1190年05月07日 フィロメリオンの戦い (1190年)

 十字軍と言えば多くの人達がキリスト教徒とイスラム教徒との戦いであると考えるし実際そうだった。そして更にその中の少なくない人達が、両者には埋めがたい隔絶があったから戦争に発展したのだ、と考えている。

 実際にはそこまで両者は隔絶されていた訳ではない。シチリアでは中世期にキリスト教徒とイスラム教徒が共存していたし、レコンキスタが完了する前のイベリア半島ではイスラム教国家でありながらキリスト教国家と手を組んで別のイスラム教国家と戦う国があった程だ。

 このように十字軍の時代であってもキリスト教徒達とイスラム教徒達はわかり合える部分ではわかり合っていたという事実があり、フリードリヒ1世はそれを信じていた。

 キリスト教世界の防波堤として機能しているビザンツ帝国の東にはイスラム教国家のルーム・セルジューク朝が存在していた。両者の宮廷には交流が存在し、ルーム・セルジューク朝に仕えたビザンツ人も居ればビザンツ帝国に仕えたセルジューク人も居た。互いの皇族が亡命し合うという事まで起きていた程だ。

 第三回十字軍時のルーム・セルジューク朝は決してビザンツ帝国と友好的であるとは言えなかったが、フリードリヒ1世はセルジューク朝はアラブ人達よりもキリスト教徒を理解してくれる、と考えており予め使節を派遣してルーム・セルジューク朝の領土を通過する許可を得ていた。

 にもかかわらず、ルーム・セルジューク朝は約束を破った。

 1190年4月30日。ルーム・セルジューク朝の騎馬鉄機部隊が神聖ローマ帝国軍の野営地を襲撃したが、帝国軍はこれを返り討ちにし、5月2日にはまた別の敵部隊が襲撃してきたがこれも返り討ちにした。

 1190年5月7日、セルジューク朝軍はフィロメリオン近郊で設営していた帝国軍を襲撃した。何度も撃退され、帝国軍の強さを理解したセルジューク朝は手加減無しの一万人という大軍で日暮れに帝国軍の宿営地を襲撃した。得意とする遠距離攻撃に徹する等、過去の反省をふまえた極めて強力な攻撃だった。

 帝国軍の宿営地から打って出たのはシュヴァーベン大公フリードリヒ6世とメラニア公ベルトルトの騎馬鉄機隊だった。

 敵が出てきた。その事実に、セルジューク朝の部隊を率いていたカイホスロー1世は緊張した。帝国軍の騎馬鉄機隊の突撃の恐ろしさを理解していたからだ。セルジューク軍の将兵が乗っている鉄機『キリチ』は神聖ローマ帝国軍側の騎馬鉄機部隊が用いている鉄機『ランス』より遥かに装甲が薄い。

『落ち着け、妹よ。』

 カイホスロー1世の専用キリチの操縦席内に響いたのは姉であるムヒディン・メストの声だった。

 二人はルーム・セルジューク朝のスルタンであるクルチ・アルスラーン2世の娘である。

 ギリシャ国家であるビザンツ帝国がキリスト教世界の防波堤ならばトルコ国家であるルーム・セルジューク朝はイスラム教世界の防波堤である。それがルーム・セルジューク朝の皇族達の共通見解、だった。

 第一回十字軍の時に進軍してきたキリスト教の軍隊は同じキリスト教徒達のルーム・セルジューク朝の国民を虐殺した。

 ルーム・セルジューク朝は君主号がスルタンである事からもわかる通り正真正銘のイスラム教国家である。だがイスラム教は同系統の宗教であるユダヤ教とキリスト教の信者達を啓典の民として保護した。加えてセルジューク朝の支配者層はテュルク系民族であり、元々は遊牧民族である。後のモンゴル帝国を見ればわかる通り、農耕民族に対して数で劣る遊牧民族は支配者側に回ると少数で多数を統治する為に宗教政策を寛容にしがちだ。その為ルーム・セルジューク朝の支配領域内でキリスト教を信仰する自由は与えられていた。更にルーム・セルジューク朝が支配している地域自体、ビザンツ帝国の領土だった部分が少なくない。以上の理由からルーム・セルジューク朝領内にも多数のキリスト教徒達は居住していた。しかし過去の十字軍は同じキリスト教徒でありながら彼女達を虐殺した。

 ビザンツ帝国と敵対するのは理解出来た。ビザンツ帝国は同じキリスト教国家であるアンティオキア公国を屈服させる等して味方を増やした。要するに宗教を政治の道具として用いているのだ。宗教に対するその姿勢は少数派の支配民族であるセルジューク達と同じだった。宗教が違うなんていうのはただの建前に過ぎない。双方血の通った人間であり、現実的に互いの勢力の維持と拡大を求めて今という名の現実を生きているのだ。

 だが十字軍は違う。西アジアとは接点が無いはずの西欧地域からわざわざ足を運び、同じキリスト教国家とキリスト教徒達を攻撃する。何が目的なのか一切不明な狂信者達の集まり。そういう共通した認識を、ビザンツ帝国とルーム・セルジューク朝は持っていた。政治の道具として使っているにしては組織の利益を度外視しており、純粋に宗教を信じているならば同じキリスト教徒達を攻撃するはずがない。

 何が何でも十字軍は潰す。それがルーム・セルジューク朝の方針、だった。

 ムヒディン・メストの命令により、鉄馬にまたがっているキリチ達は一斉に反転して後退を開始する。ただしそれはただの後退ではない。上半身を敵の側に向けた状態で鉄矢を放つ、いわゆるパルティアンショットと呼ばれる攻撃体勢をとって後退し始めたのだ。

 帝国軍側の武装は重く、速度ではルーム・セルジューク朝の弓騎兵鉄機隊に追いつけないと認識しているからこその戦法だ。

 通常弓騎兵とは馬上からの弓射を行わない。あくまで馬を移動手段として用いる。何故なら不安定な馬上から射ったとしても狙いが定まらず矢を無駄にするからだ。竜騎兵と呼ばれる後の時代の騎兵銃士達も目標地点に到達したら下馬して銃撃を開始するという戦い方をしたのである。

 だが遊牧民族の上位ランカー達は違う。彼女達は幼少の頃から乗馬に慣れ親しんでまるで自分の身体の一部であるかのように馬を自由自在に操るのだ。その為馬上からの弓射の命中率は他の民族のそれを圧倒的に上回る。故に敵が居る方向とは反対側へと移動しつつ、上半身を180度近く敵に向けた状態からでも正確な弓射が可能だ。一定の距離を保ちつつ一方的に正確な射撃を行う。これが近世以前に遊牧民族が農耕民族相手に猛威をふるいまくった理由だった。

 セルジューク朝の先祖が中央アジアから西アジアへと進出して現在では定住化が進みつつあるが、しかし戦乱の絶えない西アジア地域では淘汰が作用する為、セルジューク朝建国から160年近くが経過したこの時代においても依然としてセルジュークの主力騎馬鉄機隊を構成するのは強力な遊牧民族であった。

 だが、入念に準備を重ねたフリードリヒ1世率いる神聖ローマ帝国軍にその戦法は通じなかった。

 まず騎兵突撃だが、西欧の戦争では貴族は敵対勢力に負けても人質となり身代金を請求する為の交渉材料として用いられる事が多く、誤解を恐れずに言うのであればこの時代の西欧人のしていた戦争というのは東欧やイスラム教の諸国から見ればごっこ遊びでしかなかった。フリードリヒ1世はこの点を危険視した。同じ西欧国家同士の争いであるイタリア遠征に失敗し、二度と敗戦する訳にはいかなかった彼女は東欧とイスラム諸国の戦い方を徹底的に研究し、帝国軍を訓練した。

 先述した通り、西欧諸国間では戦争は儀式めいた形式的部分が多かったが、それでも熱中すれば人間というものは粗暴になりがちであり、相手を殺さない為の余裕を失いがちになる。この勝利者側の危険な精神状態を取り除かない限り無事に敗北する事は出来ない。ではどのようにして粗暴な敵を落ち着かせるのかというと、ひたすら防御力を高めて敵の攻撃を受けても死なないようにするのだ。戦場では大勢の敵味方が入り乱れる。余程相手から恨みを買っているとかでなければ、戦場で倒れて行動不能に陥っている奴にわざわざ止めをさされる事はない。とどめをさそうとすればその間にそいつが他の敵に攻撃されるかも知れないからだ。西欧の戦争で死ぬ貴族達は大体が殺そうという意思に殺されるのではなく殺してしまう程に強力な力に殺されるのだ。ならばそれに耐えきってしまえば良い。

 だがそれでは東欧・イスラム基準では勝てない。負けはすれど死なない戦争というのは敵がこちらを捕虜にして身代金を要求する意思がある場合という極めて限定された環境下で成立する物なのだ。戦いで殺されなくても戦闘終了後に殺される。そういう状況が多発する環境の西アジアでは、まず戦闘不能にならない事を重視しなければならない。その為には防御力を無駄に向上させるよりも必要な分だけ残し、残りを機動力に割り当てた方が断然良い。敵を撃破してしまえば戦闘不能になりようがないからだ。その為、フリードリヒ1世率いる神聖ローマ帝国軍はあくまで西欧基準ではあるが比較的軽装軽快な騎馬鉄機隊を有していた。

 次にセルジューク朝の後退しながらの弓射だが、いくらルーム・セルジューク朝が強力な騎馬鉄機隊を有していると言っても、人間である。既に神聖ローマ帝国軍はルーム・セルジューク朝の攻撃を二度も撃退しており、セルジューク兵の内心には不安があった。加えてこのフィロメリオンという場所はルーム・セルジューク朝の領内では比較的内側の土地であり、ここで戦う想定をセルジューク側はしておらず、自国領内でありながら不慣れな土地であった。

 その上、慎重に慎重を重ねたフリードリヒ1世の判断により帝国軍の宿営地は周囲に伏兵を配置出来ないひらけた場所が選ばれた為、後のモンゴル帝国等に見られるような敵を釣り出して伏兵で撃滅するという戦法をセルジューク側は取れなかった。

 以上の事が重なり、シュヴァーベン大公フリードリヒ6世とメラニア公ベルトルト率いる騎馬鉄機隊は逃げるセルジューク朝の弓騎兵の鉄矢をその身に受けながらも耐えた。そして追いつかれたセルジューク朝のキリチ達は円錐状の強力な馬上槍をその背中に受け、貫かれた。

 神聖ローマ帝国軍は軽装だったがそれは先述した通り『比較的』でありセルジューク軍の方が遥かに軽装であった為、背後からの騎兵突撃に耐えられなかった。

 ある鉄機は馬上槍を避けようとして鉄馬から転落し、またある鉄機は質量の差から来る圧倒的な衝撃に耐えきれず馬ごと横転した。

 様々な歴史が記す通り遊牧民族の農耕民族に対するアドバンテージというのは農耕民族の戦争準備が整う前に圧倒的機動力ですり潰すという部分が大きく、逆に言えば農耕民族が入念に準備を重ねて対処法を確立していれば消える程度のものでしかなかった。

 それでも、弓騎兵としてではなく白兵戦用の装備を施したムヒディン・メストとカイホスロー1世の直属部隊は勇敢に戦った。

 騎兵突撃を無効化するにはまず逃げない事が重要だ。

 セルジューク朝の良く鍛え上げられた鉄馬は鉄機であるキリチと合体し、逃げてくる味方の弓騎兵部隊の背後から突撃してきた帝国軍の槍騎兵隊を受け止めた。

「怯むな。踏みとどまれ。」

 ムヒディン・メストの命令に白兵戦部隊のキリチ達が神聖ローマ帝国軍の槍騎兵隊を押し返そうと脚部に力を込める。これ以上の力押しは無理と考えた帝国軍将兵達はフリードリヒ6世の命令によりキリチ同様に次々と乗機であるランスを鉄馬と合体させた。ただでさえ巨大な機械巨人である鉄機達は更に巨体になって激闘を始めた。


 メラニア公ベルトルトは、元は伯爵家の娘であった。にもかかわらず公国の支配者の地位につく事が出来たのは神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世によるものだった。フリードリヒ1世にとって彼女を公国元首の地位につけた事は単に帝国内が無駄に乱れる事が無いように勢力均衡を意図しての事だった。その事はベルトルトも理解していたが、それでも恩義を感じていた。当代皇帝は約束を守る誠実なお方だ。その事に気付き、なんとか皇帝の力になりたいと思った彼女は十字軍に参加した。そして、今、目の前には皇帝との約束を破った異教の蛮族達が居る。

 皆殺しにしてやる。

 そう思ったベルトルトは自分の鉄機であるランスを鉄馬と合体させて大槍を突き出した。圧倒的質量を有するその鉄製の大槍は同じ鉄製であるはずのキリチの胴体を容易く貫通した。次々に襲いかかるキリチ達を薙ぎ払うベルトルトのランス。

 それに挑んだのはカイホスロー1世の専用キリチだった。セルジューク帝室は英雄にして建国者であるトゥグリル・ベクの血を引いている。彼女が用いた鉄機には彼女の名前の由来となった鷹型の小型支援機が搭載されていた。トゥグリル時代は二羽しか搭載されていなかったこの鉄鷹だが、150年近い技術改良によって現在では最大十二羽の鉄鷹が一機の専用キリチに搭載可能となっている。

 その十二羽が、一斉にベルトルトのランスに襲いかかった。

 大きさで言えば人間一人分程の鉄製の機械鷹達は口部からペリット弾を吐き出してランスの装甲をけたたましく叩いた。完全に予想外の攻撃に一瞬動きが止まるベルトルトのランス。その一瞬を見逃す事無く十二羽の鉄鷹達はベルトルト機の関節部に鋭い爪と嘴を突き立てていく。

 遊牧民族の相続は農耕民族社会でよく見られるような長子相続とは限らない。カイホスロー1世は14人居るクルチ・アルスラーン2世の娘達の中の七番目である。しかし史実では彼女が他の姉妹達を押し退けルーム・セルジューク朝のスルタン位を継いでいる。要するに、それだけカイホスロー1世の能力が高かったという事だ。

 一方もう一人の指揮官でありカイホスロー1世の姉であるムヒディン・メストにはこの鉄鷹を操る適性がほぼ無かった。最大十二羽といううのはあくまで搭載機数である。誰もが十二羽の鉄鷹を同時に操れる訳ではなく、そしてそれが出来るのが妹であるカイホスロー1世だった。これ程の数の鉄鷹の同時操作を達成するには高い乗馬能力が要求される。セルジューク朝がこの鉄鷹を遠隔操作する技術を開発出来たのは、人間が人間以外の動物を自分の肉体の様に操る能力を転用したからである。この点においてムヒディン・メストは他のセルジューク皇族達に劣っており、トゥグリル・ベクの時代から150年近くが経過し技術が高度化しているにもかかわらず、ムヒディン・メストが同時操作出来る鉄鷹の数は僅か二羽のみである。しかもこれは操れる、というだけであって、複雑な操作が可能、という訳ではなかった。それ故スルタンの後継者候補から外されていたがそれに劣等感を覚えた事は無い。今の自分は妹を助ける立場にある、と内心で自分に言い聞かせながらムヒディン・メストはシュヴァーベン大公フリードリヒ6世の乗るランスに鉄鷹を一羽、全速力でぶっつけた。自然界に存在するオオタカは急降下時には時速130kmにも達する。上方から下方への落下というのはそれだけで武器になる。鉄鷹の場合はそれに鉄製故の重量と推進器の推力が加わり凄まじい破壊力を発生させる。反射的に上方に左上を突き出したフリードリヒ6世のランスだったがムヒディン・メストの鉄鷹の衝突時の運動エネルギーに耐えきれず左腕が砕け散った。そして腕一本を犠牲にしても消滅しなかった大衝撃によって倒れたランスに更にもう一羽を急降下させるムヒディン・メスト。だが、自分達の指揮官機が倒されたのを見て周囲の帝国兵達のランスがフリードリヒ6世機に近付き、大公の代わりに盾を頭上に掲げて防御した。

 ランス達の盾は衝突した鉄鷹と一緒に腕ごと砕け散ったがその間に他の帝国兵がフリードリヒ6世を倒れたランスから救い出し、代わりに自分の乗機に乗せた。

 逃がさない。

 ムヒディン・メストが更にもう一羽、と専用キリチの背中の巣箱コンテナから鉄鷹を羽ばたかせようとした直後、彼女の居る方向に無数の鉄矢が飛来した。神聖ローマ帝国軍の『アルムブルスト』である。この弓射特化型の鉄機の持つ鉄弩はあまりにも強力過ぎる為キリスト教徒同士の戦いで使用が禁止された兵器だ。

 つまり、異教徒への使用は禁止されていない。

 ムヒディン・メストの護衛兵達のキリチがアルムブルスト達の鉄矢によって貫かれて倒れていく。

 まずい。敵の騎馬鉄機隊だけならば指揮官を潰し、鉄馬を暴れさせるだけでいくらでも敗走させる事が出来た。それを可能とするのが正確無比な鉄鷹という遠距離攻撃手段だったのだが、敵の鉄弩の命中率は鉄鷹の使用を諦めこちらに回避行動を取らせる程に高い。恐らく敵のアルムブルスト隊は鉄馬に跨がらず鉄弩の訓練だけを繰り返してきたのだろう。アルムブルスト達の周囲に鉄馬が見当たらない事はムヒディン・メストのその説を補強していた。要するに機動性の低い鉄機部隊が追い付く程に戦闘が長期化してしまったのが現状である。これは一撃離脱戦法を得意とするセルジューク軍にとっては極めて不利な状況だ。戦いの主導権が敵に掌握されている。ムヒディン・メストがカイホスロー1世の方を見るとそちらにもアルムブルスト隊が到着して鉄矢を浴びせていた。

 撤退が必要だ。だが、どうやって。遊牧民族達の騎馬隊の利点は機動力であり、近接戦の力比べではない。誰かが殿となって敵を食い止めている間に残りが逃げる。それをこの状況下で必死に戦っている自軍の将兵達に承諾させなければならない。だが、前々から緊急時の任務として言い聞かせていたならばともかく、この判断力が極端に低下する死と隣り合わせの状況下で殿をやれと言われて従ってくれる者が一体どれだけ居るというのか。

 戦死。その二文字がムヒディン・メストの脳裏に浮かんだ。命令が無理なら自分だけ逃げるか。そんな生き恥を晒す事は出来ない。ならばいっそ敵に突っ込んで暴れ回って討たれるべきか。

 ムヒディン・メストがそう思った直後、神聖ローマ帝国軍のアルムブルスト隊に無数の鉄矢が降り注いだ。援軍か。だがルーム・セルジューク朝内の領地はスルタンの娘達である自分他達姉妹が領有している。そして他の姉妹達はここに居る自分達二人と仲が悪い。一体どこの軍だ。

 ムヒディン・メストのその疑問への答えは、公開通信という形ですぐに返ってきた。

『遠からん者は音にも聞け。近くば寄って目にも見よ。我こそは浄海入道清盛の妹、平経盛。長年の恩に報いる為にルーム・セルジューク朝に助太刀いたす。十字架を掲げる賊共よ、手柄を上げたくばかかってこい。』

 明らかにイスラム戦士のする名乗りではない。それが聞こえた直後、ムヒディン・メストの乗るランスの電探に、ルーム・セルジューク朝の戦闘履歴と照合して一致する反応が多数出現した。日本武者を模した外観を持つ平家軍の主力鉄機『コガラスヅクリ』。そいつらが神聖ローマ帝国軍のアルムブルスト隊の側面に騎兵突撃をしかけたのだ。

 鉄弩による攻撃がやんだ。

 ムヒディン・メストは即座に全軍に退却命令を出した。

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歴史総合物語 中野ギュメ @nakanogyume

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