推すな

空峯千代

推すな

「あなたが私の推しなんです」

 この一言が発端で、私の推される日々が始まった。

 世間一般で言うところの「推し」とは、アイドルやアニメキャラのような偶像崇拝の対象を指す。…のだと思う。

 対する自分は、きらきらしい物とはほど遠い。

 川上飛鳥、二十六歳、コンビニバイトのフリーター。

 たまに高架線でギターを弾いて歌っては、通りすがりの人間に無視されているだけの一般人。

 そんな私が、コンビニの常連客から推されているとは思いもしなかった。


 私を推している常連客は、近所に住んでいるサラリーマンらしい。

 疲れているのか、たまに社員証を首に掛けたままコンビニに来ている。

 私のいるレジで会計を済ませては、「今日もお疲れ様です」と一言だけ話して帰っていく。ただそれだけの客だ。

 ストーカーをするわけでも、口説いてくるわけでもなく、ただ私のいるレジに並んで会計を済ませるだけ済ませて帰っていく。不思議な客だった。

 もちろん、この客の話は店のスタッフ全員が知っている。

 不気味に思う人、面白がる人、私を心配する人。反応は様々で、私を気遣う店長はシフトの時間帯を変えるか聞いてくれた。

 別に危害を加えられたわけでもなく、シフトをわざわざ変えてもらうのも面倒だった私は「大丈夫です」と店長の提案を突っぱねた。


 おそらく、私が「推し」になったきっかけはあの事なんだろうと心当たりがある。

 とは言っても、退勤後にたまたま見かけて、あまりにも疲れていそうだったから飴を渡した。それだけのことだ。

 けれど、「推し」だと伝えられたタイミングから考えて、飴玉の件がきっかけなんだろうと思う。

 ポケットに入っていたお菓子ひとつで。そんなことでコンビニ店員を熱烈に推す人間がいるなんて誰が思うだろう。

 ぼんやりと考えながら無機質に働いていると、また件の客がきた。

 同じシフトに入っている女の子は、「またファンの人ですね」なんて私を囃し立てる。あまりいい気持ちはしない。

 サラリーマンのお客さんは、今日も真っ直ぐに私のいるレジに来る。そして、いつも通りに私は冷凍食品と炭酸飲料のバーコードを読み取って金額を伝える。

 疲れていた私は、そのまま会計時のレシートを捨てようとした。

 すると、お客さんは「レシートください」とハッキリ言う。

 私が「申し訳ありません」と伝え、レシートを渡すと客は嬉しそうに帰っていく。

 他のスタッフから聞いた話だと、私が渡したレシートをグッズとして持っているらしかった。


 私は、ただの一般人だ。なんなら、普通の人ですらない一般人だ。

 「人間です」みたいな顔して、必死こいてるだけで、普通に働けるわけでも、圧倒的な才能があるわけでもない。

 むしろ、会社員として働ける客の方が人間として優れているくらいだ。

 自分にも好きな顔の芸能人はいるし、リスペクトしているアーティストならいるけど。彼らは、メディアの視線を浴び続けている存在だ。私とは似ても似つかない。

 商品を陳列する、客に挨拶をする、商品のバーコードを打つ、お釣りとレシートを返す。

 淡々と仕事をしていると、また例の客がきた。

 いつものように、会計を打って、レシートを渡そうとする。

 その時、レシートを客に渡す動きがぎこちなくなってしまった。手が動くことを拒否しているような。まるで「嫌だ」と言っているような、そんな感覚があった。

 私と客の間に変な間ができる。しかし、客は「今日もお疲れ様です」と言って帰っていった。


 時計の針が進むように祈っていると、退勤時間がやって来る。

 タイムカードをきってから着替え、店を出ると例の客が店の駐車場で佇んでいた。

 思わず身構える。やっぱりストーカーになったかと身を固くしていると、彼は私に手を差し出した。掌には飴玉が乗っている。

「これ、よかったら食べてください」

 彼が私に渡そうとした飴玉は、私があの日あげた飴と全く同じことに気付く。

 客は私に対して緊張しているのか、頬が紅潮している。

 私は彼の飴を受け取らず、代わりに「レシート出して」と伝えた。彼は訝し気な顔をしながら、私にレシートを渡す。私は受け取ったレシートをそのままライターで火を付けて燃やした。呆気にとられている彼に私は伝える。

「私、ただのコンビニ店員なんで」

 私は、偶像崇拝の対象じゃない。ただ生きてるだけの人間だ。

 そして彼は客なのであって、私はただの店員だ。それ以上でも以下でもない。

 勝手にフィルターで美化して、私を飾り立てないでくれ。

 彼が駐車場から立ち去った後、私は一人で煙草を吸ってから帰った。


 次の日から、あの常連客はコンビニに来なくなった。

 早朝シフトの子から「川上さん宛だって」と渡された手紙を出勤前に読む。私がシフトに入る前に、あの客が置いていったらしかった。

『仕事を辞めようかと悩んでいる時に、奇跡のようなタイミングであなたに飴を差し出されて救われた気がしていました。ごめんなさい、ありがとう』

 手紙の文章は丁寧な文字で簡潔だった。

 その日の退勤後、その手紙は煙草の火で燃やしてあげた。それが供養であり、私にできる人としての優しさだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

推すな 空峯千代 @niconico_chiyo1125

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ