走れ、俺たち。

サトウ・レン

トラックになった俺

 気が付いたら、俺はトラックだった。車の。

 なんだよ、それ、って思うかもしれないが、そんなの俺が一番、思っている。


 コンビニからの帰り、俺はトラックに轢かれた。弾き飛ばされながら、あぁ本当にしょうもない人生だったな、なんて考えていたところまでは覚えている。そこから後の記憶はまったくない。意識を失ってから、意識が戻るまでの時間が、どれくらいだったのかも分からない。


 とりあえず繰り返すが、いまの俺はトラックだ。

 子どもの頃、死んだらどうなるんだろう、って考えたことは何度もある。生きる目的とは何なのか、という問いとセットにして。死んだら無に帰すんだから、真面目に生きていても無駄じゃないか、と投げやりになったこともある。いやその考えは結局、最期まで捨てられず、俺は自堕落な生活を送っていた。まさかトラックになってしまう、なんて想像もしてなかった。これならまだ天国や地獄が存在して欲しかった。


 俺はトラックから、肉体という器だけになった横たわる俺を見ている。

 悲しんでくれるひとなんているだろうか。俺はもう前に勤めていた会社をクビになっている。飲食店のスタッフだった。はじめての接客業だったが、俺には向かなかった。接客態度に難あり、という烙印を押された。仕方ない、と思う。俺が例えば雇い主だったとして、俺みたいな奴は絶対に雇いたくない。


 仕事を転々としている。実家暮らしで、親には迷惑掛けてばかりだ。親とも、また無職になってしまったことをきっかけに、喧嘩してしまった。大体、俺が悪い。悪い、と分かってはいても、強く言われると反発してしまう。それが良くない、と分かっていても、やってしまう。直したい、と思っていても、性格なんてそんな簡単に変えられない。


 交通事故は、俺が飛び出したわけではない。

 トラック側の信号無視だ。


 トラックの車内も含めて俺の意識になっているから分かるのだが、運転手もぐったりしている。どうやら突然の体調不良か何かで意識を失い、信号を無視するような形になったようだ。もう死んでいるのだろうか。道路でトラックが走り出さず止まっていられるのは、俺がトラックの意識を乗っ取ったおかげだろうか。そう考えれば、さらなる被害を増やさないだけ、俺の死も無駄じゃなかったのかもしれない。なんか考えていて、虚しくなってくる。


 誰か救急車とか警察でも呼んでくれているだろうか。夜も遅い。この時間、あまりひとや車が通るような場所でもないしなぁ、と思っていると、


 俺の肉体が突然、立ち上がった。

 もし俺がトラックじゃなかったらきっと、「えっ」なんて声が出ていた、と思う。

 死んだはずの俺の肉体が、むくりと立ち上がった。


 もしかして生きてたのか、と一瞬そんなことを考えたが、そんなはずがない。だって生きているのなら、ここでトラックになってぼんやり俺自身を見ている俺はなんだ、って言うんだ。


 俺の肉体は走り出した。

「ぶーん」と声を発して。


 つまりこれはあれだ。ドラマやアニメなんかで見掛ける入れ替わり現象が起こったのだ。

 普通こういうのって男の子と女の子がぶつかって青春するもんなんじゃなかろうか、とも思ったが、もしかしたらこのくらいの入れ替わりのほうがリアルなのかもしれない。入れ替わりにリアル、ってなんだよ、と自分自身の思考にツッコミを入れたくなってしまうが、まぁとりあえず俺自身が分かる範囲の事実として、俺の意識はトラックになり、俺だった肉体はゾンビみたいに立ち上がって走り出した。


 そして結構、速い。普通にちょっと遅めの車と同じくらいのスピードで走っている。

 肉体は不健康な俺だったものなのに。あれだろうか俺の意識、というブレーキがなくなったことによって、肉体の限界のようなスピードが出せるのだろうか。


 しかし車と変わらぬスピードと言っても、車道を走る人間だ。後ろから別の車が突っ込んでくるのは怖い。

 俺は俺の肉体の後ろを走ることにした。まるでマラソン選手の後ろを走る車のような気分だ。


 信号機だ。赤だ。

 危ない、止まれ、と俺は思わず叫んだが、たぶん実際の声となって外には出ていない、と思う。俺の肉体は信号を前にして、止まってくれた。別に俺の叫びが通じたわけではなく、単純にトラックとしての本能が肉体を停止させただけだろう、と考えて、俺はおかしくなってしまった。俺はいまのこの不条理な状況を、案外簡単に受け入れてしまっているな、と。


 五分くらい走って、車通りの多い国道に入ると、いきなりクラクションが鳴り響いた。そりゃ当然だ。人間が車道の真ん中を猛スピードで走っているのだから、「バカ野郎、死にてぇのか」とステレオタイプな罵声が飛んできたりもしたが、そもそも俺はもう死んでいるんだよ、と返したい気持ちになった。基本的に道行く人々は唖然としているだけだし、近くを走る車の運転手たちのほとんどは驚きつつも追い越し車線に入って、追い抜いていくだけだ。俺たちの姿を見ながら、電話を掛けているひとの姿も歩道に見えたので、警察に電話しているのかもしれない。


 国道を逸れた俺の肉体は、時に農道を通り、時に海沿いの道路を駆けていく。もうすでに一時間は走っている。どこを目指しているのかも分からない。目的地はどこだよ。


 雨が降ってきた。深夜にいきなり降り出す、秋らしい霧雨が、トラックの俺とトラックになった俺、俺たちふたりを濡らしていく。そんな雨を気にする様子もなく、俺の肉体は走り続けている。


 きっと尽き果てるまで走り続けるのだろう。命が尽き果てたあとも、尽き果てるまで走り続けている俺の肉体は哀れなのだろうか。では命が尽き果てるまでの俺は哀れではなく、充実していた、と言えるのだろうか。死ぬ前の俺よりも、がむしゃらに周囲など気にすることもなく、ただ走り続けるこいつのほうが、俺なんかよりも、ずっと人間らしいんじゃないだろうか。


 目的地。目的地はどこなんだ。

 いや目的地なんて、はじめから。


 山道に入った頃には、霧雨は止んでいた。雲間からは朝陽が射していて、もうそんなにも走ったのか、と感慨深い気持ちになってくる。と言っても、本当に肉体を酷使しているのは、俺ではなく、俺の肉体自身なのだが。弧を描くような山道をのぼっていくと、対向車が怖くもあるが、幸い車はほとんど走っていなかった。ここはなんという山なのだろうか。すでに俺の知っている地元を離れて、別の県に入っている。


『そこのトラック、止まりなさい!』

 拡声器を通して、後ろから聞こえてきたのは、警察の声だ。それはそうだ。いまの俺たちは暴走人間と暴走トラックだ。警察から追いかけられないほうが、おかしい。しかし俺の肉体はパトカーを気にする素振りもない。当然だ。生きていないのだから。ゾンビがいちいち警察を気にしないのと一緒だ。俺たちはただ走るだけ。


『逃げるな!』

 という声が聞こえてくるが、逃げているわけじゃない。ただ走っているだけだ。俺たちは走るだけ。


 目的地は?

 あぁそうだ、目的地なんて、こいつにははじめからないんだ。だってそうだろ。よくよく考えれば、俺の生前の人生だって、いや世の中すべての人生だって同じだ。あるって言うなら、お前は何のために生きている。生まれた時から決まっていた目的地なんてあるか。生きていく中で、なんとなく目的地っぽい場所を目的地と仮定していただけなんじゃないのか。


 生まれた時点から定められた目的地なんて存在しない。

 ただ等しく、終わりには死が待っているだけ。でも人間は別に、死を目指すわけでもないから、これは目的地なんかじゃない。


 こいつが、ただひたすら突っ走るのは、生前の俺への怒りなのかもしれない。いやそんなこと考えるわけがないのかもしれないが、俺にはどうしてもそう思えて仕方がなかった。


 好きなように、誰に言われるわけでもなく、自由に駆ける機会なんていくらでもあったはずなのに、正しい目的地があるように感じて、そこへ行けそうもないから、とただただ自身の人生を呪う、うじうじした俺に対する怒りこそ、いま俺の前をひた走る俺の肉体なのかもしれない。


 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 俺は叫んでいた。俺にエールを贈れるのは俺しかいない、と気付いたからだ。それが言葉に、そして声にならない、と知っていても。


 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 願うように、祈るように。叫び続ける。声にならない声を、声の続く限り。

 俺の肉体をふさぐように、前方にもパトカーが止まっている。だけど俺たちは止まらない。そんなもので、俺たちは止まらない。


 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 こんなことに何の意味があるのかなんて、俺にも分からない。だけど意味のあることだって分からない。両方分からないのなら、俺は一緒に走りたい奴と一緒に走る。俺と俺、俺たちが尽き果てるまで。


 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 何日、走っただろうか。猛スピードの人間を捕まえるなんて、意外と警察だって難しいものだ。銃なんて撃ってしまえば、批判の的になるだろうから。だって、ほら。周囲を見渡せば。


 俺たちを応援する声がある。いやきっと批難する声もあるのだろうが。批難する奴はこんなところまで来ない。たぶんネットとかを使って批難しているだけだ。生きている俺なら、それも怖かったかもしれないが、いまの俺にはひとつも怖くない。だって俺たちはもう走り続けるだけ、なのだから。


「頑張れ」

 と声が聞こえる。トラックの俺と違って、声になる声だ。決して数は多くないが、走り続ける俺たちを応援する声は、日本の各地にあるようだ。速報のニュースで広がったのか、SNSで口コミ的に広がったのか、いまの俺たちには分からないが、俺以外に俺にエールを贈ろうと現れるひとたちの姿がある。SNSでいま俺たちのいる場所が拡散されているのだろうか。


 俺も、俺に声援を贈る。


 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 だけど残念な事実に俺は気付きはじめている。俺の肉体のスピードが明らかに落ちていることだ。だから声援もしっかりと長い時間、聞こえてしまうのだ。


 警察だってもう、簡単に俺たちを捕まえられるスピードのはずだ。もしかしたら警察も俺たちを面白がっているのかもしれない。だって別に俺たちはそれなりに罪は犯しているのかもしれないが、それなりに無害だからだ。いやそれなりに迷惑はかけているのだが。実際のところは聞けないので、よく分からない。


 俺たちは海沿いの街を走っている。

 きっとここが俺たちは尽き果てる場所になるだろう。トラックが涙を流せるのなら、俺は泣いていただろう。トラックが抱きしめられるのなら、きっと俺は、俺の肉体を抱きしめていただろう。頑張ったな。よく頑張ったな、って。


 でもいまの俺にはそんなことできない。


 だから、

 走れ、走り続けろ、俺。走れ、走り続けろ、俺たち。


 最後まで一緒に走ろうぜ、相棒。

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走れ、俺たち。 サトウ・レン @ryose

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