私の愛した神様

森高なつや

私の愛した神様

「君を愛している。」

 人生で初めての"愛している"という言葉に、胸が苦しいほどぎゅっとなってしばらく泣いた事をよく覚えている。これは私の愛した神様との話だ。


 彼と出会ったのは、高校一年生の終わりで春になる前だった。私はいつものように教室の端で携帯の画面に眼を注いでぼうっとしていた。SNSのタイムラインを流していると、ある写真に目を奪われる。青白く細長い腕に、手首から肘窩まで真っ赤な傷がびっしりと並んだリストカットの写真だ。血は得意ではないはずだったが、それは私を強く惹きつけた。儚さと過激さが入り混じるこの異質な写真の主は一体どんな人間なのか?膨らむ好奇心をそのままにしてはおけなかった。気がつくと私は彼にメッセージを送っていた。

「なにを使って切っていらっしゃるんですか?」私は何から聞けば良いのか考えていなかったのでそう聞いた。

「これですよ、よく切れるんです。」血だらけの出刃包丁の写真と共に返信があった。これが始まりだった。


 聞くに彼は、私より四つ年上の大学生で精神疾患があるらしかった。当時の私は、大学生という肩書に大人っぽさを感じたし、精神疾患は未知のものでミステリアスさを感じた。それに加え、彼は非常に頭脳明晰だった、カリスマ性があった、放って置けない淋しさがあった、誘うような闇があった。彼との関わりは非日常的で興味深く、私は彼の話す一言一言に本のページを捲るような興奮を覚えた。そんな彼に愛を告白をするまで2ヶ月もかからなかった。


 私たちは簡単に会える距離に住んではいなかったが、それを埋めるように頻繁に電話をした。思想や哲学について熱心に語り合った。時間とお金の都合をつけては何度かデートもした。


 彼はとても寂しがり屋だった。そして素直とは程遠い捻くれた人間だった。私に優しい言葉をかけたと思えば、次には罵倒した。いやむしろ、罵倒することの方が多かった。

「君は本当に頭が悪いね。」

「自分の容姿が劣っていることに気づいていないの?君は醜いよ、奇形みたいだ。」

「君みたいに何の役にも立たない、能力の低い人間もいるんだね。」

 このような言葉を掛けられるのは日常茶飯事であった。そして、そんな存在価値の無い私を愛せるのは自分だけだと、何度も私に刷り込んだ。自分には私しかいないのだと縋り付くような愛も囁いた。

「どうしてそんなひどい事を言うのだろう。」なんて最初のうちは思っていたが、繰り返されるうちに自信や自尊心は深く傷を負い、そこに彼の言葉が、愛が、呪いのようにぎっちりと根を張った。

 彼と関わる時間は徐々に長くなっていき、一度の通話時間が二十四時間以上になる程だった。私は学校へあまり通わなくなった。彼とお揃いになりたくて腕も切った。彼の勧めで度々過量服薬もした。精神科にも通った。親とも揉めた。処女も捧げた。過激なプレイがしたいという要求にも応えた。私の世界には彼しか存在しなくなり、彼の全ての言葉を盲信した。私と彼の境界線が溶け合いぼやけていくような感覚だった。


 両親は、そんな様子の私を見てどうにかしなければと思ったらしい。私は通っていた精神科の閉鎖病棟に強制入院させられた。私は熱烈に信仰していた彼との繋がりを断たれ絶望し、両親を憎んだ。しかし、精神的な疲弊があったのも事実で、病室でひとり過ごす中で回復し、この関係の歪みを考え理解した。退院したあと3日ほど考えて、私は彼に別れを告げることにした。

「君は医者に洗脳されたんだ!」と彼は言っていたが、その時の私には彼も医者も同じようなものに思えた。


 別れた後、高校を卒業し、大学に入った。新しい恋人や友人にも恵まれた。彼へ想いを馳せる日は減っていった。


 ある日の大学からの帰路、唐突に電話が鳴る。眩しく光る携帯の画面には、懐かしい彼の名前があった。

「もしもし、どうしたの?」と、私は高鳴る胸を抑えて平然とした声で電話に出た。それから、ひとまず他愛ない話をしながら、遠回りして誰もいない公園のブランコに座った。1時間くらい話した後、彼は少し口を噤んでから私の名前を甘く呼んだ。

「なあに?」私が嬉しくも困ったように返すと、

「あの時は酷い事をしてごめんね、今も君を愛している。」と、穏やかで優しい口調で言った。

「またまた〜!何言ってるの?」私はどうしていいか分からず、笑って済ませた。彼は返事をしなかった。

「もう帰らないといけないから切るね、またね。」これ以上話すと何かを悟られてしまうと思った私はそう言うと焦って電話を切ってしまったのだった。



 その2ヶ月後。大学一年生の終わりで春になる前だった。懸垂棒にぶら下がった首吊り縄の写真と、

「さようなら、お世話になりました。」という言葉をSNSに残して、彼はこの世からいなくなってしまった。

 今でも彼に与えられた傷をなぞる度に、彼との記憶が蘇る。あの電話で彼が何を思っていたのか、もう聞くことはできない。

 

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の愛した神様 森高なつや @heacohot

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ