愛に飢えた女

石衣くもん


 あたしは、いつだってあたしのことを無償で愛せるのは、この世に独りきりなんだと思ってる。それは、あたし。自分自身以外からの愛は、すべからく有償であると。

 だって、親が子を愛するのは、子孫を残したいという太古からの本能か、自分の母性や父性を満たすものでしかないだろうし、恋人や友達からの愛は、言わずもがな自身に利があるからゆえの、お付き合いが成り立つわけだ。そんなのって、無償の愛からは程遠い。

 

 

 至って普通の考えだと思っていたそれは、友人には引かれてしまい、恋人には別れを切り出されるくらいに異質で良くないことのようだった。どうして? みんなもしかして、自分の愛は無償だと思っているってこと?

 勘違いも甚だしい、傲慢な考えだわ。あたしが友達に優しい言葉をかけたり、恋人に甘い台詞を吐いたりするのは、あたしにもそれを返してほしいから。あげた分を返してくれないと「この人はもらうだけの人なんだ」ってがっかりする、これはみんな同じでしょう?

 

 

 うぬぼれ、自己愛者、ナルシスト。悪い言葉のように使われるのに納得がいかない。あたしを唯一、無償で愛せるあたしが、一番に愛して何が悪いの?

 あたしを押し殺して、あたし以外を大切にして、そのうち何人があたしを大切にしてくれるっていうの?

 みんなもらうのには鈍感なくせ、あげるのには敏感だから、ほら電車で隣に座っている女の人が男の人に言ってる。

「いっつも私ばっかり」

 絶対にそんなことはないのに、かわいそうな人。相手に期待するからいけないのよ。

 

 

 遠慮することを美徳とするから、それから外れると悪者にされる。あたしはあたしを愛して守るため、表面上はあたしを愛してないように振る舞うのだ。

 すると嘘から出たまことか、プラシーボ効果か、どんどんあたしを愛せなくなる。

 卑怯で矮小で小賢しく、なんの取り柄もないかわいそうな女。

 自分だけがかわいそうだと思っていたあの女の人と、どっちが本当にかわいそうなのかしら。

 あたしはあたしを愛してた。

 でも今は、あたしが愛したあたしは、愛される価値があったのかわからなくなった。

 それが、怖くて怖くて、おかしくなりそうで、仕事も友人も恋人も親も、全部なくしてやり直したくなった。

 

 

 終わらせようと思って、踏切にやってきた。電車はまだ来ない。

 遮断機が降りていない踏切をみんな通っていくのに、あたしだけが止まっていた。通り過ぎて行く人は、止まっているあたしに見向きもしない。

 甲高い音が鳴り響いて、漸くあたしは動き出す。

「ちょっとおい、あんた、危ないぞ」

 知らない男の人が言った。あたしは踏切の真ん中で動かない。電車はまだ遠い。

「何やってるんだ、馬鹿なことはやめろ!」

 知らない男の人は、あたしの手を引っ張った。振りほどこうとしてもできないくらい強い力で、あたしを踏切の外へ引きずり出した。

「何があったのか知らないが、自分を大切にしなきゃ駄目だろ!」

 本気で怒っている様子の男に負けじと言い返す。

「誰よりもあたしはあたしを大切にしたいと思ってる!」

 男はびっくりした顔で「死のうとしてたのに?」と言った。

 どうせ理解されないとは思いながら、あたしは友達や恋人を引かせた考えを、この男に捲し立てるように話した。チラチラとあたしたちを見ながら通りすぎていく人々に構うことなく訴えた。

 悔しい。どうしてあたしはこんなに苦しんでいるあたしを救ってやることができないのか。

 ひとしきり吐き出し終えたあたしを、男は真っ直ぐ見ながら、

「……よくわかんないけどさあ、有償でも愛は愛だろう。もらえるもんはもらっておいたらいいんじゃないの。あんたは愛されてたんだよ、それにいいも悪いもあるのか」

と、言った。引くことも笑うこともなく、真剣にそう言った。今度、びっくりするのはあたしの番だった。

「もうこんなことするなよ」

 男はそう言うと、その場から去った。何の見返りも求めず、あたしを助けてくれたということだ。

 あたしは、間違っていたのかもしれない。

 無償の愛を求めた時点で、それは無償ではなかったのだ。

 愛されたいと強く思い過ぎて、すでに愛されていることを認めたくなかったのかもしれない。

 あたしが一番、あたしを愛せてなかったのかもしれない。

「それでも、愛してるわ」

 これからは、間違えないように、愛してあげられるわ。

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