第5話

 夏が過ぎ、秋が来た。

 もうすぐ、梨花の26歳の誕生日が来る。

 本当なら、籍を入れる筈だった日。

 毎日、毎日、病院に通う。でも、何も変わらない。

 変わったと言えば、9月に入った途端、梨花は新しい薬の投与を始めた事。


 半ば、治療は諦めていた状態だったのに、梨花のような状態に効くかもしれない薬が開発されたのだそうで、それを試したいと主治医が申し出て来たらしい。

 両親の承諾を得て、梨花はその薬のテスト投与を行う事となった。

 僕は、あまり納得出来なかった。


 新薬は、まだどれほど効果があるか分からないし、下手をすると副作用で酷くなるかもしれないという心配があったからだ。

 僕は、薬の知識は分からないけれど、そんな危険かもしれないものを、梨花に投与するのは反対だった。


 でも、梨花のご両親は、どうせ目覚めない命ならばと、目を覚ます確率に賭けたようだった。

 確かに、こんな一流の大学病院に入院させるのは、金がいくらあっても足りないだろうし、梨花の両親には経済面も、精神面も限界が来ているようだった。

 治験により医療費の負担が減る、それは分かっているんだ。


 でも僕は、薬の投与で黒ずんできた梨花の腕を見て、胸が痛くなった。

 どうせ目覚めないならば、綺麗なままでいさせてやりたい。

そう思う事は、間違っているのだろうか?

 少しづつ、僕の胸に諦めの影が落ち始めていた。


 「奏ちゃん、トマトもちゃんと食べなきゃ駄目よ」

 「トマトは、嫌いなんだ」

 「でも、外食した時くらいは、頑張って食べてみたら?」

 「なんだか梨花は、僕の母さんみたいだな」

 肉の付け合わせで乗っていたトマトを見て、そんな会話をふと思い出す。


 「どうしたの、奏太さん、思い出し笑いをして」

 桃山さんがが、怪訝そうな顔で言った。

 あれ以来、僕と桃山さんは、たまに会って食事するようになっていた。

 最近になって、桃山さんが、僕に会うために病院に来ていたらしい事が、薄々分かり始めていた。


 好意を持たれて、悪い気はしない。でも、別につき合おうと思ってる訳じゃなかった。

 桃山さんだって、僕がずっと梨花を愛している事は知っているんだし。


 ただ、時々酷く空しくて、一人では居られないほど寂しくなるので、そんな時は誰でもいいから、人と話していたいと思うんだ。

 桃山さんは、そんな時、嫌な顔一つせずに僕の為に時間を空けてくれた。


 「いや、梨花がね・・・・」

 そう言いかけて、口を閉ざす。

 最初は、梨花の話しをすると、桃山さんは笑って応えてくれた。

 でも最近は、梨花の話しをする度に、なんだか辛そうな顔をする。そんな顔をされると、僕も梨花の話しをしずらくなってしまう。

 僕は、言葉を濁して、何でもないと答えた。


 そういえば、桃山さんは最近、病院にも来なくなったな。

 でも、それをつきつめれば、嫌な答えが出そうなので、今は止める事にした。

 「奏太さんって、トマト嫌いなんですね」

 トマトだけ残った皿を見て、桃山さんがクスリと笑う。

 「うん、昔からどうも駄目でね」

 そう言いながらも、我慢して食べようとすると、

 「無理しなくても、残せばいいのに」

 と、彼女は言った。


 急に、寂しくなった。無性に、梨花に会いたくなった。

 やっぱり、桃山さんは梨花とは違うんだ。

 桃山さんの気持ちもなんとなく気づいてるのに、そんなあたりまえの事を思って比べてる、自分が酷く嫌な奴に思えた。


 10月6日は、梨花の誕生日。

 その日、僕は病院で、たった二人だけで彼女の誕生日を祝った。

 梨花は賑やかなのが好きで、友達も多かったから、誕生日は何時も男も女も関係なく友達を呼んで、居酒屋で派手に祝ったものだった。

 僕の友達とも梨花はすぐに親しくなったので、お祝いにはそいつらも来ておおいに盛り上がった。


 ビールが好きで、賑やかなのが好きで、一杯人が集まるのが好きで。

 でも、その後は何時も飲み過ぎて、僕が家まで連れ帰ってやらないといけなかった。

 賑やかな後の静けさが、梨花は嫌いみたいだ。だから、賑やかな後は、僕が何時も朝までついててやる。

 飲み過ぎた梨花は、二人きりになると静かになる事が多かった。

 考え事に沈んでしまったように、無口になる。

 それはそれで、なんとなく寂しげな少女みたいで、僕には素敵に見えた。


 梨花の部屋は、若い娘にしては簡素で、あんまり何もない部屋だった。

 家具の色も、モノトーン。音に拘って買ったステレオのスピーカーだけが、やけにデンと大きく居座っているように見えた。

 幾つもの夜を過ごしたベッドの上で、僕は梨花の横にそっと寄り添う。


 すると梨花は、

 「ねえ、奏ちゃん、あたしの事好き?」

 何時もなら言わない事を、その時だけ口にする。

 まるで独ぼっちのような、寂しそうな目で。

 多分、その寂しげな様子が、本当の梨花なのかもしれない。

 僕は、益々愛おしくなって、そんな梨花を抱きしめる。


 「好きだよ」

 「どれくらい?」

 「うーん、沢山」

 「沢山って?」

 「ずっとずっと、数えきれないくらい、沢山好きだ」

 「あたしも、奏ちゃんが好き。大好き」

 梨花は笑って、僕にキスをした。

 まるで子供のように、何時も真っ直ぐな梨花。そんな梨花が、僕も大好きだった。

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君と僕がいつまでも変わらずに君と僕らしくあるために しょうりん @shyorin

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