の中のカナタは、そもそもこんな状況にならないのでどうしようもなかった。

 そういえば、カナタが防犯ブザーを入れた方がいいって言われて、入れたアプリがあった。それを思い出し、なんとかスマートフォンのブザーを鳴らそうと鞄へ片手を動かすも、スマートフォンはカケルの手には大きくて、取りこぼしてしまう。

 どうしよう。その言葉で頭がいっぱいになって、うまく切り抜けることができない。自然に出てくるのは、困惑の声やそれでも男性を信じたいという、男性をつけあがらせる想いくらいだった。

 そんなカケルの耳に、声が届く。それは例えるなら、夜風に揺れる柳のような、涼やかで風流な、美しい声だった。

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