まちがいさがし

 今回は、基本的に古語を使わずに書こうと思っていたんです。

 長編で、カッコ書きを、書くのも読むのも、めんどくさいじゃないですか~。やっぱ長編は、すらすら読めた方がいいと思って。でも、ダメでしたね。もう、まとめて現実世界転移か、転生させて、令和語で書きたいです。


 渚院なぎさのいんで、在原業平ありわらのなりひら惟喬親王これたかのみこも、桜の歌を詠んでいるので、桜の木があるのは確かなんですが。『土左日記』に、川を上る船から渚院を眺めた様子が書かれているんですが、季節が冬なので、丘に松があるとしか書かれてなくって。

 令和時代に私たちが「桜」って思い浮かべるソメイヨシノは、江戸時代からで、平安時代は、ヤマザクラなんで、咲き方とか散り方とか、ちがうんですよね。


 在原業平は、平安美男子ど真ん中で、書いてみました。

 令和時代なら、一ノ瀬ワタルさんか、富栄ドラムさんだな。魅惑のふわふわボディ。しかし、来年の大河ドラマは、清少納言が『枕草子』で「やせてる男って、神経質っぽくって、ヤじゃね?」って、ディスった、やせ男ばっかりですよね~。


 喜撰きせん紀仙きせん説は、高田崇史たかだたかし先生の『Q.E.D~六歌仙ろっかせんの謎』のパクリです。

 『Q.E.D』シリーズは、小栗旬さんと長澤まさみさんで映像化して欲しいな~と、ずーっと思ってたんですけどね~~~~

 隠蔽いんぺいされた日本史の真実が明かされる話なので、やっぱ映画とかドラマとかになって、広まっちゃうと困る人たちがいらっしゃるんですかね??

 私、陰謀論大好き!!なんですが、陰謀論にマジでハマッちゃう人と、陰謀論をエンタメとして楽しめる人の分かれ道って、どこなんでしょうね??


 高田先生も、『逆説の日本史』の井沢元彦先生も、六歌仙は、藤原氏に排除された氏族の怨霊鎮魂説ですが、私は、今のヒップホップのサイファーみたく、仲間内で、楽しくディスり合戦してただけだと思うんですよね。

 それをなつかしく思い出しながら、紀貫之は「仮名序かなじょ」で書いたのではないかと思います。

 という前提の現代語訳なので、ちゃんとした現代語訳とは、解釈がちがっています。平安時代もヤンデレがウケてたのか…って、信じないように。

 「五歌仙」じゃなく、正しくは「六歌仙」なので、テストで、まちがわないように。大友黒主おおとものくろぬしが出て来ないのは、光孝天皇こうこうてんのう大嘗祭だいじょうさい(即位して初めての収穫祭しゅうかくさい)で、歌を詠んだ人なので、まだ知り合ってないからです。


 遍昭へんじょうは、真言宗だと思ってたのに、ギリギリで天台宗なことをWikipediaで気付いて、ヤバかったですわ~。

 『竹取物語』の「さぬきのみやつこ」をこじつけるのに、どうしても讃岐さぬきに行かせたかったんですよ。讃岐といえば、空海。って、つながったーー!!と思ったのにぃ。なので、真済しんぜいを出して、ごまかしました。

 遍昭作者説を信じているわけではなく、貫之の妹に『竹取物語』をあげる「誰か」に一番、当てはめやすかったのが、遍昭だったってだけです。


 紀全子きのまたいこの養父が、紀全吉きのまたよしというのは、こじつけです。

 全吉が、遍昭の兄弟と、文徳天皇の警護をしてたって、Wikipediaで見て、ちょうどいい!と思って、こじつけました。


 応天門の再建時に名前を変えるか論じられた話は入れるか、悩んだんですが、『呪術廻戦』の藤堂葵の「この間、0.5秒」みたいな感じで、惟喬が貫之から有朋に目を戻す間に、全て知ったということにしておいてください。

 文章博士もんじょうはかせが、唐(中国)の門の話に議論をすり替えたのは、歴史的事実です。



 私は歌を詠む才能もないので、歌集にある歌しか入れてないのですが、


春霞はるがすみ

 たなびく山の桜木さくらぎ

 見れどもかぬ 花にもあるかな」


 この歌は改変していて、本当の歌は


春霞はるがすみ

 たなびく山の桜花さくらばな

 見れどもかぬ 君にもあるかな」


 元々の展開は、惟喬が貫之に舞を求めて、舞った後で、姫との再会だったんで、「見れども飽かぬ 君にもあるかな」で、よかったんですが、『鬼と舞う』で、貫之は「舞いたくない」って、ダダこねてるのに、エライ人から言われたら、舞うのかよ?と思ったのと、ほぼ初対面で、女性から男性に対して詠む歌じゃないわ~と思ったんですね。

 平安時代の「見る」は、イコール性的関係を持つ。ってことなので。

 でも、ちょっと「桜花」を「桜木」、「君」を「花」に改変しただけで、この歌のかわいらしさが、すっかりなくなっちゃって、びっくりしました。

 友則の歌って、古語辞典を引かなくっても意味がわかる、一度、聞いただけでもくちずさめるくらいの、カンタンなことばの歌が多いと、私は思います。

 冬休みの宿題で、百人一首を覚えさせられた時に、一番最初に覚えられた歌って、「ひさかたの 光 のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむちるらん」じゃありません??

 なんも難しいこと言ってなくて、友則は息を吐くように、歌を詠んでたんだな~と思います。



 装束は、がんばって書いているんですが、もんが書けなくてね…。紀氏の皆さんは、下級貧乏貴族なので、基本的に無紋しか着れないと思うんですよねえ。業平は、俺自身が輝いているから、そんなに派手な装束は選ばなそうな気がします。



 平安時代の物語の語りを「草紙地そうしじ」と言います。

 現代で言うと、三人称の中に一人称が混ざる感じ。ラノベで、地の文章で、登場人物の言動に、作者がツッコミ入れる感じ。映像なら、登場人物が、画面の向こうの見てる私たちに対して、カメラ目線で語りかける感じです。

 その語りの「本体」って誰よ?って思った時に、この話の構成を思いついたんですが、すんげー書きづらいんですよ…なかなか書けなかった大きすぎる原因は、これで。

 一人称を「己」と書いて「おれ」と読みたかったんだけど、文章を書いてみると、「己に遍昭は言う」って、遍昭が自分自身に言ったようにしか見えないじゃないですか。なので、フツーに「俺」にしました。「ちん」って、マジで言ってたんですかねえ?「麿まろ」は、いつか使うのか、まだわかりません。


 あとね、現時点・春宮は9歳なので、人喰いのシーンは自粛しましたです。あと、帝が子どもの頃に目撃したのも、仲良し家族シーンじゃなく、文徳天皇もんとくてんのう紀静子きのしずこがまぐわってるシーンを予定してたんですが、自粛しましたです。有朋も、当初予定では、その場で絶命だったんですが、ちょっとぼやかしました。当初予定を言ったら、春宮が姫を襲うシーンも、やめたんですよね…

 なので、後半がうっす~い話になってしまって、すみません。



 来年の大河ドラマ『光る君へ』。…もう「今年」になっちゃったよ!

 藤原道長役の柄本祐さんが、打毬だきゅうを撮影した。と、ネットニュースで見て、平安時代のあれこれの実写化が見られるのかなあ?と、ちょっと期待してしまいました。

 「打毬だきゅう」って、馬に乗って、棒で球を打つ、西洋のポロと同じ、お貴族様の遊びだよ。

 一番、気になってるのは、食事なんですよね。

 当時は、「食」について語ることは、いやしいとされていたので、紫式部も、めっちゃ宴の様子は書いているのに、食べ物のことは、ちっとも書いてないんです。『源氏物語』でも、かき氷くらいしか出て来ない。

 清少納言でさえ、「美味しいものは、」「マズイものは、」とか書きそうなものなのに、甘い汁をかけたかき氷くらいしか書いてないですよね??

 二人とも、かき氷が特に好きだったわけじゃなく、「夏に氷を食べられる」という、上級お貴族の証明として、書いただけだと思います。

 宴のシーンは、多少、史料が残っているのと、現在の宮中祭祀きゅうちゅうさいしの食膳を参考にできると思うんですが、日常の食事シーンは、撮るのか、スルーするのか、気になります。

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初恋は桜の頃 山鹿るり @yamaga-ruri

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