第2話 死への冒涜
バーバは五十八の時に脳梗塞で倒れ、その時から、バーバは言葉を失った。
それは、あたしが生まれるというより、ママとお父さんが結婚する前のこと。
だから、ママもバーバと話したことはない。
脳梗塞で倒れたバーバは、その時点で、生きるの死ぬのと言う状況で。
そして、それは、それからもバーバにつきまとった。
ついこの間も何度目かの入院をして、ママはバーバに何かがあったときの延命をするかしないか、主治医から聞かれてきた。
また、「死」が身近になった。
そんな中で育ったあたしは、まわりの友達の、生きるの、死ぬのということから、対局にいる子達が、何も考えていなくて、とても自分の心を許せなくなっていった。
そんなとき沙智と出会った。
沙智は小学校の時にママが亡くなって、パパと二人きりで生きてきた。
間近で「死」に触れていた。
あたしも、バーバにいつ何が起こるか分からない高校生活の中で、沙智とはどこかで通じ合っていたのかもしれない。
バーバが倒れたとき。
それは、朝起こった。
その頃ジージは、健康のため朝のジョギングをしていた。
ジョギングから帰ったジージは、バーバがまだ布団の中にいることが、ちょっと意外だったがそのときはそのままにした。
そのうち、消え入るそうなバーバからの呼ぶ声が聞こえた。
「お父さん、ちょっと。体の半分が動かないんだけれど」と訴えかけた。
その時のジージには、脳系の病気という知識はなに一つなかった。
ただ何事が起こったか分からないながらも、これはまずいと直感した。
「救急車呼ぶか」と問いかけたが、ジージはその返事を待つまでもなく電話をした。
救急隊員が来るとバーバは自分でトイレに立ち、自分で救急車に乗った。
だからジージは、さほど大事とは思わなかった。
でもバーバは、その救急車の中で意識を失った。
だから、単体の言葉ではなく、きちんとした文章としての言葉は、お父さん、ちょっと体の半分が動かないんだけれど。
この言葉がバーバの最後の言葉になった。
バーバは、2番目に太い血管が詰まっていた。
このまま亡くなる可能性が大、運が良くても体半分は一生動かない。
でも結果的に、バーバは命を取り留めた。
奇跡的だったらしい。
ジージもバーバも、川崎大師の赤札のせいと疑わない。
病気になる前、川崎大師の神事で赤札という小さなお札を1ヶ月だけ配るというのがあった。
ジージとバーバはその1ヶ月、1日も欠かさず、貰いに行った。
そのお札は財布に入れたり、小さく刻んで飲んだりすると病気をしないというお札だった。
この赤札のおかげで、バーバは助かった、という事らしい。
バーバはそこから順調に回復していった。
元々脳梗塞というのは、二週間くらいで完治するらしい。
ただその間、どの脳細胞が壊れるか、それによる後遺症がどこに出るか。
脳は半分で、体の半分を司っている。
だから身体半分が動かなくなるのだ。
一生車椅子とか、寝たきりと散々言われたバーバだったけれど、懸命のリハビリで、自分で立って洗い物なんかまで出来るようになった。
でも結局、言葉は戻らなかった。
小さい頃のあたしは、バーバが言葉を話せない事がわからなかった。
それが当たり前、と思っていた。
だからバーバとの会話は、初めから言葉がない状態から始まった。
あたしはジージ、バーバの部屋にいることが多かったから、小さいときから言葉を持たないバーバと話をするには、どうしたらいいと考え続けてきた。
だからこの家で、一番バーバとコミュニケーションが取れるのはあたしだった。
ママとジージ、バーバの間に何があったのか詳しくはわからない。
おそらく、あたしが知っている以上のことがあったのかも知れないけれど、でもどこか距離がある気がする。
まあそれも、あたしはわからなかった。
分かったのは、ママの実家に遊びに行った時だ。
ママの明らかに違う雰囲気、本当に小さい時は、同じジージとバーバなのに、なんで対応を変えるんだ、と思ったけれど、実家と、嫁ぎ先である、は仕方がない事、というのは今なら分かる。
ママはジージ、バーバの部屋へは入らないから、必然的にあたしが橋渡しのようになる。
あたしが一番バーバと話が出来るし、初めのうちは元気だったバーバだったけれど、
それがだんだん障害とは別に弱ってゆく。弱ってゆくバーバを、あたしは冷静に見る事が出来た。
それは今にして思えば、ゆっくりと、ゆっくりと進んだからだと思う。
デイサービスに週2回出掛けて、帰ってきたバーバを2階に連れて行くのはあたし
だし、お風呂とトイレは自分で出来るからから、せめてもの救いだけれど、そこの見守りもあたしだ。
たとえばバーバが元気なバーバで、よく喋り、友達と出歩き、旅行に行き、元気だった人がもし、急に病気や怪我で、生きるの死ぬのなんて状態に陥って、それこそ数ヶ月で亡くなったなんてことになったら。
そこには悲しみしかない。
もし本当に元気なバーバなら、あたしはそのバーバの庇護の元、単なる孫として甘え、世話を焼いてもらい、依存することだろう。
だから悲しい。
依存していた人が急に自分より弱くなる。それは自分が優位に立ったということではなく、導かれていた絆が断ち切られるということだ。
糸の切れた凧のように、どうして良いか分からなくなる。
でもバーバの場合は違う。
お互いに心の上では依存し合っていた。
だから弱ってゆく哀しさも、依存していたものの喪失感もなかった。
そこにあったのは対等な状態、どちらかが依存しているのではなく、補い合う状況だ。
だから弱ってゆくバーバを助けるのは、介護でもなんでもない。
対等な関係で、その関係の均衡を取るだけの話だった。
とはいえ、そこには絶えずバーバの喪失という事態が想定されていた。
入院をして、延命がどうのとママが言われてきた時も、比較的家族は冷静だった。
そもそも死んでもおかしくない大病を経験して、ジージですらバーバは命を拾ったというくらいだ。
元々、バーバには不整脈と糖尿病があり、そこで出来た血栓が脳梗塞を引き起こした。
その事実は、バーバの喪失という事実に、絶えず付き纏われるに十分な状態だった。
そんなことが認識出来た頃から、あたしは死という物について考えるようになった。
死は喪失だ。
中学2年のときの担任から、「おうちでは何をしていますか」という抽象的な質問をされた。
出席番号順に聞かれてあたしは、
「祖母の介護です」と半分は冗談で答えたら、これは先生としては衝撃的だったようで、そもそものオープンクエスチョンだから勉強だとか、趣味の何々とかそういう答えを期待していたと思う。それが介護だ、それは驚くだろう。
その頃はまだ、ヤングケアラーという言葉も一般的ではなく、と言うか、誰も知らない言葉だった。
高校生になったとき、この年コロナが流行ってしまった。
こうなると普通に学校にも行かれない。
それでも、全く学校に行かないということはない。
授業がないというだけ。
とは言え、教室でクラスメートと顔を合わせる事があっても、積極的にもミュニケーションが取れるわけでもなく、取らなければならないという衝動にも駆られない。
いくら首席番号順に自己紹介をしても、また明日会うわけでもない人のことなんか覚えられる訳もない。
そもそも何故、自己紹介が必要かといえば、友達になって高校の付き合いを始めたり、クラスメートという仲間意識を育むためだと思う。
たとえばこれが通常のように、これから毎日ここで授業を受けたりするというなら、それは重要かもしれない。
ここで出遅れると、さまざまなグループの間に落っこちてしまうかも知れない。
でもこのコロナ禍である。
午前と午後で別れたり、休校になったり、クラス全員が毎日顔を合わせて、一緒にいるという環境が整っていないので、グループができる雰囲気でもない。
そんな中、あたしは紗智にあたしと同じ匂いを感じた。
だからそんな紗智と話をするのは偶然ではなく、明らかに必然だった。
紗智はママがいない。
パパだけ。
ママが亡くなるまで、その闘病生活の中にいた。
小学生の沙智にも、それはいつも死が隣り合わせの生活だったそうだ。
いつママが死んでしまうか。
まるでそれは決定事項のようで、その上で自分の心をコントロールしなければならなかったと紗智は言う。
突然の喪失感は、爆発的な悲しみにより、完結する。
でもその状態が長引けば、決定された喪失への心のコントロールが必要になる。
それは辛いことではなく、自己防衛に近いと紗智は言う。
かくして、もし学校が普通の状態だったら、辛気臭い、二人組の女子高生が教室の中で異彩を放っていたことだろう。
それを覆い隠してくれたのは、この社会情勢だったのかも知れない。
「人が死ぬと何故悲しいの」と私は紗智に聞く。
当たり前と、普通なら怒るような物言いだけれど、沙智は怒らない。
それは死というものが身近にあったもの同士の、シンパシーだったのかもしれない。
「喪失感かな」
「なぜ」
「ママが居なくなったらと何度も考えた。そして今思うと、涙が出るのは決まって、ママが死ぬことでも、パパと二人きりになることでもなく、それは今は、ママがそこにいないという現実を見るとき。
だから、身近な人の死は悲しいけど、その悲しみは喪失感だと思う」
そのロジックだと、バーバが死んで一番悲しいのはあたしだ。
一番喪失感を感じる。
いや、いつも一緒に居るジージか。
「ママの喪失感はどうやって埋めたの?」
「埋めていないよ、今も大きな穴が空いている」
「そうか、ごめん」
「別に。人間はそういう喪失感を抱えていて、生きるものだから」
「人の死を経験している女子高生なんて、そうはいないよ」とあたしは言った。
あたしだってバーバのことはあるけれど、この頃はまだバーバは生きていた。
「別に死別だけが喪失とは限らない」と沙智はあたしに言う。そして言葉を続ける。
「転校して会えなくなった友達とかね。たとえば小学校で仲のいい友達が転校したとするでしょ、ここは東京だけれど、九州に転校したとする。
子供にとって、それは宇宙の彼方位の感覚。それこそ今生の別れみたいなものよね。でも、生きていればいつかは会えると思えば、その喪失感という穴は結構小さくなる。それは大きな喪失ではないんだ。いつかまた会える。そういうふうに人間は、自分をだましてゆくものだから」そんな沙智の言葉は、あたかも、自分に言い聞かせているようだった。
沙智は、自分の心をコントロールする術を身につけている。
でも、あたしはちょっとだけ違う。
死の喪失は、完全なる喪失だ。
その喪失は大きな穴かも知れない。でもその穴を穴として抱えて生きてゆく、それが死んでいった者への礼儀ではないか、と思う。
死んでしまうという喪失を抱えることは、辛いかも知れない。
でも、死んだことを心の中だけでも死んだことにしないのは、自分の心を慰めるにはいいことかも知れない。
でも、
それは死への冒涜だ。
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