第7話 行方不明の女

 そんな犬山弁護士を、まったく別の場所で見つけることになるとは思ってもみなかった。しかも、あれだけ、

「敏腕弁護士だ」

 と思っていた相手だったのに、

「なぜ、このような形になってしまったのか?」

 と感じさせられたのは、どう考えればいいのだろう?

 本当であれば、犬山弁護士が中心になって、今回の事件の全貌を明かしてくれそうな気がしていたのに、それが不可能になってしまった。今は何よりも、

「清川コーポレーションがどうなるか?」

 という問題が、大きいのかも知れない。

「たぶん、社長が行方不明、おそらく、誘拐なのだろうが、その社長もとりあえずは無事だということが分かって、一安心するはずだったのだろう」

 と、春日刑事は思っていた。

 しかし、一難去ってまた一難、何が清川コーポレーションに、このような怨念を掛けることになるというのだろう?

 ただ、先日までは、社長が見つかっただけで、事件性はあるかも知れないが、それを門松署が、事件として扱っていない以上、我々もどうしようもなかったに違いない。

 しかし、今回は完全に事件として、この酒殿署で起こったことだった。しかも最悪の形で。

 今回の事件が、清川コーポレーションと関係があるのかどうか、微妙でもあった。ただし、事件を曖昧にできないことは間違いない。いくら門松署や、清川コーポレーションが隠そうとしても、ダメなのだ。

 しかも、今回は、頼りにしていたはずの犬山弁護士が中心となって出来上がった事件である。後ろ盾や相談する相手がこうなってしまうと、今のところ、すべての時間が止まってしまったかのようではないか?

 事件の発覚は、昨夜の深夜。いや、早朝と言ってもいいくらいの時間に、県警本部からの入電だった。

「酒殿市酒殿のマンションで、男性が死体となって発見された。直ちに現場に急行せよ」

 という内容だった。

「ああ、殺人事件か?」

 ということで、いつものように、春日刑事は、今まで気にしていた清川社長のことをいったん頭から離して、普段の仕事モードに頭を戻したのだった。

 現場に到着し、マンションの部屋に入ると、そこは、明らかに女性の一人暮らしの部屋であった。部屋は、ピンク系統のものが多く、明らかに、20代、それも前半の女性の部屋に思えてしかたがない。そんな部屋が殺人現場というのも、何とも言えない気がする。このピンクが真っ赤な鮮血に染まっているのかと思うと、ゾッとするのだった。

 すでに、初動の警官は入っていて、ロープが張られたりして、現場の保存はしっかりできていて、その分、

「いかにも犯行現場」

 という雰囲気で溢れていた。

 犯行現場に入ると、すでに刑事が数人来ていて、部屋に入ると、リビングでうつ伏せで倒れている男性が見せた。

 背中からナイフで刺されているようで、背中に刺さったままのナイフが痛い隊しかった。ただ、犯行現場としては、そこまで荒れているわけではない。争った跡はないということだ。

「ナイフのこの刺さり方で、そんなに血が飛び散っていないということは、結構、慣れている人間の仕業ということかな?」

 と、春日刑事が聞くと、近くにいた鑑識が、

「ええ、そういうことでしょうね。しっかりした角度で突き刺せば、身体の深くまでナイフが刺さることになる、これくらいに奥深くまで突き刺さっていると、身体の硬直と、ナイフの間に隙間がなくて、反発がなく、却って、深く身体にめり込んでくるようになるので、血が噴き出すことはないということだね。確実に相手を殺せるだけのテクニックを擁しているということと、狂気のナイフは、この部屋の台所にあったものではないということから、この男性は明らかに、力が強くて、しっかりと相手を殺せるだけの力を持っているということでしょうね」

 というのだった。

「ところで、この部屋は誰の部屋なんですか?」

 と聞くと、

「この部屋には、深川あいりという女性が住んでいます。職業はキャバクラ嬢ということで、源氏名は、みきというそうです」

 ともう一人の刑事が言った。

 もう一人の刑事は、中川刑事という。

「よく、この短時間でそこまで分かったな?」

 と言われた、中川刑事は、

「ええ、この事件の第一発見者が、この部屋の同僚の女の子で、そこまでは、話してくれました」

 というではないか。

「どうやって発見したんだい?」

 と聞かれた中川刑事は、

「二人は、大の仲良しということで、ちょうど、体調の周期が同じだったということで、二人は一緒に一週間のお休みを貰って、今日から、温泉旅行にいく手筈になっていたそうなんです。本当は昨日から、泊まり込んでいきたかったそうなんですが、昨夜は、みきちゃんの方で、何か用事があったようで、今朝、早くてもいいからということで、この時間に来たんだそうです。夜中にやってくることは珍しくもないので、別に問題なかったんです。よほど信用されていたのか、合鍵も持っていたということですね。それで彼女は今朝の4時にやってきて、返事がなかったので、寝てるのかなと思い、合鍵を使っていつものように入ってくると、リビングでこの男が死んでいたということでした」

 という。

「彼女は、今は?」

「無効の部屋で、桜井刑事に事情を聴かれています」

 というのだった。

「ところで、この部屋の住人はどうなったんだい?」

「どうやら、行方不明のようで、電話を掛けても電話には出ないし、メッセージを送っても、既読にすらならないということでした」

 普通に考えれば、この男を殺して、逃亡していると見るべきなのかと、春日刑事は考えていたが、

「ところで、被害者の身元は分かったんですか?」

 と聞くと、

「今、調べているところです」

 ということで、春日刑事は、殺害現場に戻って、今度はもう一度ゆっくりと殺害された男の顔を覗き込んだ。

 さっき見た時は、少し白目を剥いているその断末魔の表情と、まさか、知っている人間がそんなところで横たわっているなど、想像もしていなかったので、考えもしなかったが、そこに倒れている男をじっくりと見ると、

「あれ? この男は?」

 と言って、もっとよく見ようとした春日刑事に、

「どうしました? 知っている人なんですか?」

 と、中川刑事が声を掛けると、

「この男性は、弁護士の犬山さんではないかな?」

 というではないか。

「弁護士? 弁護士が女の、しかもキャバクラ嬢の部屋で殺されているというのも、おかしな組み合わせですね。依頼人か何かなのか、それとも、弁護士の愛人か何か?」

 と、中川刑事がいうと、

「愛人というのは、どうなんだろうね? 弁護士が愛人を持てるほど、儲かるものなのか、そして、彼女もキャバクラ嬢をしているのなら、それほど金銭に困っているということなのだろうか?」

 と春日刑事は言った。

「まあ、人それぞれなので、一概には言えないけど、だけど、このマンションは、それなりに高級なところではないですか? パトロンがいたとしても、不思議はないかも知れない」

 と、中川刑事がいうと、

「じゃあ、愛憎のもつれか何かが動機ということでしょうか? 男を殺して、女が逃げているということになるのかな?」

 と春日刑事が聞くと、

「単純にそうだとは言えないと思うんですよね。これだけ、しっかりと殺せるのは、プロとまでは言わなくても、女性の力でできるものなのかって思うんですよ」

 と、中川刑事は言った。

 確かに、中川刑事の言っていることも間違っていないし、自分もむしろ、その考え方の方が、捜査を進めるうえで、正しいと思うのだが、何か釈然としない。

 一つは、二人の関係である。

 女の方とは会ったことがないので分からないが、殺害された弁護士とは、実際にこの間遭っている。別にどこがおかしいという雰囲気でもなく、ただ、彼と話をしていると、想像していたような、敏腕弁護士の匂いがプンプンしてきた。

 敏腕だからと言って、愛人を作ったり、キャバクラ嬢と付き合ったりしないとは言い切れないが、

「犬山弁護士には、何か一本筋が通った何かを感じる」

 と思ったのだが、話を聞いてみると、父親も弁護士で、清川コーポレーションとは、二代に渡って、雇われていて、敏腕であり、筋が通っているように思えたのは、父親からの遺伝のように思えたのだった。

 そして、もう一つ引っかかっているのは、どうしても、清川コーポレーションのことだった。

 どこか誘拐事件の匂いを感じながら、どうしても表に出てこない。もちろん、誘拐されたと思っている清川社長が発見されたことを知らない、被害者側と門松署の刑事課の方は、いまだに誘拐事件で、頭が回っていないことだろう。

 だが、急転直下と言えばいいのか、これまで、

「司令塔」

 として、裏で指揮を執っていた犬山弁護士が、まさかこんな姿で発見されるとは思ってもいなかっただろうから、ショックは大きいかも知れない。

 だが、弁護士が殺されてしまった以上、いくら記憶を失っていると言っても、このまま社長を隠しておくわけにはいかない。かといって、この訳が分からない一連の謎めいた事件に、マスゴミは殺到するかも知れない。

 それを思うと、あることないことを報道されないとも限らない。

 門松署も、酒殿署の方でも、分かっていることを上に報告せず。勝手に動いたという形にでもなれば、世間からの非難も避けられないに違いない。

 とりあえず、まずは、門松署として、死体発見の捜査と、発見された清川社長のことを、門松署と、清川家に話して、詫びを入れ化ければならなかった。

 清川家の方は、記憶を失っているとはいえ、生きて生還できたことを素直に喜んでいた。入院も余儀なくされているということも、承知の上で、医者にその一切を任せることを一任していたのだ。

 門松署に対しても、彼らとしても、誘拐事件をいくら、被害者の命が最優先だと言っても、隠しての捜査を行ったのだから、何らかの処分はあるだろうが、とりあえず、

「事なきを得た」

 ということで、誘拐の方も、何もしたわけではないが、謎の解放ではあったが、無事ということで、胸を撫で下ろしたということになるだろう。

 そうなると、殺人事件ということもあって、乗り掛かった舟という意味もあって、門松署と、酒殿署の合同捜査となった。

「この事件は事実上の発端は、誘拐事件から始まるだろう」

 ということから、今度は分かっていることの情報提供は行われることになるだろう。

 捜査本部は、死体が発見された酒殿署に置かれることになる。そして、主導権も酒殿署。門松署は協力という形になった。

 誘拐事件を、世間に公開するかどうかということが最大の問題となっていたが、

「とりあえずは、被害者も記憶を一部失っているとはいえ、無事に帰ってきているということもあって、誘拐事件としての捜査は、ここで打ち切りということになるが、今回の問題の殺人事件に対して、問題になるようであれば、門松署の諸君たちからも、なるべく情報提供をしてもらえるよう、願いたい」

 ということであった。

「はい」

 と門松署の方でもそうは言ったが、正直事件に関しては何も分かっていない。

 実際に、脅迫があったわけでも、身代金の要求があったわけでもなく、

「事件は、これからだ」

 というところで、思わぬ膠着状態に入り。誘拐されたはずの人間は、いつの間にか記憶を失った状態で発見され、善後策のすべてを一任していた、顧問弁護士の犬山弁護士が殺害されてしまったという事実と、まったく想像もしていなかった、大きく横道に逸れてしまった状況を、

「いかに考えればいいか?」

 と、半分混乱していた。

 それは、酒殿署の方も同じで、捜査もやりにくくなりそうだと、少し気になるところであった。

 さすがに、誘拐事件のあらましも、酒殿署の方に、伝えられた。ただ、それも、時系列で分かっていることだけが伝えられただけで、

「ひょっとすると、表に出ていないこともあるかも知れません」

 と、門松署の福岡刑事からは言われた。

 その理由について、

「どうも、清川家の方で、少し不安に思っているらしいんですよ。誘拐事件という、神経をすり減らすような事件が起こって、しかも、社長が、こちらが何もしていないのに、いきなり発見された。そして、その時の記憶が、都合よく消えている。

 弁護士としても、

「何がどうなっているのか、分からない」

 という。

 しかも、何と言っても、それらを全幅の信頼で一任していた、肝心の顧問弁護士が、何者かに殺されてしまった。

 それだけの事実があれば、それは、訳が分からなくなっても当然というものだ。

 そして、清川家の会長がいうには、

「すべての対応は、弁護士に任せていたので、すべての内容は彼が握っていた。だから、ひょっとすると我々の知らないことも知っていたかも知れない。時期がくれば、キチンと話そうと思っているようなことをね。それは弁護士であれば、当然のことだと思うんです。現に、息子が見つかったことは話してくれたが、記憶を半分失っているということまでは、少しの間黙っていたという経緯もある。だから、我々も怖いんですよ。それだけ案でも知っていた弁護士が、我々から見れば、万能のヒーローのような人が、簡単に殺されてしまったということは、何か我々の想像を絶するような人たちが背後にいて、何をするか和歌ならない、弁護士だって殺されているわけでしょう? そう思うと、恐ろしくて、とにかく混乱しているところです」

 と、言った。

「なるほど、それはよく分かります。ただ、我々警察としても、今言われたように、情報を弁護士が握っているとすれば、今のところ、捜査するにも情報が少なすぎるんですよ。だから、もし、何か、ちょっとでも気になることがあれば、遠慮なく話してほしいと思っているんですよ。我々は、何としても事件の解決を目指したい。社長も今は、無事に病院にいるようですが、犯人たちが何を思って、社長を解放したのかも、よく分かっていませんよね? ひょっとしたら、やつらの犯行計画は、まだ途中なのかも知れない。それに、弁護士の殺害だって、今回の誘拐に関係のないことなのかも知れない。そう思うと、訳の分からない団体がもう一つ出てきたということになります。そうなると、一つ一つ解決して明るみにしていかないと、一つの事件を解決しても、それで終わりかどうかも分からないわけです。それには、事件の全貌を知る必要があるということです」

 と、福岡刑事は言った。

 そばには、春日刑事もいて、その話を聞きながら、頷いていた。だが、春日刑事の頭の中では、

「これ以上、話を聞こうとしても、本当に知らないんじゃないだろうか?」

 という思いがあった。

 福岡刑事も、同じ思いのようで、あまりにも分からないことが多いことから、清川家の方でも事件の全貌が分かっていないというのも、当然なのだろうと思うのだった。

 福岡刑事もさすがに、会長の話を聞くと、これ以上、追い詰めることは危険であると判断したのか、一応、前述のような警察の立場を、形式的に話しておいた。

「会長クラスの人物であれば、立場だけでも話しておけば、何か違う考えに立つかも知れない」

 と考えるだろうと思ったのだ。

 その日は、とりあえず、清川家と話をして、事件の経過を分かっているだけ話をしただけにとどめた。

 何しろ、

「どこまで知っているのか、あの弁護士がすべての指揮を執っていたのだから、清川家の人間に聞いても無駄である」

 ということは分かり切っていることだった。

 二人は、清川家を出てから、

「少し話しませんか?」

 という、福岡刑事の誘いで、食事をしながら話をすることにした。

 春日刑事も、事件のあらましは、捜査本部で聞いてはいたが、形式的なことでしかないだろうから、実際の刑事に意見を聞いてみたかったのだ。一種の意見交換会のようなものである。

 二人は、福岡刑事が連れていってくれた飲み屋に入った。

「この店であれば、捜査の話をしても、別に問題はないですよ。オフレコのことであれば、問題だけど、自分の意見であったり、分かっていることであれば、大丈夫です」

 ということだった。

 春日刑事も、自分で似たような店を持っていることから、

「はい、分かりました」

 と答えたが、意外と自分で飲み屋を使い分けている刑事というのは、結構いるものだと感じたのだ。

「ところで、今回の事件、どう思います? 表に出てきていることだけを虫食い状態ですけど、それでもつなぎ合わせようとすると、どうも辻褄が合わない気がするんですよ」

 と、福岡刑事が言った。

「ええ、そうですね。私もそれは思いました。分からないことが多いのは、どの事件でも同じで、最初から分かっていれば、苦労はしませんよね? でも、今度の事件は、何か都合のいいところで虫が食っているような気がして、もし、ここから先、捜査で分かってくることをつなぎ合わせると、まったく違う結論が導き出されるような気がするんですよ。だから、そのつもりで捜査をしないといけないと思っています」

 と、春日刑事が言った。

「そうですね。私も同じことを考えています。そもそも、誘拐をしておいて、身代金の要求をすることもなく、被害者を返すなんて、まるで、狂言誘拐ではないかとまで考えてしまうほどなんですよ」

 と、福岡刑事がいうと、

「そうなんですよ。まったくそう。ただ、私が一つ気になっているのは、会長が、話したという話なんですけどね。昭和の頃にあった、詐欺事件の被害者の会の会長のようなことをしていたって言っていたでしょう? どうして今頃そんな話になるんでしょうね? もう30年以上も前の話でしょう? そんな遥か彼方の昔の話。今回の誘拐事件に関係があるとは思えないんですよ。何と言っても、その頃、誘拐された社長は、まだ、中学生くらいの頃のことでしょう?」

 と、春日刑事は言った。

「確かに、そこには私も違和感を感じましたが、でも、この事件が何も分かっていない誘拐だったこともあって、一つでも情報提供があればと思って、そこは、ほとんど気にしてませんでしたね」

 と、福岡刑事は言った。

「渡曽も当事者だったら、そうかも知れないですが、何かおかしいというくらいのことは気にかけていると思うんですよ。まったく何も感じませんでしたか・」

 と言われた福岡刑事は、

「ええ、まったくというと語弊がありますが、疑ってという感覚ではなかったですね。きっと、会長も気が動転していて、何でも情報になるのだったらということで話してくれたんだって思いますた」

 という。

「なるほど。ということは、ひょっとすると、清川会長という人は、ある意味、人を食ったところのある性格なのかも知れませんね。私は会長に会う前でに話を聞いたので、明らかに何かがおかしいと思ったんですが、福岡刑事は、直接聞いてもおかしいと思わなかったということは、社長が意識的にか無意識にであろうか、福岡刑事に暗示をかけてるのではないでしょうか?」

 という春日刑事に、

「無意識でも、意識的にもどちらもですか?」

 と聞かれた福岡刑事は、そう聞き直した。

「ええ、どちらもですね。会長くらいになると、意識的にも無意識にでも、結果が同じになるような発言ができる人なんだろうと思うんですよ。だから、意識的なのか、無意識なのか、そこはまずは問題ではなく、相手がその通りだったとすれば、そこから先が意識的なのか無意識だったのかということに進んでいくんですよ。つまり、一つ一つ段階を踏んでいかないと、話の辻褄が合わなくなってくるということだと思うんですよね」

 と、春日刑事は言った。

「さすが、いつも事件を抱えていて、絶えず臨戦態勢に入っている酒殿署の考えは、自分たちのような、たまにしか事件らしい事件が発生しない署とは、事件に対しての立ち向かい方が違っているのだろう?」

 と感じるのだった。

「確かにそうですね。この事件は、一筋縄ではいかないのかも知れないですね」

 と福岡刑事がいうと、痕は、頭を抱えるように、春日刑事が口を開いた。

「それともう一つ気になるのが、犬山弁護士が殺されている部屋の住人なんだけど、女性だというではないか。というと、普通に考えれば、犬山弁護士の愛人だったのでは? と考えるよね? 福岡刑事は、犬山弁護士と面識があるんだから、どうだね? あの弁護士が愛人を持っているように思うかい?」

 と聞かれて、

「うーん、そうですね、人は見かけによらないと言いますから、何とも言えないですが、私には。愛人を持っているようには見えませんでしたね。それに、あんなに簡単に、背中から刺されたというのも、疑問に感じます。よほど信頼していた相手だったのか、相手が、それほど弁護士を騙せるほどのしたたかな女だったのかですね」

 と福岡刑事がいうと、

「そうなんですよね。それに、私はその現場を見たんですが、ほとんど返り血も浴びないほどの殺傷だったんです。ひょっとすると、即死状態ではなかったかというほどのね。実際に鑑識も即死だっただろうということでしたが、そもそも、そこまでの犯行を、か弱い一人の女にできるかということですよ。普通の男性でもかなりの力がないとできないことではないかと思うので、あの場所に他の人がいたのか、それとも、女の部屋に女がいたのではなく、男同志だったのかということ、飛躍した考えに立てば、他で殺して、死体を動かしたのではないかとも考えられたんですが、鑑識の話では、死体を動かしたという形跡はなく、その可能性は限りなくゼロに近いということでした」

 と、春日刑事は話した。

「なるほど、そうなってくると、事件の全貌が見えてこないですね。見えてきたと思うと、今度は今まで見えていた部分が見えなかったりして、きっと、一つのことに思い込みを強めると、犯人の罠に引っかかってしまいそうな気がするくらいですね」

 というのだった。

 それを聞いた春日刑事は、

「ほう、福岡刑事というのは、思ったよりも鋭いものを持っているような気がするな。どうやら、自分と似た目を持っているに違いない。ただ、同じであると、それ以上の進展はないので、こちらが、少し違った目で見るようにしてみようかな?」

 と考えるようになった。

 実はこの考え方は間違っているわけではなく、春日刑事のこの考え方が、今後の事件の解決へと導くことになるので、ある意味、福岡刑事と春日刑事というのは、

「名コンビではないか?」

 と言われることになるかも知れないという、予感めいたものがあった春日刑事だった。

 ただ、一つ言えることは、

「あまりにも、まだ事件の真相に辿り着くほどの情報が少なすぎる」

 ということであった。

 それを福岡刑事に話すと。

「そうなんですよ、私が思っているのは、どうして、誘拐しておいて、身代金の要求もせずに返してきたかということなんですよ。何か犯人グループの中で、問題が生じて、被害者が逃げられるようになったのか? という考えも出てきたりするくらいなんですよ。まるで、推理小説を読んでいるかのようですよね・」

 と、福岡刑事は笑いながら、そういった。

「まあ、そうですね。でも、その発想、奇抜ではあるけど、一理得ているかも知れないですね。確かに、犯人グループの中で、何か問題が起こったとも考えらえる。ただ、逆に、返すことで、犯人グループの中のメリットがあると発見したのかも知れない。かなり歪な発想になりますけどね」

 と春日刑事が言った。

「今回のように、誘拐という当初からキチンとした計画を立てておかないといけないような犯行において、何かのアクションを起こす前に、人質が返ってくるなどという理解不能なことになっているというのは、それだけ、当初の計画がずさんだったか、あるいは、味方に引き入れた人が、計画通りに動いてくれなかったかということもあるでしょうね? そもそも、犯行に対して無能だったのか、それとも、犯人として、善人過ぎたのか? なとという考えが浮かんできますよね。何をどう考えればいいのかということだと思いますけどね」

 と、福岡刑事は言った。

「とりあえず、今分かっている数少ないことだけの中でも、これだけのことが疑問に思えて、いくつかの仮想を立てることもできる。でも、その仮定だけでは、事件を一つに結びつけることはできない。パズルのピースが一枚だけではなく、数枚なくなっているんだ。だけど、パズルを完成させる時、最期の一枚が難しいんだ。そう、双六をやっていて、最期にちょうどゴールに入る数を轢かないと、元に戻るというような、そんな感じではないだろうか?」

 と春日刑事はいうのだった。

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