第14960回天体ゴルフ大会

神殿真数

第14960回天体ゴルフ大会

 眼前に広がるのは、墨を零したような暗闇だ。ここにはもう、価値のあるものなど何もありゃしない。あまねく全ては、等しく我々の手の内にあった。

 辺りを見渡せば、星々の輝きが我々を包み込む。星屑の海に手を浸してみれば、さらさらとした感触が心地いい。綿菓子のようなあの星雲に寝そべれば、さぞ気持ちがいいだろう。

 こうして宙を漂うような浮遊感に揺蕩っていると、これが自分の“体”であるという実感が湧いてくる。今この瞬間なら、なんでもできそうだ。それぐらいに気分がいい。実際、今の我々には不可能なことなど何一つとしてないだろう。そうした全能感に支配されて、我々はここまで自己の認識を拡張してきたのだから。そう、一つの目的を果たすために。

 さざめく星の海原に、赤茶げたみすぼらしい天体が浮かんでいる。掌に取って転がしてみると、からからと空虚な音が鳴った。はて、我々の故郷とはこんなにも頼りないものだったろうか。

 かつて、多くの生命を育んだ青い惑星。『地球』と呼ばれたこの天体も、吹き付ける太陽風やら宇宙放射線やらに嬲られて、今や命の輝きの見る影はまるでない。まったく、腑抜けたやつだ。その性根、今から叩き直してやろう。

「さて、やるか」

 枯れ細った星を闇に放って、そいつが浮かんでいた空間をがさっと手で攫う。人工衛星やロケット、スペースシャトルに宇宙エレベーター。網にかかったのはそういったガラクタばかり。

 旧文明が精一杯に背伸びして掴み取ろうとした宙への渇望。まだ宇宙が“外側”だと思われていた頃の名残。彼らが残した轍を、ぎゅっと手の中で押し固める。

 できあがったのは釘状の鉄塊。少々見てくれは悪いが、ティーペグとして機能すりゃあ問題ない。星々の隙間に鉄塊をぶっ挿して、皿の部分に赤い地球を乗せる。ボールの準備はできた。

 我々の頭上を飛んできた彗星の尻尾をむんずと掴み、丁度いい長さに引き千切る。両手で握って軽く振ってみるが、どうもしっくりこない。ドライバーとしてはちと軽いが、まあ使えんこともないだろう。

 風は、アンドロメダの方向から吹き付ける巨大な磁気嵐。だが、我々にとってそんなものは些末なことだ。微風にすらなりはしない。

 ティーアップしたボールの横に立ち、ぶおん、ぶおんと素振りを繰り返す。宙を掻き回す爽快感が腕を伝う。扱い辛いと感じたドライバーも手に馴染んできた。

 いい。すこぶるいい。最高のコンディションだ。

 どこをどう動かせばイメージ通りの結果が得られるのか、手に取るように分かる。このボールをカップまで打っぱなすために組み上げられた完璧なアルゴリズムが、我々の体を駆け巡る。

全ては我々の思うがまま。この体は、我々の制御下にある。

 そう、この地球<ボール>も、この彗星<ドライバー>も、宇宙そのものでさえ。全て我々の体だ。

 あまねく全ては、等しく我々の一部だった。


 太古の昔。人類がまだ二本の足で、よちよちと地面なんぞを歩いていた頃。

 ようやく到達したテクノロジーの極致で、人類は機械によって身体を拡張する術を手に入れた。

人と機械の融合。サイバネティックス。

人の限界を拡張する希望の種子は、瞬く間に成長していったという。

 人々はファッション感覚で腕や脚を取り換え、利便性を拡張した。高感度センサーとなった目や耳に知覚できないものはなく、インプラント化した心臓や肺は高度限界を突破した。

 だが、人類の生活水準が向上する一方で、廃れていくものもあった。

 スポーツである。

 求める限り無限の拡張が可能な時代にあって、競技における公平性を担保することが困難となったのだ。生まれ持った肉体の優劣を競い合うスポーツにおいて、それは致命的な問題だった。人の限界に挑むスポーツが、限界を拡張する時代に置いて行かれたのだ。

 今となっては笑い話の種にすらならないが、当時、この問題は大真面目に議論された。

『どこまでが、自分の体と言えるのだろうか?』

 すなわち、拡張された肉体を各々の個性として認めるために、どこまでを一個人の体として扱うのか再定義しようという動きだった。

 まずは腕と脚からなる四肢。言わずもがな、これは我々の体の一部だ。我々はこれらをぶら下げて産声を上げたのだから。次に目や耳。これも顔面に張り付いてきたのだから体の一部と言えよう。同様に、心臓や肺といった内臓も等しく我々の一部だ。

 では、人間の腸内に潜む大腸菌はどうか?

 ここで学者達の意見が割れた。

 肉体を構成する細胞一つ一つを言うならまだしも、共生関係にある細菌を体の一部として認めるのは無理があるだろう、というのが大方の見解だった。

 しかし、ある者がこんなことを言い始めた。

『確かに、「物体」という枠組みで考えた時、常在菌である大腸菌と人の肉体は独立した物としてみなすべきだろう。だが、大腸菌は人間の消化活動の補助という役割を担っている。そういった生命活動という「現象」にまで自己の枠組みを拡張した時、大腸菌も自分の体の一部と言えるのではないか』

 大きな議論が巻き起こった。

 自分の一部であるか否かの判断を、物理的な境界ではなく、自己という認識の枠組みの内側に入るかで行うというのだ。物体としての身体ではなく、現象としての体。

 物体としてそこに存在していればそれは『わたし』と言えるだろうか? 否、『生きる』という意志が備わって初めて『わたし』という自己が定義される。自己の認識を生きるという現象そのものに置けば、大腸菌もまた自分の一部なのである。

 生きるという目的によって定義される自分の体。

 この手は、肉の延長だから自分の一部なのではない。掴む、投げる、摘まむ、叩く、弾く、押す、握る。そういった目的を遂行できるから、これは自分の一部なのである。

 だからそれが機械に置き換わろうとも、目的という枠組みに変化はない。機械化した身体も、生きるという目的を遂行するための自分の一部だ。身体を機械によって拡張したのではない。自己の認識を拡張し、その枠組みの中に機械を取り入れたのだ。

 そのようにして再定義された一個人の肉体は、各々の個性として再びスポーツの中にも受け入れられていった。

 だが、話はそれだけでは終わらない。

 またある者が言い始めた。

『目的によって体が定義されるというなら、例えばそう、バットだって自分の一部ではないか?』

 ボールを投げるという目的のために、我々は最適な動作で手を動かす。ボールを打つという目的のために、我々は的確なフォームでバットを振る。この時、バットを振るという行為は目的の延長線上にあるはずだ。前者と後者の間に、一体何の差があるというのだろうか。

 その一線を越えてからの飛躍は、凄まじかった。

 踏み締めるという目的のためのスパイク。走るという目的のための400mトラック。観戦という目的のための球場。呼吸という目的のための大気。食べるという目的のための食物連鎖。育むという目的のための、地球。

 自己の認識を拡張して、それらは全て自分の一部となった。

 それから気の遠くなるような時間が過ぎ去って、拡張を続けた我々に彼我の境界はなくなった。不要となった肉体を捨て、全てと一体化した精神体の我々にとって、スポーツに競い合うという意味合いは存在しない。そこにあるのは、ただ己の体の研鑽のみ。

 限界に挑み続ける我々は、一つの目的を果たすために次のステージに駒を進めた。

 宇宙である。


「おうら、飛んできゃあああ!!」

 ばっごん!!

 芯を捉えた快感が痺れとなって腕を伝う。最高のティーショットを放ったという確信があった。

 打っぱなした地球は、光速に迫る速度で赤い放物線を描く。これまでの研鑽の集大成がそこにあった。

 繰り返すこと14959回。目指したのは地球と太陽の平均距離。天文単位、1億4960万km。かつて月で試した時には、その半分にも満たなかった。だから研鑽を積んで、一回につき1万km飛距離を伸ばしてきた。続けてきた努力も今日で終わる。終わらせる。

 目標地点に浮かぶのは、光さえ逃さない深淵。重力崩壊した太陽の成れの果て。またの名をブラックホール。

 暗黒のカップ目掛けて飛ぶ地球が、軌道上の金星と派手に衝突した。だが、そんな程度で止まるわけがない。その黄金の輝きを砕き散らして、地球は尚も飛ぶ。水星、火星、土星と、一列に並んだ惑星を次々に粉砕していく。

 ん? 土、火、水、金、地? ああ、前に天体ビリヤードをやった時にごっちゃになったんだったか。

 些細な問題など後方に流して、順調に飛距離を伸ばす地球。しかし、巨大な影が行く手を阻む。太陽系最重量の惑星、木星だ。

「おうおう、誰に許可を得てコースに入ってきよるんじゃこのボケェ!」

 ぼすん、とガス溜まりに突っ込んだ地球が俄かに動きを止める。まずい、このままではバンカーでスタックだ。

「ええい、もっと気合見せんかい!」

 我々の怒号に呼応するように、地球が再びぎゅるんと回りだす。そのままドカンとガス惑星を爆散させ、元のスピードを取り戻した。いいぞ、そのまま。

 光速に達した地球が赤い軌跡で星の海を二つに分かつ。そして、ついに事象の地平面<グリーン>に乗った。

 巨大な重力に捕まって、光の屈折で歪む曲面を地球が転がっていく。そして。

 ぽすん。

 大口を開けた深淵の中に飲み込まれた。ホールインワン。

「しゃあああい、どまんなかあああああ!!」

 今頃あれはスパゲッティだ。赤茶げた色をしていたからミートソースのやつだ。我々は歓喜に打ち震えた。

 ここに、我々は一つの目標を達成した。母なる地球を葬り去る。へその緒を断ち切ったのだ。

 生まれ故郷というしがらみから解放された我々は、どこへなりとも自由に飛んで行けるだろう。そうして、我々の意識が宇宙の隅々にまで及んだ時。その更に“外側”へと自己の認識を拡張した時。


 我々は、果たして『神』と成り得るだろうか。

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