『ウィッチクラフト―魔術を行使するか否か―』

小田舵木

『ウィッチクラフト―魔術を行使するか否か―』

 発達した科学は魔法と見分けがつかない。確かアーサー・C・クラークの言葉。

 私は今、発達した科学…魔法を使って彼を黄泉よみから引き戻そうとしている。


 私の手元には彼のDNAシーケンスデータが残っており。

 後はコイツで彼を修復するだけ…なのだが。そこには大きな迷いがある。

 私はこの外法げほうの技術を使ってしまったら。人という道から外れるのではなかろうか?と。


 私は培養基ばいようきの前で考え込んでいる。夫とは意見が分かれた。

 一度、死んでしまった子どもを呼び戻すなんて。神に逆らうようなものである、と。

 もう一度子どもを産めば良いじゃないか?私の父母は言った。

 だけど。それは違うのだ。私は私の間違いで殺してしまった子どもを取り戻したいのだ。


 私の第一子。名を亜紀あきという。私は彼を死なせてしまった。

 原因は交通事故。助手席に乗せた亜紀に対向車は衝突し。私だけが助かってしまった。

 その事故は私の不注意で起きたようなモノだった。だから慚愧ざんきの念が拭えなかった…


 幸いにも私はDNAを専門とする遺伝子工学者であり。

 亜紀が亡くなった後、人の発生段階への介入をテーマに絞り研究を続けた。

 私には卵子と夫の精子があり。後は受精卵に編集をかけてしまえば、亜紀は取り戻せると確信していた。


 研究は難航したが。私はたどり着いた。受精卵への介入をすれば。限りなく亜紀に近い子どもを産む事ができる…

 時間をかけすぎた。私はもう五十歳を迎えており。出産は負担が大きい。

 代理母を使うのは気が引ける。では?私は専門外であるインキュベーター孵卵器を開発した。


 そう。もう手はずは整っている。後は私が決心するだけ。

 …夫はこの研究に取り憑かれた私を置いて何処かに消えた。

 決心するのは私一人。

 

                  ◆


 私は今日も決心をし損ねて。研究所の部屋を後にし。

 車を走らせ家に戻る。家に帰れば、飼い猫のトムが脚にまとわりつく。

 私は夫と離婚してから猫を飼い始めた。家を空けがちだというのに。

 それは段々と周りから人が居なくなる私の心の穴を埋める行為だったのかも知れない。


 私はトムの世話を諸々もろもろ片付けてしまうと。遅めの晩ごはんを作る。

 といっても、簡単な野菜炒めだ。手間のかかる料理はしたくない。

 

 私は缶ビールを片手に野菜炒めを食べる。無音のリビングに耐えられなくなったので音楽を流す。

 ビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』のアルバムをシャッフル再生したら、『ウィッチクラフト』が流れた。

 私はそれに皮肉を感じる。ウィッチクラフトとは、魔女のわざ全般を指す言葉だ。


 私は魔女になろうとしているのだ。

 科学という魔術を使い、遠い昔に亡くした子どもを黄泉返よみがえらせようとしている。

 亜紀が亡くなったのは20年も前の事だ。ずいぶん時間がかかってしまった。

 でも。それはしょうがない事でもある。DNAの編集技術はここ20年の間に飛躍的に進歩はしたが。亜紀を黄泉返らせるレベルの技術に至るには20年かかったのだ。


 私は研究者として。DNAを選んだ事を運命だと思っている。

 そして。DNAの編集技術が亜紀が亡くなった頃から発展し始めたのは天佑てんゆうだと思っている。


 …だが。私はこの所業に抵抗がないわけではない。

 神を気取る事に等しいのだ。これは研究所の倫理委員会にも牽制された事である。

 だが。私は。強権と同情論でそれを押し切った。別にいま生きている人間に害を成すモノではないと。遺伝子改造は施すが、それは過去に亡くなった人間を再現するだけなのだと。


 私は…勢いだけでこの研究を続けてきたが。歳を経るごとに冷静さを取り戻し。

 今は迷いの中にいる。50を迎えた私は30の頃のような勢いはない。

 別に亜紀への想いを無くした訳ではない。

 魔女になってしまうのが―恐ろしいだけだ。

 

                 ◆


業原ごうばるさん。あの研究…どうするんです?」若手の研究員はく。

「…さすがの私も躊躇してるわけ」私はカフェオレ片手にこたえる。

「一応は。貴女あなたの悲願だった訳でしょう?」

「30の頃から私は。この夢に向かって突き進んできた。だけど」

「だけど?」

「私。これをしてしまったら。魔女になってしまうんじゃないかって」

「…貴女はもう既に魔女ですよ」若手の研究員は眼鏡をいじりながら言う。


 私は。このDNAの編集技術の研究の中で魔女の異名を取っていた。

 DNAの編集技術を使いどれだけの改造ラットを創ってきた事か。

 そのラット達は薬物の開発に役立てられ。私は多くの資金と名誉を得た。

 

「確かに私は魔女と呼ばれてはいるけれど…使」それは遺伝子改造人間を創ってしまえば。歯止めが効かなくなるからだ。

「だけど。業原さんが躊躇ちゅうちょしている内に。他の研究チームがやっちゃいますよ。多分。研究倫理の薄い中国あたりはやりかねない」

「先を越されたら。私は楽になれるかもね」

「でも…業原さん。研究の世界は競争だ。貴女はやれる。やってしまえば―大きなブレイクスルーになるかも知れないんです」

貴方あなたは私をそそのかして。何がしたいの?」

「僕はこの技術の未来を見てみたい。そして貴女には未来を切り開く力がある」

「貴方は迷わなくて良いから楽よね」私は嫌味をぶつける。

「…まあ、そこは否定出来ない。僕には貴女ほどの想いはない。技術もない」

「…ああ。参ったな」私は思う。最近はかの外法の魔術への期待が高まっているのだ。

「僕は貴女のゴーサインを待っていますから。どうか善き決断を」若き研究者は自分の研究へと戻っていく。

 

                  ◆


 私はPCで亜紀のDNAシーケンスデータを眺める。ACGTで記述された彼の設計図はテキストデータにしてしまえば3GB強しかない。

 私はそこに不思議を感じる。この設計図が基になり、巨大なタンパク質のコンプレックスが形成され。それが亜紀になる…


 私が亜紀を亡くしたのは彼が6歳の頃だ。その頃の亜紀は幼稚園に通っており。

 私は彼を迎えにいった帰りに事故を起こした。その時、私は寝不足気味で。本来なら車のハンドルを握るべきではなかった。だが。夫の方が急な残業で亜紀をピックアップできなくなり。研究室に缶詰していた私が彼を迎えに行った…


「お母さん!!!」私が幼稚園に迎えにいくと亜紀は弾けるような笑顔で私を迎え。

「来たわよお…」なんて私は応えたっけ。

「久しぶりにお母さん見た!」亜紀と私は。亜紀が幼稚園に入った辺りからあまり顔を合わせていない。私は研究者としてのキャリアを止めてしまう事に我慢が出来なかったのだ。だから幼稚園に預けられるようになってからは、比較的時間の余裕のある夫に亜紀の世話を任せていた。

「ゴメンね。お母さん、研究忙しかったから」私は当時、DNAの編集技術の発展を見守っていた。その技術が花咲くのを最前線で見ていた。

「良いよ、僕、お母さんがが研究してるの格好いいと思うから」

「…寂しい想いさせてるけど」私は小声で応える。


 私は亜紀をピックアップすると、車を走らせた。一応、眠気対策にコーヒーを飲み、ガムを噛んでいた。

 昨晩は研究が行き詰まり、徹夜をしていた。

 徹夜をしていたせいか、私は論理的な思考を失っていた。寝不足なら、無理に運転せずともタクシーを呼べば良かったのに。今はそう思うが。その時の私はそんな事考えつきもしなかった。


 運転中に意識が吹き飛ぶ瞬間があった。信号を待っている時なんか、青になるまで意識が綺麗に飛んでいた。

 だが、私は運転を続けてしまった。繰り返しになるが冷静さを失っていたのだ。


 そして私はアクセルを踏んでいる時に意識を飛ばしてしまった。

 無意識にハンドルを対向車線に切ってしまっており。

 そのまま―対向車と激突。その時もハンドルを対向車線側に切り続けたせいで、助手席に座った亜紀のところに対向車はぶつかった…


 かくして。私は亜紀を失ったのだ。

 私は亜紀が亡くなってから一年は研究所に行けなかった。

 私の愚かな行動のせいで亜紀を亡くしたかと思うと研究なんて進まなかった。


 だが。私はある日思い至ったのだ。

 もし、ヒトの受精卵への遺伝子編集ができたら?私と夫の卵子と精子はある…亜紀の遺髪も手元にある…

 ああ。亜紀のDNAシーケンスデータと技術さえあれば。彼に限りなく似た子どもを産めるではないか。


 

                  ◆


 

 私の人生は終わりつつある。最近よく思う。

 私は私の人生をかけた魔術を完成させつつある。

 だが、魔女になりたくはないという想いがそれを押し止める。

 だって。受精卵への遺伝子編集をしてしまえば。私達人類は神を凌駕りょうがすることになるのだ。今まで自然という神に丸投げしていた事をコントロール出来るようになってしまうのだ。


 私は家で猫のトムを膝に乗せながら考える。

 果たして人類はこの技術を手にしてしまって良いのだろうか?

 私個人としては。やってしまえば良いという想いはある。それだけの理由が私にはある。

 だが。この魔術が一度世に出てしまえば。それは悪用されるに違いない。

 遺伝子改造ベビー。これが世界に出てしまえば。世界のバランスは崩壊する。

 私の技術は亜紀を再現するレベルにまで到ってしまっている。

 ならば。ヒトの生まれ持つ全てのモノをコントロール出来るのと同義で。

 知能や体力を高めた子どもが産み出されるのは時間の問題だ。

 そしてそれは格差を生むだろう。ジーンリッチな人間とジーンプアな人間が分かたれる。富める者は強力な遺伝子をノックインした子どもを産み、貧しい者は自然に任せて普通の子どもを産む。そしてその子ども達は育ち。よりリッチな遺伝子を持つ者だけが子孫を残していく。それは種の分化と同義で。


 私は苦悩する。なんてモノを開発してしまったのだろうと。

 私は亜紀をもう一度産みたかっただけなのに。


 私は膝に乗るトムに語りかける。

「私はね…魔女になろうとしているのよ」と。

「ふなあ」と応える彼は黒猫だ。オスの黒猫。非情に人懐っこいが―黒猫は魔女のアイコンにはピッタリで。そこに私は皮肉を感じる。別に意図して選んだ訳ではないのだが。

 

                   ◆



「いつまで君のプロジェクトに資金を供給すればいいのだ?」私の前に座る研究所の所長は言う。

「…あと少し。決断する時間をください」私は乞う。

「君が躊躇ためらう気持ちは分かるが。維持するのにどれだけの時間とカネをかけたと思ってるんだ?慈善事業じゃないんだぞ?」この研究所は営利団体ではないが、各所から資金が注入されており、常に結果を求められる。

「とは言え。この決断は人類の未来を左右するものです」私は一般論に逃げる。

「ああ。だからだ。私はともかく、ここに資金を注入する金持ち共は、遺伝子改造ベビーを心待ちにしている…」所長は手を揉みながら言う。

「人類の種の分化を心待ちにしていると?彼らは良いですよね。責任を取らされるのは私だ」

「だが。彼らの力添えがなければ。君は今の段階に到達出来てはいない」それは事実だ。豊富な資金提供があったからこそ、20年はかかったが実現近くまでこぎつけた。

「だから?私に魔女になれと?」

「ああ。君は受精卵への遺伝子編集を施し…遺伝子改造ベビーの母になるべき人間だ。それだけの権利と責任がある…」

「…」私は言い返せない。実はもう。後戻りは出来ない段階に来ているのではないかという想いが去来きょらいする。

「良いか?君はこのプロジェクトを完遂かんすいさせろ…そのついでに君の悲願も果たせば良い…」

「…後少し。後少しだけ考えさせてください」私はこの後に及んで迷う。

「一ヶ月。一ヶ月だ。それまでにゴーサインを出すか否か考えておけ」

 

                  ◆


 私は所長との会見を終わらせると、研究室に籠もる。ドアにロックをかけて、閉じこもる。

「どいつもこいつも…」私はコーヒーメーカーに向かいながら愚痴る。

 彼らは良い。自分に責任がないからいくらでも好きな事が言える。

 私の決断に人類の未来がかかっている。そしてそれには私欲が絡みついている。

 

 私は。亜紀をどうしたいのか?

 考える。出来れば。黄泉の国に下り、私が殺してしまった彼を引き戻したい。

 だが。それは出来ない相談で。私はその代替案として彼と非常によく似た子どもを世界に産み出すかどうか悩んでる。


 ここには矛盾がある。のだ。

 …なのだ。


 これに気付いたのは研究を初めて2、3年。当時はあまり深く考えなかった。30代の私は血気盛んと言うか…無鉄砲で。矛盾を屁理屈で誤魔化ごまかした。

 私は決して私欲の為にこの研究をしているのではない。亜紀への懺悔の為にこの研究をしているのだと。


 懺悔の念はいつしか変質していった。私は研究自体が楽しくなってしまったのだ。

 それは私が根っからの遺伝子工学者だからだろう。

 私は研究を進め、亜紀の再生に近づく度に興奮してしまったのだ。

 その興奮は亜紀への懺悔を揺るがす位に大きなものだった。


 私は―50を迎えて。もう女性としては終わりを迎えようとしている。

 別にこれはフェミニズム的な見地ではない。生物学的な見地だ。

 私の子宮に残る卵子は数少ない。もし、亜紀が生きていたのならば。もう26歳になっていたはずで。もしかしたら私は祖母になっていたかもしれないのだ。

 

 もしかしてのヴィジョンは私の目を曇らせる。私はもう生物学的には女性を終え始めているのだから。もう。亜紀を追い求めるのは諦めた方が良いのではないか?


 だが。30の頃の私の残滓ざんしは残っている。未だに私の精神の底で、亜紀をもう一度産めと叫んでいる。

 私は50になり。分別がつきすぎた。やっと周りの状況を見れるようになり。

 そして気付く。使と。人類の種の分化の母になろうとしているのだと。

 

                  ◆


 私は研究室を出ると、培養基がある部屋に向かう。

 そして冷凍庫から自分の凍結卵子と元夫の凍結精子を取り出し眺める。

 今、この凍結精子をダメにしてしまえば。少なくとも私は亜紀の再生という業からは離れられる…


 私はしばらく逡巡しゅんじゅんするが。結局は冷凍庫に卵子と精子をしまってしまう。

 後一ヶ月の猶予がある。まだ決断してしまうには早い。


 その様を若き研究者に目撃され。彼にため息をつかせてしまう。

「…業原ごうばるさん。貴女が早く決断すればするほど、救える命はあるかも知れないんですよ?」彼は私の背中に言葉をぶつける。

「…分かっているわよ。この技術には…この魔術には無限の可能性があることは」

「なら。何故躊躇ちゅうちょする?」厳しい言葉をぶつける彼。

「私は私欲で動きすぎた。雁字搦がんじがらめになってるのよ」

「貴女は私欲を満たす権利がある…僕はそう思います。貴女がどれだけこの技術を発展させたか。僕はこの目で見てきた」彼は私の私的な助手だ。このプロジェクトにほぼ専従している。

「それはまだ。私が若くて、私欲に純粋だったから」

「今は…純粋になりきれない?」

「ええ。そうなるには歳を取りすぎた。視野を広げすぎた。私は恐ろしいの。私が魔術を使ってしまうことが」

「もしかしたら―魔女裁判にでもかけられるかも知れないから?」

「そう。私がかの技術を世に出してしまえば。悪用する輩はきっと居る…そもこのプロジェクトに資金を注入してるのは」

「財界人、政治家…金持ち共ですね。自分の世継よつぎを改造したいと願ってる」

「そう。だから私は。踏ん切りがつかない。人類の敵になるかも知れないのよ」

「だが、そんなモノは数世代で払拭できるでしょう?」

「そうね。ジーンリッチな人間だけがこの世に残る…これって人類への、神への冒涜じゃない?」

「かも知れませんが―例えばですよ?遺伝病を予防出来るようになるかもしれない」

「その可能性は大いにある。それは私としても利益になると思ってる」

「…その利益で迷いを吹き飛ばしましょうよ」

「貴方は必死ね…何か理由があるの?」私は彼のプライベートに初めて踏み込む。

「僕の家系は。重度の遺伝病を抱えている。神経性のモノです。もし自分が子どもをつくる時、その子どもに遺伝病を発症させてしまったら?そう考えると恐ろしい。僕は貴女の技術を使って遺伝病を撲滅したい…これって人類の為になると思いませんか?」

「思うけど…」私は彼の抱えたモノに圧倒されてしまう。

「もう。後は貴女が決心を決めるか否かにかかっています」

「…随分重い選択を託されてしまった」

 

                  ◆



 私はプロジェクトの締め切りの一週間前だと言うのに、休みを取った。

 そして。亜紀の墓参りに来ていた。

 未だに決心はつかない。私は私欲を満たし、魔術を行使すべきか?

 私は亜紀の墓を掃除しながら考える。

 

 空を見上げれば、スカイブルー。水色の空と灰色の墓石のコントラストにクラクラしそうになる。


 私は亜紀を失ってから20年の時を過ごしてきたが。未だに彼の事を忘却するには到ってない。通常。ヒトの死は忘却をもたらすモノだが。

 私は彼への想いを引きずって生きてきた。どうにか贖罪しょくざいをする為に研究に没頭してきた。


 だが。その贖罪の研究は結局は私欲の発露であり。人類への大きなインパクト・ファクターであり。

 私は決断を先延ばしにしているが。外圧に耐えきれなくなってきている。

 

 ならば。私が罪を背負い、人類に恵みをもたらすべきではないか?

 そんな傲慢な考えも頭に上るが…


「亜紀。私はどうすれば良いの?」私は墓石の下の彼の遺骨に問いかけるが。応える声などあるはずもない。

「私はね…ただ。亜紀に謝りたかったはずなのに…何でこうなっちゃったかなあ」


 私は彼の墓に線香を上げる。線香の煙は天に登っていく。

 私の声も天に上ればいいのに。私はそう願ってしまう。


 私は。ただ。亜紀に会いたい…

 ?ふと考える。私が死ねば。彼の居る黄泉に行けるかも知れない。彼を黄泉返よみがえらせるのではなく、私が彼の元に向かう。

 私は自殺を考えた事が数度ある。研究所に顔を出せていない時期に。

 だが。私は魔術へと思い至ってしまい。それに取り憑かれた。そしてすっかり自殺の事を忘れていた。


 今は自殺が最も賢明な答えに思えてきたが。

 でも。私の魔術を心待ちにしている者はいるのだ。

 私の魔術でしか救えない命もあるのだ…そのついでに。私欲を満たして何が悪いのか…


 私は結局―結論を出せなかった。

 

                  ◆



「君の技術は。中国のチームが…遺伝子改造ベビーを産み出した。エイズの抗体遺伝子をノックインしたらしい」私は所長室で聞いた。

「…ああ。こんな結果になるとは」私は放心しながらその話を聞いていた。

「調査委員会の調査を待たなくてはならないが。下手人げしゅにんはもう上がっている」所長は苦虫を噛み潰すかのような顔で言う。

「…ウチの助手の。神原かんばるくんですか」眼鏡の若き研究者だ。

「そうだ…彼は君の煮えきらない態度に失望したらしくてね。基礎研究の成果をリークしていた。中国のチームに伝手があったらしい」

「そういうほのめかしはしてましたから」

「ああ。これで私のクビは飛ぶ」所長はため息をついている。

「私も一緒に飛ばされるでしょう」

「そして。神原はこの研究所を去って。中国のチームに移籍をするだろうな」

「もう。この国の研究機関では生きていけないですからね」


 私は所長との話を終えると、自らの研究室に行く。

 そして神原を探すが。当然姿をくらませている。私は鍵付きのキャビネットにしまった研究ノートと記録メディアを探すが、無くなっていた。

 

                  ◆


 私はその足で培養基を設置している部屋に行く。

 そして。

 ああ。私は業から開放されたのだ。

 もう、私は魔術に取り憑かれなくて良い。

 後は神原が魔術を完成させるだろう。

 

                  ◆


 私は一足早くこの研究所での私のモノを始末して。

 所長室に行き、辞意を伝え、残りの出勤を有給で埋めてしまうように頼む。

「これで」彼は言う。

「肩の荷が降りる気分ですよ」

「これからどうするのだ?」

「私の研究者としてのキャリアは。あの研究と共に終わる。後は静かに余生を過ごしますよ…」私はきびすを返しながら言う。


                  ◆


 私は珍しく昼間に家に帰り。お留守番をしていたトムに迎えられる。

 そして昼ごはんを食べて。そのまま出かける。

「なー!!」とトムは鳴いた。去り際に。それは飼い主に嫌な予感を読み取ったからだろう。

 私は散々トムに引き止められたが。家を脱出し。

 車をホームセンターに走らせる。そこでロープと踏み台を買った。

 

                  ◆


 私は近所の山の中腹に車を止め。山林の中に分け入っていく。

 そして適当なスペースと適当な高さの木を見つけると、その木にロープを結わえて。もう反対をハングズマンノットに結わえて。その輪っかの中に首をいれる。


 踏み台に登って。後はコイツを蹴飛ばせば。自殺は完了する。

 私は辞世の句を考えるが、何も浮かんでこない。


 今の私は亜紀にただただ会いたいだけ。

 そしてその手段は魔術ではなく。自殺であるだけ。


「亜紀…今から逝くから」私はそう空に向かって呟くと、脚元の踏み台を蹴飛ばす。

 落ちる。そして締まる。そして首の骨が折れる―


 私の意識はそこで消えた。

 私の魂は何処に逝くのだろうか?

 

                   ◆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『ウィッチクラフト―魔術を行使するか否か―』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ