第3話 苦痛は心で管理されている
辛気臭い女子高生も、歳を経ると三年生になる。
思えば、高校生活というのはこういうものなのか疑問に思う。
お兄ちゃんの姿を見ていると、高校生活はもう少し楽しげだった。
でもあたしは入った途端、学校は休校。ちょっと緩和されると、教室が午前と午後に別れたり体育祭がなくなったり、行事がなくなったり。
なまじ一度きりの高校生活なんだから、そういう行事の存在を知らされなければ、そいうものなんだと思うのに、赤らさまに、
「えー大変心苦しいのですが。何々の行事が中止となりなした」
なんて言うから、ああそういうものがあったんだなと思い。落胆するんだ。
「啓はどうするんだ」と翔くんに聞かれる。
翔くんのすごいところは、具体的な聞き方をしない。
たとえば、大学はどうするとか、うちの経済状態がわかっているからだ。
お兄ちゃんは大学に行った。
特段お父さんが、女は大学なんて行く必要はない。
なんて全時代的な考えを持っている人ではないけれど、どうしても大学に行きたいと言わなかったことに、内心では胸をなでおろしていると思う。
「フラワーアレンジメントがやりたかったって聞いたけど」と翔くん。
ママか、余計なことを。仕方なく言い訳をする。
「フラワーアレンジメントの専門学校、ものすごく学費が高いの。実習は全部生花だし、それに就職は先生のアシスタントとかで、給料は安いし」こうやって、行きたくて仕方がなかったけれど、経済的理由で行けなかったのではという疑いを払拭しておかないと、余計な波風が立ってしまう。
ここでは将来のことを考えている、なんていうレベルではなく、目先の損得で動く打算的な女子高生を演じる。
あたしは、自分が行く予定の介護の専門学校の名前を言う。
とたん、翔くんの顔が曇った。
ヤバい、翔くんの中で湾曲したストーリーが構築されてしまったようだ。
つまり、フラワーアレンジメントの仕事という夢を持っていたのに、経済的事情とバーバとジージのことがあり、介護の専門学校に行くようになってしまった。
ストーリー的に間違ってはいないけれど、別にイヤイヤじゃないし、確かに似たようなことをしてきたから、自然な流れでなったというのが正しいけれど。
それにフラワーアレンジメントだって、思っただけで、止める理由だって、翔くんに言ったとおりだ。
仕方がない。ちょっとフォローしておくか。
「でも翔くん、これからは介護だよ。系列の介護施設に就職すると、学費免除だし、給料安いって言われるけれど、これからはある程度改善されるだろうし、おそらく食いっぱぐれがない」あたしは、将来のことを見据えた、打算の上に決めたことを強調した。
「そうか、何かあったら相談するんだぞ」いつになく翔くんの口調が優しくなった。
確かにバーバのこともあり、その延長線上ということも有るけれどね、やはり翔くんはあたしだけが、ジージやバーバの世話をさせられていると思っている。バーバは翔くんにとっても母親だから、後ろめたいのかもしれない。でも心の距離感は、ママやお父さんよりジージやバーバの方が近い。いつも一緒にいたからね。
「啓はヤングケアラーという言葉、聞いたことあるか」とうとう、翔くんの口から出てしまった。
実はあたしの一番嫌いな言葉だ
「ないよ」とあたしは素っ気なく答えた。
普通、聞いたことがないとか、知らないと答えれば、どういう意味と聞き返すが、あたしはそれをしなかった。
さすが翔くん、そこは汲んでくれたようで、それ以上は何も言わなかった。
「ねえ紗智」
「うん」
「何かストレスがかかる事柄があって、その内容に対して、同情された方がいいと思う。それとも全く無視されたほうがいいと思う」
「なにそれ。何があった?」
「いや別に」と、あたしは目をそらした。
「同情されて、物理的に何かの恩恵があるなら同情されたいよね。
でもそれがないなら、知られないほうがいいかな」
「でも、それは大変だね、と言われて、頑張っていると思われる、承認欲求を満たしたいと思わない?」
「啓には、そいう承認欲求があるの?」
「ああん、わからない」とあたしは頭を抱えて大仰に振り回した。
「ないってことね」と沙智は言った。
「うん」
そう自己満足というのは人に認めてもらいたい。
そこに尽きる。
それが何の解決にも、労力の軽減にならなくても、心は楽になる。
苦痛は心で管理される。
心が楽になれば、苦痛は物理的な軽減よりさらに大きなものとなる。
だから自己満足は必要なんだ。と同時に、人から褒められることも。
誰かに知られることが嫌だというなら別だけれど。
では、翔くんに、何かあったら言うんだぞ、と言われた時、あたしの心は軽くなったのか?
いや、そんなことはなかった。
ということは、バーバのことは何の苦痛も感じていない。
なぜ。
対等だから。どちらかが何かをするのではない。
ただ補い合っているだけだから。
専門学校の事前見学会が行われることになった。
無料なので行ってみることにした。
連れていかれたのは、専門学校の系列のホームだ。
おそらく、こういうところで働くことになるのだと思う。
介護の現場、そこはバーバなんか全然、普通だと思えるほどの現場だった。
一瞬こんな現実を見せたら、応募者が減るのではないかと思ったが、まあはじめから、本当のところを見せておけば、辞める人間も減るだろうということか。
何も知らずに連れて来られて、こんなところとは聞いていません、辞めさせてもらいますなんて言われるくらいなら、初めから入るなということか。
あたしだって、ちょっとショックだった。
このバーバとは似ても似つかない状態、介護される側はそれがあたり前であり、介護する側は仕事。
そこには感謝の言葉はあるけれど、お互いの依存関係は存在しない。
ここにあるのはお互いではなく、一方通行の依存だ。そこにお互いに依存し合う共同依存は存在しない。
でもそいう関係がないからこそ、きちんとシステマライズされた介護が実践出来るなら。
介護というものがそういうものなら。
あたしはバーバの介護なんてしていない。
よって、あたしはヤングケアラーではないんだ。
これであたしは、翔くんに胸をはってあたしはヤングケアラーではないと言える。
順番にお焼香をしている時、誰もバーバが亡くなったことを悲しんでいないと感じた。
お父さんも、翔くんも、ジージは少し寂しそうだったけれど、ママも悲しんでいない。
ママはあたしが悲しみを堪えているのに泣かないのは、バーバと自分と同じ距離感が、あたしとバーバの間にもあると思っている。
ママは何も分かっていない。
バーバとあたしの距離感と、ママとあたしの距離感は同じか、もしくはバーバの方が近いことを。
だからあたしは、この席で感情を爆発させることにした。
もっとみんな悲しめと。
あたしは、バーバの棺に縋り付いて、バーバ、バーバと泣き叫んだ。
初めは演技のつもりだったけれど。
あたしは止まらなくなった。
あたしはバーバに対して対等だとか、依存の関係だとか言っていたけれど。
やっぱり悲しかったんだ。
そのせいで周囲からすすり泣きが聞こえてきたけれど、その時のあたしは、悲しくて、悲しくて、泣き叫んでいたから。
そんな事に気付きはしなかった。
ただあたしは、
いつまでも、
いつまでも泣き叫んでいた。
孫と娘のコンポジション 帆尊歩 @hosonayumu
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