夕映えの胞子
深 夜
第1話
ひろびろとした水田のはてに連なる紫の山並み。その向こうへ熟した柿の実の色をした夕陽が落ちて行く。空と雲と山々、そして夕焼け。なんて綺麗なたそがれなんだろう! こうして空を飾る華麗な色彩を見ていると、永遠と言うことばの意味が分かるような気がしてくる。
でもこの神の芸術もほんのわずかの間に闇に呑まれ、あとかたもなく消えてしまう。ならば私たちも運命を共にするべきだ。知性のあかしとは美の存在を知ること。そして目にしたたまゆらの美とともにみずから滅ぶことこそが、知性体の名にふさわしい最期ではないだろうか?
こんな馬鹿げたことばかり考えているからあたしは中学でいじめられてばかりいた。だからこんな完璧な秋晴れの日にさえ昼休みに校庭に呼び出され、髪に缶コーヒーをかけられた。
乾いた暖かい陽射しと冷たいそよ風にさらされてべったりと染み込んだコーヒーが乾いてゆくのを感じながら、あたしは大声で泣いた。何が知性体だ。万物の霊長だ。あたしたちは猿どころか爬虫類、いや両生類以下のどうしようもない屑じゃないか。そんなあたしを見て両生類より下劣でしかも魚の
底知れず澄みわたった青空のかなたよりそれが舞い降りて来たのは。
それは歴史の教科書に出てくる銅鐸を縦にしたような形をしていた。
しかしその大きさたるや街を取りまく山々のどれよりも大きく、岩石のように粗い表面は直立した巨大な荒野だった。
音もたてず、わずかな風も伴わず、それは夏の終わりの蒼い高みよりあたしたちすべての頭上へと、減速するようすもなく軽やかに降臨してきた。
その年初めの秋の陽射しを受け、ごつごつとした表面は細部の褶曲までよく見渡せた。
その受け容れがたい巨大さと何より岩山のような表面に刻み込まれた暗黒の歳月、その
二両列車の窓辺に置かれたスマホがニュースを流している。
今日の気温は平年並み。交通事故による死者はゼロ。
四人掛けのボックス席にはあたしと、あたしをいじめた三人の娘たちが向きあって座っている。わだかまりはもうない。あたしたちは何もいわず時々目をかわし静かに笑った。
何もいわなくても分かっていた。
ただ信じられなくて不安だったのだ。
だから仲良くするため、外に敵をつくることが必要だったのだ。そしてもうそんなものは必要ない。
窓から吹きこむ風はかすかに稲を焼く匂いがした。あたしたちは限りない安らぎに包まれていた。
駅前には大きな交差点がある。
東西にのびる広い農道と、見渡すかぎり広がる畑地を南北に分けるおかしなくらい真っ直ぐな畦道が、駅の真正面でぶつかりあう。
大むかしこのあたりが豊かで大きな村だったころの名残だ。
娘のひとりは電車に残った。
あたしたち三人は別れのことばもなく、交差点からおのおのの家路をたどり始める。
今日の正午過ぎに市で何が始まったか――いや終わったのか。
市の外で知っているものはまだほとんどいない。しかしあたしたちに不安はなかった。知っているものはみな、すべて理解しているのだから。
そしていま、あたしたちは帰る。愛する人たちのもとへ、おみやげをたずさえて。
あたしたちは光の胞子だ。
紅く染まった野面を五時のチャイムが谺を曳いて渡っていく。風の向きがかわって少し冷たくなる。
「ただいま」
台所に射す夕陽のなかで、ママがいつものやさしい笑顔でふり返った。
「あらおかえり。今日はいい日だった?」
「うん。でも本当にいい日は、これから始まるのよ」
そしてあたしの顔が六つに弾け飛んだ。
夕映えの胞子 深 夜 @dawachan09
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