縁は廻り
kanimaru。
第1話
「お前そのネクタイ、人からもらったものだろう」
通りすがりに先輩教師、宮崎先生がそう声をかけてきた。
「はい。そうですけど、なんでわかったんですか?」
「そのネクタイをお前にあげた人が、お前に憑いているんだよ」
「は?憑いている?」
確かにこのネクタイは亡くなった祖父の形見だ。心霊的に言えば確かに憑いていてもおかしくなかった。
「それとお前、頭痛持ちだろう。特に頭の右側が痛くなる」
「確かにそうです。なんでわかるんですか?」
「見えるんだよ、俺は幽霊が」
いつもは無口な宮﨑先生がやけに饒舌だった。それに私は宮﨑先生と特段仲が良いわけでもない。わざわざ話しかけてきて、嘘をつくような人間関係ではない。
段々と興味がわいてきて尋ねた。
「ちなみに、どんな幽霊ですか?」
「一人は老人だ。もう一人、おそらく頭痛の原因は―――髪の長い女性だ。お前を右側からずっと睨んでいる」
私は思わずハッとした。その女性に身に覚えがあったのだ。私が中学生に上がるころから大学二年になるまで、毎日のように私を悩ませていた女性だ。
中学生に上がるころから私は毎晩のように金縛りにあい、不気味な髪の長い女性に舐めまわすように睨まれていた。初めのころは怖くて直視できなかったが、慣れてくると目だけは動かせることに気づき、女性を観察していた。長い髪と睨む表情でよくわからなかったが、よく見ると女性はとても美しかった。当時の私はむしろ微笑んでくれればよく寝れるのに、などと呑気なことを考えていた。
それが大学二年になると、ぴったりとやんだ。金縛りはなくなり、私を睨みつける女性も一切出てこなくなった。
もう十年以上も前のことですっかり忘れていた。
しかし、確かにその女性はいた。宮﨑先生は本物だ。
その思いが強くなり、重ねて尋ねた。
「その女性はなぜ私を睨むんですか?」
宮﨑先生は答える。
「お前の前世は遠州の有名な僧なんだよ。そこには毎年、怪物が現れるとされていた」
「怪物?」
「そうだ。その怪物を抑える為に、お前は村一番の美少女を生贄に捧げた。その少女の霊が、お前に取り憑いてるんだ。それと―――」
するとチャイムが鳴った。宮﨑先生はおっと、というと急いで教室の方へ向かった。
「まぁ、気をつけろという話だ」
何にですか、という問いには宮﨑先生は答えてくれなかった。
「ただいま」
一つ年下の妻に向かって挨拶をすると小さく、おかえりという言葉が返ってくる。
妻は料理の最中だった。手を洗ってネクタイをほどきソファに寝転がると、こよいこんばんおるまいな、と妻の間の抜けた声が聞こえて来る。私は思わずまたかと苦笑した。
大学時代に出会った妻と大学を卒業して付き合い始めると、奇妙な歌を私の前でいつも歌った。私がある日その理由を尋ねると、小さなころから未来の旦那にこの歌を歌うようにと祖父に言われて育ったのだという。妻は時折変わったことを言う人だったから、これもその一つだと思って何も指摘してこなかった。それに何より、この歌を歌う時の間の抜けた声がどこか愛らしくて好きだったのだ。
「なぁ、幽霊って信じるか?」
ふと気になって、妻に尋ねる。
妻は視線をこちらによこした。
「どうしたんです、急に」
「いや、今日先輩の教師に面白い話を聞いてな」
私は今日の出来事を洗いざらい話した。妻は相槌の一つも打たず静かに聞いていた。
「なるほど。それで幽霊ですか」
全て話し終えると一言妻はそう言った。
「信じるか?この話」
すると妻は一呼吸、考えるようにして置いた。
「信じますよ。だってそれ、私ですもの」
次の瞬間、肩に激痛が走った。いつの間にか妻が馬乗りになって、私の肩にナイフを突き刺していた。
あまりの痛みに悲鳴すら上がらない。痛みに集中するほかできることがなかった。
生ぬるい血が真っ白なシャツを朱に染めた。
「なんで、こんな」
かろうじて言葉を絞り出すと、妻は答えた。
「だから、私なんですよ。前世があるのはなにも貴方だけじゃありません。私の前世もちゃんとあるんです。もうお気づきでしょう?私の前世は貴方に生贄にされた少女なんですよ」
妻は淡々としていた。
「私の祖父も見える人でした。私の前世の正体を知ると、私に貴方を殺すよう強く言い、実行できるように教育しました。祖父曰く、呪い《縁》は廻るんですよ。呪い呪われて円を成し、廻っていく。その絶対不変の理を崩す事は許されていないんです」
ああ、これだったのか。宮﨑先生の気をつけろの正体は。
しかし今更どうしようもない。抵抗する力も残っていなかった。
「最初からこれを狙って結婚したのか」
震えながら、妻に言った。妻の表情は変わらず冷静だった。
「いいえ。予想外に貴方に惹かれたんです。結婚は私の意思です。しかしそれ以上に私は世界の意思も背負っている。貴方を殺さないわけにはいかなかった。本当はもうちょっと、一緒に居たかったんですけどね」
ここまで気づかれてしまったら今殺すしかなかったと言いながら、妻は私を優しく抱きしめた。
「貴方を殺したら、今度は
妻はこんな時でも相変わらず呑気だった。思わず笑顔になっているのが自分でも分かる。
「それならまた一緒にいれますね。ぜひ呪ってください」
―――上等だ。呪い殺してやる。
そう言おうとしたが、言葉にはならなかった。
しかし意図はくみ取ったのか、妻は優しく微笑んでいた。
ナイフが肩から引き抜かれ、朱に染まった刃の先が振りかぶられる。不思議と恐怖は消えていた。
「さようなら、私の大好きな人」
一瞬の後、私の視界が弾け飛んだ。
すれ違おうとしたとき、ベテラン教師の宮崎先生の足が止まった。
振り返って、俺に声をかける。いや、違う。勘違いだった。明らかに俺に向けた内容ではなかったのだ。
宮崎先生は顔じゅうの皺を寄せて笑っている。宮﨑先生の笑顔を俺は初めて見た。
「そうだ。お前の言う通りだよ。そして今日も、世界は廻っている」
俺ではない誰かにかけたその言葉が、やけに耳に残った。
縁は廻り kanimaru。 @arumaterus
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