第8話 大団円
「それにしても、今回の誘拐事件が何だったか? ということが気になるんですけどね。誘拐だけはしておいて、その後、脅迫も何もなく、気が付けば被害者を捨てるかのように返してきておいて、その間に、弁護士が殺される。この殺人と、誘拐事件は繋がっているんでしょうかね?」
と、福岡刑事は言った。
「それは、やっぱり繋がっているんだろうね。ここで、まったく関係ないなどということになると、それは、まったくの偶然ということになって、他の可能性まですべてが、ありえることになってしまい、収拾がつかなくなる、こういう事件は、収拾がつかなくなるような計画を普通は犯人側が立てないものだからね、それこそ、計画なしの犯罪ということは、誘拐を行った時点でありえないわけだから、それぞれの出てきた事実は、計算されたと思っていいんじゃないのかな?」
と、春日刑事は言った。
春日刑事は自分ではそこまで思っていないようだが、実に論理的に考える方であった。何が論理的なのかということを考えると、話をしていて、見えてくることが、あるというものだ。福岡刑事も、自分では理論的にものを考える方であるが、
「理論的に考える」
というとことは似ているが、考え方や目の付け所は違っているように思えた、
だから、余計に相手の考えていることが見えてくるのだ。同じ考えだと、どうしてもわからないところが出てきて、それはまるで、
「ドッペルゲンガーの存在」「
というものを打ち消そうとしている自分を見ているようである。
福岡刑事は、いかに事件が進んでいくのか、不謹慎であるが、興味津々で見ていた。そういう意味で、春日刑事の手腕がどういうものなのか、お手並み拝見というところであった。
一つ、福岡刑事が気になっていたのは、やはり、
「なぜ、清川会長が、この緊迫した誘拐事件の真っただ中において、関係ないと思われる昭和の、しかもいまさらと思われる事件を口にしたのだろう?」
と感じていた
あの事件では誘拐犯というものは存在しなかった。同じ時期に起こった、複数食品会社脅迫事件においては、最初にターゲットになった会社の社長が誘拐されるという、この事件によく似た犯罪があったのだが、時期が近かったというだけで、まったく別の犯罪ではないか? 社長が、勘違いでもしているというのだろうか?
そんなことを考えていると、翌日、福岡刑事のところに、病院から電話があり、
「社長さんが退院してもよくなりました」
という連絡であった。
ただ、記憶は戻っているわけではないが、体力的には戻ってきたので、身内の人を呼んで、退院手続きをさせてほしいということだった。
電話は看護婦さんからであったが、内容は、いかにも、事務的であった。
最初は、誘拐の被害者ということで、看護婦の方も、好奇の目で見ていたのだろう。ひどい言い方ではなかったが、明らかに声のトーンが低かったのは、電話を通してだからだろうか?
そう思って春日刑事を伴って、一度家族に言う前に、事情聴取ができればということで、まずは、家族に言う前に事情を聴きたいというと、医者が、
「少しの時間なら大丈夫ですが」
ということだったのでmさっそく病院に出向いたのだった。
「大丈夫ですか? 話を聞いても」
といまさらな言い方だったが、とりあえず、確認の意味を込めて話すと、
「いいですよ、ただし、問題になりそうな場合はすぐに私に言ってください。精神的にまだ記憶を失っているところがあり、そこが刺激されて、興奮状態に陥らないとも限りませんからね。そういう意味で、事情聴取をするなら病院の方がいいと思ったので、許可したわけです。くれぐれも、記憶を失っている人だということを忘れないようにしていただきたい」
ということであった。
「分かりました。私どもも重々に分かっています。気を付けます」
というと、医者は、
「後は任せました」
とばかりにいうのだった。
「清川社長ですか?」
と病院に入ると、無表情の男は、表情を変えずに頷いた。
「すみません、我々は刑事なんですが、清川社長に、少し伺いたいことがありまして、たぶん記憶を失っていると伺ったんですが、分かることだけで結構ですので、よろしければ、少しお付き合いください」
と、春日刑事は言った。
その口調は刑事というよりも、
「どこかの営業か何かではないか?」
と思わせるものだった。
社長が頷くと、
「あなたは、自分が誘拐されたという意識は今、ありますか?」
と、春日刑事はいきなり核心を突くような話をしてきた。
それを聞いた社長は、
「はい、今はあります」
というではないか。
「今はあるということは、最初はなかったということですか>」
「ええ、そうですね。どこかに連れていかれるという感覚はあったんですが、何かを嗅がされたのか、意識はどんどん薄れていくんです。でも、その時も、自分が誘拐されたとは思いませんでした」
それを聞いた春日刑事は、
「どうしてですか?」
と訊ねる。
「ああ、それはですね、私にそれを嗅がせた人は、私のよく知っている人で、変なことをする人ではないと思っている人だったんですよ」
というのだ。
「それは誰だったんですか?」
と聞かれて、
「あれは、自分の女房だったんですよ。奥さんっだったので、別に何かをされたとしても、別に驚きもしません、もっとも、されそうな予感はありました。私は覚悟をしていたと言ってもいいかも知れない」
という。
「奥さんが、誘拐に加担していたというんですか?」
と聞くと、
「ええ、だけど、あれは誘拐などというようなものではないんですよ。ちょっとした脅かしだったと私は聞いています」
「脅かしですか?」
「ええ」
「誰に対しての?」
「それは分かりませんが、女房が最近、父である会長に、近づいているのは分かりました。でも、それは、父が息子の嫁を横恋慕したとかいうそういうものではないんです。女房が何かを探っているのが分かったんですよ。女房は私がそのことに気づいているのを知っていました。知っていて、何も言わないんです、私はきっと、女房が何か覚悟しているのではないかと思いました」
とそこまでいうと、少し、社長はきつそうな態度を取った。
それを見て、
「じゃあ、少し話を変えましょうか?」
と春日刑事がいうので、
「これ以上何を変える話があるというのか?」
と感じた福岡刑事だったが、
「清川社長は、昨日、顧問弁護士の犬山さんが、亡くなったのをご存じですか?」
と聞いた。
「いえ、知りません。あの犬山弁護士がですか? 殺されたとかですか?」
と、明らかに今までとは少し違い、前のめりになりながら、聴いてきていたのには、福岡刑事はビックリした。
「ええ、殺されたんです。社長はどうして殺されたと、すぐに感じたんですか?」
と聞くと、
「あの人は、会社のための裏の仕事や、汚れ仕事を一手に引き受けていたので、死んだと聞くと、殺されたと思うのは自然なことだと思います。しかも、私が誘拐されたという事実があったり、それについて、刑事さんは二人も来ているんですから、それくらいのことは勘づきますよ」
と社長は言った。
「さすがに鋭い」
と、福岡刑事は感じた。
「さすがにご明察です。ところで、社長は、犬山弁護士をどう思いますか」
と聞かれて、
「敏腕の弁護士でした。ただ、簡単に殺される人でもないと思っていたんですけどね」
というと、
「あの犬山弁護士というのは、親父の代から、働いてくれていたので、犬山さんの父親の代から、犬山弁護士が引き継いで、10年くらい経つようなんですが、私がまだ、社長になる前の、部長くらいの頃、息子の大山慶一郎氏が、正式に顧問弁護士に就いたんです。それまでは、補佐のようなことをしていたようでしたけど、あの人は、どうも、先代である、父の秘密を知っていたようなんです。だから、犬山弁護士が、父親から今の職を受け継ぐ時、かなりの教育があったようです。この会社の顧問弁護士を引き受けるということは、かなりの覚悟が必要だということだったんでしょうね」
と社長がいうと、
「清川社長は、それをご存じなんですか?」
と聞かれて、
「ええ、知っています。だからこそ、私も今の犬山弁護士には頭が上がらないんですよ。下手をすれば、親父に対してよりも、頭があがらないんですよ」
というではないか。
「じゃあ、社長は、犬山弁護士に対してどのような感情を持っていますか?」
と聞いているのを見て、
「まさか、社長を疑っているのではないだろうか?」
と福岡刑事は一瞬思ったが、そんなことがありえるはずがない。病院を抜け出して人を殺しにいくなど、そんなに簡単なことではない。
いくら、うまく殺せたとしても、まったく返り血を浴びないわけもないだろう。それを考えると、社長には無理だと思えた。
「君は私を疑っているのかね?」
と笑いながら余裕の表情で訊ねた。
「いいえ、いくら私でも、アリバイを確認もせずに、このような話をしませんよ。あなたが、ここを抜け出していないことは、看護婦さんの定期巡回で分かっていますからね。三十分に一度の巡回があるのに、片道車で一時間かかる殺害現場までを往復できるはずはないですからね。殺害するまでに、かかる時間だってあるわけですしね」
と春日刑事は言った。
「どうやら、春日刑事は、この事件の全貌が見えているようですね?」
と社長はいうと、
「ええ」
と答えた。
「でも、よく親父の仕業だと分かりましたね?」
「ええ、会長が自ら、ヒントを与えてくれていましたからね。この誘拐だって、半分は狂言なんでしょう? 計画をしたのは、犬山弁護士ですよね?」
「ええ、そうです、すべては、犬山弁護士殺害計画から始まったんです」
「そうなんでしょうね。この事件は最初から分からないことが多すぎて、ただ、その中のキーポイントで、繋がる何かがあると思ったんです。それが、すべて、犬山弁護士を差している。そんな時、犬山弁護士が殺されたとなり、その前奏曲となるものが、あなたの誘拐でした。しかし、誘拐と言いながら、身代金の要求もなく、あなたは解放された」
と春日刑事がいうと、
「ええ、そうなんです。これが、躓きだったんです。犬山弁護士が、頭がよすぎて、この誘拐が狂言であるのは、自分を殺害するための計画の第一段階ではないかと疑い始めたんです。私は最初から、犬山弁護士を疑っていましたので、最初から、その裏を考えていました。屈強な連中を雇って、いざとなれば、強行に出るということですね」
「なるほど、それが今回の殺人だったんですね? やり方はプロの犯行だと思ったんですが、どうにもやり方がお粗末すぎる。女の部屋で女が行方不明ということにすれば、確かに犬山弁護士が、不倫か何かをしていて、愛人でも囲っているのではないか? と思わせるんでしょうが、犬山弁護士に限ってあまりにもずさんですよね。このギャップが私には、おかしい気がしたんです。ひょっとすると、あの部屋を借りていた女というのは、奥さんだったんですか?」
「いえ、あいびきをしていたのは、奥さんだったんですが、借りていたのは、別の女性でした。名前だけ借りて、契約の時だけ、お願いしたんです」
というではないか。
「でも、どうして、犬山弁護士を殺す必要があったんですか?」
と、今度は、福岡刑事が口を挟んだ。
もうここまで事件が明るみに出ていれば、黙っている必要もないだろう。
「福岡刑事。どうして私たちが、家族に知らせる前に、二人だけで、ここに事情聴取に来たと思う? この場面では少しおかしいとは思わないかい?」
と言われて、福岡刑事は頷くしかなかった。
「そうなんだ、今回の事件は、握ってしまった秘密を、犬山弁護士が、他の会社に売り飛ばそうとしていることが、偶然分かったんでしょう? あの人が、簡単にボロを出すわけはないので、彼が信頼していた相手に裏切られたりなんかしたんじゃないかな?」
と春日刑事がいうと、
「何でもお見通しなんですね、その通りです。あの弁護士は、どうしても、弁護士としての職をまっとうしようという思いがあるから、ワルになりきれないんでしょうね。しょせん、悪党ぶっても、弁護士の血が、争えない、そういう意味で、彼は父親を憎んでいたんでしょうね。ひょっとすると、それが、彼の命取りだったのかも知れない。だから、我々にあの人の計画がバレてしまったんですよ。そういう意味では彼も悪になりきれなかったんですね」
というではないか、
「ところで秘密って何なんですか?」
と福岡刑事がいうので、
「その秘密というのは、昭和の終わりの頃の事件、詐欺事件と、企業の脅迫事件、あれは同じ団体による集団犯罪だったんです。その中に、被害者の会を創設させた、先代、つまり初代の会長が関わっていたんですよ。ある意味元締めと言ってもいいかも知れない。親父もまさか、祖父がそんな悪党だなんて知りもしない。だから被害者の会を自らの正義感でやっていた。それを親父はある時気づいて、自殺を図ったそうです。でも、母親に咎められて、思いとどまった。そこで、このことは墓場まで持っていこうと思ったんでしょうね。だけど、親父はできなかった。何とか、償いをと考えていたところで、犬山弁護士の力で何とか、問題なくここまでこれた。でも、それをいまさら犬山弁護士が裏切ろうとした。理由は何か分からないんですが、私が思うに、私の妻に対して、おかしな感情を抱いたんでしょうね。そこで、ここを離れる手土産に、秘密を暴露して、新しいところに雇われようと思っていたようです」
と社長がいうと、
「30年以上も経っているのにですか?」
というと、
「人間、年を取れば取るほど、臆病になっていくものです。ここまで来たのだから、傷つきたくないという思いがあるのは当然でしょう? 私もその気持ちが分かったので、協力することにしたんです、犬山弁護士には悪いと思いましたが、家族を守るためですよ」
というのだった。
事件は、ほぼ、それで間違いないようだ。
主犯は、もう海外に逃げていたので、すぐには逮捕できないということであったが、狂言誘拐と、殺人教唆の罪に問われることになる。
さすがに、昔の犯罪はすでにすべてが時効になっているので、大っぴらになることはなかったが、この犯罪をいかに考えるか、課題となった。
この事件は。殺された弁護士の
「ワルになり切れない」
という思いと、
「墓場まで持っていきたい思い」
とが交錯してできたものだった。
ただ、その後少ししてから、会長はいきなり体調を崩し、すぐになくなってしまったことで、昭和の電撃的な詐欺、脅迫事件の真相は、本当に、今となっては、謎のままに消え、墓場まで、持って行ってしまったのだった……。
( 完 )
墓場まで持っていきたい思い 森本 晃次 @kakku
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