小さな新聞

増田朋美

小さな新聞

9月になった。それを実感できそうにないほど暑い日だったけれど、それでも季節は確実に動いているなと感じるのは、ちょっとした変化が大きな変化に見えてしまうからなのかもしれない。北に住む人は春を迎える喜びを誰より強く感じることができるから幸せだ、という歌詞があるが、春の変化というのはよく文学にも取り上げられるのに、秋の変化というのは、ほとんど取り上げられないからなぜだろうと思ってしまうのである。

「今日は何でも地方新聞社が取材に来るそうです。」

ジョチさんは、嫌そうな顔をして、製鉄所の利用者に言った。

「嫌ですねえ。ここが新聞に掲載されても、碌なことがないのですけどね。」

確かにジョチさんの言う通りでもあった。この製鉄所がメディアに取材されてしまうと、良いことと言ったら利用希望者が一人か二人増える程度で、あとは文字通りろくなことがないのだ。例えば、更生するのぞみがない人を、利用させているとか、ただ居場所を貸すだけで、意味がない事業者と批判されるのが常だった。こういう施設の良いところがわかってくれるのは、本当に一部の人でしか無い。

「まあいいじゃないですか。取材したいんだもの。させてやればいいでしょう。まあ確かに、利用者さんが増えてくれることは、間違いなくいいことでもあるんですから。」

水穂さんはそうジョチさんに言った。

「まあそうですね。水穂さんも、涼しくなってきてるからか、寝込んでしまう頻度は減りましたものね。」

ジョチさんはそう水穂さんに言うのであるが、水穂さんははいと小さな声で言った。

「それでは、9時半に取材が来るそうです。ああ、あと5分か。そのうち、やってくることでしょう。」

ジョチさんがそう言うと、一台の車が、製鉄所の前に止まった音がした。

「ああ、来ましたかね。」

ジョチさんは、出迎えに行くと、そこにやってきたのは一台の障害者用の車。一体誰だろうと思ったら、一人の老人が出てきて、後部のドアを開けた。そして、そこからスロープを出し、一人の車椅子に乗った女性を降ろしてくれた。

「ああ、こんにちは。小さな新聞の佐藤絢子です。今日は、こちらのことについて取材をさせてもらおうと思いまして、こさせていただきました。」

と、車椅子の女性は、そういったのだった。

「佐藤絢子、ああ、あの佐藤製紙のお嬢さんですね。そんなお嬢さんが、どうして新聞記者になって、ここへ取材に来たんですかね?」

ジョチさんが驚いてそう言うと、

「ええ。間違いなく佐藤絢子です。でも、佐藤製紙のお嬢さんではありません。私は、もうあの会社の佐藤絢子ではなく、小さな新聞をやっている佐藤絢子なんです。」

と、絢子さんは言った。それと同時に、車を運転してきた老人が、

「それでは、取材が終わりましたら、電話をくださいね、お迎えに上がりますからね。」

と絢子さんにいうと、絢子さんは、

「ありがとうございます。それでは、一時間後に迎えに来てください。」

と言った。そして、電動の車椅子を動かして、製鉄所にどんどん入ってしまった。流石は佐藤製紙のお嬢さんである。手足が不自由であっても、そういう高級な電動車いすを買えるのだから。それでは、お邪魔しますと言って絢子さんは製鉄所の中へ入っていく。製鉄所では、段差が無いことが返って絢子さんのような人でも入れるようになっているのだった。

「こんにちは、小さな新聞の佐藤絢子です。利用している皆さんにインタビューさせてください。」

絢子さんは、タブレットを持って、利用者たちに近づいた。そして、すぐに操作ペンを加えてタブレットを操作し、メモアプリを立ち上げた。

「まず初めに、どうしてこちらの施設を利用されるようになったのか教えてください。」

「ええと、正確には記憶してないけど、通信制の学校に通うことになって、宿題をやるのに家の中では、勉強がはかどらないから、もう少し効率よく勉強ができる場所がほしいと思ったからです。」

と、40歳くらいの中年の利用者が言った。絢子さんは、その言葉を口に加えた操作ペンを動かして、タブレットにメモした。

「あたしは、まだ学校には行ってないんですけど、学校に行けるようになるために、ここで試験のための勉強をしているんです。早く私も、学校に行って、楽しく勉強ができたらいいなと思っています。」

50代くらいの利用者が言った。

「そうなんですね。みなさんが学校へ行こうとしたい理由はなんですか?」

絢子さんがそうきくと、

「ええ。あたしは、長年学校は嫌いだったんですけどね。高校にいかないで働いて、結局何もできなかったから、もっと知識が必要だと思いまして、それで学校に行きたいと思ったんです。若いときは学校なんて本当に嫌だと思っていたんですけどね。でも、それは間違いですよね。学校に行って、一生懸命勉強できることほど、すごいことはないですよ。あたしは、今やっとそのことがわかって幸せです。」

とはじめの利用者が言った。

「そうなんですか。それでは皆さんは今学校に関わることができて幸せだと思いますか?」

絢子さんがそうきくと、

「ええ。昔は学校なんてなんて窮屈でつらいところなんだろうと思いましたけどね。今の学校は、つらい過去を持った人間にも配慮してくれるようになってます。私も、学校を見学させてもらって、学校は昔ほどつらい場所では無いんだってことがわかって、なんかホッとしました。」

と二番目の利用者が言った。

「そうなんですね。こちらの製鉄所に来ることになって、今までの生活と比べると、変わったことはありますか?」

絢子さんが聞くと、

「一人で勉強するとどうしても寂しいですけど、ここに来れば勉強をしている仲間がいるんだなって気持ちになるから、それはとても嬉しいです。」

とはじめの利用者が言った。

「あたしも、同じような病気だったり、障害のようなものを持っている人に出会えて嬉しいです。」

二番目の利用者が言った。

「ありがとうございます。それでは、これからこちらを利用しようと考えている方に向けて、一言お願いします。」

絢子さんは、メモを取ってからそういう事を言った。

「はい、そうですね。焦らなくていいから、自分の居場所を見つけてください。それが見つかるまで何十年もかかる人も居ると思いますが、それでも頑張って諦めずに、探してくれれば、見つかると思います。」

はじめの利用者が言った。

「高校とか、中学校で決めた進路が、必ずその通りにしなければならないということは絶対ないと思ってください。そのとおりにならなくても、それを恥だと思わないこと。それが、人生を自信を持って歩けるようになる秘訣だと思いますよ。」

と、二番目の利用者が言った。絢子さんはそれを丁寧にメモした。

「それで、こちらの利用者さんは、みんな通信制とか、そういうところに通っている人達ばかりなんですか?」

絢子さんは、ジョチさんに聞いた。

「まあ、最近はそういう人が多いですが、変わったところでは絵の勉強をしているので、絵の練習をしていたりとか、文学賞に出すための小説を書いている人もいらっしゃいますよ。まあ、利用の仕方は人それぞれです。僕たちは、居場所を見つけるための、お手伝いができたらそれで良いと思います。」

絢子さんはジョチさんの言葉もしっかりタブレットにメモを取った。

「ありがとうございます。それでは、新聞ができましたら、そちらにお送りしますから。それでは、今日は取材をさせて頂いてありがとうございました。」

絢子さんは、にこやかに笑って、ジョチさんたちに一礼し、それではといってまた電動車いすを動かして、段差のない玄関から、出ていってしまった。

「へえ、全く、面白い取材だったな。絢子さんがここを取材していくとは思わなかったな。」

と、台所でカレーを作っていた杉ちゃんが、でかい声で言った。

「まあ、地方新聞の端くれのような新聞社ですから取材を許しましたけど、こういうところに、好奇心だけで、取材をさせるのは困ったものですね。」

ジョチさんがそう言うと、

「良いじゃないですか。絢子さんの取材のお陰で、ここへ来たいと思ってくれる人だって出てくれるはずですよ。それを期待すれば良いのではないのかなと思います。」

水穂さんは布団に座ってにこやかに言った。

「まあ確かにそうですね。良い方に転んでくれれば良いんですけどね、、、。」

ジョチさんは心配そうな様子だった。

そしてその数日後。製鉄所に郵便がやってきた。ジョチさんが封を切って中身を出してみると、丁寧に印刷された「小さな新聞」が入っていた。その見出しには、「居場所を求めて」というタイトルで記事が掲載されている。ジョチさんが読んでみると確かに先日絢子さんがインタビューしてくれたことが載っていた。

「絢子さん、本当に新聞にしたんですね。とてもきれいに書いてくれてあって、なんだか照れくさいですね。」

「まあ、いずれにしてもさ、ここの評判は上がるぜ。それは良いことじゃないか。」

杉ちゃんに言われてジョチさんはそうですねと苦笑いした。絢子さんが同封した手紙によれば、この小さな新聞は、養護学校とか、障害者施設等に配っているという。普通の人には配っていないようであるが、それでも読んでくれる人がいてくれれば嬉しいことでもあった。

その次の日。絢子さんが、インターネットで、また新たに取材ができるところを探していた所、自宅のインターフォンが音を立ててなった。絢子さんは今は、家族と一緒に暮らしていない。一緒に居るのは家政婦のおばちゃんだけであった。手も足も動かない絢子さんであったが、家政婦のおばちゃんに手伝ってもらって、一生懸命生活しているのだった。絢子さんは電動車いすを動かして、インターフォンを取った。

「はい、どちら様でしょうか?」

と絢子さんが言うと、

「あの私、フジニュース社のものですが?」

中年の女の声である。

「ああ、お入りください。」

絢子さんは、フジニュースから予約もあるわけでもないのに、その女を中に入れてしまったのだった。女性は、一見してみると、ブラウスとジーンズという、普通の女性のように見えるのであるが。

「はい、何の御用でしょうか?」

絢子さんは、女性をとりあえず居間兼仕事場に案内した。

「あたし、松木由美と申しますが、佐藤絢子さんとは、貴女のことですよねえ?」

松木由美さんは絢子さんに言った。

「ええ、間違いありません。私が紛れもなく、佐藤絢子です。」

絢子さんはそう言うと、

「それなら、貴女はどうやって、あの大渕の福祉施設の記事を書いたのですか?」

と松木由美さんはいった。

「ええ、製鉄所さんには、介護タクシーに乗せてもらって連れて行ってもらい、中に入らせてもらって、利用されている方にインタビューをしました。」

絢子さんはあった通りの事を言った。

「うそ。」

松木由美さんはそういう。

「貴女のような、重度の障害者が、あんなところに行って取材をしてくることがはたしてできたんでしょうか?絶対別の人になにかさせたのではないかと思うのですけど?そうするしか無いじゃありませんか。貴女は、一人で食事することだってできないのでしょう?それなのになんで貴女があんなところに行って取材をしてくるのです?絶対になにか汚い手を使ったんでしょう?あの記事は本来なら私が書くはずだったのよ。それなのになんで貴女がああして記事にしてしまったの?」

「ええ。それは私が一人で取材しました。あの建物の中は段差がないので、一人でも簡単に出入りできてしまうのです。」

絢子さんは正直に言うのであるが、松木由美さんは、嫌味っぽく、

「いいえ、あんな不便な場所にある施設で、貴女が取材できるなんて、絶対誰かが手伝うしかなかったんだ。絢子さん、もし記事を書くなら貴女が単独で書いた記事ではなくて、他の誰かとの共作であるとちゃんと書くべきだったのではありませんか?」

というのだった。

「いいえ、そんな事ありません。私はちゃんとあそこへ行って、ちゃんと利用している人にインタビューもしました。私が取材したメモも残っています。何ならお見せしましょうか?」

絢子さんはすぐに車椅子を動かして、机の上に置いてあったタブレットを右手で取った。そして、顎で電源スイッチを押し、操作ペンを口でくわえて、タブレットを操作し、すぐにメモアプリを立ち上げたのであるが、

「ほら、貴女はそのアプリすらちゃんと立ち上げられないんじゃありませんか。そんな人間に、あんなところで取材なんか無理なんですよ。絢子さん、ちゃんと著作権を述べるのであれば、貴女の単独で執筆ということはありえない事をちゃんと知っておくべきではないでしょうか?貴女は、一人では何もできない人間なんです。それよりも、まわりの人達に感謝すべきではないですか?」

松木由美さんは、絢子さんに言った。どうしてこういう女性がなにか成し遂げると、良かったねと褒めてくれるのではなくて、共作した人の名前を出せとか、共作してくれる人に感謝しろとか、そういうふうになってしまうのだろうか。決して本人が褒められることでもない。それより、共作として手伝った人ばかりが褒められて、本人はそれに感謝しろというように持っていかれてしまうのである。

「由美さん、本当に私が書いたことを疑っているのであれば、実際にその施設に行ってみたらいかがですか?それとも今から私と一緒に、そこへ行ってみますか?」

絢子さんは、すぐにそういったのであった。まあ確かに、高尚な身分の人らしく、すぐに出てしまおうとかそういうことが言えるのは、すごいことだなと思うけど、

「それならそうさせてもらうわね。あたしも、絶対あの記事は貴女一人ではできないと思ったのよ。」

と松木由美さんは言った。絢子さんはスマートフォンを取って、操作ペンで介護タクシー会社の番号を回し、今から大渕の製鉄所という福祉施設まで乗せて行ってほしいと言った。数分して、介護タクシーは、絢子さんのマンションの前で止まった。また取材に行ったときと同じ運転手が、絢子さんを、介護タクシーの車両に乗せる。絢子さんが、松木由美さんも一緒に乗せてほしいというと、運転手はそれなら助手席に座ってくれといったので、松木由美さんはその通りにした。

二人は介護タクシーに載って、製鉄所に向かった。特に道路も混んでおらず、30分くらいで行くことができた。絢子さんが運転手に降ろしてもらって、製鉄所の引き戸をガラッと開けると、

「あれえ、あの佐藤製紙のお嬢さんじゃないか?」

と、杉ちゃんに言われて絢子さんは、

「ごめんなさい。こないだの記事を私が書いたということを信じてくれない人がいて、どうしてもわかってくれないから連れてきたのよ。」

と、杉ちゃんに言った。

「信じてくれないって、あの記事は紛れもなくお前さんが書いたものだろう?」

杉ちゃんはそういうのであるが、

「ええ、でもこの松木由美さんは、私がここへ取材したということを信じてくれないのよ。」

絢子さんは言った。

「そうなんだねえ。それじゃあ、まあとにかくだな、暑いから、入ってな。ちょっとお茶でも飲んできな。」

杉ちゃんに言われて絢子さんはすぐに製鉄所に入った。松木由美さんも、中にはいった。松木さんは、製鉄所の鶯張りの廊下を歩きながら、

「随分和風の建物だけど、段差が全く無いのね。ここへこういう人がよく来るんですか?」

と杉ちゃんに言った。

「まあよく来るっていうか、居場所をほしいと言う人はどんな人でも受け入れることにしている。この建物は、いろんな人が来るからね。足が悪い人だって来ることもあるだろうから。」

杉ちゃんが答えると、四畳半からピアノの音が聞こえた。何の曲だろうとよく聞いてみると、ショパンのワルツ七番だった。それと同時に、その隣の部屋である食堂からは、利用者たちが勉強を教えあっている声が聞こえて来る。この問題はどういう感じで解けば大丈夫とか、親切に教えてくれている。

「ここでは、なんでも楽しそうにやっているんですね。なんだか、いろんな人がいて、それぞれできることを楽しくやっているってすごい建物ですね。」

松木由美さんは、なんだか羨ましそうに言った。

「確かにここでは、何も段差が無いから、絢子さんが取材をしようと思えばできるんですかね。」

「でも、ここを利用している人達は、居場所がなかったり、社会的には偏見の目で見られたりして、悲しい存在でもあるんだよね。それが少しでも前向きに進めるようになるためにさ、こういう場所を作ってあげるようにしてやりたいよな。」

と、杉ちゃんが言った。

「でも、段差がないとか、みんな工夫してあって、やっぱりハンデがある人も、使えるように考慮してあるんじゃない。それははたしてどうかしら?」

松木由美さんが言うと、

「まあ、そうだけど、そういうやつが利用しても良いように、工夫をしてあるから、僕たちも、普通の人と同じように幸せになれるってもんだけど、それは違うのかな?」

と、杉ちゃんが言った。

「そうよ。あたしだって、普通の人と同じような事を味わってみたいもの。それでは、行けないのかしら?」

絢子さんは、にこやかに笑って、そういう事を言った。

「そうそう、僕たちみたいに足が悪かったり、いろんな事情があるやつが居るけれど、それが、人と同じことをしちゃいけないって事は、決して無いからね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。その間にも水穂さんのピアノは聞こえてくるし、勉強を教えあっている人たちもいる。

「そうね。確かにここへ来ると、あたしのような人間が、本当にちっぽけだってことがわかるわ。」

と、松木由美さんは言った。

「それでは、絢子さんが、取材できたことがわかってくれたかいな?」

杉ちゃんが言うと、松木由美さんは、自分がしたかったことを絢子さんにさきを越されてしまった悔しさも何処かに吹っ飛んでしまったような気がして、

「みんなが幸せになることが、報道者の努めだわ。」

と小さい声で言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな新聞 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る