三品目――桜と緑茶と三色団子――
小さな画面から流れるニュースでは、見慣れたスーツ姿のアナウンサーが桜の満開を知らせている。この時期が来ると私は決まってある場所であるものを食べる。去年までは基本お昼頃行っていたんだけど、満開の知らせに続いて明日の朝からの雨と風でかなり散ってしまうとあまり嬉しくない情報が続いたから、ちょっと急だけど今日の夜に行くことに決めた。そうなれば今日は絶対に定時で帰らないといけない。
四月も始まったばかりの忙しい時期にそれが叶うのかというと、一般的に考えたら中々難易度が高いのはわかっている。でも二年目の私が一人で出来ることは残念ながらそこまで多くないこともわかっているから、コーヒーに入れる砂糖を忘れたからって周囲に当たり散らす課長や、仕事中もずっと自分の好きな芸能人の動画を見てニヤニヤしている部長に気を遣って「やることありませんか?」なんて聞きに行かなければ、許容量を超えた仕事を押しつけられることもない。変に気合いを入れすぎて今思うとあれもこれもと明らかに新卒らしからぬ量の仕事をこなしていた。去年の今頃に戻れるのなら間違いなくあんなに気合い入れて過ごさないし、去年の自分に会えるのならひっぱたいてでも止めている。結局秋頃から出勤する時も退勤する時も涙が止まらなくなって、毎日毎日明日が来るのが怖くて仕方がなくなった。
今でも波はあるものの、たまに気づくと泣いている。それでも辞めなかったのはこの仕事が性に合っていることも理由ではあったけれど、何よりここを辞めてその後何をするにしても自分が通用する自信がなかったから。これでは不味い。いつか自分が壊れてしまう。そう思ってからは無理そうなときは迷わず「出来ません」、一日も使っていなかった有給は権利だからとしっかり申請するようになり、大分息をしやすくなった。自分のために、自分を守るために鈍感になって、図太くなったんだと思う。私は生きるために仕事をしているのであって、やりがいがあったり楽しかったりするのならそれに超したことはないんだけど、他に好きなことややりたいことはたくさんあるんだから全部を捧げる必要なんて全くないのだ。あれやこれやぼんやりと色々なことを考えているうちに気づけば入り口にたどり着いて、全く無意識のうちに社員証も手に持っていた。習慣って怖い。
さて、今日はまだまだ先も長い火曜日。ほどよく惰性で過ごしていこう。そうお気に入りの紅茶に口をつけて、息を吐いた。
そこから長いような気も短いような気もする八時間ちょっとが過ぎて、時計はようやく焦がれた時間を示す。さりげなしに鞄を抱えてなめらかに立ち上がり、扉に手をかけてから振り返り、「お疲れ様です」を言い切るか言い切らないかのうちに返事も聞かずに部屋を出る。こんなことするのは流石に今日だけにしようと思うから、許して欲しい。
いつも以上のスピードで駅へと突き進みいつもより一本早い電車に乗り込む。ほぼ走る勢いだったせいかお腹が空いていて、最寄りまでのほんの十分たらずが今日はいつもよりちょっと長く感じた。そこからの流れはもう何の迷いもない。道すがらのスーパーでお目当ての品を手に入れて、家に帰って温かい緑茶を水筒に入れ直して、着替える時間も惜しくてスーツのまま外に飛び出す。目指す場所は地元の人でもほとんど知らないであろう
そうこうしているうちにたどり着いたのは、開けた畑を奥まで進むと見えてくる川沿い。こここそ私の目指していた場所だ。川の向こう側を見れば、一面の桜。街灯なんかはほとんどないから薄暗い。足下に気をつけつつ目をこらせば、目的の切り株をどうにか見つけられた。退勤からノンストップで足を動かし続けていたから、腰を落ち着けてすこしほっとする。スーツ汚れてもまあいっか。少し頭上の桜を見上げてから、ようやくスーパーの袋から一年越しのアレを取り出す。今日の夜ご飯は、そう、三色団子である。なぜ三色団子なのか。その理由は十年以上前に遡る。
共働きだった両親に変わって保育園のお迎えに始まり休日や放課後に私の面倒を見てくれたのは、少し離れた場所に住む祖父母だった。小学校も学区こそ実家の方にある小学校に通っていたものの、家に着いて玄関先で少し待っていればトラックに乗った祖父が迎えに来てくれて連れ帰ってくれたし、休みの日は当たり前のように仕事の父母が出勤のついでに私を下ろしていった。中学校に上がる頃になって、「これからは鍵を渡すから自分で家に入って待ってなさい」と言われたときも、祖父と祖母に会う機会が減ってしまうのが嫌で卒業式より泣いた。それでも私一人でどうにか出来ることではないのもわかってはいたから、最後だからと頼み込んで春休みの間だけ祖父母の家で過ごした。
一日、一日とあっという間に時間は過ぎていき、明日からは車の距離にあるここにはこれなくなる。そう思うと鼻がツンとして、畑に向かうトラックの中で菜の花をにらみつけたのを覚えている。それからお昼を買いに行こうかっておばあちゃんが言って、その日は珍しくスーパーに寄った。さみしがる私を気遣ってくれたんだろう。なんでも好きなもの買っていいよって言ってくれたから、スーパーをぐるっと一周して私が選んだのがカラフルでなんだかかわいく見えた三色団子だった。一パック三本入り。「そんなちっとでたりるんか」っておじいちゃんの言葉にうなずいて、結局食べたことのない三色団子を買ってもらった。それから畑仕事の手伝いをして、お昼にトラックの荷台に座って団子をかじった。桜は満開。菜の花も咲いていて、春の匂いがした。
「さみしくなったらいつでも来て良いからね」
「バス代くらいだしてやるし、電話してくれりゃ会いに行く」
こちらを見て笑ったおばあちゃんの顔と、目をそらしてぶっきらぼうだったおじいちゃんの顔は今でも覚えている。たまらなく嬉しくて、でもそれを正直に言うのは照れくさくて、私は「団子おいしい」って言って、最後の一本のピンクをおばあちゃんに、みどりをおじいちゃんあげて、白を自分で食べたっけ。そうして始まった中学生活はまあそれなりに楽しかったけれど、家に帰ると一人だから寂しかった。でも二人には心配かけたくないからってたまに電話するときも一度だって寂しいとは言えなくて、長期休みに会いに行くのが本当に楽しみだった。春休みには決まってあのスーパーの三色団子を用意して待っていてくれて、私が照れ隠しで言った「団子おいしい」をずっと覚えていてくれたんだって嬉しくなった。
だけど、それも長くは続かなかった。二人は立て続けに体調を崩して、帰らぬ人となったのだ。たった半年足らずのことだった。高校受験を控えて祖父母の家から通えるところを選ぼうなんて考えていたのに、合格したら知らせて驚かせたいなんて思っていたのに、あの半年間の出来事は自分にとっては抱えきれないくらい大きくて、あまり覚えていない。
少しでもそばに居たいと泣きじゃくって、両親に止められても諦めずに市外の祖父母の家から近い高校を第一志望にした私は、結局三年間二人の思い出が残る家から通い続けた。桜が咲く頃は決まって三色団子と二人が好きだった茶葉で緑茶を入れて、畑へ食べに行くようになったのも高校に上がってからだ。今思えば高校生の一人暮らしを両親はよく許してくれたな。自分が大人になってようやくどれだけわがままなことを言っていたのかと恥ずかしくなるものの、なんだかんだ後悔はしていない。大学進学で県外に行っても、こうして就職してこちらに戻ってきてからも、毎年毎年、私は畑で三色団子を食べ続けている。
こんなことしたって二人が戻ってこないことはわかっているし、思い出に浸るためにこうしているわけじゃない。ただ、桜の下、ここで団子を食べていると自分は一人じゃないと、そう思える気がして。元気な姿を、ちゃんとごはん食べてるところを二人に報告出来ているような気がして、続けている。
休日の夜はたまらなく憂鬱だし、楽しいことも嬉しいこともある一方で、嫌なことや思い通りにいかないことも多い。生きている間に良いことしかないなんてありえないことは流石にもうわかっている。最近じゃ、本当に今のままでいいのかなんて不安を抱えて、もう全部辞めてしまいたくなる。それでも団子の味はあの頃から変わらないし、地球の歴史から見ればたかだか私が生きる長くて百年ぽっちなんてちっぽけなものだ。でもね、何年経っても二人に会えて良かったって思う気持ちは変わらないんだ。本当にありがとう。
手元のパックを見れば団子は最後の一本で、少し風が出てきたから寒くならないうちに食べきって撤収しようと思った。その時、突然強い風が吹いた。びっくりして思わず目を閉じる。とっさに膝に乗せていた荷物は抑えたから無事なはず。恐る恐る確認すると、パックの中、ピンクとみどりに花びらがちょこんと乗っている。もしかして一緒に食べに来てくれたのかな?がらにもなくそんなこと考えながら、かじりつく。いつもより渋めに入れた緑茶を飲んでみても、なんだか最後の一本はいつもより優しくて甘い味がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます