第4話
「・・・・さん、奏太さん」
呼ばれて、僕ははっと我に返った。
病室に、いつの間にか人が入って来た事に、全く気づかなかった。
見ると、梨花の大学時代の友達の、桃山愛さんだった。
梨花と比べると、ちょっともの静かで大人しめの人。
以前、梨花が僕の事を友達に紹介すると言って、飲み会に連れて行かれた事がある。
その時、少し話した事があった。
梨花が入院してからも、お見舞いに来た彼女と何度か話しをした。
控えめで、落ち着いていて、明るく元気だけど、おっちょこちょいな梨花とは対照的だった。
「桃山さん、梨花の為に来てくれたんですか?ありがとう」
僕が立って頭を下げると、桃山さんは少し顔を赤らめてお辞儀を返した。
僕は、取り敢えず病室のパイプ椅子を出して、彼女にすすめる。
「すみません」
桃山さんは、やはり控えめな様子で言って、椅子に腰を下ろした。
それから僕らは、眠る梨花の前で、ただぼんやりと静かな時間を過ごした。
「嘘みたい・・・・」
ぽつり、桃山さんが言った。
「三年も眠ってるなんて・・・・。寝たフリしてて、突然笑いながら起きそうな気がして」
桃山さんは、そう言って言葉を詰まらせた。
「うん。でも、梨花は、きっと目覚めますよ。僕、信じてますから。三年も待ったんだ、目覚めるまでずっと待ってます」
桃山さんは、しばらく黙っていたけれど、ぽつりと今度はこう言った。
「梨花ちゃん、羨ましい。奏太さんに、そこまで愛されてて。眠ってても、きっと幸せだと思います」
僕は、何も返せなかった。
こんな梨花が幸せだなんて、そんな筈はないと思った。でも、桃山さんの僕を励まそうとしてくれる気持ちも分かったので、何も言わなかった。
「何時も、梨花の為にありがとう。今度、何か食いに行きましょう。僕、おごりますから」
感謝の気持ちから、ついそんな事を言う。半分は、社交辞令だった。
でも、その言葉を聞いて、桃山さんはぱっと表情を明るくした。
「本当ですか?嬉しいです!」
意外な反応に、少し戸惑う。
こんな風に、喜ぶなんて思ってもいなかったから。
でも、僕は、久しぶりに誰かと梨花の話しが出来るかもしれない事に、かなり気持ちを動かされていた。
だから、深くは考えなかったんだ。
その時、僕はまだ気づいていなかった。
桃山さんが、何度もこの病院に来てくれたのは、梨花に会いに来てただけではないらしいと言う事に。
「何時にしますか?私、予定を絶対に開けておきます」
控えめだけどやけに急いでいるような彼女に、曖昧に微笑む。
「うん、僕もまだ予定が決まってないから、また後日改めて」
「あっ、じゃ、私の携帯番号教えておきます」
そう言って、携帯電話を取り出す彼女に、
「ごめん、ここ、病院だから。取り敢えず、僕の番号渡しておくので、また都合が良ければ後日電話貰えるかな」
と、少し躊躇いがちに言う。
途端、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、頷いた。
「私、気づかなくてごめんなさい。梨花からも、こういう所では携帯を切るようにって、何時も注意されてたんですけど。梨花って、そういう所真面目でしたよね」
「そうだね」
僕は笑って、頷いた。
梨花は、そういう事には、本当に真面目だった。
僕が寝てる間に、爪にマニュキアを塗って喜ぶような、そんないたずらっ子な部分もあれば、僕が電車で携帯電話で電話しようとしただけで、駄目だと怒るような真面目さもある。
出会う度に梨花は、僕に色々な姿を見せてくれて、その度に僕は梨花をどんどん好きになっていったんだ。
「奏ちゃん、こんなとこで携帯電話しちゃだめ」
「大丈夫だよ、誰も見ちゃいないよ」
「そう言う問題じゃないの。駄目って言われてる場所で、駄目な事しちゃいけないの。それに、携帯電話の電波が、何か支障を起こすとも限らないし」
「さすが、未来の介護士さん」
僕は、ちょっとちゃかして笑ったけど、梨花が本気で福祉の仕事を目指していたのは知っていた。
僕は、最初はちょっと意外に思ったけど、梨花を知れば知る程、本当に誰かの為に働く仕事を望んでいるのだと分かるようになった。
梨花は、そんな人だ。
自分だけの幸せじゃなくて、沢山の人の幸せを願う人。そして、その為に自分の手を惜しまずに差し出す人。
物語の主人公にまでも、幸せを願ってる。
僕は、そんな梨花が、益々好きになっていった。
なんとなく、ベットで眠る梨花の方へ視線を戻した。
・・・・・そして、目を見開く。
不意に、梨花の大きな目から、涙が膨らんで溢れたのだ。
僕は、慌てて立ち上がって、
「ごめん、桃山さん、今日はこれから梨花の検査があるから」
と、桃山さんを半ば無理矢理部屋から追い出した。
悪いとは思ったけど、今ここに、僕以外の誰もいて欲しくないと思った。
桃山さんが部屋を出て行くと、僕は梨花の側に寄って瞳を覗き込んだ。
目は、動かない。でも、涙はまだ流れていた。
少し前、「こんな状態になっていても、ちゃんと本人は分かっているんですよ」、と、梨花と同じように意識のない状態だった少年の母親が言っていたのを、ふと思い出した。
僕は梨花の冷たい手を握りしめ、涙が溢れる頬にそっと唇を寄せた。
「ごめんよ、梨花。動けなくて、辛くて悲しいんだね」
優しく髪を撫で、それからナースコールを鳴らす。
動かなくなった梨花が、涙を流したなんてこの三年間で初めての事。僕は、もしかしたらと思って、看護婦さんを呼んだ。
けれど、看護婦さんは、
「先生には報告しておきますね。でも、ずっと目を開いたままだから、生理現象でそういう事もあるんですよ」
と、困ったように言っただけだった。
僕は溜息を吐いて、椅子に腰を下ろす。そして、頭を両手で覆った。
・・・・梨花、梨花、帰って来てくれ。
何時か、一緒に見ようと約束した夕日を見に、今年こそは行こう。
僕らが生まれた町の、あの海に沈む夕日を、きっと二人で眺めよう。
目覚めたら渡すつもりの指輪をポケットから取り出し、ぎゅっと握りしめる。すると、堪えてた涙が、僕の頬を流れて落ちた。
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