第20話

 家門が没落する。それも自分のせいで。

 そんな風に言われて、ナイジェルは憤った。


「俺がレックス侯爵家を没落させるなど、どういう意図でそのような戯れ言を」

「戯れ言ではありません」


 ナイジェルの話の腰を折り、ライリーは持っていた書類をバサリと目の前に広げた。


「なんですか、それは?」


 得体のしれない物のようにそれを見下ろすナイジェルに、彼女はその中から一枚の紙を取り出して見せた。


「これは先月あなたがした内容と金額を記したものです」

「なんだと?」

 

 彼女の手からそれを奪い取りざっと目を通すと、そこにはクラブでの費用や仕立てた服の代金の詳細が書かれていた。

 それこそナイジェルが覚えていないようなものまで、事細かに。


「それからこれが、今あなたが住んでいる別邸にかかっている費用です」


 追加で渡された紙には、彼女が言ったとおり人件費、光熱水費、食糧費、その他等に項目分けされた費用が、本宅と比較して記されていた。

 建物が大きく敷地が広い分、光熱水費などは本宅が別宅を遥かに凌いでいたが、人件費や食糧費などはそれほど変わらない。


「そしてこれが年間の費用と、それぞれの割合を円グラフにしたものです」

「円…?」


 最後の紙には丸い円がひとつと、横長の四角が上下に二つ連なった図が書かれた紙を見せた。


「これは?」

「この丸いのは、レックス家の昨年の支出の区分を、支出の内容別にしたもの。こちらが本家と別邸の支出の差を示したものです」

「先程のものを、こうして図にしたというのか?」

「お見込みが早い。そうです」


 褒め言葉だが、微妙に馬鹿にされている気がするのは、自分の勘違いだろうかとナイジェルは思いながら彼女の示す図を見る。


「どう思われます?」

「どう…とは」

「無駄が多いと思いませんか?」

「無駄?」

「そうです。この本家にしろ別邸にしろ、スティーブン様とあなただけなのに、これだけの経費がかかっているのです。人件費もしかり、維持費もしかり。まったくもって非効率です」


 呆れたように彼女は肩を竦める。


「しかも、この円グラフ、あなたが使ったお金が、年間の侯爵家の出費の五分の一を占めているんですよ。五分の一って、使用人の給料が五分のニなんですから、その半分をあなた一人で使っていることになります」


 確かに、ナイジェルと書いた部分が円の五分の一を占めている。


「いかに蓄財があって、収入があっても、これでは蛇口を開けっ放しの水道と同じです」

「すい…ど?」

「いえ、何でもありません」


 この世界に水道はない。口が滑ってしまい慌てて否定した。


「コホン、とにかく、レックス侯爵家の収入は主に領地の税収です。それも災害や飢饉が起これば、減税せざるを得なくなります。またそうなれば、領主として、災害復興や食糧の補填に私財を投じることも、考えておかなければなりません。そのためには、支出を抑える必要があります」

「貴族にとって社交は必須だ。それを控えろと言うのか?」

「必要な支出をするのは構いません。ですが、今のままの、考えなしの状態では駄目だと申しているのです」

「考えなしだと?! 好き勝手なことを言うな」


 ナイジェルは、これまで女性に声を荒げたことはない。しかし、貴族令息として身についた礼儀正しさも忘れるほど、彼女の態度にはむかついた。

 そんな二人のやり取りを見ていたスティーブンが近づいてきて、机の上の紙を取り上げまじまじと眺める。


「初めて見せてもらったが、良くできている」

「ありがとうございます」

「お祖父様、褒めてどうするのですか」


 彼女の書類に感心する祖父に、ナイジェルは文句を唱えた。


「確かに、貴族としての対面もあるし、ケチケチしていては、侯爵家の名折れでもある。しかし、君が言う贅沢品も、それを買う者がいなければ、それを造る者職人たちは造ったものが売れず、露頭に迷うことにもなる」

「そ、そうだ。これは貴族として当たり前のことだ」


 職人たちのことは考えたことはなかったが、祖父の言葉にナイジェルは乗っかった。


「経済を循環させることは必要なことです。貯め込んでばかりで消費がなければ、経済は動きませんから、それはわかります。職人を育成しなければ、技術の継承も発展もありません。農民やその他の職業の者も、生産者と消費者がいてこそ、需要と供給が成り立つのですから」

「需要…供給」


 ナイジェルがこれまで他の貴族令嬢と交わしてきた会話は、流行のドレスや芝居、誰かの噂話というものだった。

 相手のどこかしかを褒め、気分良くさせればそれで良かった。時には誇張しすぎるくらいの美辞麗句を並べ、頬を赤らめる令嬢たちと恋を語る。 

 誰かの奥方や恋に手慣れた女性たちと、戯れ肌を重ねる。

 それがナイジェルの知っている「女性」だった。

 だが、今自分の目の前にいるライリー・カリベールの口から紡がれる言葉は、彼が知っている女性たちの口からは聞いたこともないものばかりだった。

 

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