春雷、青い星に咲く
葦沢かもめ
春雷、青い星に咲く
雷の匂いがした。
「またしても成し遂げました! 完全試合! 三試合連続!」
興奮して声が上ずる実況AIとは対照的に、マウンド上の彼は涼しい顔をしてニコリと笑っていた。レガースを放り投げたキャッチャーが、続いて砂埃にまみれた選手たちが、彼に駆け寄っていく。
彼は右手を突き上げ、ロジンにまみれた人差し指の先を、火星の赤茶けた空に向ける。
その瞬間、彼の指先から一筋の青い閃光が走り、天へと駆け上っていった。彼のすらりとした長身はまぶしい輝きに包まれる。竜の咆哮のような心地よい爆音。プラズマが世界を支配する瞬間。
「ミチザネ選手のサンダー・セレブレーション! 今日もライジング・サンダーが炸裂したぁ!」
大歓声がとどろく火星第三スタジアム。
僕は、そのライブ立体映像をただただ見つめていた。まるで地下深くの昏い穴の中のような、カーテンを閉め切った六畳間の中で。
気がつけば、僕は拳を固く握っていた。右の手のひらを開いて、立体映像の淡い光で照らしてみる。いつもお客さんにお冷をお渡しするシリコンスキンには、有機皮膚の時にできたマメの跡など残っていない。僕はアサクサの小さなレストランで働く配膳ロボットでしかないのだ。
それでも僕の指先には、不意にボールの表面のしっとりとした肌触りがよみがえる。最後にボールを握ったのは一年以上も前だったか。
あの時、確かに僕はミチザネと同じチームにいて、同じ火星のボールパークに立っていた。一緒にキャッチボールをすることもあった。彼のグローブが壊れた時には、僕の予備を貸したこともあったっけ。彼はそれを気に入ったらしく、そのままパクられてしまったのだけど。
立体映像が、彼のヒーローインタビューに切り替わる。あの頃と朗らかな語り口は変わっていなかった。
「今日の調子は、まあまあですかね。フォークがよく落ちてくれて助かりました」
「ではファンのみなさんへ一言」
「そうだな……」
彼はちょっとだけ考えるそぶりを見せた。
「春雷って知ってますか? 地球で春に鳴る雷は、冬眠していた虫たちをびっくりさせて目覚めさせるんだそうです。俺はそういう雷になりたいですね。火星には冬眠してる虫なんていないんですけど」
僕は彼がつけている青いグローブに見覚えがあった。あれは僕が貸したものだ。小指のヒモがゆるくて、すぐにほどけてしまうのも変わっていない。
彼はニコッと笑ってインタビューを終えた。僕の心に残るのは、春雷のようなざわめきだけ。その非定常なブラウニアンノイズは、僕を決意させるのに十分だった。
それから五年が経った。僕はアラカワ・リバーのそばにある球場を本拠地にする実業団「レディバグズ」に入団し、再び火星の球場でプレーすることを目指していた。運営はナナホシ・カーボンというメーカーで、「軽い、硬い、長持ち」を合言葉に宇宙船のカーボン製部材を手がけて成長した新興企業だ。オーナーの七星さんは中年の男性で、物腰が柔らかいのでみんなから慕われている。僕たちに自社製品のボディが支給されているのも、七星さんのおかげである。僕たちを広告塔にするという意味もあるのかもしれないけれど、金属疲労があればすぐに取り替えてもらえるのはありがたい。文句があるとすれば、チームが万年最下位ということくらいだ。
「どうして、こんなチームにいるのさ?」
一緒にプレーする選手からは、よくそんなことを聞かれる。そういう時、僕はいつもこう答える。
「スポーツなんてショービジネスだからね。火星のロボット・スポーツだって、テラフォーミングが完了する前につぶれそうになった宇宙開発企業が、収益を確保するために始めたものだっただろう? スポーツ選手は、コロッセオで死闘を演じていたグラディエーターたちや、万国博覧会で未開人として展示された人々と本質的には何も変わらない。だから僕は、普通のロボットになりたかった」
その言葉を聞くと、みんなは僕のことを皮肉屋だと思うかもしれない。でもそれが、今の僕が言葉にして語ることのできる精一杯なのだ。世の中には言えることと言えないことがある。
例えば秘密保持契約というものがある。これを結んでいると、公にすることは難しい。僕が火星にいた時にスポンサーをしてくれていたのは、低軌道通信衛星の運営企業アリエス社だった。アリエス社は、僕を「デッドボールで引退を余儀なくされた悲劇の選手」として売り出そうとした。もちろん僕は反対したし、当たり前のようにクビになった。そんな物語も、秘密保持契約で覆い隠されている。
とはいえ人間のスポーツ選手たちが炎天下で長時間プレーさせられたり、疲労骨折するまで練習させられたりしていたことが問題視されて、地球でもロボット選手の活躍の場が増えた。だから、みんな口にはしないだけで、なんとなく分かっているのかもしれない。
そんな春のある日のことだった。
「大変だ。デブリが宇宙船にぶつかるって」
チームメイトが慌てた様子で動画ニュースを僕に観せてきた。燃料漏れで緊急停止した旅客用宇宙船「はごろも」に、運用を終えてデブリとなっていたアリエス社の衛星が衝突する予測が出ているらしい。
そこにちょうどオーナーの七星さんがやってきた。
「お、いたいた! 探したよ!」
「どうしました?」
「あのデブリ、ボールを投げて撃ち落とそう」
冗談かと思ったが、七星さんの表情は真剣そのものだった。
「僕がですか?」
「アリエス社の衛星をぶっ壊すなんて最高だろう?」
ニヤリと笑う七星さんは、まるで全てを知っているかのようだった。
「元プロの君ならできる」
その力強い言葉に、僕はうなずいた。
「どうやるんです?」
「デブリは、ちょうど衝突直前にトーキョーの約五百キロ上空を通過する。そこにアレを装備した君が鉄球を投げつける」
七星さんが指した先には、スタッフさんが台車に乗せて運んできた巨大なアームがあった。僕の体よりも大きく、黒々とした表面は光沢を放っている。
「これは?」
「弊社開発部が技術検証のために作った試作品、ムキムキくん五号だ。時間がない。早く換装しよう」
僕はネーミングセンスに非常に大きな不安を感じていたが、実際につけてみると意外と体になじんだ。
「さすが『軽い、硬い、長持ち』は伊達じゃないですね」
「ウチの技術力を舐めてもらっちゃ困る」
七星さんは僕の背中を叩いて、マウンドへと送り出してくれた。
時刻は十九時を過ぎていた。辺りは薄暗く、月と星々がフィールドを淡く照らしていた。涼しい風が吹いているが、軌道計算上、あまり問題にはならなそうだ。
七星さんから送られてきた、投げる位置とタイミングの情報をもう一度確認する。ちょうど計算通りに地平線から低軌道衛星の光が現れ、天球を泳ぎ始めるのが見えた。
僕も理解はしている。ここでアリエス社と因縁のある僕がデブリを撃ち落とすなんて、ストーリーとしては上出来だ。成功すれば大きく話題になり、ナナホシ・カーボンの株は爆上がりだろう。さすがに七星さんによる企みではないと思うけれど、これも一つのショー・ビジネスなのかもしれない。
でもそれは、僕自身も同じだ。もし成功して「どうして撃ち落とそうと思ったのか?」とインタビューのマイクを向けられたら、きっと僕は「宇宙船に取り残された人たちを助けるため」とか、「あのアリエス社の憎たらしい衛星を撃ち落とすため」とか、そんなヒーローみたいな言葉を語ってしまうかもしれない。でも、やっぱり僕は「春雷で目が覚めたから」と素朴に答えたいと思う。
僕は鉄球を握りしめて大きく振りかぶる。僕の右腕でエンジンが唸り声をあげている。不思議と緊張はない。ミチザネが剛速球を投げる時も、こんな感覚なのだろうか。
まるで僕の全てが運命の歯車に手を添えられているみたいだった。アサクサのレストランで教わった、培養ポークのトマトスープをこぼさないとか、ヘルシーな豆腐パスタのカロリーを正確に答えるとか、ホワイトソースのかかった白身魚のムニエルをホクホクの間にお出しするとか、そんな経験も無駄ではなかったのだと思う。
「さぁ、いこう」
腰をひねり、鉄球に力を込める。指先が離れる最後の瞬間まで、鉄球は僕の体の一部だった。
宇宙へ向かって一直線。空気を切り裂いて進んでいくそれは、月光を反射して青白い軌道を描いていく。ミチザネのライジング・サンダーよりは地味かもしれないけれど、僕はきれいだなと思った。
小さな彗星は、あっという間に群青色に溶けていった。でも僕の指先は、鉄球がデブリを粉々に破壊する時の震動をビリビリと感じていた。
「デブリが消えたぞ! 宇宙船も無事だ!」
七星さんと仲間たちが歓声を上げているのが聞こえた。そうして夜風に身を任せるように劇は幕を閉じた。
結論から言うと、全ては七星さんが仕組んだものだった。「はごろも」の燃料漏れはナナホシ・カーボンの社員による人為的なものだったことが判明し、七星さんは逮捕。会社は倒産し、レディバグズも解散となった。
僕も警察から事情聴取を受けたものの、罪は問われずに済んだ。しかし当事者である僕を拾ってくれるチームはあるはずもなかった。
火星で延滞料金を徴収する夢を絶たれた僕は、再びアサクサのレストランで働き始めた。昔使っていたシリコンハンドにもすぐに慣れたし、久しぶりに会うお客さんとの会話も楽しい。
しかし、以前と変わったことが一つある。あの時の僕のマネをして、地表からスペースデブリを撃ち落とすボランティア団体が発足したのだ。「デブリ落とし」という名前をつけて、新しいスポーツにするアイディアもあるらしい。面白いことを考えるやつがいるものである。その団体の創設者から審査員の招待状とともに送られてきた青いグローブは、僕の自室の机の上に大切に飾っている。
春雷、青い星に咲く 葦沢かもめ @seagulloid
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