ノエマに背を向けて

ナナシマイ

資源ごみの日の粗大ごみ

 ――ああ、白塗りの臭いだ……。

 そんな思考が実を結ぶより早く、わたしは反射的に草で編まれたフードマントを被っていた。それを見た同居人の男の目が隣室で飛び跳ね遊ぶ子供の肌色を慌てて捉える。次の瞬間には二人とも、わたしと同じ草にまみれた様相となる。

「行くぞ」

 一瞬の安堵ののち、まだ気を緩めるには早いと鋭くした呼吸。

 丈の合わないマントにはしゃいだ子供が、子供らしい無邪気さでわたしたちの尖った雰囲気を察してむぎゅりと小さな両手で自分の口を塞ぐのを確認してから一秒、二秒……五秒…………十秒。

 また、白塗りの臭い。

 不用品というレッテルを貼るための臭い。あいつら・・・・が欲しいものを盗っていくついでに落とす白いペンキ。

 絶対に。絶対に、あの臭いから逃げ切ってやる。


「きょうもおさんぽ?」

「うん、お花と一緒になろうね」

 この子供にゴミの日の話をするときがこないことを願うばかりだ。

 草を被った人間があちこちで花や木に寄り添っている。植物の模倣者で溢れた街は異常としか思えないけれど、それがわたしたちにできる精一杯の抵抗だった。

 不用品として捨てられてしまわないように。

 捨てるという事態の発生には人工物という前提条件が付随する。この子には自然物と人工物の境界を曖昧なままにしておきたかった。

 認識するということは、相手にも認識されるということだ。あいつらを形づくるあらゆる情報に触れないようできるだけ気をつけているし、守りたいものを必要以上に形づくらないようにしている。

 生まれたままの姿で生活をすることも、子供が寝ている傍でまぐわうことも、すべてはわたしたちが何者でもないことを証明するため。

 わたしと同居人と子供。

 旧時代ならばなんという関係で呼ばれていたか、知っている。でも、それを自分たちには適用しない。適用してはいけない。

 人類バージョンアップの動作要件に達しなかった――五感を手放すことができなかったわたしたちは、新時代の不要物でしかない。完全に新時代へ移行したのちにはまとめて破棄される予定、らしい。

 そう。わたしたちは、粗大ごみなのだ。


 べとりと白いペンキが街を塗りつぶしていく。

 人気アイドルが大きく写った広告看板も、待ち合わせ場所の定番だった駅前の銅像も。いつのまにか建物の入口には必ず設置されるようになった消毒液。学校のチャイム。赤い箱を荷台に載せたバイクだって。

 かつて墨色から開放されたはずのなにもかもが。わたしたちの歴史が。

 ぜんぶ、ぜんぶ、白塗りにされてしまった。

 残る物体は生き物だけになったとある街で、きっと助かるからと誰かが演説を始めて。その希望を紡いだ唇がゴミだと判断されたあの日の絶望を、白い臭いを、覚えている。

 思考だけを携えた彼らには、どうせわたしたちの悲鳴なんて聞こえていないのだろう。

 それとも、ぎしぎしと限界を訴える心の軋みを、得意の思考実験とやらでシミュレーションくらいはしたのだろうか。していなくていいと、思う。五感を捨てたあいつらに、この痛みを知られてたまるか。

 大事な大事な情報さまを、丁寧に集めて再利用でもなんでもしていればいいんだ。

 ただ、わたしたちに触れずにいてくれれば――


「向こうのほうはあらかた回収し終えたようだな」

「じゃあ、おひっこし?」

「……そう、お引越し。たくさん歩くけど、頑張れる?」

「うん! まだまだおさんぽできるよ!」

 どれだけの退化を、わたしたちは自分に許せるのだろう。

 思考は進歩の道となる。その先に在ってはいけないと、背を向けた人間の未来なんてたかが知れている。足りない頭をどこかへ置いてきてしまったわたしたちにできるのは、ただひたすらに五感を働かせることだけで。

 わたしと、同居人と、子供。

 三人で手を繋ぐ。そうして歩いていく。遠くうしろで白塗りの臭いがして、知らない季節風にさらわれていく。

 まだここに、命のある限りは。

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