イメージトレーニング・アスロン
夏原秋
第1話
快適なイメトレで、あなたをアシスト!
迫真の「ヒョウイ」が試合を制す
広告で躍るキャッチコピーに吐き気を催す。イメージトレーニングが試合を左右する。身体能力の高さは絶対条件。それが無ければ話にならない。その上でもっと良い結果を求めるならば——イメトレによる「ヒョウイ」が必要だ。メンタルトレーニングの中ではそれが断トツで効果がある、らしい。
私は陸上競技の長距離走者。一定レベルの記録を保持する強化選手で、スポンサーも付いている。ところが、イメトレが大の苦手だ。没入すること——「ヒョウイ」が出来ない。感受性が強いほどそれは簡単らしい。私が悪いのだろう、何しろ、興味が無い。記録は何年も高止まりしていた。
長距離走のトップアスリートたちの間では、NBAの試合をイメージに選ぶのが流行りだそうだが……意味不明だ。関係の無い種目から何を得ろと? 今やスポーツだけではない。勉学、仕事。自己ベストを求める人間は進んでそれを取り入れた。例えば警察。尋問に、某有名漫画の名探偵のイメージを活用しているんだとか。そういう映画が話題になり、「リアルな演出だ」と本職の人間がコメントしていた。
気が滅入る。今日は合同記録会だ。運動能力は申し分無いのにどうせイメトレで差をつけられるのだから。ため息をつき、スタートラインに並んだ。
それでもイメージトレーニング・マネージャーは私のために最適なイメージをセレクトする。彼らの俗称はイメトレDJ。アスリートの心理状態を巧みに読み取り、多彩なイメージセレクションで試合を盛り上げるのだ。
「調子どーよ」
DJの軽快な声が頭に飛び込む。
「身体の状態はいつでも良好。問題は感受性だ」
私なりの軽口で応じる。
「君、不感症だから……」
DJがわざとらしくボソボソ言う。
「バカ言え」
イメージを伝えるのは脳波を介する方法だ。ついでに我々は意思疎通が可能となる。昔で言う「テレパシー」が、通信として成り立っていた。
このDJが担当に就いて五年になる。彼は私のイメトレ嫌いを正しく読み取る。気張らない「それなり」のイメージを選定してくれる。空気や状況を「読む」能力が必要な職種だ。私よりも若くてノリは軽いが優秀だった。もちろん報酬はきちんと出している。試合は負けてばかりだが、額面は変えないし下げることもしない。
スタートの合図はコンタクトレンズに仕込まれた映像だ。観客にはわからないタイミングでの、よーい、ドン。グラウンドは曖昧に沸き立った。
踵が降りてつま先が地面を弾く、着地でふくらはぎが弾む、それだけで充分心地良い。私はイメージなどよりも、身体の音に耳を澄ませる。場外のコースに出て、硬いアスファルトを強く跳ねた。
微かな清流の音がする。煌めく水面が脳裏に浮かぶ。イメージで涼を取る、これは誰もが行う定番のイメトレだ。DJは私の思考を邪魔しない最小限の干渉に調整してくれている。
「ちゃんと感じるか? 大音量にしてやろーか!?」
「……」
私の無言は黙れの合図。心得ている相方はそれきり黙した。
ふと、清流に紛れるノイズに違和感を覚えた。
「イメージがおかしい」
DJに異変を伝えた。脚は淡々と動かしたままだ。
「げっ。混線だ。近くで強盗事件だとさ」
アスリート同士では慎重な対応がなされている。それでも別の業種とたまたま近い周波数だったというのは、ごく稀に起きることだ。警察官たちの混線したイメージがどっとなだれ込む。
逃亡者は全速力でだいぶ向こうを走っている。フェンスをよじ登り、ひらりと乗り越えたその後を、もたついた警察官が追いかける——ダメだ。あれでは逃げられてしまう!
目測で、彼らの追跡が失敗する可能性が高いことを悟った。私は、試合中のコースを突然外れた。
「なにやってんだ?」
私の衝動的な行動にDJが困惑している。
「犯人を追いかける。適当なイメージを送ってくれ」
「は?」
「早く! 犯人が逃げる!」
数年間ずっと私の無気力スタイルに付き合ってきた彼は、珍しくイメージを要求されて面食らったらしい。
「まったく。記録会は失格だぜ」
そもそも試合に期待をしていなかった私はニヤリと笑った。おそらくDJも。彼はノッた。
「お前なら、これくらいやれるだろ!」
咄嗟のチョイスはフランス産アクション映画だ。
背丈の二倍あるフェンスが眼前に迫る。金網に指と、爪先を引っ掛け、三段跳びのような軽快さで駆け上がった。ヒラメ筋が唸る。太陽光をバックに大ジャンプで乗り越えれば、臓器がフワッと浮く心地がした。路地に渡された鉄パイプを力強く握り、体操選手さながらのしなやかさで大回転し、宙を舞った。息を呑むような派手なアクション。現実にはあり得ないスタントマンの動きを体現しているのは、私だ。最高の気分だった。
「仕上げろ童貞」
カチリ。
DJがイメージを切り替えた。
猫のように軽やかな着地の直後、スプリントスタートから一気にトップスピードへ。映画の次は弱肉強食が蔓延るサバンナだ。シマウマを追いかけるチーターになりきり、警察官をヒュッと追い越す。もちろん、シマウマは犯人だ。私は獰猛な笑みを浮かべて涎を滴らせる。高速になぶられ後方に汗の水礫を撒き散らす。何事かと振り返る強盗犯は、私の攻撃的な容姿に身をすくませた。脚をもつれさせるシマウマの、喉元に爪を立てて食い込ませ、引きちぎる——。
「迫真だったぜ」
DJの声で我に返った。草食動物を組み敷いて覆い被さる私は身体を起こした。シマウマ、もとい犯人は、全身をガタガタ震わせていた。
こうして私は記録会をすっぽかし、大捕物に参加することで、生まれて初めて「ヒョウイ」した。犯人確保の立役者として時の人にもなった。表彰され、テレビ出演したり、雑誌のインタビューに答えたり。うだつの上がらない選手だったのに、何度も褒められて、良い気分だった。DJとは固い抱擁を交わした。
「ドーピングイメージトレーニング?」
「そうだ。実際に薬物を摂取するわけじゃない。あくまでイメージにより身体能力を引き出す」
どうやら私は試合におけるイメトレにはとことん不向きらしい。あの事件でコツを獲得したはずが、その後も公式記録は伸び悩んでいた。苦肉の策としてDJが提案したのが、ドーピングイメトレだった。
「薬物を摂取しなくても、それと同等の効果が得られる?」
「仮説だけどな。やってみる?」
「ああ」
面白いと思った。モノは試しという気持ちで、即答した。
使用する錠剤は偽薬だ。身体から禁止薬物の成分が検出されることはもちろん無い。心理的イメージで身体に増幅を促す。そもそもイメトレがドーピングみたいなものだと常々考えていた私にとって、皮肉みたいな提案だった。
ドーピングイメトレの効果は抜群だった。練習記録は右肩上がりで、ついに10代の頃の自己ベストを更新した。ドーピングを「ヒョウイ」させるなんて頭のおかしな手法だが、結果が出るなら画期的、発想の勝利というやつだろう。
「君は本当に優秀なイメトレDJだ」
「心にも無いことを」
「なんだとこのヤロウ」
揺るぎない信頼関係。二人三脚で同じ目標に向かう、生涯の友よ。
「ところで、報酬の件だけど」
記録が出始めた頃から何度か賃上げを持ちかけられていた。勝敗に関わらず報酬は出していたが、確かに、五年間で一度も昇給していなかった。そのまま据え置いて数ヶ月が経つ。
「もう少し考えさせてくれ」
ついに、国際試合の選手候補になった。今日の試合の結果次第で、私はオリンピアンになる。いつになく期待を胸にスタートラインで待機した。
五分後のスタートを控えてふと目に入ったのは、異様に目立つ人々だった。色とりどりのユニフォームの中で、彼らが身につける平服が異質だ。選手の群れを掻き分けてやってくるその者たちは、どうやら私の方に向かってくる。なぜなら何度も目が合ったからだ。
「失格です」
私の目を厳しく睨む。男の言葉に、脚から力が抜けていった。
「失格?」
「陽性でした」
「陽性?」
何がだ?
「バックヤードでお話を」
地に根を生やしたように動かない私の腕を取り、スタートラインから反対方向へ引っ張っていく。まるで連行だ。
「ドーピング検査です」
まさか、あり得ない。
「持ち物検査も済んでいます」
スタッフの手には見慣れたピルケースが握られていた。
「禁止薬物です」
自宅のソファに腰掛けた私は一睡も出来ずに項垂れていた。テーブルに置かれているのはDJから渡された「退職願」と書かれた封書だった。
最初に摂取していたのは間違いなく偽薬であったらしい。昨日の試合のタイミングで本物の禁止薬物にすり替えられたようだった。なぜそんなことをしたのかと、DJに詰め寄った。すると辞意を伝えられた。叩き付けるような、本音と共に。
「俺の考えで始めたドーピングイメトレで成果も出した。それでもお前は俺から搾取するのか? お前は俺のオトモダチか? 忘れているのかもしれないが、雇用主だぞ。目の前に人参が無いのに走り続ける馬なんかいない。ボランティアじゃないんだ」
そして最後にこう結んだ。
「お前の傍に、居たかったよ」
朝刊のスポーツ面の片隅にある小さな見出しが、涙で霞んだ。
「強盗犯確保のランナー、イメージ失墜」
世間の目は厳しい。記録向上のグラフは全て薬物の効果と見なされるだろう。成分が検出されないのは運が良かっただけだと解釈される。ワイドショーの餌食となり、スポンサーに見放される。そして何よりも——失って初めて気付いた。
「ヒョウイ」より大切なものを、既に持っていたことに。
イメージトレーニング・アスロン 夏原秋 @na2hara
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