孫と娘のコンポジション

帆尊歩

第1話  対話の定義


          

                            

バーバが亡くなった。

あと二ヶ月と三日生きていれば九十だった。

お葬式の会場では、大往生という言葉が飛びかっていた。

誰も悲しんでいない。

いえ、悲しんでいるのかもしれないけれど、ぜんぜんそうは見えない。

何だか腹が立つ。


あたしは。

バーバと言葉を交わしたことがない。

でも、毎日バーバと会話をしていた。

会話というのは言葉を交わすばかりではない。

たとえ言葉がなくても、対話が出来ればいいとあたしは思っていた。

バーバは、幾つかの単語をローテーションで話すだけだった。

おそらくそれは、バーバが最も使っていた、言葉達なんだろうと思う。

一番多いのが

「どうも」

この言葉は

ある時はありがとう、

ある時はおかえり、

そして行って来ます。


バーバは週に2回、デイサービスに通っていた。

朝、お迎えがきて、夕方送り届けられる。

あたしはお出迎えをするために、学校があるときは、それに会わせてから帰って来る。

そしてバーバの体を支えるように玄関を入ると、帰ってきたバーバの手にたっぷり消毒液をかけて、バーバの手を握り一緒に手を擦る。

ようは、ついでにあたしの手も消毒するのだ。

そして支えるようにして、一緒に階段を登り、二階に上がる。

何とか一人で階段は上がれるんだけれど、ちょっと不安。

あたしがもっと小さい時は、言葉は今と同じだけれど、もう少し動けた。

だからあたしは、バーバが障害者だとは知らなかった。

そもそも障害という概念も知らなかったし、子供の時からすぐ横にいたので、どこのバーバも同じと勝手に思い込んでいた。

バーバが動けなくなってゆくのは、障害とは関係なく、体が弱ってゆくということだ。

そんな姿を、翔くんに見られたことがあった。すると翔くんは、

「啓は部活とか入らないのか」なんて聞いてくる。

どうやら、花の女子高生が、友達と寄り道もせずに学校から帰って来ることに、違和感があったようだ。

そして、その原因が自分の母親にあるのではないかと。

だからあたしは翔君に説明をする。

「いや、このコロナのご時世だから、部活どころか、授業があったりなかったり、午前だったり午後だったり。休校になったりならなかったり」あたしはあっけらかんと言う。あたし本人としては、正直な気持ちだった。

「大丈夫か」

「何が?」

「いや」と翔くんは言葉を濁す。

翔くんが、心配してくれていることは何となくわかった。

でも、あたしはそれに気付かないふりをした。

人は、このコロナ禍で学校がガタガタでかわいそうと言うけれど、本来の高校生活を知らないから、どうということはない。

逆に、かわいそうと言われると、本来の高校生活がどういうものだったんだろうと、あらぬ期待を膨らましてしまう。

むしろその方が不幸だ。



ママは、この家で距離を取っている。

どこかで馴染んでいないのだろうと思う。

それも仕方のないことだとあたしは思う。

ママの方のジージやバーバとは、全然雰囲気が違うんだから、そういう中で育ったママは確かに馴染めないだろう。

昔、ママがジージの誕生日に、プレゼントをあげた。

ジージはこんなことしなくていいんだよと言った。

まだあたしが生まれる前の話だ。

ママは、プレゼントをあげたことを後悔し、もう二度とあげないと心に誓った。

当然ママは、ありがとうという言葉を期待していたんだと思う。

でもママは分からない、ジージはとても感謝していたんだと思う。

ただ嬉しさの照れ隠しと、気を使わせたくないという思いから、こんなことしなくて良いんだと言ってしまった。

確かにジージは、配慮に欠けるところがあるので、ちょっと怒ったような口調になってしまったのだろう。

でも、そんなことはママには分からない。

この家は家族間に「ありがとう」「ごめんなさい」は必要ないという感覚なのだ。

そんなことは、言われるまでもない、当たり前のことで、そんなこと言葉がなくてもわかると。

でもママの実家に行くと、当たり前のように「ありがとう」や「ごめんなさい」が飛び交う。

でも、そんなことは両方を知っているあたしだけが分かる事だ。

もう今となっては、ママがその事に気付く事はないだろうと思う。


翔くんはうちに来ると、最近どうなんだと尋ねてくる。

翔くんの質問は、大抵オープンクエスチョンだ。

何を言い出すか試している。

その内容で、今のあたしの最大の懸念事項を推し量ろうとしている。

翔くんはあたしのおじさんだ。

お父さんの弟、ママが翔くんと呼んでいたので、あたしもいつの間にか翔くんと呼んでいた。

本当は叔父さんなので、翔くん呼ばわりは、と思うが。

仕方がない、翔くんは翔くんだ。

翔くんは、あたしに負担が掛かっているのではと心配してくれている。

だから色々聞いてくる。

それには、あたしも知らない様々なことがあったらしい。

もっとも、そんな事は子供だったあたしには、あずかり知らないことなんだけど、ママがジージやバーバの部屋に入らず、距離を取っているのは、プレゼント事件以外にも、何かがあったのだとは思うけど。でも、ママとジージ、バーバとの間に何があったのか、教えてくれないと言うより、聞くことが出来ない。


あたしはこの家で生まれた。

「啓は、座布団に寝かされていたんだぞ。赤ちゃんの啓の身長と、座布団の対角線がちょうど一緒で、綺麗にハマっていて可愛かった。まるで、座布団と啓が一体になっているようだった」と翔くんは言う。

誉められているのか、貶されているのか、さっぱりわからない。

そして、生まれた時から、ジージやバーバがいて、ママがいて、お父さんがいる。

そうあたしは父親をお父さん。

母親をママと呼ぶ。


前に紗智に指摘されたことがある。

「なんでお父さんと、ママなの」紗智はどうでもいいというふうに聞いてきた。

実際どうでも良かったんだろうと思う。

あたしが母親をママと呼び、父親をお父さんと呼んだからと言って、沙智にとって何かがあるわけでもない。

でも紗智は親友だ。

「親の呼び名が違うことは、変な事?」とあたしは紗智に尋ねた。

「普通は、パパとママ。もしくはお父さん、お母さんでしょう」

「そうか」と私は答えた。


親友ということがよく分からなかった。

でもあたしが結婚するときは、絶対に沙智は呼ぼうと思う。

あたしは、よく言葉が分からないことがある。

例えば遊ぶ。遊ぶって何。

ゲームをすること、友達と外で走り回ること。

でも旅行に行ったり、ブラブラと何もしていないことも、みんな遊んでいると言われる。

たとえば勉強、教科書を読む事。

教科書を、ノートに写すこと。

先生の話しを聞くこと。

でも大人なのに、勉強になりましたとか。

勉強させていただきます、なんて言う時がある。

まあ、あたしはめんどくさい子供だったのだ。

つまりは、勉強とか遊びとか抽象的なものを定義付けたかったと言う事なんだと思うけど。

だから私は、翔くんに親友ってどういう人のこと、と尋ねたことがある。

すると翔くんは、

結婚式に呼びたい友達が親友と答えた。

その時のあたしは、そうなのかと思いながら、何だか変に腑に落ちて納得してしまった。だから、紗智は親友なんだとあたしは思っている。

実際、あたしには沙智くらいしか、心を割って話せる友達がいない。


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